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監獄街  作者: 俊衛門
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第十一章:14

 激しい衝撃が、地に響き渡った。

 拳は燕の胸部にめり込んだ。燕の体が一気に10メートルは吹っ飛んだ。地面に叩きつけられ、それきり動かなくなる。

「真田!」

 文学順の声と同時に、二撃目を浴びせられる。体を入れ込み、男が右肘を叩きつけてきた。避け切れず、刀の鍔でそれを受けた。

 まるで鉄の塊がぶつかったようだった。男の体重が全て鍔にかかり、真鍮の鍔が砕けた。勢いを殺せず、体が後ろに飛んだ。ぐるりと世界が反転し、背中を壁に打ちつけた。

「くっ……」

 骨という骨、筋という筋が悲鳴を上げていた。起き上がろうとするも、体が言う事を聞かない。

 文学順が飛び出した。矢を番え、射る。

 刺さる直前、男が空中で矢を掴んだ。文学順が呆気に取られている。男は間を詰め、文学順の胴に前蹴りを打った。

 ぐちゃ、という音がした。骨ではない、内蔵が潰れたような音だ。血反吐を巻き散らして文学順の体が宙を舞った。およそ、5メートル上空まで飛ぶ。

 出鱈目な力だ。一撃で、あれほど飛ぶものか。

 地面を見た。男が踏み込んだところが、大きく抉れていた。それほどの衝撃、というわけだ。

 男が構えを取った。腰を落とした、馬弓式。右拳を前に突き出している。

「八極拳か」

 省吾は立ち上がると、霞に構えた。刃先は、男の左眼につけている。

「お前、ヒューイに雇われた方の片割れだろう。レイチェル・リーを襲った。孔翔虎コン・シィアンフーとかいう」

「何故そう思う」

 男がいった。沈むような、声だ。

「わかるわな、そりゃ。あの女が遅れを取るほどだ」

 凄まじいほどの拳速、規格外の威力。一度、手を合わせただけでも分かる。

(ただものじゃない)

 喉が勝手に鳴った。唾を呑み込み、恐怖を喉元に押し込めた。

「何が目的だ、貴様は舞の居場所を知っているのか」

「知ってはいる。が、教える必要はない」

「そうかい。なら」

 そういうと省吾は、右足を踏み出し突きを放った。

 刃先が、孔翔虎の喉元に伸びた。孔翔虎は半身に切って刃を避け、右手で刀の柄を取った。

 素早く省吾、体を転換させ、足をかけた。孔翔虎の体を腰に乗せ、投げ飛ばす。鉛がつまったような重い体。

 孔翔虎は受身を取り、地面を転がった。立ち上がり、構えを取る。

「これでも教えちゃくれないかね?」

「死にゆくものには無用だ」

 今度は孔翔虎が仕掛けた。馬弓式の低い体勢から、飛び込んだ。強い踏み込みと共に前蹴りを放つ。省吾が一歩下がって蹴りをはずしたのに、孔翔虎はさらに踏み込んで掌を放った。

省吾は入り身となり、孔翔虎の左肩に回りこんだ。死角に、立つ。

「勢!」

 八相より打ち下ろした。剣先が孔翔虎の首を捉える。が、紙一重で避けられた。剣は空を切る。

 眼前に、肘打ちが迫った。頂肘である。首を捻って打撃を避けるが、肘がこめかみを掠め、皮膚が削り取られた。

 さらに肘。掌と、立て続けに繰り出された。省吾は左手を離し、打撃を受け流しながら後退する。壁を、背にした。

 孔翔虎が踏み込み、突きを打った。全身を叩きつけ、巨大な槍が迫る錯覚を得た。

 倒れ込み、拳を避ける。拳の先端が前髪に触れ、空気の塊がぶつかった。拳は省吾の後ろの壁に突き刺さり、レンガ造りの壁面全体に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。

「何て」

 力だ、と洩らすに、目の前に掌が迫っていた。剣の柄で受け流し、掌の軌道を変える。体勢が崩れたところ、水平に斬った。

 孔翔虎は避けるでもなく、逆に向かってきた。右手で刀の鍔元を押さえ、体当たりをかます。肩が当たった、その瞬間省吾は吹っ飛ばされた。

 当たった瞬間、胸郭がたわむような感覚を得た。肺が圧迫され、呼吸が停まる。軽い当たりだった、それほど勢いはつけていなかったのに。

(こいつ……)

 停まっていた息を、吐き出した。レイチェルの柔軟な拳や、ヒューイの疾い拳とは違う。剛直な外家拳。ただ、この男のそれは今まで対した者とは根本的に違うような気がした。何か異質なもの、人外のものであるかのような――

 タン

 孔翔虎が踏み込んだ。踏み込んだ地面が震え、土が抉れた。轟然と突っ込み、頂肘を叩きつけた。足を巴に絡め、斜めに捌いた。

 逆八相に構えた。右手側に、孔翔虎の姿がある。気を発し、撃ち下ろした。

 刃吼える。孔翔虎の首に、斬り込んだ。

 柄に衝撃を得た。柔い肉ではない、硬い感触だ。むき出しの首を斬ったはず、それなのに。

 まるで鉄を叩くように、跳ね返る。

 驚いていると、顔面に分厚い掌が差し出された。身を仰け反らせ、避ける。さらに肘、左の逆突きが連続して繰り出された。捌ききれず、肋骨の一部を拳が掠めた。軽く触れただけなのに、骨全体を軋ませた。

 もう一度。後退し、刀を中段に構えた。孔翔虎は構わず、突っ込んでくる。中段のまま、省吾は突きを放った。拳と剣では、どちらが先に届くか明らかだ。

 体ごと、刺突した。切っ先が、孔翔虎の喉を捉えた。

 が、刺さらない。岩盤に刃を突き立てたようだ。貫くこと叶わず、刀身が曲がった。

(どういうことだ)

 背筋が凍りついた。その眼前に、頂肘が迫る。鼻に当たり、頭が弾かれた。たたらを踏みながら後退し、間合いを切った。

 そして見た。孔翔虎の、首筋を。斬り付けた皮膚が裂けていた。通常なら、赤い肉と骨を覗かせるはずのそこからは、金属めいた鈍い色が見える。

 金属――?

 もう一度確認する、間もなく。孔翔虎が踏み込んだ。掌と前蹴りが連続して放たれるのに、曲がった刀で応戦し、後退。壁に詰まった。

 孔翔虎の中段蹴り。省吾、刀を捨て、蹴り足を掴んだ。膝裏に手を当て、引き倒した。

 孔翔虎が立ち上がる。そして今度こそ、見た。

 皮膚の下は、紛れも無く金属であった。赤銅色に照り映えて、紫色のコードが飛び出ている。その色が、その金属が、瞼に突き刺さる。人のものではない、ビリー・R・レインの『鉄腕』と同じ地金。

「人ではないのか、貴様」

 孔翔虎は黙していた。省吾はそれを肯定ととった。

 機械の体。傷口から覗くコード、ハーネスの類は、直線的な電気回路の特徴を帯びる。皮膚一枚、隔てた下の姿。見た目はまるっきり、人間と変わらないというのに。

「人造皮膚だ」

 こともなげに孔翔虎はいった。

「なるほど、ヒューイに飼われてんのか。あいつの余裕はそういうことかよ」

「飼われているつもりは毛頭、無い。だが、抵抗を続けるようならば、仕留める」

 悠然と孔翔虎が構えた。省吾は小太刀を抜いた。

 孔翔虎の背後で、文学順が倒れている。その向こうでは、燕が。二人とも、動かない。地に伏したまま、呼吸すらしていないように見える。それを目の当たりにして、心臓が掴まれたような心地がした。

「貴様が人である限り、俺には勝てない」

 静かに告げた。孔翔虎は、ただ事実を述べたというように、抑揚の無い声でいった。それで十分過ぎるほど理解した。血に濡れた、金属の腕と硝煙。赤黒い土に伏した、かつての師の姿が、意図せずして脳裏に浮かぶ。無理やりにこじ開けられた記憶は、最初に機械と対峙したときの――忌まわしい、記憶だった。

 孔翔虎の掌が伸びた。身を屈め、掌を避ける。そのまま脇を潜り、すれ違った。抜けざまに、小太刀で孔翔虎の脇腹を切りつけた。衣服と人造皮膚が裂け、金属胴が露になる。

 孔翔虎が振り向いたが、省吾は向き合おうとはしなかった。背を向け、遁走した。

 退くこと――それがこの場で出せる、唯一正しい解だった。全身が機械の人間、あまりに未知の存在。今この場で対処できる相手ではない。同時に蘇る脳内のヴィジョン――“ウサギ狩り”、先生の胴を貫いた五指。リアルな恐れとして、急激に襲い来る。退却というよりも、逃亡だった。気持ちとしては。命が惜しくて、尻尾を巻いて逃げる弱者――それが今の省吾だ。

 命を失う、わけにはいかない。だからこれが一番、正しい。

「どこへ行く」

 耳元で声がした。ぞくり、と肌が粟立つ。背後に膨らむ殺気、鉄の塊――恐怖が圧を成し、押し潰されそうなほどに体感する。

 近寄るな!

 心の中で何かが爆ぜた。かき乱された理性、湖面に波立つが如く――滅茶苦茶に小太刀を振り回して、孔翔虎の接近を拒んだ。殆ど本能による行動だった。孔翔虎は軽く身を揺するだけで、刀を避けた。

 我ながら無様と思った。恐怖に支配され、平静を保てなくなった者を、幾人も見てきた。そういう奴は長生き出来ない、と知っていた。

 それなのに、今まさに蝕まれている。完璧に呑み込まれて、見えない何かに操られていた。

 だが。

 孔翔虎の腕が伸びた。低い体制からの突き――胸骨に触れた。軽い打撃、それだけでも、省吾の体を飛ばすには十分過ぎる威力。足裏が離れ、空中に放り出された。自由落下。世界が回り、地面にひれ伏した。

 顔を上げた。孔翔虎が、見下ろしている。髪を掴まれ、引き上げられた。凄まじい力。

「脆い奴だ」

 訛りの無い広東語が聞こえた。それが孔翔虎から発せられているのだと気づいた。ぼんやりとした視界で、見据える。孔翔虎の口が、動いた。何を言っているのかは聞き取れない。

 孔翔虎の右手が、貫手の形を作った。腰だめに構える。それで刺し貫くつもりだろうか。いつかの記憶が、感覚が、投影された。より鮮明な映像、先生を貫いた手――臓物を引き千切った、鉄の指。

 死にたくない――

 たまらない、生への欲求が湧いた。乾きを臨まぬように、本来的なものだ。

 母の顔が見えた。爆風で焼かれ、炎に掻き消える。師が最後に見せた微笑――苦悶の表情に変わる。

 それが、ユジンの顔に変わった。痛みを堪えて、だがそれでも潰えぬ火を両眼に灯している。最初に会った時と、同じくに、力強い。

 力が戻った。

「破っ!」

 孔翔虎が貫手を突き出した。それと同時、だった。

 攻撃に合わせ、膝の力を抜いた。省吾の体が沈みこむ。髪を掴んだままの孔翔虎は、つられて体のバランスを崩した。素早く懐に入り込み、孔翔虎の胸に肩を押し当てる。衣服を掴み、足をかけ投げ飛ばした。

 孔翔虎は全く予想外、という顔をしていた。おそらく自分も、そういう顔をしているのだろう。孔翔虎の体は重いが、重心を崩してやれば投げられないことはない。人の姿をしている以上、全く技が通用しないということはない。

 孔翔虎は悠然と立ち上がった。直ぐに冷静さを取り戻したようで、また元のように構えた。省吾は体を斜にして、小太刀を真っ直ぐ突き出した。切っ先の、その延長線上に孔翔虎の拳がある。

 一歩踏み出した。

 途端、孔翔虎の足元が爆ぜた。砂煙を上げて、地面が抉れる。踏み込んだ土が爆風を巻き上げ、衝撃波が孔翔虎の足を飛ばした。

 地雷だ。まだ、この界隈に残っていた対人地雷の一つを踏んだ、と悟る。

孔翔虎は体のバランスを崩した。右脚の、脛の部分まで。人造皮膚が削られて機械の脚を露出させた。

 不意に悟った。今、自分は地雷原の中にいるという事実。下手に動けば、省吾も同じように地雷の餌食となる――生身である省吾が踏めばどうなるか。

 孔翔虎が起き上がるより先に、近くの廃墟に飛び込んだ。

(ここなら――)

 室内ならば、地雷の心配はない。小太刀を諸手で握り、中段に構えた。

 すぐに、孔翔虎は追ってきた。入り口に立つ――逃げ場は塞がれた。

「俺は貴様を知らない」

 孔翔虎の声。搾り出すようだ。低く唸る、獣を思わせる。

「だが貴様には、ここで死んでもらう」

「そうかよ」

 剣先を下げ、次に大きく頭上に掲げた。左手を切っ先に沿え、真半身に切る。突きの構え。

「既に死んだ奴には、殺されたくはないな」

「死んだ奴?」

「鉄の骸じゃねえか、そんな体。生血の通わない無機物、そんなものが生きているとは思えんな」

「ならば、それに殺される貴様は何だ」

「殺されはしない」

 脳裏に浮かぶ、フラッシュバック。機械の手、引きずり出された腸。

「殺されてたまるかよ」

 低く、身構えた。

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