第十章:11
《南辺》から《西辺》に向かうまでの間、省吾はずっと外を眺めていた。金が運転するハマーはすこぶる乗り心地が悪い。景色でも見ていないと、酔いそうだった。
「またお前と《西辺》に向かうとはな、『疵面』」
「ああ、このボロ車。最高だよ、クソッタレ」
悪態をつくに、バックミラーに写る舞の姿を目にした。舞は何を考えているのか、じっと己の手元に視線を落として、そのまま動かない。瞑想しているように、目を伏せていた。
そうしてみると精巧な人形が鎮座しているとしか思えなかった。ときにか弱い子羊であり、脆弱で無力な、狩られる側でしかない。しかし、一たび自分のフィールドに出れば、翼をはためかせて誰よりも自由に空を駆ける。不思議な、少女だ。
今は、どっち、なのだろうか。表情は伺えないため、判別し難い。
傍らに、刀があるのを認めた。例によって紫の布に包まれている。 あの刀は、あの時のものだ――そう、確信のようなものがあった。『黄龍』と思しき連中に襲撃を受け、一度だけ使って奴らを退けた。
その後の所在は有耶無耶になったままだった。おそらく、舞が持っているのだろうとは思っていたが、何故今それを?
「着いたぜ」
金がいって、停車した。同時に、後続のトラックが停まり、中からパーカーの射手たちが降りてきた。弩を携えて身を低く保っている。
日が、落ちていた。 月がかかっている。満月だ。真白い月光が照らし、薄く影を作る。
彼らにとって、この時間はもっとも動き易い。濃紺のパーカーは存在を消し去り、音もなく放たれる矢は脅威となる。
「A班、B班は背後に回り、残りは俺についてこい。いいな」
金が指示を飛ばす。それだけで射手たちは散開した。濃紺が闇に溶け込み、音も無く消えた。
《西辺》の第1ブロックは建物が多い。廃墟や、蟻塚のような共同住宅が軒を連ね、過密な多層型構造物が、ひしめきあっている。身を隠し、敵の虚をつくにはうってつけである。
ただそれ以上に、地理的条件に左右される。こうした戦法を生かすために
「3ヶ月間、歩き回った」
と金が自慢げにいった。
「ここいらの地理も把握している、《西辺》だけじゃなく、《北辺》や《東辺》にも足を運んでな。地形や建物の構造、色々調べ回った」
「《東辺》っていうと、『マフィア』どもの」
「そう、あの辺は誰も近寄らないからな。《東辺》で戦争する時は、役立つぜ」
そんな日がいつ来るか――などと思っていると、銃声が響いてきた。奴らか、と身構えるに、金が
「いいぜ、嬢ちゃん」
舞の方を、振向いた。舞はゆるやかに歩み寄り、金の隣に立った。一言
「頼みました」
そう告げるに、金は頷いた。その顔に平素見せる弛みはなく、果たしてこの朝鮮人の目は獲物を狩る獣の気迫に満ちていた。いつの間にか拳に、強化プラスティックのプロテクターを装着している。
「じゃ、俺は行くからな。遅れをとるなよ、『疵面』」
「や、遅れって」
省吾がいうより先に、金は背を向け、あっという間に走り去っていった。相変わらず、巨体の割にはすばやい動きをする。
いや、そんなことは問題ではなく。
(遅れをとるな、だと)
それでは省吾も戦う、みたいな言い方ではないか。戦うにしても、今の武装では心許ない。それ以上に、省吾が参戦する理由など、ない。
ないはずだ。しかし、同時に何か焦燥感を感じている自分もいた。舞が同盟を実現させ、金以下『STINGER』の射手たちがこれから戦いに赴こうとしている中、自分だけがまだ何もやっていない。敵になるでも、味方になるでもなく、『黄龍』や『OROCHI』の間で揺れているだけ。
(俺は何をしているのか)
部外者なはず。省吾は関係ないはず。今までならそういって、この場で引き返すこともできた。けれどこうして随行し、金の背中を見送った後、一人取り残されたという感が拭えなかった。
「真田さん」
と舞が呼んだ。
「この戦い、どう見ますか?」
「どうって……連中を欺くために、四方からの攻撃。混乱に乗じて雪久たちが背面を攻撃する。すぐにカタはつくさ」
「そうでしょうか」
舞はそこで天を仰ぎ見た。視線の先に、煌々と照る月があった。
「今宵は満月。灯りのないこの一帯にとって、この月明かりは目立ちます。否が応にも、『STINGER』には不利に働きます」
もっともらしいことをいうが、『STINGER』だって心得ているはず。月明かりがなんだろうと、うまく隠れる術はあるだろうに。しかし、省吾はそれに反論することはなかった。
「俺に、どうしろと?」
「力を、貸してほしいのです」
舞はそういって、手に提げたそれを――紫の布に包まれた刀を両手で差し出した。
「私ができるのはここまでです。実際に刃をとり、銃火を交えることはできない。だから……」
いって、布を取り払った。
漆塗りの鞘が、月光の下に晒された。
宝飾も、金箔もない。飾り気のない黒光りする拵えは、何も纏わぬ故に美しく、存在感を放っている。その下に息づく、重厚で鋭い刃を想像した。
「どうぞこれを」
舞はそういって、刀を差し出した。恭しく、まるで家臣が主にそうするように傅いて。
「い、いやそれは……」
その刀は、省吾にとっては敗北の証でもある。彰が自分を引き入れるために工作を巡らせた、そのために使ったものだ。それを考えると
「やっぱ、受け取れない。その刀は、あんたのだし」
すると舞は微笑んでいった。
「ええ。ですからこの刀は、私が個人的にあなたにお貸しするものです」
「貸す?」
「あなたが窮地に陥ったとき、この刀が必要になったとき、私がお貸しします。貸すものですから、必ず返していただきます」
そう、語る舞の表情は
「あなたの手で。生きて帰って、私の手に戻してください。何度でも貸しますから、何度でも帰ってきてください」
怯えはなく、無邪気な子供のように笑っていた。 どうして、そんな風に笑えるのかわからなかった。ついこの間まで囚われの身であり、力を持たない、この娘が。
「しんどいな。それ」
省吾は頭を振って
「要するに、何が何でも返せってことだろう。取立てが厳しいことでよ」
ただ、そうして笑える、それが舞の強さなのだろう。幾度となく地獄を見、絶望の淵に立たされて。それでもまた、自ら修羅の道に入ろうとしている。
今までこの娘が、どれほどの辛い目を見たのか、どれほどの現実に苛まれてきたか。省吾は知らない。けれど、それでも尚、そうやって笑っていられることこそ、舞の力そのものなのかもしれない。
この少女は、きっと自分なんかよりも相当な覚悟を決めている。金も省吾も、その覚悟に、惹きつけられている。うまく乗せられているとわかっていても、敢えて乗ってみたくなる。目に見えるものではなくとも、それが、宮元舞という人間が、他を惹きつけてやまない理由なのかもしれない。
この焦燥感は、そんな舞の求めに応えたいと思う心なのだろう。惹きつけられるが故、純粋にこの少女と共に戦いたいと感じる。だからこそ、今何もしていない自分が不甲斐なく見えるのだ。それが焦りとなる。
ならば、やることは、一つしか、ない。
「借り受けた」
刀を手に取った。刃が、ずしりと重くのしかかった。それに呼応するように肌の下、筋肉がうねり、神経が昂ぶるのを感じた。あの時、一度だけ振るった刃の衝動、それを体が覚えている。
「ご武運を」
舞がいうのに、省吾は頷いた。
きっと、こんなことは合理的でない。過去の自分が見たら、そういうだろう。
「任しな」
しかし、見届けたい。この少女の力、その覚悟を。
省吾は踵を返した。翻したその先に、次なる戦場がある。刀を腰に差した。