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監獄街  作者: 俊衛門
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第十一章:10

 鈍い刃が、迫る。

 男の両眼に輝く『千里眼クレヤヴォヤンス』の紅に、気が狂いそうになる。それほどまでに強烈な衝撃を与える、この機械の眼は。

 男の巨体は月を背にしていた。月明に照らされ、長く伸びる影がユジンの足元に迫っていた。それが徐々に間を詰め、影がユジンの足から膝、膝から腰へと昇ってくる。確実に距離を縮め、青龍刀の間合いへと近づいてきているのだ。

 大気が圧力を持っているかのようだった。男が一歩、進むたび押しつぶされそうだった。ぎらついた刃に気圧されて、息が詰まりそうになる。

 男が踏み込んだ。頭上に掲げた刃、一直線に叩き落とした。ユジンは後退し、辛うじて避けた。前髪が散り、肌に熱を感じた。更にもう一撃、突きを打つ。下がり、危うい位置で避け、紙一重で見切り、だがそれも長くは続かない。気づけば壁を背にし、追い詰められた。男との距離は、わずかに一歩。

 地を断ち割るような斬撃が、下された。

 咄嗟に受け止めた。間一髪、足元に転がっていた鉄パイプを拾い上げ、頭上に掲げた。重々しい衝撃が全身に伝播し、思わず膝を折った。

 男は忌々しげに舌打ちした。ユジンはパイプの端で刃を叩き、突きを打った。鋼の防具に当たり、金属音を奏でるに、手首を返して正面に打つ。男は長柄でそれを防ぎ、横薙ぎに斬った。パイプに、刃が食い込んだ。

「やっ!」

 鉄パイプを体側で回し、打突を繰り出す。男は長柄で連撃を受け、刃で斬りつけた。防ぎ、打ち、何とか状況を打破しようとするが、青龍刀の斬撃から逃れることが出来ない。重く太い鉄パイプはコントロールに難しく、鉄の棒に自らが振り回されそうになる。防戦一方、それも徐々に保てなくなりつつあった。

 男はユジンの攻撃をぎりぎりまでかわさず、当たる直前に弾いていた。『千里眼クレヤヴォヤンス』で全て見切った上での、余裕を見せつけているかのように。

 ――何故。

 振り下ろされる衝撃に、腕と肩が壊れそうになる。鉄パイプはひしゃげ、身を守るものも無くなりつつあった。

 ――どうして。

 壁に張りつけられ、刃を突き出された。パイプの突端で跳ね上げるが、長柄の方を叩きつけられた。柄とパイプが十字に噛み合うに、鍔競り合った。

 ――口惜しい。

 腕力で押し切られ、体勢が保て無くなる。男の両眼は爛々と輝き、血の赤がユジンを見据えていた。

 鉄パイプ一つ、操れない。己の非力が、呪わしい。いいように弄ばれ、圧され、成す術もない自分が恨めしかった。どうしても自分は女なのだと、否が応にも自覚させられる。男と女では埋められない、力の差。それが底の見えない淵を臨むようで、絶望感に裏打ちされた。

 こんなところで立ち止まってはいけないのに。私は『OROCHI』と、雪久のために――

 猛然と天を突き、男は青龍刀を振りかぶった。偃月に象られた刀身が、月明かりに青白く浮かび上がった。

 そして、斬撃。息が止まった。

 斜めに走る刃が、ユジンの肩を捉えた。右肩より胴を斬られるのを、想像した。

 だが。肉に触れる直前で、刃が止まった。

 否、止められていた。男はそれ以上、降り抜けないでいた。青龍刀の柄に絡みついた、鉄線入りの縄が、ユジンを両断せしめるのを阻んだのだ。

 その縄の先に揺れる、菱形の標を、目の当たりにする。

 玲南である。男の背後で縄を引き、刃を止めていた。腕力では、明らかに劣るというのに、全身を使って必死で引っ張っている。

「早く……」

 歯を食いしばり、玲南が唸った。その声に、ユジンははっと我に返った。

「早くしろ、バカ女」

 その言葉が、呼び水となった。体勢を低く保ち、ユジンは男の体に、ひしゃげた鉄パイプを叩きつけた。ゴツッ、っと骨がぶつかる衝動がして、男の体が傾いた。

 その隙にユジンは、男の脇をくぐりぬけた。壁際を、ようやく脱する。男は憤激し、縄標を引っ張った。が、それよりも早く玲南は手元を緩め、縄を解いた。標は放物線を描き、玲南の手の中に戻った。

「玲南……」

 ユジンが口を開きかけたのに、玲南は黙って首を振った。

「あんたに言いたい事や、言うべき事は後回しだ」

 男が立ち上がるのに、玲南は標を手繰り、振り回した。

「あんたもあたしに文句あるんだろうけど、今はそんな状況じゃないだろう。あいつを倒して、生き延びる」

 言った瞬間、男が飛び込んで来た。青龍刀を、両断に振り下ろす。二人一斉に飛び退き、刀を躱した。斬撃が地を叩き割り、細かい礫が顔を叩く。男は刀を切り返し、今度はすくい上げるように斬り上げた。

 紙一重、避けた。身を逸らして避け、その勢いのまま後転して距離をとる。間合いの外へ、脱した。

 だが、壁際に詰まった。ユジンは玲南と一緒に、壁に背をつけた。

「私の言う事、聞かないんじゃないの?」

「そういうのは、後にする」

 玲南は、ユジンに棒を投げてよこした。手触りからして、柳。手ごろな長さだ。重すぎず太過ぎず、振り回すには丁度良い。

「そいつを探すのに手間取っちまった。あんたにゃ、そっちの方がいいだろう。二人であいつ、倒すよ」

 玲南がいうのに、ユジンは少なからず驚いた。玲南は自分の事を嫌っている、絶対に協力などしない、と思っていたのに。

どういう心境の変化か――そんな疑問を抱くまもなく、ぎらついた刃が降注いだ。

「弾け!」

 玲南がいう、そのままにユジンは刀の切っ先を弾いた。刃が外れ、壁にめり込んだ。すかさず、男の顔面に叩きこむ。男の顎に当たる直前、男は長柄でユジンの打撃を防いだ。『千里眼クレヤヴォヤンス』の前では、ユジンの攻撃は全て見透かされている。

 だが。

「ウスノロ」

 玲南が背後に回りこんでいた。男の背中めがけ、標を投げ打つ。標が飛んだコースをなぞるように、縄がゆるいカーブを描いた。

 先端が男の背中に刺さった。初めて、ダメージを与えた。男の表情が苦痛を表し、玲南が勝ち誇ったように笑みを浮かべた。玲南は標を引き戻し、縄を手繰って再び標を打った。

 男が吼えた。眉間と鼻筋に憤怒の皺が刻まれ、軋ませるほどに歯を食いしばっている。振向き、轟然と刀を振り上げた。標が弾かれるに、金属同士が甲高く奏でた。

「玲南、気をつけて!」

 叫んだが、既に男は玲南に詰めよっていた。男が刀を振り下ろし、その先に玲南の首があった。

 無我夢中で、男の背中に突きこんだ。背骨に棍が突き立ち、男が身を逸らした。

 男は降り向きざま水平に斬った。ユジンは身を沈めてそれを避け、男の脚を払った。体勢が崩れたところへ、突き。これは外した。男の豪腕が唸り、斜めに斬り払う。ユジン一歩退き、棍を回転させ刃の先を落とした。更に追撃してくるのを、後ろに跳びやりすごす。

「こんの、クソが!」

 玲南が標を投げ打った。男の顔面。だが、男は首を傾けただけで標を避けた。玲南は縄を繰り、今度は喉に向けて打った。

 縄が波打ち、先端が躍った。蛇が鎌首をもたげ、獲物を仕留めるがごとく。あるいは蠍の毒尾のような、標の攻撃を。首を振って男はかわし、また刀の先端で弾き、玲南の攻撃を手玉に取っている。

 それが、隙となった。

 ユジンは飛び込んだ。両手で振りかぶり、一直線に叩きつけた。男の左肩にめり込み、骨の軋む音がした。

 明らかに男の顔が歪んだ。さっきよりも苦痛に満ちている。効いているようだ。

 男は満州語で何やら喚いて、長柄を水平に振りぬいた。ユジン、しゃがみ込んで躱す。

続き、刀が飛び出した。鉄板めいた刃が両断に打ち下ろされる。脳天をカチ割るより数瞬早く、ユジンが動いた。しゃがんだ状態から、側転し、跳躍して背後に回る。地を叩き割り、男は憤然と振り返った。修羅がそのまま体現されたような、怒りに満ちた貌だった。

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