第十一章:2
省吾は“焔月”を差し出した。舞は刀を受け取り
「お役に立てましたか?」
「ああ」
“焔月”の刀身は血を拭い、油を差してあった。最低限の手入れはしたものの、いずれは研ぎに出さなければなるまい。その旨を伝えると、舞は少し刃を抜き、刀身の痛み具合を見て
「それでも、殆ど刃がこぼれていませんね」
「余程、丈夫なのか」
「それだけではないですよ。真田さんの腕が良い、ということもあります。どんな名刀でも、使い手次第で変わると聞きました」
そう、使い手次第なのだ。素人が振り回せば、刃筋の立たない滅茶苦茶な剣筋になる。そうなれば、刃は簡単に欠けてしまう。手の内が出来ていなければ、骨まで寸断できずに肉に食い込んでしまう。達人ならば、脂が巻かぬように斬ることも可能なのだ。
だが、省吾は“達人”などではない。それは、自分自身が一番よく知っていた。目立たないとはいえ、切っ先がわずかにこぼれていた。力任せに斬ると、そうなる。
(俺も、まだまだか)
成長した、と思っていたがそうでもない。いつまでも同じ所で足踏みしている。それでも、足掻いた分少しはマシになっているのだろうか。
とりあえず、二人は廊下に出た。
「これから、どうするのですか?」
舞が訊いてくるのへ、省吾は我に返った。どうも最近、考え込むことが多い。
「とりあえず……戻るが」
報告もしなければならない。“シルクロード”と、レイチェルを襲った二人組、剣と拳の殺し屋――
「そうですか、それならば私もご一緒してもよろしいでしょうか?」
「ご一緒、とは?」
すると舞は笑顔を弾けさせて
「私も、真田さんと同じところに住むことにしました」
「同じところ、というと」
つまり、あの蟻塚みたいな共同住宅に、ということか。
「馬鹿、やめとけよあんなトコ」
「いけませんか?」
「無用心を絵に描いたようなザルだ。どこもそうだけど、あそこは特に酷い。女一人じゃなにされるか」
「でも、何かあったときにすぐに渡せる方がいいでしょう? 刀」
「それもそうかもしれないが……」
上の階で死んだ男のことを思い出していた。あの日、銃声が弾けたかと思うと血の匂いが漂っていた。死体は見なかったが、脳髄を撃たれて血の海に沈む男の姿が瞼に浮かんだ。
ヒューイの軍と衝突して以来、もはや《南辺》で省吾の事を知らぬものはいなくなった。省吾と舞のつながりを知れば、ギャングスタ共は舞をも的にかけるかもしれない。いや、もしかすれば舞そのものを狙うかもしれない。雪久の女であることが知れたら――
「どうして、わざわざあんな所に。雪久にいえば、もっと安全なところあてがってくれるだろうに」
「それは……」
と舞が口ごもった時、後ろに人の気配を感じた。
「あら、お邪魔だったかしら」
挑発めいた声が降りかかる。ユジンが廊下の向こうから歩いてくるところだった。そういえば、もう1人の功労者を忘れていた。省吾がねぎらいの言葉一つでもかけてやろうかと思った時、
「なあに、二人で何の相談? コソコソと」
「隠れていたわけじゃ、ありません……」
舞の声が微かに震えた。見ると、俯いてユジンから視線を逸らしていた。
(何だ?)
心なしか、顔から血の気が引いているようだった。凍りついたような横顔に、怯えの色が浮かぶ。それは、初めて会った時と同じ――今の舞は、あの時抱いた、脆く弱い少女そのものであった。
「どうしたんだよ」
声をかけると、舞は急に走り出した。ユジンが来た方向とは反対方向に、顔を伏せたまま。省吾は追うべきかどうか迷っていると
「何よ、嫌な感じ」
ユジンが憮然としていう。省吾は向き直って、ユジンの肩を掴んだ。
「お前、あいつに何をした」
「何もしていないわよ、別に」
「だって、あいつ明らかにお前を意識していただろう」
「何も無いってば」
ユジンは省吾の手を払いのけた。
「随分、あの子の事気にするのね。いつの間に、そんなに仲良くなったの?」
「仲良い、ってわけじゃ……ただ刀をだな」
「刀? 刀がどうしたの」
じっと見据えられ、返答に窮した。そういえば、舞との関係はなんといえばいいのか。後ろめたい関係ではないが、だからといって一言で表せるようなことでもない。いや、他の人間に伝えるならば、適当な事をいえば良かっただろうが。
「……なんでも無い」
ただ、ユジンの詰問するような瞳に、思わず言葉を呑み込んでいた。返答次第でどうとでも変わる、そんな気がした。
「何で睨むんだよ」
「睨んでないわよ」
「睨んでるって。何が気に食わないんだ。お前、最近おかしいぞ」
「何が最近、よ。たまにしか来ないくせに。それより……」
ユジンが、顔を近づけた。不意討ちを食らったみたいに、心臓が跳ね上がった。
「な、何だよ」
「怪我、しているね」
すっと手を伸ばし、省吾のこめかみに触れた。そこは2日前に弾が掠めたところだ。応急手当はしたが、火傷の痕はなかなか消えない。
「大した事はない」
「そう。でも、どうして私達と戦う気になったの? 一歩退いたところから見ていたあなたが。何がそうさせたの?」
「別に」
ついと顔を背け、壁に視線を向けた。理由ならある。ただ、それをユジンにいうことが正しい選択とは思えなかった。舞の姿に触発された、そんなことを口にしたらこいつはきっと厭な顔をするだろう、と。確信めいたものがあった。
省吾が黙っているのへ、ユジンは手を下ろした。
「まあいいわ。それより、彰が呼んでいる」
「彰が、何故」
「ミーティングだって。『STHINGER』も呼ばれているから、今後の作戦行動についてじゃない?」
倉庫の中に、『OROCHI』や『STHINGER』、それにレイチェルの側近たちが集められた。
「作戦のために、いくつかの組に分かれてもらう」
彰がいうと、集団がざわついた。彰は咳払いをして
「尚、この組み分けは戦力の偏りがないよう、三組織から満遍なく選出した。つまり、1週間まで敵だった人間とも組むことにもなる」
ざわめきが大きくなった。最前列にいた、『STHINGER』の少年が
「そんなんで足並みが揃うものか?」
「当然、揃えてもらわなければ困る。できなければ、ヒューイの軍にやられて終いだ」
なかなかにシビアな事をいう。この際個人間の恨みや利害は捨てよ、ということだ。
(簡単にいってくれるな……)
殺された『STHINGER』の幹部とやらが、どれほどのものかは知らない。ただ、中には『OROCHI』に対して憎悪を抱いているものもいるだろう。鉄鬼や扈蝶にしても、雪久に対しては善い感情を抱いているかといえば、疑問だ。
「組み分けを発表する」
彰が告げ、前方に張り出された。
一番隊
筆頭:和馬雪久(『OROCHI』)
チャン・ジュング(STHINGER』)
陳郭青(『STHINGER』)
李燐影(『STHINGER』)
白嶺(『OROCHI』)
魁炎(『STHINGER』)
猛桂成(『OROCHI』)
ムアン・シンサック(『OROCHI』)
ケイ・ツィー・ロウ(『黄龍』)
リ・イェン(『STHINGER』)
二番隊
筆頭:レイチェル・リー(『黄龍』)
九路彰(『OROCHI』)
扈蝶(『黄龍』)
黄憲彬(『OROCHI』)
毛昌新(『STHINGER』)
リーシェン・ルウ(『OROCHI』)
韓留賢(『OROCHI』)
周錦(『STHINGER』)
カイ・クラーク(『黄龍』)
コウ・クラガ(『STHINGER』)
三番隊
筆頭:金(『STHINGER』)
真田省吾
連(『STHINGER』)
リーマス・チェン(『黄龍』)
イ・ヨウ(『OROCHI)
漢慶(『STHINGER』)
九龍(『STHINGER』)
文学順(『STHINGER』)
シェン・セーウン(『OROCHI』)
ホアン・リー(『黄龍』)
四番隊
筆頭:朴留陣(『OROCHI』)
ローエン・リュー・シオン(『黄龍』)
パークリック・ムアン(『OROCHI』)
飛月(『STHINGER』)
ソム・レイ(『STHINGER』)
クォン・ソンギ(『STHINGER』)
温明蘭(『STHINGER』)
イ・ミンソク(『STHINGER』)
星周涯(『OROCHI』)
玲南(『STHINGER』)
五番隊
筆頭:柳星紫(『STHINGER』)
ラーグ・ブンサワン(『OROCHI』)
仁麗(『STHINGER』)
王小平(『OROCHI』)
紅海燕(『STHINGER』)
トニー・檀(『黄龍』)
ディエン・ジン(『OROCHI』)
李尚琶(STHINGER)
林信健(『STHINGER』)
虞水晶(『STHINGER』)
省吾の所だけ空白であった。つまりは、所属なしということである。
「動けるやつだけ、配置した。あと、残りの人間は後方支援、及びアジトの防衛についてもらう」
ざわめきが収まるのを待って、彰が告げた。
「何で、俺が『千里眼』と龍の大将より下、なんだ?」
三番隊をあてがわれた金が、不満そうにいった。
「上とか下とかは関係ない。この番号は、あくまでも便宜的なものだ」
「でも三番って……」
「一番隊だからといって、戦力が一番あるというわけでもないし、五番隊だからといって最低というわけではない。ついでに、後方支援組が全体より劣るというわけでは決して無い。その辺、理解するように」
金はまだ、何か言いたげであった。だが彰の口調は、もうそれ以上の文句は受け付けないというような、強いものであった。今日の彰は、妙な迫力を醸している。その無言の圧力を金は感じ取ったのか、黙った。
「ねえ、彰」
今度は、後列にいたユジンが発した。
「何で私がこの女と組まなければならないの?」
「こっちだって願い下げだよ」
この女、と呼ばれた金髪の少女が憮然としたようにいった。
「あの二人、一度立ちあっているんです」
リーシェンが、省吾に耳打ちした。ちなみに、リーシェンのフルネームは初めて見た。
「人質にして、燕と交換したんだったか? んであいつは追放されて」
省吾が声を潜めていった。そこらの経緯は、あらかた訊いていた。リーシェンは首肯して
「追放で済んだから良かったですが、燕、殺されてたかも。それで、あの玲南って女残ったというのも、納得がいかないです」
「それは、その組織の考えだ。あいつ――玲南といったか、金が必要としていたから残したんだろう。逆に燕は、雪久に必要とされなくなった。それだけだ」
リーシェンは顔を曇らせた。その様子からして、きっと省吾には別の答えを期待していたのだろう。追放するべきではなかった、チャンスを与えるべきだった、とか。しかし、これは本心である。
(俺は所詮、『無所属』だしな)
省吾が口出す、問題ではない。
列を挟んで、ユジンと彰、玲南が言い争いをしていた。納得いかない、どうしてこんな奴と組ませるの。これは戦力分析に基づいている、文句をいうな。ふざけんな、あたしがこいつに何をされたか知ってんだろう。私だってごめんよ――二人して彰を責め立てるが、彰は組み合わせを変える気はないらしい。結局、押し切られていた。文句いって変えられるものだったら、省吾だって変えて欲しいくらいだ。同じ隊には、省吾にとって因縁深い連がいる。無口で、殆ど喋らない。一度組んだとはいえ、まだ良く分からない奴だ。いつもフードで顔を、隠している。
息をついた。