第十一章:15
同刻、第3ブロック。軍用ジープの群。砂煙を上げて、驀進――その中に、雪久はいた。地雷源を避けての走行――ここを根城としていたのは、つい数ヶ月前。慣れている。
「で、どこを探すの雪久?」
後部座席――かなり窮屈そうに体を丸めて、ユジンが訊いてくる。雪久は答えず、遠くに目をやった。
「何で黙ってんだ、あいつ」
隣に座っている玲南が訊いた。一番隊と四番隊――舞の救出のために組まれた、急造部隊。四番隊の主戦力たるユジンと玲南、一番隊の主戦力、雪久――運転席にはケイ・ツィー・ロウ。先頭をひた走る。
「ちょっと出かけに、省吾とやりあって……」
「へー、あの傷男? そいつに何か言われたからって、センチメンタルになってんだ? 図星突かれて、小娘一人に大部隊。以外に大雑把だなー」
「聞こえるから、玲南」
後ろで女二人が好き勝手、いっている。苛立っていた。大体あの玲南とかいう奴、この間見逃した奴じゃないか、聞こえよがしに騒いで……
「熱くなるなよ、和馬雪久。これから会敵するというなら、もう少しクールに、な」
ケイ・ツィー・ロウ。限りなく冷徹に、人が持てる熱の全てを失ったかのような表情をしていた。前方を見据える瞳が、鋭さを帯びている。
「姐さん、こいつにゃゼロか1しかないみたいだぜ。気分がすっかりダウナー、かと思ったらいきなり沸点飛び超えてんだ。そういう奴だって、金の野郎もいってた」
「玲南ってば、そういうことを……」
ユジンが宥める。玲南はそれを無視して、雪久に向き直った。
「あんたね、あたしら疲れて帰ってんだよ。あたしだけじゃなくて、ユジンも、あと他の連中だってさ。あんた、あの女がどれほど大事かしらないけど、助けるんなら一人でやりなよ。こんなに人、引き連れなくてもさ。兵は皆、あんたの思い通りに動くと思っているのか?」
「ちょっと、玲南……」
ユジンはオロオロして、何とか止めようとしているが、玲南の勢いは止まらない。
「あたしはあんたに助けられたことなんかこれっぽっちも恩義に感じたり、してないんだ。あんたはあたしに優しいつもり? なんだろうけどさ。ここじゃ、自分の力で生きられない奴は死んでゆくんだ。中途半端に情けかけても、迷惑ってもんだよ。そのお嬢ちゃんにしたって、本当に助けを求めているのか――」
最後まで言うことはない。雪久、後部座席に乗り出して玲南の襟首を掴んだ。
「それ以上、喋るなよ。地雷源に放り出すぜ」
「喋りすぎ? 何か、図星だった? あのお嬢ちゃん、あんたよりも本当はあの傷野郎を頼っているんじゃないの?」
「うるさい、クソ」
拳を振り上げた。その手を、ユジンがやんわりと絡め止った。目を見て、ゆるゆると首を振る。
「今、争っている場合じゃないわ。早くしないと」
「だけどこいつが」
いきなり、車が停まった。前方に投げ出されそうになり、慌ててシートを掴む。
「何やってんだよ、ケイ・ツィー・ロウ」
「着いたけど」
いうとケイ・ツィー・ロウは、端末の画面を差し出した。赤い光点が、液晶画面の中央に灯る。前方の、兵舎らしき建物の位置に灯っていた。
「何だよ、これ」
玲南が言うのに、ユジンが代わりに答えた。
「あの子の携帯端末、GPSがついているの。レイチェル大人が取り寄せたもので……」
「はっ、そうまでして縛り付けたい? 首に縄つけて、変態野郎」
「縄女がほざくな」
玲南があからさまに不機嫌な顔になったのを受けて、雪久は車を降りた。
ジープは、5台。めいめい降り立つ、メンバー達。鉄を打ち鳴らす音――銃器を弄っている。弾を込め、装填。また別の兵は、鹵獲したばかりの環刀を翳して、またあるものは朴刀を担いでいた。長柄の刀や戟、矛を携える。
玲南がジープから飛び降りた。縄標を取り出す。右手で振るい、左手で標を取る。ユジンが後を追った。
「あれじゃ、どっちがリーダーか分からないな。あの二人」
ケイ・ツィー・ロウがジープから降りていった。雪久は憮然としてシートにより掛かった。
「あいつ、もともと長とかいう器じゃねえし。先兵に向いているんだ」
「お前も長という器には見えないが」
ケイ・ツィー・ロウがいうのへ、雪久は睨みつけて
「どういうことだよ」
「冷静さを欠いている。あの娘がどれほど大事か分からないが、お前が焦ったり苛立ったりすれば、それは周りに伝染する。一軍の将たるもの、感情を表に出して喚くようでは」
「うるっさい、ケイ。これは俺の軍だ、指図すんなや」
「軍は一人では成り立たないよ。それともワンマン・アーミー気取るつもりか? こんな大名行列引き連れておいてその覚悟もない」
何かいい返してやりたかったが、言葉が出て来ない。苛立ちが募る。
ジープから飛び降りて、ドアを蹴飛ばして閉めた。衝撃で車体が揺れた。
「突撃準備だ」
後続の車にいた韓留賢に声をかける。韓留賢は車の陰に隠れて、携帯電話にむかって何事か喋っていた。
「おい、何やってんだよ。女か? この大事なときに」
ジープの車体を蹴飛ばした。韓留賢はぎょっとして電話を切った。
「な、何で分かったんだ?」
「マジで女かよお前ぇ……さっさと配置につけよ、クソ野郎」
尻を蹴飛ばしてやると、韓留賢は首を振りながら、苗刀を後部座席から取り出した。三日月の野太刀を抜き放つ。
「良く言うよ、俺はあんたの隊でも、あいつの隊でもないんだぜ。勝手に引っ張りこんで」
「文句をいうな。戦力が多いに越した事はない。で、入り口は」
「軍事施設といっても、兵舎だからな。主用な出入り口は表と裏だ。そこを固めた方がいい」
目の前の建物を見上げて、韓留賢が呟く。爆撃からかろうじて残ったように、朽ちかけた壁が聳えていた。
「いけるのか」
「下級兵士の住居だ、それほど複雑な作りじゃない。どうやらこの建物の3階部分のようだけど、一気に攻めれば終る」
韓留賢はGPSと照らし合わせながらいった。この男、『OROCHI』に入ったときから、異様なほど成海の街に詳しかった。それ故に、本部待機であったが連れ出した、という事情もある。
「どうするの? 雪久」
ユジンが後ろから訊いてくる。黒塗りの棍――銃はやめたらしい。
「表から、一番隊が攻める。四番隊は裏に回れ」
号令をかけた。ユジンは頷き、四番隊に号令。各々、散開した。
雪久、ナイフを抜いた。両の手に、ダガーナイフ。『千里眼』を呼び起こさせる。
「我々は正面突破か」
ケイ・ツィー・ロウ。銃のハンマーを引く。ダットサイトを覗いて、狙いを調整する。
「お前らしいといえばらしいが、そんなに自信があるのか? もっとも、人質の生命を考えれば早い手を打つに越した事はないが」
「自信というかな」
ナイフを逆手に持ち替えていった。
「ここに潜んでいる奴らを根絶やしにする、というのもある。二度と、俺の女に手ぇ出せないようにするために」
「俺の女、ねえ。男っていうのは、何でも所有権で物を考えるんだな」
感慨深げ、あるいは皮肉めいてケイが言う。
「戦争ってそもそも、所有の主張から始まるんだよな大体が」
「何が言いたい」
「別に、そういやそうだったかな、って程度のことさ」
どう解釈しても構わない、というような口調だった。雪久は肩を竦めて
「行くぞ、遅れをとるな」
かかる兵舎を見上げる。
「つまらない男」
と玲南が評した。
「やっすい挑発に乗っちゃってさ。あんなのに、金がやられたとは思えないね」
「いや、まあその……」
なんと返してよいのか分からず、ユジンは苦笑を漏らした。
「あいつ、確かにすごいんだろうけどさ。ぜんぜん、周りが見えてないよね。一兵卒たるには申し分ないんだろうけど、将にはふさわしいとは思えない。ま、その分をあんたがフォローしてんだろうけどさ」
ぶうん、と縄がうなった。巧みに手元で縄を繰り、標の先端を体に絡ませて、ほどき、手に戻す――芸術的ですらある、その動き。だが
(ちょっと危ないかも)
まだ、玲南という少女を計りかねていた。そこらのギャングと違い、芯の通ったものを持っているようだが、主張や立場が違うと徹底的に攻撃する。自分がしたいと思ったら、周りを鑑みずに実行する。標を振り回すのも、玲南なりの精神統一なのだろうが、周囲のことを考えないのは玲南とて同じだと思った。
「でさ」
玲南ははたと、手を止めた。
「あんたはマジで、あいつに惚れてんの?」
「は、え?」
反応してはいけない、と思いつつも、顔が熱くなってくるのが分かった。
「なあに、図星かよ。わかりやすいね、あんた」
玲南はにやにやと笑いながら顔をのぞき込んだ。思わず顔を背ける。
(何だってこの子、鋭いのよ)
以外と、人の機微を読むのには長けているのか。それだから、人を怒らせるのもたやすい。
「でも、あの男は宮本舞にぞっこんなんだろ? 不利じゃんか、あんた。どうしてあいつに惚れたんだ?」
「惚れた、というか」
心拍数が収まるのを待って、話始めた。
「この街で、私みたいな朝鮮民族はどこにいっても爪弾きにされる。雪久は、そんな私を必要としてくれた」
初めて会ったときのことを、思い出していた。
冬。成海に流れ着いたばかりのユジンに声をかけたのは、雪久と彰だった。「お前が必要だ」と、雪久はいった。それ以来、『OROCHI』と雪久とともに歩んできた。
「私の理想を、受け入れてくれたのは雪久が最初。私を必要としてくれるのも、雪久。だから、それに応えたい」
「ふうん、なんというか……それって、本当に好きっていえるのかい?」
「え……」
思いがけない言葉。訊き返す。
「あんた、恩義に感じているんだろうけどさ。男として好きというのとは、また違うんじゃない?」
「そんなことは」
ない、と言おうとした。その言葉を、玲南が遮った。
「ま、いいけどね。何が好きかとか、そんな定義はないんだし。でもそうするとあの傷男、報われないな」
「省吾のこと?」
「あいつ、あんたがピンチだってときに、血相変えて飛んできたじゃん。聞いた話じゃ、Xanaduんときもあいつあんたを庇ったんだって?」
「省吾はなんというか、義理堅いから」
「ホントにそれだけ?」
玲南、まるで信じられないというような表情になった。なぜそんなことも分からない、と相手の無知さを責めるようでもあるかのように。
「なによ」
「ん、いや。あの男も報われないなと思ってさ」
もはやこの話題には興味もないとばかりに、玲南は欠伸をひとつした。
「まあいいさ、だけどそれならそうとちゃんと傷男にも伝えてやらないと酷だぜ。中途半端な優しさってのはさ」
「だから」
抗議しようと思って、ちょっと考える。省吾のこと。ユジンが危機に陥った局面になると必ず駆けつける――地下経路での戦いから、いままでずっと。それは偶然なのだと思っていた。だけど、省吾がもし、彼自身が選んでそうしているのだとしたら?
(ありえない)
省吾はそのようなことに関心がないように見える。俗人めいたもの、色恋などというものは省吾自身も否定していたのではないか。
(でも)
ならばどうして、ユジンのもとにはいつも駆けつけるのか。見捨てようと思えば、省吾はユジンをいつでも見捨てることができた。それをしないのは――
そうではない。省吾は何だかんだで、チームの者にはなじんでいる。ほとんど古株ではないかと思わせるほどに。雪久とはまだ、そりがあわないようであるが。周りと溶け込みつつあるのであって、特にユジンにのみ、特別というわけではない。
ない、はずだ。
「何か釈然としないわね」
「なにがだ?」
韓留賢の声。すぐ横からした。予想外すぎて、思わず飛びのく。
「え、ちょっといつかそこに?」
「先刻から。瞑想もいいけど、兵がしびれきらしてそろそろ文句言い始めるぞ、って言おうかどうか迷っていたんだが」
「あ、ああそう。悪いことしちゃったね。うん、平気平気」
「なにが平気なんだ?」
韓留賢、不可解な視線を送る。
「雪久から突入合図だ。俺が先行する」
「あなたの武器は刀でしょう。飛び道具の者を先行させた方がいいわ」
ユジンは隊のメンバーを見比べた。ユジン、韓留賢以外は皆、飛び道具を所持している。玲花の縄標もそれに含めても良いだろう。銃火器の類はかなり、充実してきた。3ヶ月前までは到底信じられないことだ。
「玲花、先に行ってくれる?」
ユジンが言うのに、玲南はうろんげな目をして
「なに、あたしが行くの?」
「あなたの縄標で蹴散らしてもらいたくてね。あなたも先行したいでしょ?」
「ここなあ、狭いところはヤなんだよ。縄が絡まるから」
「そんなこと、あなたにはなんてことないでしょう。現に、地下道で……」
口にしてからしまったと思った。玲南の表情がみるみる険しくなる。
「何だよ、皮肉か?」
「そうじゃなくてその……とにかく、あなたは場所の広い狭いって関係ないんじゃない?」
「評価してんだ、一応」
玲南、一呼吸置いて縄を操った。頭上で旋回、そして
「泣けるぜ」
アルミ扉に叩きつけた。
円錐の標が、ドアノブを貫いた。断末魔じみた衝撃音、メリメリと音を立てて扉が内側に倒れ、盛大に砂埃を舞上げた。
「ほら、開いたらさっさと行く」
呆気にとられているユジンと韓留賢を余所に、玲南はずかずかと建物に入っていった。
「あいつ、不機嫌なの?」
韓留賢が訊くのに、ユジンは肩をすくめて
「行きましょう」
その言葉を受け、四番隊のメンバーが踏み入った。