第十一章:4
火の手が上がったのを受けて、ユジンは右手を上げた。と、ビルの壁面に張り付いていた、四番隊の面々が闇の中で腰を上げた。都市迷彩に身を包み、その迷彩服も“シルクロード”から取り寄せたものだった。
最終的にこの隊編成で納得したものの、やはり不満が残る。玲南――この女には苦い思い出がある。“Xanadu”襲撃時、変幻自在な縄標の前に命を落とすところであったのだから。玲南もやはり、ユジンのことは善く思っていないようだ。あからさまな悪感情をぶつけてくる。
「家にいた方が良かったんじゃねえの、お嬢ちゃん」
縄標をわざと振り回して玲南は、挑発するような口調になった。
「棒ッ切れ一本回すのに手こずってる奴が、そんな銃を撃てるかね」
という。ユジンの得物は棍でも特殊警棒でもなく、カラシニコフのアサルトライフルである。銃身を短く切り詰め、取り回しを良くしている。両刃の銃剣を着剣し、射撃はセミオートマチックに固定してあった。中距離狙撃から白兵戦闘に対応できる仕様だ。
「私のことなら、お構いなく。あなたこそ、傷が癒えていないのでは?」
すると玲南は、一気に顔つきを険しくさせた。詰めより、睨みつけて
「あんまり調子に乗ってんなよ、前回偶々勝ったからって」
「別にそういうつもりじゃ……」
「それじゃ何か、勝負にもならなかったとでも言いたいんか。余裕だねえ」
こんな調子で、いちいち突っかかってくる。まともな意思疎通を計ろうという気は毛頭ないらしく、ユジンだって好き好んで話しかけたいとも思わない。ただ、作戦ともなれば話さざるを得ないのだ。同チームである以上。
何だって彰は、この女と組ませたのか。殺し合いを演じた同士が昨日今日で手を組めることがあるわけがない。雪久やレイチェルのような関係は、この街では珍しい。
レイチェル・リーは、2年前に雪久と彰、それに宮元兄妹を『黄龍』に引き入れようとしたらしい。ただ、雪久か宮元梁、レイチェルの保護下に置かれる事を善しとしなかった二人はレイチェルの下を飛び出し、《南辺》でギャング達相手に戦うことを選択した。彰はもとより雪久と梁のサポートをすると決めていたし、舞にはそもそも選択の余地はない。自然、4人でやっていくことになった――話を総合すると、そういうことらしい。雪久はその時、半年だけ武術の手ほどきを受けたとも聞いた。ただし、基本の歩法や站椿ばかりの稽古に飽きてしまったという。雪久らしいといえば雪久らしい。
東の方で、また爆音がした。夕闇が朱に燃え、その下に雪久がいるはずだった。一番隊が大通りを襲い、四番隊が拠点を襲撃する。《西辺》第6ブロックに隣接する第5ブロック、『黄龍』のアジトは分散されており、ここに《南辺》攻略のための部隊が集結されている――レイチェルの側近、扈蝶がもたらした情報だ。元々扈蝶自身が、『OROCHI』攻略の急先鋒であった。そのため、『OROCHI』を良く知る、真田省吾という人材が欲しかった。あの日、ユジンと韓留賢が討ち入ったときに見た省吾は、つまりはそういう事情だった、というわけだ。
「ひとつ、いっとく」
玲南は相変わらず不機嫌そうにいった。
「あたしは、あんたを仲間だなんて思ってないから。背中には気をつけるんだな」
「背中?」
「前にもいったけど、こいつは扱いが難しいんだ。縄が変な方向に飛んで、あんたの綺麗な体に穴を開けるかもしれな……」
最後まで言い切らぬうちに、玲南はパーカーの男に叩かれた。頭を撫でるように小突いたのだが、それでも結構な力だったらしい。頭を抑えて、玲南はうずくまった。
「痛ってーな、ソム・レイ! 何すんだ」
「口が過ぎるぞ、玲南」
いって、男はパーカーのフードを脱いだ。
「すまんね、隊長。こいつの無礼は、俺の責任だ。許してくれ」
ソム・レイは丁寧に頭を下げた。そんな風に改まられると、ユジンとしてもどうしていいか分からない。
「い、いえそんなことは……」
とりあえず、頭を上げてもらう。ソム・レイはにこやかに微笑み
「とにかく頑張ろう。俺のことは気軽にレイとでも呼んでくれ」
そういって握手を求めてきた。ユジンは戸惑いながらも、その手を握り返す。ソム・レイ、この男は確か30前後であったはずだ。切れ長の目元と張りのある肌は、まだ20代そこそこでも通用しそうである。『STHINGER』の中では古いほうで、射手たちの取りまとめをしているらしい。武器は、ピストル型をした小ぶりの弩を提げている。
「こちらこそ」
ユジンは笑い返した。そんなユジンを、玲南は憮然とした顔で見つめていた。
「あんた、こいつの味方かよ」
玲南が睨みつけていうのへ、ソム・レイはもう一度、玲南の頭を引っぱたいた。
「痛っ」
「味方も何も、この隊におけるリーダーは彼女だ。彼女に従うことが、もっとも作戦をスムーズに行うことだろう」
「やだよ、あたしこいつに殺されかかったんだ。いう事聞けって? 従うなんて御免だよ」
本人がいる前でも、全くお構いなしであった。殺されかかったのは、むしろユジンの方なのだが。
「そんなこといって、なんか下心あんじゃねーの? 同じ朝鮮人だからって……」
もう一発、拳骨が落とされた。今度は幾分強かった。
「何すんだよ、さっきから!」
玲南は頭を押さえながら、涙目で抗議した。ソム・レイは幾分、強い調子でいった。
「あまりそういうこと、言うなよ。朝鮮人ではあるが、ここではそんなことはどうでもいいことだし、何の意味も持たない。何人であるとか、そんな区別。そういう差別が嫌だから、俺達は戦っているんじゃないのか?」
「そうだけど……」
まだ何事か言いたげ出会ったが、玲南は渋々といったように引き下がった。
正直いって驚いた。この少女は自分の言ったことは絶対に曲げないタイプだと思っていたのに、完全にソム・レイに言いくるめられた形だ。
「あいつぁ、レイのいう事は聞くんだ」
と、別が『STHINGER』の射手がいった。ライフル型の弩を携えるこの男はクォン・ソンギ。苗族の出身である。岩石のように硬く隆起した筋肉が、衣服の上からでもわかる。顔中が傷だらけで、ソム・レイとは違い、武骨な印象を受けた。
「そうなの?」
「こいつがガキの頃から知ってるから、俺ら……おっと、そろそろ着くぜ」
クォン・ソンギがいうのに、ユジンはAK小銃を握り締めた。
第5ブロックのビル街、色街の建物と建物の間を、縫うように駆け抜ける。見かけのはなやかさと裏腹に、路地は薄汚れていた。吐瀉物の臭いに発酵した野菜、煤けたビルの壁面はケロイドのように溶けている。靴底に、粘着質の廃棄物がまとわりつく。吐き気を堪えながら、進攻した。
通りは、騒がしかった。第6ブロックでテロが起こった――あるいは『OROCHI』が攻めてきた。そんな噂話が飛び交っていて、人種問わず、道行く者皆顔を強張らせていた。ほぼ、狙い通りの反応だった。雪久たちはうまくやっている、こちらとしてもやりやすい。
ユジンはふと歩みを止めた。建物の群から頭一つ分、抜きん出た簡素なビルを見据える。『黄龍』の支部だ。巨大で堅牢なつくり、おそらく中は相当複雑な構造になっていると思われる。ユジンは後続に向けて合図を送った。
3手に、分かれよ。
ジェスチャーでそう伝えると、隊は素早く三つに分かれた。ユジンは玲南を伴って、主裏手に回った。後衛に、射手のソム・レイとクォン・ソンギがついた。朝鮮勢三人の中にあって、玲南は一瞬厭な顔をしたが、文句をいう事は無かった。
残りの二組は、隣のビルに入り、屋上へと至った。ロープを伝って、上から強襲しようという作戦である。このためにリペリング降下の練習もした。上と下、同時に攻めて逃げ場を塞ぐ。
ソム・レイとクォン・ソンギが矢を番え、ユジンは銃のハンマーを起こした。玲南は室内戦に備え、縄標の縄を短く持った。
『こっちはOKだ、ユジン』
屋上にいるパークリック・ムアンが、無線越しにいった。ユジンはゴーサインを出した。
途端、ビルの壁面を駆け抜ける影が、全部で6筋生まれる。ガラスの破片が空に散ったのを合図に、飛び込んだ。玲南が先頭に立ち、ドアを蹴破って中に入った。
閃光弾に火をつける。投げ入れた直後、白光が勢いよく爆ぜた。黒煙の中に、ユジンと玲南が飛び込んだ。
「先行くかんなぁ、遅れんなよ!」
玲南が吼え、縄標を投げた。
直線に斬り裂いた標が、唸りを上げた。突然の闖入者に面食らっている、下っ端の雑兵の喉を貫いた。
雑兵がオフィスから飛び出してきた。黄色の装束が目に眩しい。
玲南が飛んだ。銃口を向けた雑兵に、標を投げつける。
突端が、手前にいた兵の喉を抉った。貫かれた男は、声も上げずに倒れこむ。それを確認することなく、標を引き戻し、二撃目を放つ。縄を繰り、右にいた男の眼球を貫いた。更に手繰り、遠心力を利用して左に薙ぎ払った。
縄標は貫くだけではない。先端を錘に見たて、鈍器としても用いることも出来る。果たして、玲南の左手を中心に展開された標は、横に並んだ兵達の顎を砕いた。血風が霧のように吹き出、玲南の全身に浴びせる。再び標が玲南の手の中に戻った時、並入る雑兵たちが一斉に頽れた。
また、廊下の向こうから、雑兵たちが押しかけてきた。5人、いる。
「あの、もう少し考えて――」
ユジンが一応、声をかけるも
「次、行くぞ次!」
玲南は、嬉々として男たちの方に向かった。
銃火弾ける、刹那。縄標が、斬り裂いた。一直線に銀色の刃が飛び、黒い鉄縄が尾を引いた。流星みたいだ、と一瞬思った。少ない予備動作から確実に敵の急所を抉り、手中に舞い戻るや否や再び放たれる。縄の動作にあわせて先端が跳ね、回転し、直線に一気に貫く。
ユジンは銃を構えた。照準を合わせ、引き絞るようにトリガーを引く。タン、と乾いた音と反動が返った。意外にも簡単に、銃口の先の敵が倒れた。
「あんだよ、邪魔すんな!」
「邪魔とかそういう問題じゃなくて……」
ドアを蹴破って、わらわらと雑兵たちが現れてきた。全部で3人。振り返り、ユジンは発砲しつつ、間を詰めた。踏み込み、銃を腰だめにし、体ごと銃を突き出す。
銃剣刺突、AK小銃の先端に備えた、片刃の銃剣が男の喉を突いた。素早く引き抜き、銃床を右にスウィングした。拳銃を向けた男の、頬をしたたかに打つ。その後ろ、チェコのSMGを持った男の胸に発砲した。ゼロ距離の射撃に成す術もなく、男は声も上げずに倒れこむ――それを確認することなく、次の敵へ向かった。