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監獄街  作者: 俊衛門
161/349

第十一章:16

 棍を握った。向き直る。

 二人、なだれ込んだ。続いてユジン、玲南。韓留賢は戸口に立ったまま。

 部屋の中央に、いた。宮本舞が、椅子に座っている。白いワンピース、人形めいた佇まい。

 呼びかけた。返事がない。

「薬で眠っているみたいだ」

 韓留賢が、舞の顔を覗き込んでいった。

「外傷はない。運び込まれて、すぐに打たれたのかな」

「いいご身分だこと、あたしらが苦労している間にさ。幸せそうに眠ってるわ」

 幼子のような寝顔を眺めて、玲南が洩らした。

「こいつこのまま運ぼう。眠り姫を救い出したら、あたしも眠りたいよ」

 同感とばかりに韓留賢が肩をすくめた。

「いいわ、早いところ退散しましょう」

 ユジンは舞の肩に手をふれた。細い躯をかつぎ上げようとする。握っただけで、壊れてしまいそうなガラスの輪郭を伴う。

 ふと、妙な観念に駆られた。唐突なイメージが浮かぶ――舞の首に手をかけて、力を込める……そんなビジョンが、生々しい実像として脳裏に焼き付いた。今ここで舞を手に掛けることができる、という厳然たる事実を、自覚した。

 舞を殺すことができる。

 言い訳には事欠かない。薬が効いていた、遅効性の毒物だった。毒を検知する方法はない。あるいはここで、事故に見せかけて始末することもできる……

 どうしてそのようなことが浮かんだのか。ユジンはその考えを振り払おうとした。そんなことしたら、雪久が哀しむ。あってはならない未来。

 一方でささやきかける。内なる声もあった。雪久は私のことを見てくれない。すべてこの女がいるからだ。この女さえいなければ――

(駄目だ)

 それだけはいけない。そんなことをすれば、雪久は一生自分を許さないだろう。チームを追放されるだけでは済まない。

 なら、このまま舞を助ければ、雪久は自分を評価してくれるのか? 自分だけを見てくれるようになるのか? この少女と雪久のいきさつは知らない。けれど、今まで雪久と共に戦ってきたのはユジンだ。それなのに彼は、私を見てくれることはなかった……

「ユジン?」

 玲南が訊くのにも応じない。

 ゆっくりと、舞の白い喉に指をかけた。こいつさえいなければ、雪久を独占できる。

 舞がかすかに身じろぎした。白い首筋が露わになった。

 手を伸ばせば――

「あいつは喜ばない」

 韓留賢の声。振り返る。

「真田が見れば、何というか」

「な、何」

「きっとあいつは、そういうことは好まない」

 韓留賢が首を振った。背を向けていたが、おそらく行動の一部始終を見ていたのだろう。それでも玲南から見えないように、背中で隠している。

「無抵抗な者を殺す真似は、真田は一等嫌うことだろうな」

 韓留賢、諭すような口調。ユジンは舞を引きはがした。改めて、自分のしようとしたことに愕然となった。

 無抵抗の者を殺す。故郷の平壌で両親を奪った、日本兵と同じことをしようとした。嫉妬に駆られ、自分の手で。

「わ、私は別に」

「ああ、あんたはそういう人間じゃない。誰だって魔が差すことはある。どうかしているのはこの状況、あんたが根っから腐っているわけじゃないことはわかる。だが、真田はあんたとのつきあいは短い。あんたがその娘を手に掛けたと知れば、あいつは一生あんたを軽蔑するだろう」

「……省吾は関係ないでしょう」

 舞を抱えて床に寝かせた。これ以上ふれていたら、また妙な気を起こしそうだった。

「どうかね。あいつの名を出したらあんた、正気に戻ったみたいだけど」

「そうね、おかげで目が覚めたわ」

 そういって立ち上がった。

「やっぱりな」

 韓留賢が少しだけ、微笑を洩らした。

「何がよ」

「あんたにとっちゃ、真田の旦那は行動規範を決めるものであるようだな。あいつに見られたら、という思いが正気に戻した」

「馬鹿なこといってないで」

 運んで、とユジンが指示するに、クォン・ソンギが駆けつけた。

「ちょっと、いいか」

 クロスボウに矢を装填している。鋭い眼光を浴びせた。

「どうしたの」

「気配がする」

 声を潜めた。引き金に指をかけて、いつでも撃てる体制をつくっている。

「どこに?」

「分からない。そこかしこから漂ってくる気もするし、まったくどこからも発していないかのようでもある。ただ、殺気を感じる」

「さっきまでは誰もいなかったのに」

「長居しすぎると、まずい。ここは撤退するべきだろう」

 異論を唱える理由はなかった。玲南と韓留賢に目配せする。離脱の合図。二人同時に頷いた。

 シンサックが舞を背負った。

「外に運んで、一番隊と合流する」

 そう告げたとき。

「上だ」

 クォン・ソンギが叫んだ。

 天井の一部――シンサックの頭上。コンクリに亀裂を生じた。

「危な――」

 ユジンの言葉を遮るように、天井が崩れる音がした。シンサックは慌てて飛びのき、破片の衝突を防いだ。

 崩れた破片に混じって、白い影が舞い降りるのを確認した。

 瞬間のことだった。シンサックの目の前に飛び降りた影。白い衣、功夫服のような中華風。長めの黒髪、たなびく。少女の細い線――順番に確認した。一番最後、右手に持つ銀色の刃。諸刃の剣だ。柄尻から、桃色の剣穂が伸びている。

 少女は剣を降りかぶった。シンサックの顔面に、斜めに浴びせる。一拍遅れ、血が吹き出した。

「シンサック!」

 唐突に、切り捨てられた。驚愕したまま、シンサックが頽れた。

 少女が駆ける、剣を切り替えし、突き出す。飛月の喉を抉る、赤い狼煙が散った。さらに人間を縫い、隊員たちに刺突を浴びせる。

「待避しろ!」

 韓留賢、叫ぶと苗刀で切り込んだ。足をねらう。

 両足を刈る。少女が上に飛んで避けるのへ、腕を回して両断に切り込む。

 苗刀が、少女のわき腹に食い込んだ。

 ガン、と金属音を響かせる。刃は少女の胴を斬ることなく、止まった。衣服の下に防具を仕込んであるのか。少女は着地、同時に韓留賢に掌打を食らわせた。

 骨が砕ける音がした。韓留賢の体が吹き飛ぶ、地面にたたきつけられた。

 少女が踏み込んだ。まっすぐ、ユジンのもとへ。5メートルの距離を一足飛びで。

 弾みでユジン、棍を横薙ぎに打った。

 剣の一閃。少女の長穂剣が、棍を半ばから断ち切る。棍の突端が地面を転がり、虚しく響く。すかさず少女が手首を返し、突き込んだ。

 体を開き、剣を避ける。睫が剣先に触れた。少女の側面に周り込み、間合いの外に逃げた。

 やおら、少女が剣を投げつけた。剣身と同じ長さの剣穂を掴み、遠心力と勢いをつけて投擲。玲南の縄標と同じ要領での使用法ーー剣先に対し、体を仰け反らせた。

 剣が太股に突き立った。

「っ……!」

 たまらず膝をついた。少女は剣穂を繰り、剣を引き抜くと、柄を握って突きかかった。

 ひょう、と空を裂く音。玲南の縄標が横切った。標の先端が少女の剣を弾いた。玲南、手元で縄を繰り、いったん標を引き戻してさらに投げた。

 標と剣が衝突。鉄がぶつかり、激しく火花を散らした。標が弾かれるに、もう一度打つ。

 少女の刺突。標の突端に突き込む。金属の衝撃、標が半分に割れ、砕けた。唖然となっている 玲花に、鋭い刃が突き込まれる。

 とっさに玲南、左手を上げた。左の掌を長穂剣が貫く。短い悲鳴。少女の薄い笑み。剣を抜き、玲南の喉に狙いを付けた。

 射撃音がした。戸口から飛月が騎兵銃を撃つ。他のものも続いて撃った。

 火線がいくつも切り裂いた。発射炎で暗い室内を照らし、砂埃とガンスモークが視界を塞ぐ。反響する銃声が鼓膜を劈く――

 銃撃がやむ。一瞬の静寂が、あった。

 煙の中から猛然と影が飛び出した。ユジンが反応する暇もなく、少女が白刃をふるった。

 剣が、飛月の喉を貫く――声もなく、飛月の身体がくずれた。少女は剣を引き抜き、跳躍。右側面の『STHINGER』を突き、剣を返してその背後の男を斬り伏せた。

 少女の顔、笑っていた。酷薄な笑みを浮かべつつ、斬り、薙ぎ、突く。ユジンは戦慄し、硬直していた。殺しを楽しむ。そういう人間を、今まで数多く見てきた。だが大抵は殺す者の反応を見て、それを笑うという者がほとんどだ。

 少女はそうではない――純粋に闘争を楽しんでいる。そういう人間を、ユジンは一人知っている。

「せいやぁあ!」

 一足飛びで少女が駆けた。剣の一閃、血の狼煙があがった。

 血塗れの顔が向いた。ユジンを見据えて、にいやりと口元をゆがめた。ユジンは動けない。少女が剣を突き出す、喉元に伸びる。

 ガン、と火花が散った。目の前。剣先が止まった。

 我に返る。

 隣に、韓留賢の横顔。苗刀で、少女の剣を防いでいた。まっすぐな剣を、三日月の刀が、上から押さえつけている。韓留賢と少女が、睨み合った。

 膠着。少女が飛び退いた。

「大丈夫か」

 韓留賢、ユジンを庇うように前に立つ。少女と相対した。苗刀を正眼につける。

「へえ」

 少女が感嘆したように洩らした。長穂剣を胸の前で構え、剣穂を掴み、剣を投げた。

 剣が、一直線に喉に伸びた。韓留賢、一歩下がって剣を受けた。

 火花が散った。

「このっ」

 韓留賢、苗刀を返して少女に切りかからんとした。だが、少女の姿はすでになく。

「逃げた……?」

 ユジンの眼には、消えたように写った。おそらく韓留賢にも。

「逃げ足の早い奴。散々暴れといて、ダメージゼロのままふけやがって」

 韓留賢は舌打ちして刀を納めた。

「ごめん、韓留賢。私、何も」

「気にするな。それよりまずいことになった、あいつ。舞を連れていきやがった」

 韓留賢が言うのに、気づいた。背後にいたはずの宮元舞の姿が無い――

「あの女、いつの間に。すばしっこい奴」

 と、玲南。頭を押さえている。額から血、斬られたようだ。

「どうすんだ、ユジン。これじゃ当初の目的が」

「やられた」

「はあ?」

 ユジンが呟くのへ、玲南が怪訝そうに訊き返した。

「初めからこのつもりだったのね」

「なにがだよ」

「見てよ」

 ユジンが指し示す方向ーー四番隊の面々。骸、あるいは傷ついて倒れている。たった一人の敵に対して、あまりに大きな損害といえた。

「最初から、敵のもくろみはこれだったのね」

「何だよ、だから」

「分からない? 私たちははめられたのよ。舞は囮、乗り込んだところをあの子が斬り伏せて」

 そうだとしたら。

「玲南、一緒にきて」

 頭に浮かんだ最悪のシナリオを想起する。宮元舞を救出するために、隊を率いた人物は誰か。もし、それが全て、敵に筒抜けだったら。あるいは、そのために組まれた脚本、舞台設定だとしたら。

「動ける者は重傷者の収容、その後ここから撤退して。韓留賢、誘導頼むわ」

 韓留賢は無言でうなずいた。この男はなにもかも飲み込んだようだ。

 ユジンは半分になった棍を拾い上げた。

「行くよ、玲南」

「行くっていってもあんたも怪我してんじゃん」

「いいから!」

 じっとしていられるわけがない。舞台、脚本がお膳立てされ、彼らが次に求めるものは何か。

「急いで、これは罠よ。あいつの目的は、きっと」

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