第十一章:9
「待てよ、逃げるな、貴様!」
雑兵の一人に、頬を張られた。にやにやと笑いながら、見下ろされる。踏みつけられ、銃口で頭を小突かれ、頭を地面に押し付けられた。
「触んな、クソッ」
必死に抵抗したが、その様子も奴らには滑稽に見えるのだろう。愉悦に顔をほころばせていた。
「ヒューイ!」
雑兵たちの間から、ヒューイの立ち去る背中が見えた。一瞬だけ。その姿が扉の向こうに消え、閉ざされた。省吾が決して手の届かないところへと。
「騒ぐなよ、剣客」
と、雑兵の一人がいった。ひどく崩れた英語だ。
「てめえにゃ、色々と恨みもあらぁな。この間の借り、返させてもらうぜ」
倍返しでな――そういうとともに、ライフルの銃床が顔に叩きつけられた。
「俺のダチはよ、てめえに殺されたんだ。そいつの分も併せて、てめえを殺せば100ドルだ。まずは体にたっぷり染みこませ、じっくりと時間かけて殺してやるからな」
男たちの爪先が省吾の体を蹴り飛ばし、踏みつけ、銃床で殴られた。無茶苦茶に叩きつけられ、そのたびに体のあちこちが悲鳴を上げた。
こいつらは俺を始末することだけじゃない、始末する過程を愉しんでいるんだ――そう考えた瞬間、背筋が寒くなった。じわりじわりと嬲り殺しにして、高く吊るす。ギャング共のやり方だ。
「まだ愉しませてくれよ、『疵面の剣客
』」
男が、耳元で囁いた。
「タフに出来てんだろ、あんた」
そう告げると同時に、銃口を省吾の口にねじ込んだ。喉の奥にまで、鉄の味が広がった。
「……真田省吾」
後ろで金が呻いた。朝鮮語だった。返事も出来ないので、省吾は視線をついと傾けた。金は床に伏したまま、同じように雑兵たちにいたぶられている。顔は、見えない。地面に伏せたままだ。
「俺が合図したら、目の前の奴を叩け」
どういうことだ――と訊こうにも、銃口を噛まされていては何もいえない。すると金は少しだけ顔を上げた。殴られ腫れた顔が、笑っていた。
「運が悪かったが、運がいい」
その時。
金の上にのしかかっていた男の頭が、何かに弾かれたように傾いた。瞬間のことだった。雑兵たちの、誰一人として反応できなかった。
何事かと目を瞠った。男のこめかみに、ステンレスの矢が突き刺さっている。弩のそれよりは幾分長い、洋弓の――
「今だ!」
金がいうまでもなかった。省吾は反射的に動いていた。口に突っ込まれた銃を握り、撃鉄と引き金を押さえた。男が狼狽するのに、銃を持つ手を捻った。手首が外れるのも確認せず、素早く銃を奪い取った。
雑兵たちが銃を構えた、その頭にまた矢が突き立った。
一体誰が――目を凝らした。割れた窓の向こうを、見据える。
正面のビルに、紺色のパーカーに身を包んだ人物が、洋弓を構えている。『STHINGER』の遠距離射手の一人、文学順であった。弓を引き絞り、正確無比に雑兵たちを射抜いてゆく。
「やるじゃんか」
省吾は男の骸を盾にして、発砲した。5発、炎が裂いた。銃弾と矢を浴び、雑兵たちは総崩れとなった。
「真田、走れ!」
金がいった。省吾は懐から閃光弾を取り出した。安全ピンを外して投げる。地面に落ちる間もなく、空中で白光が炸裂した。
省吾は銃を投げ捨て、割れた窓に向かって走った。金も足を引きずりながらであるが、続いた。途中で、倒れたままの連を拾い上げ、窓の外へと身を投げた。
飛び込んだ瞬間、鉤つきのロープを窓枠に絡ませる。そのままロープを伝い、壁を蹴って降下した。手の皮がすりむけるのも構わず、ビルを下る。上から雑兵たちが撃ってくるのに、銃弾が頭皮を掠めた。それもやがて、届かなくなった。
ロープから手を離し、地面に降り立った。金も飛び降りるも、着地の瞬間にバランスを崩した。片足が折れた状態だ、しかも連を抱えている。
「おい、無理すんなよ」
「てめえに心配されるまでもない」
丁度、ビルの入り口から、雑兵たちが飛び出してきた。めいめい、銃を構えた。
「まずい、逃げ――」
ろ、という前に、一台のジープが雑兵たちに突っ込んだ。ミリタリー彩色の軍用車両に乗っていたのは、イ・ヨウだった。
「早く乗れ、真田省吾」
言われるがままに乗り込んだ。省吾が助手席に、金と連は後部座席に乗り込む。そして、もう一人、飛び込んで来た。
「貸しだからな」
イ・ヨウはいうと、アクセルを踏み込んだ。急発進するのに、シートに体が張り付けられた。朝鮮人というのは皆運転が荒いのか、それとも先日のことを根に持っているのか。だが、少なくとも雑兵たちから逃れることは出来た。
10キロほど走らせたところで、第2ブロックを抜けた。一旦、金の手当てのために停車した。
「大した腕だ、あいつ」
脚の具合を診ながら、省吾は唸った。
「綺麗に一方向に折れている。迷いなく、一撃で仕留めたって感じだな」
「しばらくは蹴ることもままならないがな」
添え木を当て、金は脚を固定した。
「あいつの戦い方は、おそらく截拳道だな。あいつが徒手で来るなんて。銃の方を潰せば、何とかなると思ったんだが……」
しくじった、と省吾は唇を噛んだ。相手が素手でも来ることを想定していれば、長脇差を折るような使い方はしなかった。己の甘さを、悔いる。
「ま、こうして生きて帰って来れたんだ。あまり、自分を責めんなや」
金はパーカー脱ぎながらいった。パーカーの下から、ボディーアーマーの白い生地が表れた。水月の辺りに、弾痕が刻まれている。
「剛性繊維か」
「至近距離で食らったからな、ちょっと気ぃ失っちまった。俺よりも、こいつの方がダメージが大きい」
金はそういって、連の方を見た。まだ、気絶している。
「ショックもあるんだろう」
言うと、金は連のジャケットを脱がせた。
フードが取れた、瞬間。長く細い、艶やかな金髪がこぼれた。背中にまで届きそうな長髪である。
ジャケットを脱ぐと、連の細い骨格が、一層目立って見えた。薄い肩、細い首。なだらかな体の線が、頼りなさげである。初めてみる、連の顔。あどけない、ほんの子供であった。
ジャケットの下には防弾チョッキが着けられている。金はそれも取り外した。
その瞬間、省吾は絶句した。
「女?」
アーマーの下には、シャツ一枚だけであった。オレンジ色の布地を、わずかに押し上げている胸の膨らみ。控えめに主張する、幼い胸は、まだ色香を灯さない少女のものだった。
「こいつ、女だったのか」
「ん、まあな。昔、人買いの組織を潰したことがあってな。その時、拾った」
「拾ったって……」
「この街に来る前のことだ」
金は連の首筋に手を当てた。連の喉が、かすかに上下した。か細い首に武骨な指が重ねられると、ぞっとするほど映える、黒と白の対比。
「部隊に加えるつもりも無かったんだがな。こいつがどうしても、っていうから。恩義に感じているのだろうが」
意外であった。金がそんな人情じみたことをすることが、だ。この男は、雪久やヒューイと同じ人種だと思っていたのに。しかし、そう言われれば、連がこれほど金に心酔する理由も分かる。
「こんな子供を、戦闘に参加させているのか」
「責めるか? ここじゃ自ら力を手に入れなければ生きていけない。そうだろう、最初から強くなれる奴はいない。そういう奴ほど、容赦は無いからなここは」
金はつと、窓の外に目を向けた。
「おっと、帰ってきたようだな」
金の視線の先に、見慣れた『STHINGER』のパーカー姿があった。長い洋弓を右手に提げて、いる。金は窓を開けて、声を掛けた。
「文学順、ご苦労だった」
金がいうに、文学順は静かに目礼した。
「あんた、俺らを助けてくれたんだっけな」
省吾がいうと、文学順は洋弓を、ぐっと突きつけた。
「別にあんたを助けたわけじゃあない。ボスを助けただけ、あんたはどうなろうが知らない」
「そうかい、まあとりあえず助かった」
「倭奴からの礼など、要らない」
文学順は吐き捨てるようにいった。
「悪いな、こいつはこの間、お前んトコの大将に相棒を殺されたんだ」
金がこっそり耳打ちした。
「その前にゃ平壌で弟を殺られてる」
「そうかい」
省吾は肩を竦めていった。恨みをぶつけられることには、慣れている。
「ボス、各部隊に通達しました。作戦は失敗、全員撤退せよと」
「おお、悪いな」
金がいうと、文学順は少し表情を曇らせた。
「ただ、ユジン殿のところで苦戦している模様です。助けに行きますか?」
それを聞くに、省吾は文学順に詰め寄った。
「ユジンが、何だって?」
「玲南からの情報だ。現在、第5ブロックで、正体不明の敵と交戦中ということだ」
「まさか……」
胸騒ぎが、した。すぐさまジープに乗りこんで、
「第5ブロックに行け」
「え、今からかよ?」
ボンネットに足を投げ出していたイ・ヨウが、信じられないという顔をしていった。構わずに省吾は
「いいから、早く出せ! 手遅れになる前に」
イ・ヨウはぶつくさ文句を言いながら運転席に座りなおした。
「必死になってまあ……」
後部座席から、金が呆れたようにいった。が、省吾はいちいち構ってはいられない。