第十一章:17
2階。一番隊の捜索。雪久とケイ・ツィー・ロウは先に立ち、歩いていた。
古びた兵舎――むき出しのコンクリートの壁と、木製の床板。ガラス破片と錆びた鉄釘がばらまかれ、空虚な調和さえ感じさせる。足下を探るように、一歩ずつ、進む。
「死体のにおいもしやしねえ」
訳もなく苛立って、雪久は壁を蹴飛ばした。びりびりと窓ガラスが震え、天井から石灰の粉が舞落ちた。
「何を興奮している」
「別に」
「まだ引きずっているのか」
ケイ・ツィー・ロウがいう。ため息混じり。
「本当、おまえという奴は。手間のかかる」
「うるっさい、そんなんじゃねえよ」
ぎろりとケイを睨みつけた。
「この場所は性に合わないんだ」
「ついこの間まで、ここを根城にしていたのだろう」
「そいつは戦略上、必要だったからだ。もともとこういう、何も始まらないような場所、気に食わねえんだ」
「なるほど」
ケイ・ツィー・ロウは少し笑って
「怖いんだな」
いきなり暴言を吐いた。
「は、はあ?」
「だから、この《放棄地区》が、お前は怖いんだろうってこと。得体の知れないものが潜む気配、自分の知らない過去、確かにここで人が死んだという事実。子供が怪談話を怖がるみたいにな」
「何言ってやがる、俺は怖いことなんか」
「恥じることはない。それは人間の本能みたいなものだ。私だって、ここを歩くのに冷や汗を禁じ得ない。敵が潜んでいるかも、というのもあるがな。こんな気味の悪いところ、すぐにでも逃げ出したいくらいだ」
ケイ・ツィー・ロウ、まるで気負いもなくいった。寧ろ平然と、それが普遍的なことである、とでも思っているようだ。
「優れた戦士は、人一倍臆病なものだ。自分の体が壊れやすいことを知っている、死がすぐそこにあることを自覚している。その恐怖故、警戒し、必ず勝てる道を模索する……恐怖を自覚すればこそ大胆にもなれるし、慎重にもなる」
「馬鹿にすんなよ。怖い怖いっていってよ、それで後込みしてちゃ意味ねえだろう」
雪久が吐き捨てた。ケイに対する嫌悪というよりも、もっと大きな――たとえばこの街に住まう、脅威に耳をふさぎ続ける難民たちへの不満。
「恐怖に向き合えとな」
ふいにケイ、ライフルの銃口を水平に保持した。
「恐怖を無視せず、己が臆病であることを自覚せよ。レイチェル大人の言葉だ。お前も聞いたことあるだろう? 何せ、お前はあの方に師事していたのだから」
「ざけんな、何が師事だ」
ついに、怒鳴った。雪久は向き直り、ケイの胸ぐらをつかんだ。
「俺はあいつを師とは思っていない。何を聞いたか知らんが、あいつは勝手にしゃしゃり出て俺や彰、梁を取り込もうとしやがったんだ。俺があいつなんかに」
「ならば今回のことは?」
「利害が一致しただけだ。俺が仏心を起こして、あいつを助けようとか思っている……まさかそんな風には見ていまいな?」
「いや、寧ろ反抗しているように見えるな」
とケイは雪久の手首をやんわりと握り
「何でもかんでも親の反対を張る、反抗期の子供。そうやって気を引いて、構ってもらいたいのか?」
「は、馬鹿いってんなよ」
侮辱されたと思った。かっと顔が熱くなった。掴んだ手に力がこもるーー引きつけ、睨みつける。それでもケイは動じる様子もない。硬質な黒い瞳は、しかと雪久を見据えていた。
「反抗するように見せて、『黄龍』に――レイチェル大人の助けとなって。対立するポーズをとっておいて、レイチェル大人の力となる。この矛盾」
「だから利害が……」
「お前に利など、どれほどある? “シルクロード”の益など、本当にあてになるか分からないだろう。なんだかんだこじつけて、お前はレイチェル大人を助けたかったんだ。助けておいて、そして」
ケイは雪久の手を振り払った。
「認めさせたかったのだろう。自分はこれだけ出来ると見せつけて、頼りにされたかった。自分の成長を見てもらいたい。だけど、いつまで経っても認めてくれない。だからお前は反抗しているんだ」
「違う、そうじゃない……」
強く否定する筈が、出てきたのは消えそうな声だった。我知らず、喉が震えていた。
「おそらく、お前も自覚していないのだろうけど。お前レイチェル大人を慕っている。恋慕とは違うのだろうが、パートナーとして認めている。だけど、肝心のレイチェル大人が、お前を一人前と認めてくれない――青いな、お前も」
ケイ・ツィー・ロウは、ふと微笑を浮かべた。
「いいじゃないか。ここであの人を助けて、認めてもらえばいい。だけど、そのためには先ず言いつけを守らなければな。恐怖と向き合うことも含めて」
ケイは笑いながら先に立った。
「どうした? 図星すぎて言い返せないか?」
固まった雪久の肩をたたいた。雪久、我に返り、その手を払って
「……下らないことをいってんなよ」
それだけ言うのが精一杯だった。諸々の反論や否定が胸中に渦巻いて、結局どれ一つとして口に出ない。それ以上にもやもやとしたものが、満たしている感じがした。
「それを知ったところで、貴様はどうしたいんだ」
「どうもしないさ、私は第三者のままでいい。二人の間に立ち入ることも出来ないしな。つかず離れず、傍観者を決め込むよ」
「気づいたんだが、お前って結構性格悪いよな」
「良く言われるよ」
冗談とも本気ともとれない口調でケイはいった。
「ただ、喋りが過ぎるぜケイ・ツィー・ロウ。敵地のど真ん中でよ」
「でも、少しはリラックスできただろう?」
「抜かせ」
ナイフを抜く。
ドアの向こう、液晶が示す光点と一致する。舞に持たせたGPSの携帯端末が発するビーコン。
「ここにいるのか」
ケイが声を潜めた。
「たぶんな」
遅れてついてきた隊のメンバーが、集まりだした。
左へ回れ、というジェスチャー。銃器武装の5人が、ドアの左側についた。雪久はドアノブを掴んだ。
ゴーサイン。ケイがドアを蹴破った。雪久が先陣を切り、兵がなだれ込む。
方々、銃をつけた。
誰もいない。がらんとした部屋だった。簡素なパイプベッドが6つ、並んでいるだけだった。
「外れか?」
ケイがいう。雪久はベッドの上に、携帯端末がおかれているのに気づいた。
「舞のだ。俺がやった物、GPSつき」
「ならば、ここにいたということか」
「あるいは、おびき寄せられたか……」
まずいな、と呟いた。
「ここを出るぞ、ケイ・ツィー・ロウ。何か――」
その時。
兵の一人が悲鳴を上げた。犠牲は回族の猛桂成――喉を裂かれ、斃れた。血が、こぼれる。
「どうした?」
突然影が、目の前に躍った。白い衣をまとった少女の偶像――返り血を浴びた笑みが、眼前に迫った。
後退する。そこへ、少女が腕をつきだした。銀色の鉄――諸刃の剣。刺突する。
咄嗟に首を捻った。頬に薄く傷がつけられる。少女は切り替えし、更に突く。雪久、下がりながらマシェットで防いだ。
金属が交差、剣とナイフ。噛み合った。
雪久、左のナイフでもって少女に切りつけた。首を刈る。少女が身を反らしたのへ、前蹴り。水月を穿った。
つま先に違和感を受けた。まるで固い岩肌を蹴り付けるような感じ――骨に響く。
「ひゃはっ」
少女の笑み――楽しげ。跳躍し、空中で捻転した。更に飛ぶ。
「貴様!」
ケイが構える。周りの兵も一斉に、銃を向けた。
銃火が弾けた。ケイのM4カービン、3点バーストで弾を吐き出した。
信じ難いことが起こった。少女は剣を2、3度振るう。瞬間、オレンジ色の火花が、空中で爆ぜた。数瞬遅れて背後の兵が二人、倒れた。銃弾を斬った、その破片が兵を撃ち抜いた、という事実。気が狂いそうになる。
「退避!」
ケイ・ツィー・ロウが叫んだ。銃撃を浴びせながら立ち向かう。M4の銃剣を、少女の背中に突き立てた。
カキンという音。銃剣が半ばから折れた。ケイは固まっている。
そこへ刺突。少女が振り向き、刃をつきだした。
ややあってケイが動いた。刃はわずかに反れ、ケイの左肩を貫いた。
「かっ……」
ケイがたたらを踏む、そこへ少女が新たに突き出す。刃が振りおろされる――脳髄に。
雪久が動いた。剣貫く直前、跳躍し、ケイの体を突き飛ばした。剣は雪久の頬をかすめ、ケイは吹き飛ばされて壁に激突した。
「和馬、何を――」
「手ぇ出すな、ケイ・ツィー・ロウ」
低く唸る。威嚇する声で。雪久は逆手に持ったマシェットを、前に押し出した。
「あんた、孔翔虎? じゃないか。確か拳の方は男だったなあ。剣の方か」
少女に相対していった。真っ白い衣、レイチェルの話に出てきた。二人組、一人は鉄鬼を倒した拳法使い。そしてもう一人……
「孔飛慈」
少女の唇が開いた。鈴の音めいて、囁く。少女がにっこりと、笑いかけた。
「あたしの名だよ。覚えといて損はない、で、あんた和馬雪久だろ? 蛇の総大将の」
「だったらどうなんだ?」
背中が濡れていた。緊張感――少女の刃、切っ先を見据える。マシェトを握る。
「ふうん、あんた強いの? 機械殺したってけど、そんな風に見えないけど? タフな男って感じじゃない、男娼宿でケツを差し出してそうな感じがするけど」
少女の声は、場違いなほど明るく響いた。孔飛慈、もう1人の刺客――レイチェルと相対し、扈蝶に傷を負わせたという、白衣の暗殺者の片割れ。
「なるほど、ヒューイに頼まれたってか」
「おイタが過ぎる餓鬼を躾けろってさ。おかしくない? あんたとあたしじゃ、そんなに変わらないのにね、歳」
きゃらきゃらと可笑しそうに声を上げた。
「ねえ、けどさ。あんたタフだったら、楽しめる? 無理よね、そんな細腕。あたしよりちっちゃいんじゃない? 下手すりゃあんた、レイチェルより華奢だねえ、ちゃんと食ってる? でも、面白いねあんた。兵が死んでも、全然動揺しない」
「タフな証明になるか?」
「試してみないとねっ」
孔飛慈が飛んだ。一直線――雪久の目の前まで。踏み込む、剣を腰だめに構えた。
突き出す。直線の軌跡。身を逸らし、切っ先を避けた。
続き、剣の軌道が曲線を描く。孔飛慈が剣を返し、振りぬいた。鼻先を通る刃を見送り、雪久は斬撃を避けた。『千里眼』の灯りが見据える。
「へえ、面白い目してんじゃん? それ、戦時中の奴だろ? 高そうなスコープしてさ」
やおら孔飛慈、剣を投げた。切っ先が放物線を描き、雪久の喉に伸びる。剣を叩き落とし、そして
「ほざくな、餓鬼」
雪久が仕掛ける。逆手に持ったナイフで、首筋を斬りつけた。




