第十一章:11
「あいつは、普通にやってたら斃せないよ」
ユジンは玲南にいった。
「あの眼は『千里眼』、文字通り万物を見通す眼よ」
「ああ知ってるよ。間近で見たからね、あの赤眼」
玲南が苦々しく、舌打ちした。
「あんたんトコの大将、あいつは左眼だけだったけどね。両眼ってのはまた――」
最後まで言い切るより先に、刃が降ってきた。断ち切る鉄の衝動が、世界を二つに分けた。両者、左右に跳び刃を避けた。
「じゃあどうすんだよ!」
右に跳んだ玲南が怒鳴った。
「やり方を、変える」
ユジンは一歩、間合いの中に飛び込んだ。刀が右上から飛来し、袈裟に斬る。身を捩り、棍を刀に合わせ、流した。左足を軸に腰を捻り、棍を頭上で回し水平に叩いた。狙うは男の手元、遠心力で加速された先端が、右小手を捉える。
男の手が伸びた。なんと、ユジンの棍を掴んだのだ。それこそ攻撃を見通す、『千里眼』あっての技。だがそれだけでなくこの男が人並み外れた膂力を有しているからに他ならない。非力なユジンでは、拮抗しようもない。腕力に圧され、後ずさった。
が、それは計算済みだった。
「玲南!」
ユジンの声に応える様に、玲南が跳んだ。ビルの壁を駆け上がり、高く舞い上がる。男の頭上、2メートル。そこから一気に、鋼の突端を投擲した。
後頭部に突き刺さる、刹那。男は首を捻って避けた。標は男の右の耳を削ぎ落とし、頬肉を削り取った。赤黒い筋肉が垣間見え、それを覆い隠すように血が滲み出た。
男は玲南に向き直ると、刀を突き刺した。着地と同時に、玲南の喉元に刃が迫る。玲南は体を捻りながら、標を投げた。男の首に、縄が絡まる。動きを封じた。
ユジンは棍を胸の前で構えると、跳躍し、真横に振りぬいた。先端が、男の首を捉える。咄嗟に男は刀の長柄で防いだ。
「こ……の」
先端を、押し込めた。棍と長柄で押し合い、また玲南とは縄で引き合う。男はそれでもびくともしない。『千里眼』の性能如何に関わらず、この男の元々の地力、武の才は目を瞠るものがある。
「惜しいわね……」
心から、そう思った。これほど腕が立つ人間が、味方ではなく敵側にいる、ということがだ。出来るなら『OROCHI』に欲しい人材である。
だが、これは敵だ。だから、排除する。
棍を戻し、頭上でぐるりと回して打ち出した。
男は縄を思いきり引き付けた。玲南を引き倒し、縄の拘束を解く。次に猛然と刀を振りかぶり、ユジンの右腕にむけて振り下ろした。
刃打ち、棍の先端と刀がかち合い、十字に交差した。衝撃に耐え切れず、ユジンは棍を取り落とした。
苦痛に歪んでいた顔が、男の表情が、愉悦に緩んだ。ユジンを守るものは何も無く、間合いから逃れる事は出来ない。確実に勝利を確信したという顔だった。
筋肉が、凍りつくような思いがした。足が竦み、逃げる事も出来ない。一気に落とされる刃の前に、ユジンは立ち竦んでしまった。
刀が脳天を割る直前、男の動きが止まった。
「なめんなよ、デカブツ」
玲南である。立ち上がり、縄を引いて男の喉を締め上げていた。
「そいつはあたしの獲物だ、取るんじゃねえよ」
更に引く。男の体が反りかえった。
好機。
手足に力が戻った。大丈夫、まだやれる――ユジンは棍を拾い上げ、男の顔面に、降り落とした。男は長柄で打撃を防ぐ、がそれは囮。すかさず身を沈め、男の膝裏に打ちこんだ。
男の両足が、完全に刈られた。巨体が一瞬宙に浮き、背中から地面に落ちた。受身も取れず、男はもがき苦しんだ。
止めの一撃。棍を直下に突きこんだ。男は刀の腹でそれを受け、長柄でユジンの胴を打った。衝撃に吹っ飛ばされる。玲南が受け止め、壁との激突を逃れた。
「あいつ、来るよ」
玲南がいうに、ユジンは慌てて体勢を立て直した。男は縄を解き、青龍偃月刀を中段に構えた。
「一度だけよ」
ユジンは小さく、告げた。
「あの眼は、目の前にいるものにしか効果を発揮しない。だから、背後から突く方が一番手っ取り早いわ。けど」
「けど、一流なら背後を取ったぐらいじゃ勝てないな」
玲南も、気づいている。相手が、ただ機械に頼った無頼ではないことを、だ。武芸者には小細工は効かない。
「だから一度だけ。私の背中を、預けるわ」
ユジンは更に声のトーンを落とし、策を伝えた。玲南は何も言わず、頷いた。
「行くよ」
告げるや、ユジンは飛び込んだ。青龍刀に向けて、真っ直ぐと。男が突き刺す、同時に棍を横から払った。刃が軌道を外れ、ユジンの横顔を掠めた。
その刹那、玲南が走った。地を蹴り、跳躍。ユジンの背に足をかけ、更に高く、舞った。男の頭上を飛び越え、背後へと抜ける。
空中で身を捻り、力を溜める。渾身の打剣が、後頭部目がけて放たれた。
刺突。
降り向き、男が腕で防いだ。左腕に深く突き刺さり、肉を貫いている。
失敗? 否。
防がれることは、予測済みであった。出来ればここで仕留めておきたかったが、それでも敵の腕を獲った。この意味は、大きい。
男は右腕で、青龍刀を水平に斬った。だが、片腕では勢いが乗らない。ユジンは跳躍し、斬撃を外した。刃は足元を掠め、壁に激突した。青龍偃月刀の長い柄、ユジンはその上に着地した。驚く男の顔面に、棍を叩きつける。男は傷ついた左腕で防いだ。尺骨が折れ、肉を突き破った。
今――。
玲南は縄標を、自らの右脚に絡ませた。そして蹴り。脚を振るに、標は脚と連動して放物線を描いた。標が、錘となり男の後頭部を穿った。
脳を揺さぶる。『千里眼』と視神経の伝達を、完全に断ち切るために。
大きく、男が傾いた。ユジンは地面に降り立ち、玲南は標を戻す。そして、両者溜めをつくり、同時に放った。
ユジンは突き、玲南は打剣する。
男が反応する、暇も与えなかった。棍の先端が顔面にめり込み、標が後頭部に刺さる。骨を砕き、その先の脳髄を捉え、完全に男の意識が潰えた手ごたえを感じた。
棍を引く。目も鼻も潰れ、血まみれの顔を晒した。何事か男は呻いて、しかしそれ以上発することなく事切れた。
「やった……か」
玲南は縄標を手繰り、標を回収した。そして息をついた。
「寿命縮んだぜ」
「ええ……」
ユジンは力尽きて、その場に座りこんでしまった。気を張っていた分、力が抜けてゆくようだった。
「玲南……あの……」
ユジンがいうのに、玲南が遮った。
「レイのことなら、言うなよ」
「え?」
「あいつだって、死ぬことはいつも覚悟していたんだ」
「でも、私が」
「あんたのせいじゃない……あいつが死んだのは」
最後は呟くようにいった。声が、震えていた。
玲南は唇を噛んで俯いていた。痛みに堪えているかのようにも、涙を堪えるようにも見えた。どうにもならない現実を、受け止めるのは大きすぎると持て余しているようでもあった。
この少女もまた自分一人では背負いきれないものを背負い込んでいる。レイが死んだことを、己の責としている者の、目だった。無力を噛み締めて、己の行いを悔いる――レイの死を、ユジンに被せてしまえばそれだけ楽になるというのに、それをしようとしない。
自分のせいだ、と。
「あまり責めないで」
ユジンはうなだれる玲南の頭を抱いた。
「あなたはこうして生きている。そして、レイの死を悼む人がいる。レイの死は、無駄じゃない」
「わかった風な口、聞くなよ……あんたになにが、わかるんだよ」
華奢な肩が、震えていた。細い線、この子はまだ少女なのだ。私と同じ。
「そうね、わからないわね」
少し強く、抱き寄せた。玲南が顔を押しつけた辺りが、じんわりと熱くなった。
「レイのこと、きっとあなたにしかわからない。だから、あなたが一番、彼の意思を汲んで上げて」
自分を責めずに――。
「うるさいよ、バカ」
しゃくりあげるような声で、玲南がいった。
しばらくそうしていた。玲南は顔を上げると、腫れ上がった目を伏せて、
「このこと、金にはいうなよ」
「このことって? 泣いた事?」
少し、意地悪くいってみる。途端、玲南は顔を拭って声を張り上げた。
「な、泣いてなんかないだろ! 何寝ぼけてんだよ、あたしは……」
「あら、隠すことないじゃない。なかなか、可愛かったわよ」
「な……」
息が詰まったように、玲南は絶句して、見る見るうちに耳まで真っ赤になった。
「こ、このアマ、もう一遍死んでみるかっ!」
ムキになって反発する玲南が可笑しくて、思わず笑ってしまった。そういえば、ここ最近これほど笑った事など無かった。どこか、余裕を失くしていたのだろうか。
だが。
「それにしても……」
つと、ユジンが斃した男の方に向き直るのに、玲南もつられて男の方を見た。
男は酷い有様だった。ユジンの棍が顔面を貫き、玲南の縄標も頭蓋を貫いている。元の顔も分からないほど、損壊していた。
そして、『千里眼』も。
「何だって、その男が機械の眼なんぞ」
玲南は男の頭を、足で軽く小突いた。肉塊が、湿った音を立てた。
「戦中には、試験的運用に留まったとは聞いたけど」
しかし、現にこうして敵として対峙している。なぜ、ヒューイが『千里眼』を備えた傭兵などを使っているのか。
嫌な予感がした。何か、もっと大きな力が、自分達の知らないところで動いている。そんな感じだ。
東の空が、白んできた。夜明けである。ユジンは男を担ごうと、鉄パイプを死体の脇に差し挟んだ。が、重くてとても持ち上げられそうにない。
その時、ジープが一台、往来に停まった。
敵か、と身構えたがそうではない。見慣れた紺色のパーカーが乗っているのが、見えた。
「ボスだ」
と玲南がいった。『STHINGER』の金が、文学順に肩を預けながら下りてきた。続いて、グレーのトレンチコート。省吾だ。何故か省吾の顔を見て、ホッとしている自分がいた。
「ユジン、加勢に来たぞ――って、あれ」
「片付いたよ、もう」
ユジンが男の死体を指し示すと、省吾は大きく、溜息を洩らした。
「そう、か」
安堵したように、胸を撫で下ろしていった。
「あんまり、無茶すんなよ」
「誰に言ってるのよ」
そうだな、と省吾が少し頬をほころばせた、ように見えた。そういえば、この街に来てからというものの省吾は幾分表情が和らいでいるように写る。
しかし、また元の険しい表情をつくる。
「作戦は失敗だ」
と省吾が告げるに、金が頷いた。金は、右脚が折れているようだった。脚に添え木をし、固定している。
「それは?」
「ヒューイだ。あの野郎、俺らを待ち構えていやがった」
省吾は苦々しく、吐き捨てた。
「あの野郎が、次に何を企んでいるか。どうにも、動きが気になる」
それはおそらく真実なのだろう。省吾の、この手の勘というものは、鋭い。
「直ぐに、戻った方がいいかもしれないわね……省吾」
ユジンはそう切り出し、告げた。