第十章:13
「矢を番え」
と金が命じた。号令の下、『STINGER』の射手、20名余りが動いた。
弩の先端を、向ける。照準の先には『黄龍』の兵の姿があった。
放て――という声とともに、一斉射出。ステンレスの矢が、直線の軌道を描いて飛ぶ。それぞれの矢が、黄色の雑兵たちに襲いかかり、正確に射抜いた。
「第二射」
すると一同、弩の下部に備え付けられたレバーを引いた。リヴォルバーの回転部が作動して、新たな矢を装填させる。通常の弩は、一度矢を放てばまた番えなければならないが、これならば連続して射ることができる。
(考えたものだ)
省吾は刀の柄に手を添えた。
廃墟の中に、省吾たちはいた。ビルの各階層に『STINGER』の兵を配し、雪久たちが攻撃を仕掛けたと同時に、四方から矢の洗礼を浴びせる。内と外から同時に攻撃を受けて、さらに司令を下す男はいない。混乱の坩堝と化していた。
それでも、さすが『黄龍』といったところか。徐々に、まとまりを見せていた。銃弾がこちらにも飛んできて、壁に着弾する。
「長くは、もたないな」
「そこで俺らの出番だ」
金はシューズのつま先を、とんとんと地面に打ち付けた。
「まさか、武器を持たずに特攻するつもりか」
「武器ならあるさ、こいつが」
と金は、自らの脚を見せつけるように、空中に蹴りを放った。手本のようなハイキックだ、唸りすら聞こえる。
「武器ってのは、手に持つから武器じゃないさ。空手家にとっての拳、ムエタイファイターにとっての膝。テコンド使いにとっては、脚だ」
「そうかい」
武芸者というのは、皆同じようなことをいう。かつて、先生にも同じことを教わったものだ。武器とは己の肉体、手にする刀は肉体の延長であるべき。道具ではない、と。
時代錯誤な考えだろうと、その教えの通りに省吾は生きてきた。多分、金も。だからこれからもそうするまでだった。刀はただ刀として在るのではない、それを手足のように使えてこその武器だ、と。
「行くぜ、『疵面』」
金がいった。
誰にいってやがる――と省吾、鯉口を切った。こっちは機械とやりあった身だ、この程度の奴らは物の数ではない。
射手たちが第三射を撃つのと同時に、二人は物陰から飛び出した。
金が先行。走りながら、一番近くの男に飛び蹴りを浴びせた。
爪先が半円の軌道を描いた。
金のシューズが男の首に叩き込まれる。頸骨が折れ曲がり、血の泡を吹いて倒れた。それを確認することもなく、金は次の攻撃に移る。
着地と同時に、体を回転させて後ろ回し蹴り。隣にいた男の顔面に、金の靴裏が突き刺さった。顔の中央をへこませて、吹っ飛んだ。派手なシャツを着た男がSMGを腰だめに構えた。だが、男が撃つよりも先に金は、蹴った足を下ろさずにネリチャギ 、俗にいう踵落としに変化させる。踵を、男の脳天にめり込ませた。頭蓋骨が陥没して、男の体がかしぐ。
何か仕込んでいるなと思った。靴底に鉛を入れるのは喧嘩屋のよくやることだが、それにしてもそれだけの装備で銃の中に突っ込むとは。後方からの射手の援護があってこそ、そんな芸当もできるのだろう。
負けられるか。
省吾も後に続いた。膝を落とし、体の重心を下げたまま走り、狙いをつける。『黄龍』の雑兵たちは、射手の攻撃に狼狽えている。
疑念や恐れ、惑い――兵たちの心に、『虚』が生じた。心身ともに充実した『実』に満ちたものより、心に『虚』を持つものを討つのは容易い。そこに、つけ入る。
手前にいた白人男の首を、居合抜きに切り裂いた。
刃走り、剣先が頸動脈を捉える。コンマ何秒か遅れて血が噴き出した。
止まらずに、二の太刀を返す。剣は更に、速度を増し、すぐ傍にいた男の小手を斬った。拳銃の引き金に指をかけた状態で、手首が飛んだ。今度は遠方に目を向けた。左手を返し、3メートル後方の男に向けて手裏剣を打つ。悲鳴がするも、成果を確認する暇はない。再び諸手に持ち替え、走りながら誰かの喉を掻き切った。
止まれば的にされる。だから省吾は、一切足を止めることはなかった。走っては斬り、また走っては斬る。その繰り返し。ただ機械的に斬り捨てて、体の捌きで人間を駆け抜けた。返り血ひとつ、浴びない。
銃を構えるものがいれば、撃つよりも先に懐に飛び込み、斬る。間合いの外には棒手裏剣で射抜く。対峙する雑兵たちは、円く切り返す剣先や、風鳴りすら響かせる斬撃に、慄いていた。
刀と一体になったような心地がした。斬るほどに鋭さが増すような気がする。今までの長脇差とは違う、こんなにも手に馴染み、繊細かつ剛直な切れ味は省吾の予想を越えていた。その刃に呼応するかのように、体が高揚した。筋肉が躍動し、血が燃える。それでいて頭は冴え渡り、冷めた思考が次なる獲物を選別する。熱く、また冷たき呼吸が満ちてくる。
その省吾の歩を止める、声がした。
「精が出るね、省吾」
振り向くと、背後に雪久がいた。こんな時だというのに、にやついた表情を浮かべている。両の手はポケットに入れていた。
「何、お前。余裕こいてんのさ」
省吾が抗議しかけるが
「後ろ、危ねえぜ」
雪久が顎でしゃくった。見ると、黄色いバンダナを巻いた男が、今まさにククリナイフで斬りつけようとするところだった。
省吾、体を開いてそれを避けた。男はナイフを空振りさせた。
すかさず省吾は片手で刀を持ち、男の顎下に刃をつけた。
そのまま刃を滑らせて、男の顔面を刀でなぞる。と、まるでチーズでも切るみたいに抵抗もなく、男の顔の皮が剥れた。顔を失った男は、赤黒い肉を露出させ、うわ言のようなことをいって宙を掻いた。省吾、剥いだばかりの顔の皮を、剣先に引っかけた。群衆に向かって、それを突き付けた。
血が滴る、皮膚一枚。それを見た雑兵たちが、一様に慄然とした。
「殺一警百てか。一人を殺して多勢の敵に警告する。らしくないじゃん、省吾」
雪久が近づいていった。
「らしくない、とはおかしなことをいう。お前に俺の何がわかるんだ」
「は、まあ違えねえわな。ただ、お前はこういうの嫌いなのかと思ってた」
雪久は両ポケットから手を抜いた。拳を開く。手の中から、球体のものがいくつか、地面に落ちた。
それが、抉り出された敵の眼球だということに気づくのに、さほど時間は要らなかった。この男がやりそうなことだ。『千里眼』の能力に飽かせて、雑兵たちの目玉ばかりを抉っていたとは。
「えげつねえな、『千里眼』」
と、金が何かを引きずりながら来た。よく見るとそれは人間だった。死体は両の腕が折れていて、骨が肉を突き破っている。首が真後ろに向いていた。ふと、『BLUE PANTHER』との戦いで雪久が引っ張ってきた、顔のない死体を思い出した。目の前にあるものは、それよりさらに状態が悪い。
「貴様、『STINGER』の金か」
また声がする。振り向くと、レイチェル・リーが血塗れた三節棍を携えていた。
足元には頭を割られたばかりの死体が転がっている。雪久や金のように、あからさまに見せびらかすことはしないものの、やはり恐れを抱かせるには十分だったようだ。全員が獲物を引っ提げて、それを見せしめにする。そうして兵の士気を削ぐのだ。心理のベクトルを、驚懼疑惑へと向けるために。
それが、成海に棲むもののやり方だ。
「順調に、こっち側に染まりつつあるようだな、省吾」
雪久は眼球を指で弄びながら、笑いかけた。
「……クソが」
省吾は面の皮膚を投げ捨てた。薄皮が路上に貼りついて、べしゃっと嫌な音をたてた。