第十一章:21
日は傾きかけていた。放棄地区の中――影が長く、伸びている。
彰が廃墟群に足を踏み入れた。
「ずいぶんやられたようだが」
後ろからレイチェルがいった。
「報せを受けたのが30分前だから。韓留賢がいうには、奴ら相当の手練だって」
「そうだろうな。一度、手を合わせてみて分かったことだが、おそらくあの二人は他のギャングどもとは違う」
あの二人、とはレイチェルが遭遇したという白い衣の男女のことだろうと思った。韓留賢の報告では剣の少女としか聞いていなかったが、ヨシから新たに報告が入っていた。拳法を遣う男に、省吾がやられたと。
「それで」
彰がガバメントの撃鉄を起こして、
「いつ分かったの、その二人組が機械だって」
「薄々ね。子供にしちゃ、体が重いと思った。功夫が練れていれば、往々にして体が重くなるものだが、あのガキはちょっと勝手が違うような気がしてね」
「機械と立ちあったことは?」
「ない、けど別に不思議はない。戦後の機械兵たちが、どこに紛れていようと」
レイチェルの手には短刀が握られている。逆手に持ち、彰と背中あわせに立つ。
「けど、ああいうタイプは初めて見たな。ほとんど人間と変わらない容姿。以前は明らかに機械然としていたが」
「技術の進歩、って奴? それも特異点へ近づいているってこと?」
「そうかもしれない」
彰、溜め息をついた。
「漫画じゃあるまいに」
「そう思うか?」
「三文小説家か政治屋の発想だ。サイバー技術による肉体強化と軍事利用、どこかで聞いたような話」
「だが事実、そういう位置づけになりつつある。加速度的な技術の進歩は、懐古主義者たちが後生大事に抱えている倫理観の領域などとっくに侵している。戦時の機械兵、そして次世代の機械兵が生み出されている。あの二人組、そして雪久の目、『千里眼』」
「まるで見てきたように言うんだな」
廃墟の一つに入り、
「でも、あの二人が機械だとして、ヒューイごときが手に入れられる代物? “シルクロード”でも入手できるものじゃないだろ」
「もっとも。あの二人は多分、誰かのテコ入れだろう。でなければ、私に反旗を翻すとは思えない、あの男が」
「そうかい」
冷えた空気が肌を撫でた。
「随分と自信がおありで」
彰が言うに、レイチェルは曖昧な笑みを見せた。
崩落から辛うじて逃れたような建物が並んでいた。汚濁した塵の、淀んだ中で連なる。鉄骨と導電線の露出と、天井から垂れ下がる何かの布が、どうしても印象付ける――あまり、良くない傾向。
両者ともぴったりと背中をあわせ、四方を警戒しながら進んだ。彰、左手の携帯端末を見る――赤い点が、緑の液晶の中に光っていた。
「あの娘に、複数持たせているのか? ビーコン」
「バックアップは常に持っておくべきと思ってね。あんたに頼んだ発信機を元に、いくつか作ってみた」
「相変わらず、器用なことだ。父親が工兵だと、息子もそうなるのかね」
「趣味だよ、ただの。実益も兼ねた」
「銃の撃ち方もか?」
「まあこれは違うけど、本当にやむにやまれずって感じでさ。父親から習ったものだよ。ろくに、銃なんて撃ったことない父だったけど。人を撃つより、機械いじりしか能がない」
端末の光点と、現在位置が近づいているのが分かる。
彰が先に立った。銃口を下に保持、室内を伺う。身を乗り出しながら、手招きした。レイチェルが駆け寄る、入り口の反対側に背をつけた。
「どうだ、見える?」
レイチェルが問うのに、彰、目を細めた。
室内、中央に寝かされてる人物。舞が、いた。黒服の男たちが他に3人。何やら話しているが、聞き取れない。
「ドイツ語みたいだな」
レイチェルが声を潜めていう。
「何、『黄龍』じゃメジャーなの?」
「ドイツ系はね、割と多いよ。それよりあいつら、あの子を始末するつもりみたいだけど」
「は、え?」
見れば、男たちの手に黒光りする物体が握られている。スライドを引く時の、金属音を奏でさせて。
「まずい、いくぞレイチェル」
彰が飛び込んだ、時。白梅の香りが、した。
「……ん」
レイチェルの方を見やるが、レイチェルは首を振った。この場で香を纏う意味などない。
かつん、と靴音がした。別の方向――男たちから見て、左の方だった。廊下に続く通路の出入り口、コートを羽織った人物がゆっくりと歩いてくる。
灰色の格好だった。つばの広い帽子、長めのコート、その下に息づく厚手の軍服、ブーツ……都市のくすんだスモッグと同じ色をしていた。衣服を通して見る体の線が、にわかに細みを帯びていて、どうやらそれは女のようだった。
男たちが呆気にとられたように、女の方を見た。やがて口々にまくし立てた。おそらく、出て行け、といった類の。女は意に介さないように、動かない。男の一人が銃を向けた。
それと、同時だった。銃声が響くより先に、男の体が宙を舞っていた。
(何だあ?)
事態を呑み込みかねていた。どうやら女が、男の銃を掴み、関節の作用を利用して投げたらしい――そう解した時、女が別な男の方に飛び込んでいた。男が銃を構える――その手を取り、捻り、投げ飛ばした。男が地面に頭を打ちつけるのも確認せず、身を翻し、もう一人の男に当て身を食らわせた。女の拳が喉を捉えるに、男は反吐を吐いて倒れた。一発の銃弾も、撃たせない。
「驚いた、あの女……」
レイチェルが感嘆したように呻いた。
「完全に、間合いを掌握している……あんな芸当、早々できるものでは」
しきりに唸っている。素人目からも、女の動きは抜きん出ていた。銃は接近されると遅れをとる。銃を保持する、照準をあわせる、引鉄を引く、という一連の動作よりも、極接近状態での白兵武器の方が早いことが多い。だが、それも相手を上回る技量を持っていることが前提だ。仮にも『黄龍』の実行部隊を、いとも簡単に、しかも素手で制するとは……
(どこかで見た事、あるな)
女を、ではなく、技を、である。近接から関節を極め、崩す――当身は拳法のようだ。
「いつまで見ている」
唐突に女が発した。彰ははっと我に返った。
「先刻から、この娘を助けたいのかどうか、分かりかねるんだけど」
声の調子は、それほど若くはない。せいぜい30代といったところだ。レイチェルと、そう変わらないかもしれない。
「あんたは……」
彰は銃を保持したまま、部屋に入った。銃を突きつける。
「おや、その銃はなんだい? このお嬢ちゃん、救った恩人に向かって」
「残念だけど、簡単に信用をさせてくれるような場所じゃなくてね。成海ってとこは」
レイチェルがさりげなく、女の背後に回っていた。短刀を差し出した右半身に構える。
「とりあえず、その帽子」
「帽子?」
「取れよ、そして顔を見せろ」
ふうん? と女は鼻で笑った――ように見えた。帽子のせいで、表情は分からない。
「好みの顔か、確認したい? 坊や」
からかう口調。舌打ちする。
「いいから取れよ、顔が見えなきゃ信用できない」
彰は差し込む陽光、西日を背負う位置に立った。女からは大分距離をとった、銃の間合い。たとえ女が動いたとしても、傷を負わせることは難しくはない。
「せっかちな坊やだ」
女は観念したように帽子に手をかけた。少しだけ持ち上げるに、長い髪が、ふぁさりと落ちた。
もう10センチ持ち上げれば完全に脱げる――そのとき、いきなり目の中に何かが飛び込んできた。
(何をっ)
丸い物体だった。どこからともなく高速で飛来し、眼鏡に当たった。相当な勢い、レンズがひび割れた。反射的に、顔を逸らした。
地面に落ちた物体を見やる。コインだ。古い元通貨が、突き刺さった――いつのまにか、投げつけられた?
「しまっ――」
気づいたときには遅かった。女はすでに、間合いに入っていた。彰が構える銃身に手をかけ、縦方向に捻り上げた。彰の手首が、銃に巻き込まれる形で極められる。つづき、体の重心が崩れるのを感じた。天地が逆転し、気づけば彰の体は宙を舞っていた。壁と天井を仰ぎ、続き地面に叩きつけられる。痛みを味わうまもなく、うつ伏せに組伏せられた。
「離せっ、この」
女がのしかかる。もがいたが、まるでピンで止められた虫の標本みたいに、動くことができない。
「コルト・ガバメントか」
上の方から声。女が銃を奪った。
「古い銃は何か思い入れがあるのか? しかし、あまり賢い選択とはいえない」
「あ、あんたにゃ関係ないだろ!」
もがいて拘束を解こうとするが、全く体の自由が効かない。それどころか動けば動くほど、女の体重がのしかかり、地面に磔にされてしまう。どういうわけか、女の身体はそれほど重くないのに、背中の一点に体重をかけられている感じがする。それが、身動きを取れなくさせているのだ。
「しかし、位置取りは悪くはなかった。もう少し鍛えれば、あるいはお前も……」
そこまでいった時、女が飛び退いた。彰は唐突に解放され、身を起こした。
「もういい、彰。お前の敵う相手じゃない」
吐息めいたレイチェルの声とともに、助け起こされた。その右手には短刀が握られており、刃に灰色の繊維がかすかにこびりついていた。対して女の帽子のつばに切れ込みが入っているのを見、理解する。
「少しはやれる、ということか」
女がいうのに、レイチェルが向き合った。彰には下がっていろといって。
「そうか、お前がレイチェル・リーか」
「いかにも、それで」
とレイチェルは右半身に構えた。刀を逆手に手挟んで、左足を大きく引く。
「お前は何者だ」
また帽子の奥で、含み笑いが聞こえた。
「直球だね。でもその聞き方、『黄龍』の頭としてはどうなんだろうか。いかにも危機感を欠いているじゃないか」
まるで会話をはぐらかすことが楽しくてしょうがない、といった風情だった。女は帽子の影で、くつくつと笑いを洩らしていた。
「力ずくで、吐かせてみたらどうだい? あんたらの好きそうなことだろう」
女は構えを取る事なく、悠然と佇んでいた。どれほどの影響も受けず、ただそこに在るだけで脅威を抱かせるには十分な、構えならざる構え。存在を主張しないが故に、攻撃の意図も見えない無構えを見せる。
互いに圧する――沈黙が支配した。無言の対峙があった。わずかな物音も立てず、呼吸ですら止まっているかのような、長い膠着。動かず、しかし動いていた。レイチェルも、灰色の女も、互いにいつ動くのかを探り、読み合っていると――武に疎い彰にも感じられた、攻防。
息を飲んだ。
どちらが先に動いたのか定かではなかった。意識した時、両者の影が交わっていた。レイチェルの短刀と、女の掌――交差する。
縦に切り裂く刃。女の右腕がゆらりと動き、レイチェルの腕を撫ぜた。刃の軌道を外す。レイチェルの体が流れたところへ、女は腕を取り、レイチェルの小手を捻り上げた。
レイチェルの体が舞った。小手返し――省吾と同じ技だ。
空中でレイチェル、身を捻った。体勢を整える――投げられた勢いを利用して一回転、着地した。逆に女の腕を取り、関節を極める。女の肘が伸びた。
だが。次の瞬間、女が体を深く沈めた。逆関節にかけられた腕が緩み、女が腕を抜いた。続き、レイチェルの襟を掴み、腰を密着させ、足払いをかけた。レイチェルが仰向けに倒れる。すぐに飛び起き、構えをとった。
レイチェル、刀で水平に斬りつけた。女の腕が空間を薙いだ。
瞬間、刀が弾かれた。女の手刀が叩き落とした、と知る。強く打ちつけたわけでもない、軽く触れるような手刀であるにも関わらず。レイチェルの舌打ちが聞こえた。
女が攻める――踏み込んだ。右掌が真っ直ぐに伸びる。レイチェルは腕をゆらりと突き出した。女の当て身を逸らし、肩で体当たりを繰り出した。
衝撃が室内に走った。レイチェルの体当たりで、女の体が吹っ飛んだ。発勁は何も拳のみで打つものではない。功夫が練れていれば、全身が凶器となる。
「ほう」
女が起き上がりながら、感嘆の声を洩らした。
「太極拳か。八卦掌も混ざっているな」
「あんたの柔も大したもんだよ」
レイチェルがいう。息が切れていた。女の背中越しに、苦しそうなレイチェルの顔を垣間見た。
「なるほど、内家拳と合気では折り合いが悪いな。しかし、お前」
と女は帽子に手をかけた。
「つくづく、似ている。技も見目も。あいつが見間違えるのも無理はないな」
「あいつが、って」
やおら、女が帽子を取った。
レイチェルが息を呑むのが分かった。女の素顔を見て、あからさまに驚いていた。だが、彰からは女の顔は見えない。
「お、お前……」
声が戦慄いている――レイチェルの顔に、明らかな動揺の色が、浮かんでいた。これほど狼狽したレイチェルを見るのは、初めてかもしれない。何を見ているのか、何がそれほどレイチェルを驚愕せしめているのか――
「まあ、いいだろう。今日のところは」
女は帽子を、また深く被った。
「試すような真似をしたが、お前達と構えるつもりはない。今日のところは、退散するとしよう。それと、坊や」
女が彰の方を向いた。帽子の奥から、鋭い眼差しが覗いた気がした。
「そこの嬢ちゃんを、早いところ保護してやりな」
「な……い、いわれなくとも」
我に返って起き上がった。女はまた、含むような笑いを洩らし
「ちゃんと守ってやりなよ、騎士さん。腕はともかく、心意気だけは買ってやるからさ」
女は銃を拾い上げ、差し出した。黙って、受け取る。
「あんた、一体……」
見上げる。女の唇が、垣間見えた。笑いを象る――派手な紅色。
「しっかりやりな。あいつの傍は大変だろうけど」
誰の事いっているんだ――口にするより先に、女が立ち去った。慌てて追いかけるが、室内を出たときには、女の姿は無かった。消えてしまったかのように。
「レイチェル、あいつは」
と振向く。レイチェルは空を睨み、何事か思案しているような目をしていた。
「どうやら」
ようやく、レイチェルが切り出した。
「順調に近づいているようだな」
「何が?」
彰の問いに、レイチェルは答えない。何か重たいものを呑み込んだような、沈鬱そうな、それでいて引けぬ覚悟を背負ったような面持ちであった。意図することを、解することも出来ず。彰は銃を仕舞った。
血の色の夕陽が沈み、群青の空間が成海を染めている。
第十一章:完