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監獄街  作者: 俊衛門
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第十一章:3

 ミーティングが済むと、各自それぞれ引き上げた。省吾も地上に出て帰路についた。舞を連れ立って。

 舞は無言であった。共同住宅に着くまでの間一言も発せず、省吾の斜め後方を歩いていた。

先ほど、ユジンに見せたあの反応、その理由を聞いてみたい気もした。しかし、聞かずとも何となく分かる気がした。あの日、泣き腫らした目で駆けてきた舞の姿を、思い出していた。聞いてはいけない、気もした。

「真田さん」

 と舞がいうのに、立ち止まった。いつの間にか、共同住宅の前に来ていた。舞は布に包んだ“焔月”を胸に抱き、深く礼をした。

「本当にありがとうございました、色々と」

「そんな……」

 舞が礼を述べる、理由なんてない。むしろ、感謝すべきは省吾の方だ。踏み込む事を躊躇っていた、自分自身の卑小さを浮き彫りにさせた。

 今度は、省吾が返さなければならない。

「あの、よ」

 遠慮がちに声をかけると、舞の大きな瞳が見つめ返してきた。

「もし、何かあれば……」

 舞の瞳を見る事は叶わず、視線は宙を漂ってしまったが。舞はくすりと笑って

「真田さんって、本当に義理固いんですね。でも、私に計らうことなんてありませよ。あなたは私を守ってくれた。それで十分です」

 平静さを取り戻したのか、舞の声は落ち着いていた。やや上目遣いに省吾を見上げた。

「でも、あなたが本当に守りたいものは、他にあるのでは?」

 そういうと、舞は踵を返した。ウェーブがかかった栗色の髪が、ふわりとなびいた。

「守りたいものがあるなら、目を離しちゃダメですよ。まだチャンスはあります」

「チャンス?」

 そう訊き返すが、それ以上舞は何もいわなかった。さっさと自室に――二階の右端だ――引き上げて行った。ちなみにそこは、省吾の部屋の直ぐ下である。そこなら、万が一のことがあっても駆けつけられる、とは思うが

(一応、護衛をつけるか)

 もちろん、その護衛というのは『OROCHI』の人間であるわけだが。頼めば『STHINGER』からも、護衛を出してもらうことは可能であろう。  

 時刻は18時であった。すでに、夕闇が包んでいる。

 通りの向こうで、人影がちらつくのが見えた。それだけならば、特に関心を払うことはない。だが、その人物の髪色が鮮やかなのに、目を引いた。

 その人物の髪は、赤かった。錆のようにくすんだ赤だ。その髪色、省吾が思いつく人物は一人しかいない。

「燕?」

 呼びかけると、その人物は振向いた。

「燕じゃないか」

 まさしく、『OROCHI』を追放されたばかりの燕であった。燕はボロボロの麻の衣服に身を包んでおり、靴は履いていない。いかにも浮浪者といった風情である。頬はこけ、瞼は落ちくぼんでひどくやつれていた。目に力が、ない。

 燕は省吾の姿を認めると、その表情が恐怖に変わった。省吾が近寄ると、慌てて駆け出した。

それを追う。

「待てよ、お前今まで何やってたんだ? 何で逃げるんだよ」

 逃げる背中に怒鳴るが、燕はもう振り向こうともしなかった。省吾が何か恐ろしいものであるかのように振舞った。必死で、逃げる。それがおそろしく速い。遂に追いつくことは叶わず、省吾は立ち止まった。

「何だあいつ」

 走り去る背中は段々小さくなってゆく。省吾は燕を見送り、ぼやいた。

どうやら、追放された後は乞食にでもなったのだろう。あれでは、もう長くないかもしれない――その時は、そう思っていた。だから、その時燕の手に握られていたもの、そこまで注意を払うことは、なかった。


 《南辺》から《西辺》へ――雪久率いる一番隊は、夕刻に動いた。

 《西辺》第6ブロック。《南辺》との境界にあたる。『黄龍』の息がかかったクラブ、売春窟が軒を連ね、色街の様相を呈している。“Xanadu”ほどの稼ぎは無いが、『黄龍』の重要な資金源となっていた。

 ネオンライトの光は目立つ――彰はそういって、『OROCHI』の看板でもある真紅のジャケットを脱ぐよう、組員に伝達していた。赤系統の衣服は、暗闇では目立たない。だが一旦光の下に晒されれば、自らの存在を主張するマーカーとなる。もっとも、ジャケットの色を赤としたのも、存在の主張、そのものが目的であった。赤は警告色、下手に手を出せば血の色に染める、と《南辺》中のギャングスタにアピールし続け、事実そうしてきた。  

 だが、いざ敵地に入ればそんな主張は命を縮めるだけだ。彰の提案は、一部の者には受け入れられた。一番隊には『OROCHI』の人間は4人いるが、そのうち3人はジャケットを脱ぎ、ごく普通の、難民が纏う様な襤褸を身につけていた。

 が、あえてジャケットを脱がない人間がいた。雪久である。

「こいつは、俺らの看板だからな。そう簡単にゃ捨てられねえよ」

 ビルの屋上から、下界を臨む。眼下には、『黄龍』系統のクラブ“キンサシャ”のネオン看板が煌いていた。肩に引っ掛けたジャケットが、底冷えする東風にはためく。左眼は、既に紅い光を帯びていた。

「それが命とりに、ならなければ良いがな」

 後ろにいる女がいった。コルトのライフルを肩から提げて、銃口が鈍い色を放っている。

「俺を誰だと思ってんだ、ケイ・ツィー・ロウ」

 雪久がいうに、ケイ・ツィー・ロウと呼ばれた女は、紺碧の眼を鋭くさせた。黒い髪にはブロンドが混じり、白い肌と鼻筋の通った顔立ちは、西洋風である。香港から来たというこの女は、成海ではあまり歓迎されない混血であった。戦後すぐに、内地へと流れ着き、そこでレイチェルに拾われたと聞く。化外の者の血が混ざったものに対しては、この国の人間は驚くほど冷たい。迫害や虐待、男は見せしめにされ、女は辱められる。そういう末路を辿るしかない。ケイ自身もそうなりかけていたところを、レイチェルに救われた。だから、レイチェルに対しては命を捧げても良いと考えている、ということだ。

 もっとも、雪久にとってはどうでも良い事、であった。人の過去に興味はない、特に難民の話などは。ケイ・ツィー・ロウがどれほど苛酷な道を通ったのかはこの場では関係のないことだ。ケイ自身も、特に同情を引きたいわけでは無いらしく、それ以上は何も語らない。

 決行時刻まで、あと10分といったところだ。屋上の縁に足をかけ、身を乗り出した。

「元仲間を襲うのは気が進まないか、ケイ・ツィー・ロウ」

 振向くことなくケイに問う。ビルの下では、白人と思われる男に娼婦が手招きしていた。男は娼婦の手を面倒くさそうに振り払っている。

「ついこの間まで、あんたもあそこにいたんだろう。変な情とか感じていたりするなら」

「そのようなことはない。あまり見くびらないでもらいたい」

 短くケイがいった。

「私の主君はレイチェル大人唯一人だ。他のものなど」

「主君か」

 嘲笑めいて雪久は吐き捨てた。脳裏に、宮元梁を「主君」とのたまい死んでいった、ベトナム人の顔が浮かんだ。梁のために、己を犠牲にし、殺されて――

 くだらねえ。

 口の中で呟いて、それは風の音にかき消えた。睥睨する視線はそのままに、携帯電話に耳をつけ、

「そっちはどうだ、シンサック」

 別の所で待機している、タイ人のムアン・シンサックに電話をかけた。受話口から、シンサックの間延びした声が聞こえた。

『問題ねえさ、まあちゃんと動けばいいんだがね』

「彰の傑作品だ、心配ない」

 雪久は電話を切った。そして振向く。

「ケイ・ツィー・ロウ、この街で主なんて求めるものじゃあねえぜ」

 背中からマシェットナイフを二本抜いた。両手に提げ、黒光りする刀身を翳してみせた。どういうことだ、とケイが訊く。雪久が口を開き掛けたその時、下界の“キンサシャ”から爆音が響いた。

「おっと、始まった」

 クラブの窓から、黒煙が上がっている。もう一度、裏手から火球が爆ぜた。先ほどの娼婦が炎の中に呑み込まれた。火炎があっという間に体を焼きつくし、消し炭になる。

 やがて“キンサシャ”以外からも火の手が上がった。東に1キロ、さらに南西3キロ先、同時に爆ぜる。炎が天を焦がし、ネオンよりも毒々しい、朱色の光で夜を焚く。

 一般客がクラブから逃げ出してくるのが見えた。巣穴を壊され慌てふためく、蟻のようだと思った。それらに混ざり、黄を身につけた雑兵たちが飛び出してきた。ライフルやショットガンを携えている。

「ケイ・ツィー・ロウ」

 叫ぶと共に、ケイのカービン銃が火を噴いた。直下の敵に向けて鉛の一塊を浴びせる。ダットサイトを覗き、三点バーストで正確に撃ち抜いた。

 隣のビルからは、クロスボウのステンレス矢が射出される。『STHINGER』の射手アーチャーは次々に、雑兵たちの頭を射抜いていった。熱っせられた鉛とは対象的に、鉄の冷たさをそのまま表すかのように静かな射であった。銃弾と矢、2つが織り交ざり、鋭角の雨を降らせた。

「じゃあよ」

 雪久は屈みこみ、二本のマシェットを交差させた。

「あんた、姉御を主といったな。自分の全てを投げ出して、レイチェル・リーに従う覚悟でもあるのか?」

 ケイは射撃の手を緩めず、

「それのどこに問題がある」

「別に。ただ、主となるものを、他所に求める奴の気がしれないからさ」

「そうか」

 ケイは射撃を止め、弾倉を再装填した。空の弾倉が地面に落ち、乾いた音を立てて転がる頃には、もう次ぎの獲物を撃ち抜いていた。

「なら、お前には主はいないと」

「俺は俺だかんな、それにこの街じゃ誰が主であるか、問題じゃない。強いて言えば、俺が主であって――」

「なるほど、道理で上手いわけだ。他を従わせるのが」

 ダットサイトを覗きこんだままケイがいった。射撃の度に銃口が跳ね上がり、発射炎マズルフラッシュが整いすぎた横顔を照らした。

「連中にしたって、俺が主なんて思っちゃいねえさ」

 雪久は息を吸い込んだ。マシェットナイフを握りこむと、汗が柄に巻いたコードに滲んだ。脚に力を、溜め込む。

「援護しろ」

 いうと、雪久はビルの上から身を投じた。焼けた空気が口の中に飛び込んで、肺を満たした。体中が焦げそうな熱気を浴びながら、ビルの壁面に足を掛けた。

 跳梁。

 通りの雑兵たちが射撃する。『千里眼』が弾道を読んだ。赤い筋として映されるそれは、直線に近い放物線を描いている。その道筋をトレースするように、銃弾が飛来した。

 着地とともに、マシェットを水平に斬った。銃弾を弾き、弾かれた鉛は頭上のネオン看板に当たった。ヒステリックに爆ぜる火花を後方に、雪久は飛び込む。それに合わせて、前方で銃撃の花が幾つも咲いた。銃弾を弾き、または射線を避け、火の雨を掻い潜った。

 最初の犠牲は、少年だった。最前列にいた12,3歳ほどの子供の首に、右の刃をあてがった。跳ね飛ばす刹那、少年は恐怖に歪んだ表情を見せた。

 水平に降りぬく。血の柱が昇った。それを目の当たりにした雑兵たちに、恐怖が伝播した。雪久は足を止めず、マシェットを交差し、身ごと回転させた。左刀が長髪の男の顔を斬り、返す刀で頭蓋を断ち割る。顔面が歪み、砕けた骨の合間からピンク色の組織が流れ出る。さらに右の刀を突き刺して、臓物を抉り出した。火薬の匂いに混じり、腐臭が立ちこめた。

「Domn it!」

 別な男が出鱈目に撃ってくる。雪久向き直り、身を低くして飛び込んだ。銃弾が頭上を掠め、髪を焼く。熱が肌をなぞり、銃弾が唸るのを直に聞いた。

 間合いに踏み込む。右に持ったナイフ、肩に叩きこんだ。胸元まで一気に斬り下ろし、鎖骨とあばらを寸断した。皮膚がめくれて臓器が露になり、背骨を断つ寸前で刃が止まる。斬られた男は、眼球が飛び出さんほどに大きく見開いて、一言も発することなくこと切れた。

 背後に目を配る。

 大型のカノンを肩に担ぐ男が映った。戦時に使われた、対戦車無反動砲だ。トリガーが引かれ、砲弾が吐き出された。着弾するコンマ何秒か早く、雪久は飛んだ。

 白色めいた閃光が突き刺さり、脳髄を揺さぶる轟音が響いた。炎が包み、酸素を求めるように一気に燃え上がった。

 男は仕留めたと思ったのだろう――してやったりというように、顔が緩んだ。だが、その笑みが凍りつくのに時間は要らなかった。

 雪久は空を駆っていた。通りに突き出した看板を足がかりに、天高くかけ上がったのだ。黒煙が切れた瞬間、男の頭上遥かで対峙する。『千里眼』が映し出す男の顔は、血の気を失った青いものとなっていた。

 左のマシェットを放った。刃は回転しながら飛び、男の顔面に突き立つ。額貫き、間脳を深く抉った2秒後、男が仰向けに頽れた。最後の瞬間、反射的に男の指が動き、カノンのトリガーが引かれた。天頂に砲弾が放たれ、それは放物線を描いてストリートに回帰した。

 着弾、暴爆、紅蓮に染まる、世界。  

 轟々たるナトリウムの炎が、同心円状に広がった。劈く衝撃がネオンライトを弾き、膨れ上がった熱量が覆いつくす。酸素を燃やし、舐める炎の舌が、水分を奪い取る。避けることも出来ず、雑兵たちは一瞬にして消し炭と化した。

 焦土の中に、雪久は降り立った。火の粉が粉雪のように舞い、灼熱の風が吹き抜けた。指先と首筋の皮膚が乾き、ささくれる。雪久は死体に刺さったままのマシェットをとった。柄に巻いたコードは焼け落ち、燃える鉄が剥き出しとなっている。皮膚に直に当たり、焼け爛れるのも構わず、ナイフを引き抜いた。

「随分、派手にやるものだ」

 ケイ・ツィー・ロウが、炭の死体を踏みそうになりながらビルから出てきた。カービンの銃口を下に向けて、銃身はぶれない。ただのギャングは、そんな風には持たない。

「ジャケットを脱ぐ必要はなかったぜ、見ろよ」

 雪久はマシェットを左肩に担いだ。『千里眼』の発動は、解いている。

「この《西辺》、俺らの色で染めてやった」

「炎は赤よりも黄を、多く含む」

 と、ケイは弾倉を交換した。ボルトを引いて装填する。薬室に弾が込められるのを確認すると、

「その眼、どんな弾筋も読むのか?」

「大概のものはな。それがどうした」

「ならば」

 いきなり、銃を構えた。照準は、雪久を狙っている。

「この距離でもか?」

 ダットサイトを覗き、ケイは深く息を吸い込んだ。定めた銃口は微動だにせず、ぴたりと雪久の心臓につけている。

「やろう、ってのか」

 雪久は特に身構えることなく、ただ左の眼だけを赤くさせた。血の池めいた鮮烈な紅を放ち、薄く笑みを浮かべる。ケイは引き金に掛けた指を、ゆっくりと引き絞り――

 突然、銃口を右に振った。発砲する。と、銃弾は雪久の背後にいた雑兵に当たった。喉を抉り、黒い血を吐いてその男は倒れた。

「後ろが留守だぞ、『千里眼クレヤヴォヤンス』」

 ケイは銃を下ろした。

「今のを目の当たりにすれば、刃向かう気力などないさ。力を抑えられぬ子供ほど、厄介な相手は無い」

「子供?」

「レイチェル大人が手こずったわけだ。己を省みないものほど、強いものはない。もっとも、その強さというのも、所詮は借り物」

「それは、俺の眼のこと言ってんか?」

 ケイ・ツィー・ロウが口を開きかけたとき、再び銃撃が襲った。雪久とケイは背中を合わせ、兵に対した。

「あとで聞く。答え用意しとけ」

 雪久がいうのへ、ケイは首を振った。

「それは自分で見つけることだな」

 ライフル弾の連射音を耳にした。雪久はナイフを掲げ、群集に突っ込む。ケイは四方に向けて 発砲、火炎を散らした。


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