第十章:15
「大分、減ったか」
「あいつら、肝が据わってねえからよ。所詮は烏合の衆。なあ、姉御」
「遠まわしな厭味をどうも」
省吾の後からレイチェルが近づいていった。
「『黄龍』ってなあ、つまりはそういうことだ。西の平定を急ぎ過ぎたから、兵隊も玉石混交、選ぶ暇もない。だから足元すくわれんだよ『飛天夜叉』」
「お前に説教をされる日が来ようとは」
レイチェルは果たして、渋面をつくって
「最初からこうするつもり、だったのか? 雪久。ならばなぜ、こんな回りくどい方法を」
多分、最初の戦いことをいっているのだろう。省吾が見たときには、二人ともボロボロの状態だった。
「確かに、ナイフを刺したり、棍で殴ったり。やりたい放題だったな」
「まあ、それが奴なりのコミュニケーション、なんだろ」
いつの間にか彰が、省吾の脇に立っていた。まったく気配というものがなかった。思わず、過剰反応してしまう。
「いつからそこにっ」
「その刀、やっぱり受け取る気になったのか?」
「こいつは借りているだけだ。あとで返す」
省吾は刀身にこびりついた血を、丁寧に拭き取った。血に濡れたまま納刀すると、鞘の中で血が固まり、抜けなくなることがある。
「それで、何を企んでいるんだ。お前も、雪久も」
解放されたばかりの鉄鬼が、レイチェルの元に駆け寄ってきた。鉄鬼は両腕が骨折しているようだった。レイチェルの前に跪き、頭を垂れた。忠義の塊みたいな男だ。
「いい光景じゃないか」
それを見て、微笑みながら彰がいった。
「俺たちだってさ、鬼じゃないからさ。やっぱり、世話になった人を裏切ることはできないだろう? 鉄鬼さんにも、随分良くしてもらったものさ。昔は」
「ほーう、ならば雪久は、義理とか恩義とか、そういうもんのためにヒューイと手を組む振りをして、裏では『STINGER』と結託したということか?」
「そうだといったら?」
「見えねえ。つき合いは短いが、情で動くような奴じゃないだろう。あいつ」
その瞬間、彰の柔和だった目つきが若干の鋭さを増した。笑みを崩さず、しかし眼鏡の奥に、じっと監視するような視線を垣間見た。
「どうして、そう思う?」
「あの兄妹を救ったのだって、昔の仲間だからって理由か? そうじゃないだろう。『牙』を手中に収め、妹は妹で自分のものにしたいってだけ。半分は手に入らなかったものの、もう半分はしっかり引き入れた。おまけに今回のこと、『STINGER』との同盟を成立させたとなりゃあ……」
「まいったね、全く」
特に否定もせず、彰は頭を振った。
「あまり、他の奴らにはいわないでくれよ。士気が下がる要因になる。こういう物語が、時には必要なんだよ」
「別にいわないさ。それと、俺が気づいたわけじゃない。これはあいつが――」
首筋が、ちりと焼きつくような違和感を受けた。
途端、背筋がささくれ、全身の血が一気に駆ける衝動がする。身震いするよな殺気が、した。
細胞が圧縮される感覚。いやな予感が、した。
(まだ誰かいるっ)
省吾は周囲に目を配った。こういう予感は、今まで外れたことがない。敵意や殺意を嗅ぎわける嗅覚は、生きていく上で必須だったから。知らず知らずのうちに、そういう能力を身につけていた。
だから、この不穏な空気も、わかる。
「わかるか、この空気」
「お前ほどじゃないけど、何となく」
彰は声をひそめ、銃の撃鉄を起こした。
「まだあきらめ切れない連中がいる、みたいだな」
だが、回りには人影はない。すでに、『黄龍』の雑兵たちは敗走し、周囲には『OROCHI』と『STINGER』の人間しかいなかった。
いや、本当にそうか。
見える範囲にいないというだけだ。この《西辺》の第1ブロック、隠れる場所には事欠かない。まだどこかに敵が潜んでいるということはないか。
どこに、それはいるのか。
「おう、彰、省吾。そろそろ引き上げんぞ」
雪久がのんびりと近づいてくる。
「とりあえず、今後のことをだなぁ」
その時。
銃声が甲高く、鳴った。
雪久の頭が殴られたように弾かれた。大きく体が傾き、ゆったりとした動きで倒れこむ。その一部始終を目にして、ようやく省吾は理解した。
「狙撃だ、伏せろ!」
省吾が怒鳴ると同時に、各自が一斉に地面に伏した。あるものは遮蔽物に身を隠し、あるものは溝に転がり込み。主を守るために自ら盾になるものや、倒れこんだ雪久のもとに駆け寄るもの――というか、駆け寄ったのはユジンだった。
「雪久!」
血相を変えて撃たれたばかりの雪久の下へ走るも、また銃声が響く。今度はユジンの足元に突き刺さった。不意をつかれてユジンは転んだ。
「馬鹿野郎、伏せろっていってんだ。身を晒すんじゃねえ」
「だって、雪久が……」
警告も聞かず、ユジンは身を起こした。その頭上すれすれを銃弾が掠めた。
「くそ、まどろっこしい」
省吾は刀を背中側に回すと、匍匐前進でユジンに近づいた。とにかく、狙撃されているときは絶対に体の前面をさらしてはならないものなのだ。地を這うのは慣れたもので、昔から散々やらされてきた。今では歩く速度とほぼ変わらない速さで移動できる。
たどり着いたとき、ユジンは軽くパニックを起こしていた。もう、銃弾がどうこうと気にもしておらず、省吾が抑えていなければそのまま雪久の下まで走ってゆきそうな勢いだ。雪久が撃たれた、助けにいかなきゃ、お願いだから離して――当然、離すわけにはいかない。頭をもたげれば、格好の的だ。
ユジンの顔を両手で挟み、無理やりに顔を向けさせた。
「落ち着け! お前まで死ぬぞ」
「だって雪久が……」
まだいってやがる――いっぺん、殴ってやろうか。
「いいから大人しく退避しろ。下手に騒ぐと全滅――」
また銃声。今度は随分遠くでした。左のほうで誰かが撃たれたのか、短い断末魔の叫びが聞こえた。
まだ狙っている。
「来い」
ユジンの腕を引っ張って、近くの側溝に退避した。とにかく、身を隠さなければ。
「彰、どこから撃たれてる?」
体ごと溝にはまって省吾がいった。腰の辺りまで汚水に浸かった。煮野菜の臭いだ、鼻にくる。
「どこからか……これだけ隠れる場所があればなあ。限定するのは難しいよ」
数メートル先で彰が答えた。半分ぼやくような声で。
「満月が照っているとはいえ、夜ともなると……」
ピンポイントで雪久を狙った。腕はなかなか、地の利を生かした戦術。単にスコープを覗いて、照準を合わせているわけではない。それなりの訓練を受けた、おそらくは傭兵上がりかなにかの――
乾いた銃声がして、一人分の悲鳴が上がった。確実に頭を射抜く射撃だ。
「いい腕してんな、うちにスカウトしたいぐれーだ」
省吾の隣に、金が転がり込んできた。
「石弓と銃じゃ、勝手が違うだろうよ」
「いやあ、弩ってなあもともと狙撃に適しているんさ。ちょっと使い方を覚えれば」
「つくづく、憎たらしいほど余裕かましてくれんな大ボケ野郎。今この状況をどうするかが先だろう」
ユジンといいこいつといい――段々といら立ってくる。終いにゃ切れるぞ、俺だって……などと思っていると、金が携帯端末を突き付けた。
「なんだよ」
「たった今、射手部隊に連絡を取った。周囲のビルを掃討するように、ってな。あの中のどこかに潜んでいるなら、燻り出すまでだ」
「そりゃ結構だが、発見までどのくらい時間がかかる?」
「そうさなあ、あのビル全部を探すんなら……」
そんなことを話している間にも、発砲音が響く。レイチェルのいる辺りで、誰かがやられた。狙撃というものは、敵方の司令を最初に狙う。そうすることで、敵に心理的動揺を与えるのだ。その意味では、最初の攻撃は理にかなっている。『OROCHI』が雪久の一枚看板であることを鑑みれば、雪久一人を潰せばあとは容易い。
あとはレイチェル、金を殺しにかかるだろう。そうすれば、向こうは心理的に優位に立てるというもの。
(まずいな)
早く仕留めなければ。気ばかり急いていた。射手たちが捜索しているといっても、確かビルのほうにはいくらも人が残っていなかったような――
そこで、あることに気づいた。
「ユジン」
省吾は傍らでうずくまるユジンに声をかけた。
「お前の銃、暗視スコープが付いているだろう。それで索敵しろ」
「えっと……これで?」
と、ユジンはAK小銃をとった。
「そうだ。それで、敵の位置を端末で報せるんだ」
「逆にやられる可能性もあるぜ」
と金がいう。
「もし、狙われているとなれば真っ先にこの穣ちゃんを撃つだろう。わざわざ獲物を晒すようなものだ」
「だが、このままでは」
「やる」
不意に、ユジンがいった。
「どうすればいい、省吾。私は何を、すれば」
すっかり平静さを取り戻したユジンが訊いてくる。決意した目だ。それも、雪久のため、なのか。
「端末で逐一知らせるんだ。その間、俺が回り込んでビル内を掃討する」
「お前ひとりでか?」
金が横から口を出した。
「ひとり……じゃあ、心許ないか。誰か銃を持っている奴がいい」
ぐるっと見回すが、周りにはほとんど人が残っていなかった。皆、散り散りになってしまったようだ。
「俺がいこうか?」
彰が声をかけるが、省吾は黙って首を振った。不発とはいえ、雪久が撃たれて兵たちに動揺が拡がっている。この上、彰まで何かあれば組織そのものが崩壊しかねない。それだけは避けなければなるまい。
そこまで考えて、ふと違和感を覚えた。何故自分がそんなことを気にするのか、ということ。『OROCHI』がどうなるかとか、どうしてそんなことを思うのだろうか。自分は別に、『OROCHI』の人間じゃないというのに。
「俺が行こう」
背後から声がするのに、思考を断ち切った。赤いメッシュの髪が目に飛び込むに、その名を呼んだ。
「韓留賢か」
韓は、普段提げている苗刀の代わりに、コルトの小銃を肩から吊るしていた。三点バーストの騎兵銃だ。この型はもう絶版になったと思ったが。銃身に銃剣を装着していた。
「銃はあまり撃ったことないが、夜目が利くからな俺は。それなりに役立つと思うぜ」
「よし、それなら来い。あとは……」
といったとき。
「私も、よろしいでしょうか」
今度は上の方から声。女の声だ。地面に這いつくばって、匍匐で近づく者がいた。
「お前は……」
省吾が振り向くと、側溝を見下ろすようにして、その人物が笑った。長い髪、朱色の唇が目に眩しい。オレンジ色の衣服に身を包み、サーベルを二本、腰に帯びていた。
そして白梅の香り……
「えっと、誰だっけ」
「……扈蝶です」
微笑みが、一気に落胆の色に変じた。