第十一章:19
銃声が響いた。同時に、少女の手が止まった。
孔飛慈の背後――見やる。ケイ・ツィー・ロウが、拳銃を差し向けていた。硝煙をたなびかせるのは、ブローニング拳銃――“戦士の銃”。
「どうよ、銃弾の味は? 鉄屑」
ケイ・ツィー・ロウ、息を切らしていた。貫かれた左肩を庇うように、斜に構えて。
「何あんた、まだ生きてたん?」
「化け物に、喰わせるわけにはいかないからね。レイチェル大人の弟子を預かってるんだ、易々とくれてやるかよ」
「弟子? こいつが?」
機械の体は、銃弾を通さないという証左。孔飛慈、撃たれても平然としている。
「ふうん、だからヒューイはこいつをヤれって言ったんかな? でもレイチェルの弟子? 嘘だろう、鞄持ちみたいなサーベルの嬢ちゃんの方が、まだ手応えあったけど?」
「鞄持ちね、扈蝶が聞いたら泣きそうだ」
再び発砲した。
火花を散らした。孔飛連の剣が水平に振り抜かれ、銃弾を弾いた。踏み込み、呆気にとられるケイ・ツィー・ロウの喉元めがけて、刺突。
突き刺さる直前、雪久の左手が孔飛慈の足を掴んだ。剣先が止まった。
「そう簡単には……」
残った力を振り絞って、孔飛慈の足にしがみついた。孔飛慈はうんざりといった様子で、
「往生際悪いって。どうして無駄だって分かっていんのにさ、必死になってんの」
「うるせえ、人よりちょこっとばっかし、丈夫な体持ってるからっていきがるなよ」
雪久がうめくに、孔飛慈、無言で雪久の体を蹴り上げた。2メートルほど宙を舞い、天井に背中を打ち付け、地面に落ちた。全身を打ち据える。
「いきがってる? なに言ってんのあんた」
「ざけんな、そうやって優越に浸って、見下してんなよ。てめえなんか機械じゃなけりゃ」
「機械じゃなけりゃ、何。勝てるって? 嘘だね、そりゃ。ここで勝てないんだから、いつやっても勝てないよ。機械だろうと何だろうと」
馬鹿にした瞳の奥に、何か違う光が宿るようだった。同情めいたもの。雪久自身に向けられた、あれは憐憫か?
(哀れまれているのか、俺は)
まるで生身の雪久に対して、情けをかけるように、孔飛慈が猫なで声になっていった。
「可哀想に」
ぐさりと来た。全てのもの、雪久自身を否定する言葉だった。敵に哀れまれる、という屈辱。等しく、胸の内をえぐった。
「俺を……」
立ち上がる――足下がおぼつかない。必死に体を支える。軸が定まらない感じ。
「見下してんな――」
左拳を握る、叩きつける。難なく避けられ、ふらつく。
「もういいや、あんた。死んじゃいなよ」
孔飛慈の手が伸びた。雪久の首を掴み、壁に押しつけた。
「哀れまれないで、ってか? 可哀想、可哀想言わないで、一人前に扱ってよって? 無理だね。あたしが少なくとも退屈しなければ、そんな台詞も生きただろうに。残念、やっぱりあんたも同じ」
剣を腰だめに構え、心臓めがけて突き込んだ。
血飛沫が舞った。
薄く、目を開けた。雪久と孔飛慈の間に、影が割り込んでいた。
ケイ・ツィー・ロウ――孔飛慈の剣を掴んで、刺突を妨害。剣身を掴む左手から、血が滲んだ。
「いったろ、あんたにヤらせるわけにはいかないんだよ」
剣を押し返す。孔飛慈が舌打ちした。
「本当、往生際が悪いね。何なの? 早く死にたいんだ? だったらお望みどおりにしてやる、あんたから」
孔飛慈、雪久から手を放す。雪久、崩れ落ち、しゃがみこんだ。
その手で、ケイの顔面を掴む。
「まず、黙っとけ」
みしり。音がした。頭蓋骨が軋む衝動。孔飛慈の指先が、皮膚に埋まった。掴んだ箇所が青黒く変色する――万力のような握力。
「や、やめ――」
言葉を吐ききる直前。孔飛慈、ケイの頭を壁に叩きつけた。
血が飛んだ。
ケイ・ツィー・ロウ後頭部――頭蓋骨の潰れた感触。もう一度叩きつける。壁に亀裂が走った。
一度、ケイの身体が痙攣した。その後、糸が切れた人形のようにぐったりとした。孔飛慈が手を放すと、同時に崩れ落ちた。斃れ込む――まるで最初から意思がなかったように、呆気なく。地面に転がった、ケイ・ツィー・ロウ。虚ろな目が見上げる――生気を失った瞳。
「あ、ああ……」
情けない声が出た。あまりにも簡単に、何の準備もなく、そこにあるものを握りつぶす少女――戦慄する。
「口だけ達者? 訳無いね」
孔飛慈、向き直り、
「あんたも一緒。どうせつまらないことしか喋らない。自分が一番、俺が強いんだ、強いんだっていって、でも中身は大したことないの。空っぽの器、あってもしょうがないもの。それを潰したって、何にもならないけどさ」
右腿に、痛み。剣が足を貫いた。悲鳴を上げそうになる、必死にこらえる。それでも、確実に抉る剣先と滴る血が、否が応にも自覚させる。
「つまんないよね、せめてあんたも、あたしと同じだったら良かったのに。あそこで、あんたもその目を埋め込まれたクチだろう?」
「あそこで、って……」
意識が朦朧とするのは出血のためだろうか。孔飛慈の声が反響する。
「あんたもそうだろ? 体のいい言葉で騙くらかして、人類の進歩、みたいなことを言っている大人達。あいつらに、その目を与えられた」
あいつら――その言葉だけが、脳裏に響く感じ。
「なあ、そうだろう。あんただって、あの大人達を憎んでいるんじゃないのか? なのに、あいつらと同じなんだね、あんた。残念、そんなのはさ、あたし嫌いなんだ」
大人達――『千里眼』や、実装兵器たちの残像――去来する。施設の白い壁や、銀色のメス。眼球から臨んだ世界――青緑色の手術衣たち。
押し込めたはずの記憶。色を成して、蘇ってくる。
「お前、まさか……」
その時。
ひゅ、っと空気を裂く音がした。
続き、黒い影が、目の前に立った。長い髪、赤いジャケット――手には鉄パイプ。
「あんた、なにを」
孔飛慈――うろたえている。予想外のシークエンス。いつのまにかその首には、荒縄が締め付けられていた。その背後で、玲南が縄を引いている。
「ったく、半分しか残らなかったじゃんかよ、あたしの縄標」
ぶつくさ文句を垂れながら、さらに縄を引いた。孔飛慈の上体が反り返る。縄は、それでも気道を絞めるには至らない。機械の首が、締め付けられることなどないだろう。
だが――重心を崩すことには意義がある。二足歩行である異常、頭の位置が変われば、体も崩れ易い。レイチェルに教わったことだった。対人格闘は、バランスの崩しあいである――そんな言葉が、よぎった。
「ユジン!」
玲南が叫ぶのを、合図に。ユジンが鉄パイプを振りかぶった。
「はっ!」
気勢をかける。孔飛慈の脚を払った。上体が反れた体勢のまま足下をすくわれる――孔飛慈の体が、一瞬宙に投げ出された。
背中から落ちる、少女の体。ユジン、追い討ちをかける。パイプを打ち下ろした。孔飛慈、腕で受け止めた。
鉄パイプを受け止めた、鉄の腕。鈍い音がした。孔飛慈、仰向けになりながら蹴りを繰り出した。
鉄パイプを弾く。
ユジンが飛び退いた。雪久を庇うような位置に立つ。
「雪久、ちょっと耳塞いで」
ユジンが発した。懐から何かを取り出す。黒い物体――左手にはライター。
火をつけ、投擲。
火薬が爆ぜた。白い光が貫き、白煙がわっと立ち昇った。発煙弾、視界が染まる。
「いくぜ、大将」
玲南の声がした。
「待て、ケイがまだ……」
「時間がないんだ、早く来いって!」
苛立ったように玲南は、雪久の手を引いた。引きながら、玲南も発煙弾を投げた。点火、同時に古紙に内包されたマグネシウムが弾けた。火炎が生まれ、遅れてクラッカーを鳴らしたような音が室内に満ちた。焦げた匂い。たちまち白に塗りつぶされる、孔飛慈の姿。
「離せ、まだケイが」
「うるさいよ、あんた」
玲南は雪久を、半ば引きずり出すようにして廊下に引っ張りだした。脚を貫かれた雪久は、歩くこともままならない。ほとんど、されるがままになっていた。
「分かってんの? あんたが死んだら、終わりなんだよあたしらはよ」
煙の中で、剣戟の金音が響いていた。ユジンと孔飛慈が打ち合っているのだろうか、時折ユジンの気勢が洩れた。
「あいつが時間稼ぎしている」
廊下に出て、玲南がいった。
「その間に逃げるんだよ。いっくらあんたが気に入らないっても、将が討たれちまったらそこで負けなんだよ。ちった、自覚しろ」
室内で、小さく悲鳴。ユジンの声だった。煙の中から、ユジンが飛び出してきた。
「退くよ」
玲南が叫ぶに、ユジンうなずく。また新たに、発煙弾を投げた。
「こっちへ!」
ユジンが雪久の左腕を、自分の肩にかけた。玲南が右腕を。ちょうど、二人で担ぐような格好になる。
「離せ、俺はあいつを」
「いってる場合か、そんな状態――」
どん、と落雷めいた衝音がした。壁が砕け、破片を舞い上げ、遅れて孔飛慈が飛び出した。
「やろう」
玲南がうめいた。ユジンが棒を構えた。
フルオートの射撃音がした。背後から間断なく。振り向くと、煙の中に銃火が2、3瞬くのが見えた。AK小銃の銃口が、孔飛慈に向けられている。
「すまん、遅れた」
唐突に、赤いメッシュの髪が目の前に降り立った。
「韓留賢、貴様」
「すぐに出ろ、今増援を呼んだ」
「増援だと」
煙の切れ目から、確認した。赤いジャケットと、ナイロン地の紺色のパーカー。
「ここは退く。下に車があるから」
「待てよ、舞は……」
「今、それどころじゃないだろう。行くぞ!」
ユジン代わり、韓留賢が雪久の肩を担ぎ、走った。
背後から銃声と、悲鳴が交互に聞こえる。だんだんとその悲鳴が近づいてくるのがわかった。孔飛慈が追ってくる――。
「早く!」
ユジンが叫ぶ。血が、飛んできた。足音も立てず、確実に迫っている。
光が弾けた。耳元で、爆ぜる。韓留賢の投げた発煙弾――火薬のにおいが鼻を突く。続いて銃声、喧噪。脅威が遠ざかる気配。
階段を下る。意識が朦朧としてきた。韓留賢は雪久をかつぎ上げた。また後ろから、近づく気配。やがて外に出て、乾いた砂埃に迎えられた。
「早く、乗るんだ」
半ば投げ出されるように車に乗せられる。薄い意識の中、運転席に座るリーシェンの姿を捉えた。助手席には黄。
「出せ、リーシェン」
「言われなくともっ」
ごう、とエンジンがうなり、ディーゼルの響きが耳を打った。
銃撃の音が頭上から響いた。黄が屋根から頭を出し、応戦している。リーシェンはハンドルに体をぴったりとくっつけるようにして、前方を凝視。
「舞、舞を……」
血まみれの口で、声を絞り出した。韓留賢がのぞき込んでいった。
「今はもう、無理だ。宮元はただの囮で、あいつの目的は俺たちだった。俺たちは、餌につられておびき寄せられたんだよ」
「う、るさい……早く、しねえと、舞が」
「心配すんな。人質は人質、やつらがそう簡単に処分するとは思えない」
「だ、だけど」
「いま、彰と連絡をとった。宮元のことはそっちに任せるんだな」
続き、韓留賢は空を睨み、
「それにしても、聞いてないぞ。こんなことは……」
ぼそりと、呟いた。何を意図してのことか、真意も掴めず。
「この分だと真田も」
という韓留賢の声を最後に、雪久の意識が遠のいていった。