第十一章:1
「本気で殺されるかと思ったぞ」
とレイチェルがいうと、雪久は笑って
「そりゃあ、姉御を相手にするんだ。本気でやらにゃ、俺の方が危ない」
「ショットガンをぶっ放してまでか? 最初から殺す気だったんじゃないのか」
「ありゃあ、ゴム弾だ。もっとも、実弾だったとしても悠々打ち返してたんだろうがな『飛天夜叉』さんは」
「簡単にいうな」
とこぼし、しかしどこか楽しげである。
最初の衝突から2日、経っていた。レイチェルや、『黄龍』の中でもレイチェル寄りであった人間は《南辺》に引き上げ、『OROCHI』のアジトに身を寄せている。『STHINGER』の射手は既に戻っていた。
レイチェルはというと、医務室のベッドに腰掛けて包帯を交換している最中であった。雪久に刺された太股に、丁寧に巻いてゆく。ジーンズを脱ぎ捨て、下はショーツ一枚という格好であった。引き締まった、形のいい脚をむき出しにして、肌の白さが目に眩しい。省吾はそれを、まともに見る事ができない。そんな省吾を見て、レイチェルがからかうようにいった。
「何を赤くなっているんだ、『疵面』」
「別に……」
なるべくレイチェルの方から視線を外すよう、心がける。レイチェルは特に気にする風でもなく、涼しい顔をしていた。雪久も同様だ。変に装うこともせず、また動揺することもない。互いの目を気にすることなど、この2人の間では最初からないのだろう。
それは信頼、なのだろうか。敵対しつつ認め合い、手を組むときはそれが当たり前であるかのように協力し合う。はじめから憎みあっているのならば、こうスムーズにはいかないだろう。それは2人が、互いに信頼しあっているという証左に他ならない。
レイチェルは包帯を巻く手を止めた。
「それで、雪久。何が目的だ?」
「目的とは?」
「とぼけるなよ、お前は何を思って私に助太刀を? ヒューイを裏切ったお前がか。何を考えている」
雪久は頭を掻いて、首を鳴らしながら
「ま、大方あんたが思っているとおりさ、姉御」
レイチェルはズボンを穿いていった。
「“シルクロード”か」
雪久は黙って首肯した。
「何だ、それは」
省吾が問うと、レイチェルは肩を竦めてみせた。
「この街の銃火器は、基本的には難民共には回らない仕組みになっている。敗戦の民に武力を与えてしまえば、当然刃向かう連中が出てくるからな。ただ、世の中には抜け道というのが必ずあってだな。銃火器を非合法に仕入れる方法がある」
省吾はそこで、ハンドラーの言葉を思い出していた。この街に入ってくる武器、または機械の類の出処をつきとめる。ギャングが持てないような高級な銃、戦時中に使われた戦闘用の義肢。それらが流れてくるのが――
「“シルクロード”、我々はそう呼んでいる。詳しいことは見えぬこともあるが、ムスリム商人が築いたルートを利用している」
ムスリム――戦時中、アラブ諸国は不干渉を貫いていたため、アジア諸国からも欧米からも馴染みが薄い。かつては世界の火種であった中東は、軍事バランスの崩れた2020年以降、なりを潜めていた。
「その“シルクロード”が、『黄龍』のライフラインか?」
「彼らは、金さえ払えば白人だろうと黄色人種だろうと平等に商売する。もっとも、彼らと付き合うにはなかなかに大変でね、取引をするには信頼されている者としかしない。『黄龍』に関しては、私が出向いて武器弾薬を仕入れていた」
「その中に……機械は、あるのか?」
「さあ、私は見た事はない。何故、そんなことを聞く?」
別に、と省吾は腕を組んだ。機械がこの街に流れているのだとしたら――中東と欧米は通じているのか、とも思った。確かなことは言えないが、もしその“シルクロード”で、ビリー・R・レインの右腕にくっついていたような小型操作手が取引されているのだとしたら。
(一応は、報告する必要があるか)
考え込んでいるのが顔に出たのか、レイチェルは怪訝顔で省吾の目を覗きこんだ。
「どうした」
「ん、いやなんでも……それで、その“シルクロード”がどうしたっていうんだ」
省吾が問うに、雪久が口を挟んだ。
「だからよ、今言ったろうが。ムスリムの商人は特定の人物としか会わない。同じ『黄龍』でも、ヒューイや他の連中には絶対に売らないんだ。つまり、連中は限られた武器で戦うしかない」
「だから?」
「鈍いな、存外に」
呆れたように雪久は息を吐いた。レイチェルはベッドから腰を上げていった。
「つまり、私を引き入れればそれだけ銃器が手に入り易くなる、ということだ。確かに、補給手段としては最適だな、“シルクロード”は」
つまりは“シルクロード”の権益を手にしたいがためにレイチェルを助けたということなのか。レイチェルについた理由は、やはり情などではなかった。ひどくドライで、ビジネスライクな動機。雪久らしい、といえば雪久らしいか。
「わかっちゃいたけどねえ……」
「何だよ、その目」
雪久が睨み返してきた。
「何でもねえよ。しかし……」
ひとつ、疑問がある。省吾がそう切り出した。レイチェルが目を向けた。
「疑問とは」
「“シルクロード”がどれほどのものかは分かった。だが、取引にはあんたの顔が必要ってなら、なぜヒューイはあんたを裏切った? 武器の補給は命だろう。わざわざ自分からラインを断つような真似を……」
「それなんだがな」
レイチェルは壁に背を預け、言葉を選ぶようにいった。
「おそらく、ヒューイはまだ何か隠している。とてつもない手をな」
「何だよ、そりゃ」
「ここに来る前……つまり《西辺》でのことだが」
レイチェルは、ぽつりぽつりと話し始めた。ヒューイが雇ったであろう2人組の男女。白い衣、女の方は剣を、そして男の方は拳法を使ってきた。鉄鬼は男の方にやられ、扈蝶は女に殺されかかったと――話の内容としては、そんなところだった。
「かなり出来る。特に男の方は、八極拳の遣い手だった。鉄鬼もかなり出来るほうではあったが、まるで赤子の手を捻るように、簡単にあしらわれた」
「はあ、あいつがねえ」
後で聞いたのだが、鉄鬼はモンゴル相撲の遣い手であるということだった。あの隆々たる体躯はそういうことかと納得するが、その男――孔翔虎と呼ばれていたそうだ――はその鉄鬼を子供扱いしたというのだから。
「そいつがいるから、ヒューイはまだ余裕だってことか」
雪久が訊くと、レイチェルは首肯した。
「事実、あれから2日経つがヒューイの方は未だ動きが無い」
「そりゃ、あれほどの大敗だ。直ぐには動けないだろう」
「どうだろうな。静か過ぎて不気味なくらいだ」
いって、黙った。
白い衣の二人組――それがヒューイの切り札なのだろうか。しかし、たった二人でなにができるというのか。
「いずれにしても、楽観はできないってか」
そういう省吾に、雪久が不思議そうに
「何だ、お前にゃ関係ねえだろうが。お前は『OROCHI』じゃねえんだし」
「『OROCHI』じゃないが、既に関わってしまったからな。もう、傍観者じゃいられない」
「へえ、どういう風の吹き回しだそりゃ。俺に従う、ってわけじゃなさそうだが」
「無論だ」
と省吾は立ち上がった。
「お前には、従わない」
それは、はっきりとした拒絶であった。