第十章:12
三節棍が、右手首を払った。
雪久の手にあったリヴォルバーが弾かれて、数メートル先に落ちた。雪久は銃を拾いに行こうとするが、レイチェルはそれを許さなかった。追い詰めた先、棍を撓らせて、雪久の胴を薙ぎ払った。
叩き込まれる0.5秒、肋骨砕き、臓物も押しつぶさんと唸る。
雪久、腰から伸縮性のバトンを抜き、胴の前に翳した。鉄が接触する。と、鈍い衝動がした。クロームのバトンに弾かれ、行き場を失った三節棍を引き戻した。棍を折りたたみ、離れる。
「まだそんなもの、隠していたか」
雪久の手にある特殊警棒を見ていう。雪久はバトンを左手に持ち替えた。正眼に、つける。
「そうやって、その場しのぎの攻撃ばかりではもたないぞ、雪久」
レイチェルは三節棍を首に絡めるようにして構えた。
「お前と私の決定的な違いは、そこだ。戦う術が、その左目だけのお前は、いざその目が無効となると体力や武器に頼った戦い方しかできない」
「あんたも武器使ってんだろう」
「頼るのと、使いこなすのは違う」
レイチェルは一歩、踏み込んだ。端棍を基点に水平に降り抜く。棍が、獣じみた唸りを上げた。
雪久は身をそらしながらバトンで弾いた。
レイチェルは中棍に手を添えて、雪久の足を払った。雪久が仰向けに転がるに、その顔面目掛けて鋭い打ち込みを繰り出した。
端棍が雪久の鼻を砕いた。端正な顔が歪み、初めて苦痛を露にした。顔を押さえながら立ち上がるが、その足元はおぼつかない。
「この三節棍は私の手足も同然。武器を道具として使うことしか知らない、お前には」
「説教垂れんなや」
いきなり、雪久は警棒を投げつけた。レイチェルは慌てずそれを弾き返す。
その隙に。
雪久が飛び込んだ。レイチェルの間合いに、躊躇なく踏み入れる。レイチェルの領空を侵した。
そこへレイチェル、応じる。棍を放った。 斜めに走る三連の鉄、雪久の首を穿つ。脳を揺さぶられて、よろめいた。しかし、それで崩れ落ちることなく、踏みとどまる。そしてなんと、打ち込まれたばかりの棍を掴んだ。
「貴様!」
三節棍を引っ張り、レイチェルを引き寄せた。
同時に、前蹴りを放つ。レイチェルしかし、動じない。逆に左手で蹴り足を掴み、アキレス腱をねじり上げた。そして雪久の体が崩れるのを見計らい、地面に引き倒した。
再び、棍が振り下ろされる。
鉄槌が脳髄を捉える、その刹那。雪久が拳を突き出した。
充分に勢いがついた端棍と拳が、真っ向から激突した。
果たして、弾かれたのは棍の方だった。
初めて、レイチェルの目に狼狽の色が見えた。加速された棍に対し、まさか拳で止めるとは思ってもみなかったのだろう。それが、狙いだった。体勢を低くし、雪久はタックルを繰り出した。レイチェルの腰にぶつかる。
しかし倒れない。練り上げられた体は崩れない。レイチェルはタックルを切り返し、その背に棍を振り上げようとする。
だが。それより早く、雪久はダガーナイフを引き抜いた。逆手に構え、レイチェルの太股に突き立てる。深く、刺さった。
ダメ押しとばかりに、刃を捻った。レイチェルが声を洩らした。膝が落ち、レイチェルの体が崩れた。好機とばかりに雪久は、さらに体を押し込み、足をかけた。
両者、もつれるように倒れこんだ。レイチェルが下になり、雪久が上に覆いかぶさる。馬乗りになって、レイチェルの首を押さえる。
続いて拳を、振り上げた。もうあと一言、告げれば殴りつけるという、無言の警告を発するかのように。レイチェルはしかし、薄く笑っていた。それは、力の足りぬものを嘲るようであり、また親が子の成長に目を細めているようにも見えた。 それが、雪久の思考を鈍らせた。
ふと、罪悪感が頭をよぎり、拳を振り下ろすことを躊躇わせる。
レイチェルはその隙をついて、雪久の腹に突きを叩きこんだ。直線の軌道を描く、最短距離で届く突き。だがレイチェルほどの勁を持つものならば、それだけでも凶器である。拳がめり込むに、胃がせり上がる心地がした。たまらず体を折り、唾と胃液を吐いた。その隙にレイチェルは下から這い出て、立ち上がった。
雪久も立つ。
レイチェルが跳び、間合いを詰めてくる。雪久は低く構えた。じんわりと血が滲む、痛む拳を握りしめ。
影2つ、交わる。
一体いつまでやっているんだ――と劉猛憲はしびれを切らしたようにいった。
「かれこれ1時間。何を遊んでいる、あいつら」
「言いえて妙だな」
彰はそういって、二人の戦いを眺めていた。
(獅子がじゃれあっているようだ)
と思った。本気で戦っているのはわかる。しかし、それは殺し合いの類とは思えない。攻撃を仕掛け、技をぶつける様はなにやら楽しげだった。獣がじゃれあうとき、牙や爪を突き立てることもある。それと同じことなのかもしれない。
雪久は、レイチェルのことをどう思っているのか。本当に、疎んじているのだろうか。憎々しく語る割には、時々レイチェルを称えるようなこともいう。雪久にとって、敵とはまた違うのかもしれない、レイチェル・リーという人物は。
それならば、今回のことも――
その時、彰の携帯端末が震えた。メールの着信を報せる。画面を開くと、舞からだった。
――Ready?
いつでも。
彰、コルトガバメントの撃鉄を起こした。
感傷に浸ったり、そういうことはあと回しだ。今は、やれることをやるだけ。
両手でグリップを握り、照準を劉猛憲の後頭部につける。
号砲が空間を震わせて、発射炎が一つ咲いた。
熱せられた先端が、劉猛憲の頭に吸い込まれる。肌にねじ込み、頭蓋を砕く。骨と血、分離した組織が脳漿とともに弾け飛んだ。
瞬間のことだった。頭の後ろを吹き飛ばされた劉は、悲鳴を上げることも叶わなかった。おそらく、自分が死んだことも分からなかったのだろう。膝から崩れ落ち、アスファルトにキスをした。赤黒い血を溢れさせた。
周りの人間の誰もが目を見張った。『OROCHI』、『黄龍』、レイチェルですら、予想もしえなかったことだ。
全員が全員、疑問符を顔に貼り付けている。それはそうだ、何も言ってなかったのだからな、と雪久は
「天知る地知る、我知る」
す、っと右手を上げて、厳かにいった。
「ヒューイ・ブラッドの不徳は、お天道様が許しても俺が許さない。拾ってもらった恩も忘れて主に咬みつく不忠者は俺が潰す」
いうと、ナイフを投げた。ダガーナイフは回転しながら飛び、手前にいた『黄龍』の男の額に刺さった。
「銃をとれ、隣人を撃て。黄色い奴ら、俺らの色で染め上げろ」
まだ、動揺が消えない。群衆は突然のことに、事態を飲み込めないでいるようだった。雪久は、頭をかきながら怒鳴った。
「だーかーらっ、要するにぶっ殺せっていってんだよ。早くやれ」
雪久の言葉にかぶせるように、また銃声がした。今度は群衆から大分離れたところだ。一斉に振り返る。
ユジンが、AK小銃を構えて照準を合わせていた。銃口からは煙がたなびいている。再び発砲。鉄鬼の隣にいたドイツ人が倒れた。
それを皮切りに、『OROCHI』の陣営から発砲音が、頭数分だけ鳴った。細かい、グリーンの炎が彼岸花めいて咲き、銃弾が襲いかかる。『黄龍』は背後からの攻撃に、総崩れとなった。
不協和音鳴る、その最中。レイチェルは構えを解き、雪久に訊いた。
「どういうことだ」
そういうレイチェルの顔は、やはり驚きを隠せないようだった。周囲に目を配らせて、その視覚情報を元に分析するが、それでも答えがでないらしい。撃ち合いを始めた『OROCHI』と自らの部下達と雪久の顔を見比べる。挙動不審、といったところだ。
「見ての通りだよ、姉御。ヒューイをつぶす、そのためにあんたと手を組む」
「裏切りか」
「表に返っただけだよ」
ヒューイの軍勢も、『OROCHI』に向け、反撃を開始していた。赤いジャケットは、闇夜には目立たない。散開し、瓦礫の中に紛れた。
「なぜ、私につくのだ。数の上では不利になるというのに」
「あんたのためじゃない。それよりも姉御、ここで俺を受け入れるかそれとも突っぱねるか……」
その時、二人の間を銃弾が横切った。『黄龍』の一人が、小銃を撃ってくる。うるさいハエだ、と雪久は小銃の男のもとへ走った。
こんなもの、レイチェルの三節棍に比べれば何てことはない。『千里眼』が導くままに、悠々と弾を避ける。間を詰め、小銃の先端を蹴り飛ばした。銃口が外れたのを受けて、雪久は左手をピースサイン気味に突き出した。男の眼窩に、人差し指と中指をねじ込む。男はしぼりこむみたいな悲鳴を上げた。指を二、三度、動かしたのち男の眼球を抉り出した。
血まみれの球体二つ、指に挟む。視神経が絡みつく。そいつを高々と掲げて見せた。雪久に狙いをつけていた『黄龍』の兵が、一斉に顔を青くする。恐懼の念が、群衆に伝播した。
「どうする、共闘するか? それとも……」
「調子いいこといってるな、ひよっ子が」
レイチェル、群衆の中に飛び込んだ。三節棍を最大に伸ばし、振り回す。男たちの首と頭蓋を等しく砕いた。続いて中棍に手を添えて、頭上と体側で回転さす。2本の鉄棒が正確に兵を打ち砕いた。かつて部下だった、『黄龍』の雑兵たちを。
「決まりだな」
そういうと雪久、一歩先んじた。無手のまま突っ込んだ。両の手は開き、指を折り曲げた手の形は、南拳でいうところの“虎爪”という手型である。銃弾をかいくぐり、敵の懐に潜り込むと、虎爪を顔面に押し付けた。
眼球に、指が埋まった。指の第二関節まで沈み、完全に相手の視力を奪う。指を引き抜くと、透明な液体が糸を引いた。視力を失わせるとともに、この手の攻撃は相手の戦意を失わせる。目玉を抉られた男は、顔を押えて膝をついた。そこに、レイチェルの三節棍が襲った。後頭部に端棍がめり込み、頭蓋の潰れる音がした。それを目の当たりにし、周囲を囲んでいた雑兵たちが、顔を青くして後ずさった。
「とりあえず、俺が100ばかり潰すからよ、姉御」
ゼリー状の硝子体が指から滴り落ちるに、雪久はそれを服で拭った。
「あんた、俺が潰した100人の止め、刺しなよ。久々に動き回って疲れただろうからさ、老体は楽しな」
「口の減らない」
レイチェルは三節棍を、水平に薙いだ。背後にいた男の顎を吹っ飛ばした。しめて、3人分。黄色いバンダナに血が滲み、布地を朱に変えた。後ろ向きのまま何という正確さか、とこれまた兵たちを驚かせるには十分過ぎる一撃だった。
「お前たちに後れをとるほど、衰えちゃいないさ」
「無理すんなよぉ……もうすぐ援軍がくる。それまで、あらかた片づけちまうぜ姉御」
「ふん」
両者、背中合わせになり敵に対した。互いに目配せし、銃火の中に身を投じた。