第十一章:20
刀を差し出す――小太刀の斬撃。左半身から体を捻り、切りつけた。
刃が、孔翔虎の首に触れた。人造皮膚を切る――その下に埋もれる、堅い殻にはじかれる。
孔翔虎、掌打。胴に伸びる。省吾、右足を軸に体を半回転。力を流す。孔翔虎の掌が肋骨に触れる――衝撃が肺に響いた。
距離をとる、二歩。孔翔虎が追う。右半身から、頂肘を突き出した。体ごとぶつかる。
突貫。
山が迫る勢い。省吾、横っ飛びに避けた。肘が流れたのへ、するりと入り身になって背後に回った。孔翔虎が振り向いたところ、小太刀を突きつける。同時に襟を掴み、足をかけた。
「や!」
気勢をかけ、体重をかけた。投げ飛ばそうと試みる。
だが、動かない。根を張った幹かなにかを思わせる、体の重さ。
孔翔虎が、体重をかけた。逆に投げ飛ばされた。足が払われ、完全に体が宙に浮き、落下。背中を打ちつけた。
すぐさま飛び起きる。立ち上がったところ、孔翔虎の貫手。小太刀の刃で受け流し、腕を掴んだ。手首を返し、関節を極め、背中側に倒した。小手返し――関節の作用を利用した投げ。柔術の基本技法。
孔翔虎、腕を払った。省吾の体がつられて振り回された。一瞬の浮遊の後、省吾の体が飛ばされた。
「破っ」
間髪入れず突き――孔翔虎が踏み込んだ。拳が眼前に迫る、拳に圧される。
直撃する、0・5秒。反射的に首をひねった。拳が省吾の耳元を過ぎ去る――空気が裂ける音を聞いた。
――野郎。
距離を取った。孔翔虎の、拳の届く範囲から逃れる。だが孔翔虎、距離を詰め、迫った。
掌打。轟然と突き出される。
鉄の塊と真っ向ぶつかる。小太刀の刃が砕けた。衝撃が伝播して、省吾の軽い体が飛ばされた。壁に激突。衝突で肺が圧迫され、呼吸が止まった。思い切り吐き出す、のに。目の前に、功夫靴の爪先が差し出された。
首を逸らす。頬を削る、孔翔虎の前蹴り。皮膚が焼けるような、速い、そして重い――刃めいた蹴撃。孔翔虎、さらに歩を詰める。間合いを潰す。掌打を放った。
右肘で流す。孔翔虎の腕が流れるのへ、省吾、ナイフを抜いた。彼我の距離が縮まる、刹那。ナイフを孔翔虎の脇腹に突き立てた。
硬い岩を穿つ、手応え。皮膚の下、殻に刺さる――肉の感触は得られない。
「その程度か」
孔翔虎が腰を落とした。右肩で、体当たり。省吾の胸に突き刺さった。
省吾の軽い体が、舞った。凄まじい勢いで後方に飛び、階段の手すりに激突する。衝撃で目がくらみ、脳髄が揺さぶられた。
「……くっ」
だが、痛みを噛み締める、暇も無く。孔翔虎が間を詰めるのが見えた。慌てて省吾、立ち上がる。階段を駆け上る。すぐ足元で、コンクリの破片が舞う気配。
ふらつきながら、2階へ。背後から追ってくる、孔翔虎の足音。
「こ、の……」
振り向いた。孔翔虎が猛然と頂肘を打ち出した。体を開いて初撃を外し、続き左手で孔翔虎の功夫服を掴む。孔翔虎の進行方向とは逆――後方に向けて、押し込める。合気の呼吸――投げ飛ばした。
孔翔虎の体が、空中で一回転した。投げ飛ばした勢いを利用しての捻転――着地。慄然とする省吾を尻目に、孔翔虎、掌を打った。
咄嗟に両腕で防いだ。右の腕が軋んだ。骨という骨、関節に伝わる衝撃は、やがて全身に広がりを見せる。神経、細胞、そうした体の構成要因――ひとつひとつに。
「がっ」
深く抉る、掌打。また何度目かの衝撃、地面に叩きつけられ、転がり、壁際に飛ばされた。既に幾度となく打ち込まれた体――力が、戻らない。
「少しは、骨がある、ようだな」
孔翔虎――まるで感慨もない、それが最初から予定されていたかのようにいった。
「ここまで、俺の打ちこみに耐えるとは。普通なら、死んでいる」
「そりゃ、褒めてくれてんのかね」
精一杯の強がりだが、その台詞を吐くことすら、懸命に――腹から搾り出す自らの声は、弱い。
「お前とは、もう少し前に出会っていたらな」
孔翔虎が近づいた。巨躯が、見下ろす。
「生身同士でだったら、良い勝負が出来ただろうが、残念だ。兵器と個人は比べるまでもない」
「機械なんぞに……」
もはや、省吾の目の前には孔翔虎の姿は写らない。靄が掛かった視界の中で、声だけが響いている。立ち上がるために力を呼び戻すが、真綿のような脱力感しか得ない。
「悪く思うなよ、真田省吾。貴様個人には、恨みは無いが」
孔翔虎の手が、首を掴んだ。吊り上げられる。いとも簡単に、猫の子でも掴むように。
向かい合った。孔翔虎の無機質な目と向かい合う。躊躇など微塵も伺えない、ガラス玉じみた硬質な瞳が捉えた。その中心に、省吾の姿が写る。
歯を食いしばった。それで何が変わるというわけでもなく、ただ憎悪を視線に込めて睨めつけた。
孔翔虎、拳を握った。
「まだ」
省吾が呻いた。
「終りの台詞は、早い」
「何を――」
孔翔虎がいいかけた、とき。省吾、素早く袖口に縫いつけた、最後の武装を抜いた。クローム仕立ての鎧通し――左手で握り、右手を柄尻に添え、孔翔虎の手首に突き立てた。
渾身の力を込める。外殻を破る手応えがした。チタンと鋼の鎧通しの、先端部分が刺さる。孔翔虎、驚愕といった表情。
「あの女の真似、だ」
さらに押し込める。鎧通しが、半ばまで刺さった。孔翔虎が顔をゆがめーー苦痛を感じることはあるようだ――省吾の首から手を離した。解放されたとともに、素早く距離をとる。
「なるほど……意識すると悟られる。悟られないためには、仕込んだ本人も意図的に忘れる必要がある、か」
首を鳴らし、
「まあ、今リアルに忘れていたけど」
孔翔虎は、動かない。自らの鉄の腕に刺さった鎧通しを、相当苦労して引き抜いた。貫通力に特化した刺突武器、それでも外側しか打ち破れない。
「俺に傷を負わせたのは、飛慈以来だな」
鎧通しを投げ捨て、孔翔虎がいった。
「しかし、ここにきて足掻くとは」
理解に苦しむといった風情だ。もっとも、それ以上は語らない。すぐにまた、同じような低い構えをとる。
省吾も右半身に。だが、逃げ場は無い。入り口は、孔翔虎の背中側にある。
(どうすれば……)
考える、間もなく。
孔翔虎が突っ込んだ。省吾、迎える。掌を差し出した。
その瞬間、
「伏せろ!」
声がした。日本語だ。孔翔虎の動きが止まった。
入り口の方――人影を認める。赤いジャケット姿。右腕を包帯で吊ったヨシが、立っていた。
「早く!」
言葉と同時に、体が動いた。省吾が伏せた、途端。光が爆ぜた。
閃光弾。するどい光と音響が生まれた。遅れて煙が立ちこめる。
「大丈夫か?」
伏せる省吾に、ヨシが近づいてきた。左手に、抜き身の長脇差しを携えて。
「どうして、ここに」
「韓留賢から連絡があったんだよ。なんかやばいから来い、ってさ。雪久も、妙な奴に絡まれてんだって」
「雪久が……?」
ということは、雪久もここに来ているということか。舞を救出するために。
それよりも
「な、何でそれでお前が来るんだよ? お前、後方支援じゃ……それに怪我も」
「そんなことどうでもいいから、今のうちに」
質問に答えず、ヨシが省吾の手を引いた。促されるまま立ち上がる。
「逃げるよ」
その瞬間、煙が切れた。孔翔虎の巨躯が、再び現れる。
銃火が一斉にひらめいた。入り口から。遅れて来た兵達が、小銃を撃っていた。知らない顔、おそらく5番隊。
「や、やめろ。そいつに銃は」
省吾が叫んだときには、今まさに孔翔虎が標的を変え、突進してゆくところだった。火線を掻い潜り、間合いを詰め、一番近くにいたラーグの胸を突いた。
果たしてラーグの体は、宙を舞った。壁に叩きつけられ、コンクリに蜘蛛の巣状の亀裂が入った。瞬間の出来事、ラーグは血反吐を吐き、くずおれた。
隊に、恐怖が伝播した。全員射撃を止め、退却を試みる。だが孔翔虎は逃げる兵を追い、拳と肘、体当たりを浴びせた。その様相はまるで、戦車か装甲車が群衆をなぎ倒すかのよう。
「待て、孔翔虎。貴様の目的は俺だろう、そいつらは関係ない!」
省吾がいうのにも、孔翔虎はちらりと一瞥したのみだった。お前は後で料理してやる、といわんばかりの。いつでも殺せるという余裕の表れ。
「だ、旦那。はやくここを……」
ヨシの声――震えてていた。省吾の袖を引っ張って、催促する。
「ヨシ……」
ふと目の前の機械が、幼い頃の記憶と重なった。フラッシュバック――“ウサギ狩り”と、師との別離。師の胴を貫いた、金属指と……『千里眼』の目。
瞬間的に、
「貸せ、ヨシ!」
長脇差しを、ひったくった。面食らうヨシをよそに、省吾、刀を掴み、そして
「この、機械がっ!」
孔翔虎に、斬りかかった。
上段から、袈裟斬り。
孔翔虎、振り向き腕で防いだ。鉄が噛み合う――殻に突き立つ。防いだ腕を孔翔虎は献肘に変化させる。孔翔虎の肘が、肩に当たる。骨が軋む、衝動。膝をつく。
孔翔虎が拳を降りかぶった。
いきなり、右方から拳大の石が飛んできた。孔翔虎の即頭部に当たった。まるで予想もしていなかったのか、孔翔虎はまともに食らい、よろけた。
右の方。ヨシが、投擲したままのポーズで固まっていた。
「クソが……」
孔翔虎がヨシの方に振り向いた。そのとき、見た。
孔翔虎の右腕――人造皮膚が剥がれて、機械部分が露わになっている。右肘、関節部――色の付いたコードとジョイント部分。明らかな機械の特徴。
先生の声がよみがえった。人体の構造上、明らかな弱点。どんな強力のものでも、関節を攻められれば脆い。
関節――
その瞬間、剣を腰だめに構えていた。腰を落とし、体ごとぶつかる。むき出しの関節部に、刀を突き刺した。
みしり、と軋む音。刀の先端が、機械の関節に埋もれた。丁度、切っ先三寸の部分。
孔翔虎が振り向く。刀を払おうとする。省吾さらに剣を押し込める。みしり、みしりと腕に刀がめり込んでゆく。
「こ、この……」
初めて、孔翔虎の目に狼狽の色が浮かんだ。刀を引き抜こうと腕を引くが、強く噛み合った鉄を排除することは、相当にむずかしいようだった。刺し込む度に、まるで血のように流れる黒い水があった。油か、あるいはもっと別ななにか。
「はっ!」
押し込める。刀が、孔翔虎の腕を貫いた。黒色の液体が飛び散り、鉄が砕ける音がした。
刃が突き抜けた瞬間、孔翔虎の目が見開かれた。驚愕の表情、それがみるみるうちに憤怒の表情に変わった。怒りに任せて左の肘を突き出す。省吾、刀を放して飛び退いた。
「これで、二回目。二度刻んだのは、俺が初か?」
省吾、ようやくそれだけいった。
「鎧の隙間は、弱いもんだ」
孔翔虎は刀を引き抜こうと柄に手をかけた。固く噛み合った鉄を引き抜く――鉄線やコードが絡まった刀身は、黒ずんでいた。血かオイルかわからない、黒い水が滴る。
「いいだろう、誉めてやる」
刀を捨て、孔翔虎が発する。
「確かに、ここまで粘った奴は珍しい。この手で終わらせるとなると、惜しい位だ」
傷ついた右腕をかばうように、孔翔虎は左半身となって
「敬意を込めて、俺も最大の力で迎える」
そういった、とき。
孔翔虎、大きく踏み込んだ。左足で踏みしめた地面がひび割れた。
次の瞬間、孔翔虎が跳びこんだ。
「な……」
一直線に迫る――省吾の元へ。5メートルほどの間合いを、一挙に詰めた。気づけば目の前に孔翔虎の姿がある。ぞくりと、背中が粟だった。
拳が伸びる。反射的に首をひねる。こめかみを拳がかすめた。肉が裂け、血が吹き出た。
「旦那!」
ヨシが駆けよろうとするのに、手で制した。
「近づくな」
そう叫ぶのへ、さらに孔翔虎、飛び込んだ。左掌を突き出す、猛然と。避けられない――両腕で防いだ。
骨砕ける衝撃――体の芯まで、突き抜けた。まともに食らい、はね飛ばされる。
周りの景色が一気に遠ざかり、室内の光景が、いきなり外の青い空に変わった。窓の外へ投げ出された、と知る。
やがて、落下。窓の縁に立つ、孔翔虎を仰ぎ見た。冷えた視線で見下ろしてきた。それも、すぐに見えなくなった。地面に叩きつけると同時に、目の前が暗くなった。
(畜、生)
薄れる意識の中、師の姿が一瞬よぎった。
省吾をたたき落とした男を、見上げていた。ヨシは声を失い、その場にへたり込んだ。あっけなく片づけたその男――省吾を葬った機械。
足に力が入らない。それどころか全身の筋肉が弛緩するような感覚があった。恐怖しか抱かせない存在――あの省吾をいとも簡単に。
ふと、機械の男が、見下ろしてきた。冷たい視線。のどが収斂した。殺される、と思ったが、男はそのままきびすを返して、室内を後にした。
「あ、あああ……」
ようやく声がでる。そして悟る。自分に、抵抗できるすべはない。あの男も、それがわかっている。わかっているから、殺さなかった。
――眼中にない、と告げられたのだ。いつでも殺せる、という。
地面をたたいた。省吾を失っても、何もできない自分を呪った。どうしたって自分は、いつまでも無力だ――
何も出来ないことを、嫌でも自覚させられる。情けなさに、唇を噛んだ。