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監獄街  作者: 俊衛門
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第十章:10

 レイチェルは一歩、足を踏み入れる。

 歩を進め、群集を睥睨した。百以上の銃口にも、まるで臆することなく、悠然と構えている。その風格、威厳、王者の如し。

 失脚したとはいえ、《西辺》をまとめ上げた、圧倒的な気迫を纏っていた。一歩、進むたび、群集は気圧されて慄く。銃を持つ手すら震えさせる、重力や質量すら伴う殺気。戦慄が、走った。

 射程に入る手前で、レイチェルは足を止めた。

「姉御、久しぶり」

 と、雪久が間の抜けた声で迎える。レイチェルは頭をもたげた。

「こういう形でまた対峙するとはね、感慨深いぜ」

「そうかい」

 と不機嫌そうにレイチェルが吐き捨てた。

「けど、この間とは逆の立場。俺が主で、あんたは従。生殺与奪は、俺にある」

「生殺与奪か、お前が私に引導を渡そうというのか?」

「俺が先にあんたを殺せば、八方撃たれて蜂の巣になることはない。きれいな体で逝きたいだろう?」 雪久はショットガンを下ろした。

「この間の続き、今度は本気のツブしあいだ」

「ほう……」

 レイチェルが低く唸って――気づけば構えを作っていた。ごく自然な弛緩体リラックス、右足を前に出した。

「俺は銃だから、あんたにも得物使わせてやる。その背中のモン、出しな」

「見抜いていたか」

 レイチェルはそういうと、背中に手を回した。ジャケットの下から、棒状の物体を出す。

 長さは二尺前後。しかし、折りたたまれたそれを広げると、やがてそれは同じ形状の棒が3つ連なったものと確認出来た。

 三節棍だ。鋼鉄製の棍が鎖でつながれている。その両端の棍を持ち、レイチェルは対した。雪久はショットガンを構えた。照準を合わせる。銃口はレイチェルの胸の位置につけていた。

 レイチェルが、一歩退く。間合いを、計っていた。雪久は、動かない。撃てば当たる距離だが、ぴたりと銃口を定めたまま微動だにしない。

 否、動けないのだ。

 そう思わせる、予感があった。レイチェルの、一分の隙もない構えから滲み出る重圧が、引き金にかけた指を鈍らせる。

膨れ上がった殺気が質量を持ち、張り詰めた空気が支配的となった。レイチェルの体が、2倍3倍にも大きく見えた。瞬き一つしないレイチェルの目が、迫ってくるようで

 気圧されたら負けだ。

 奥歯を噛み締め、震えそうな己を叱咤する。

 やおら、レイチェルが棍を、下げた。

 同時に、雪久が撃った。轟音が、瞬間に響いた。ショットガンが炎を吹いて、反動で銃身が跳ね上がった。

 レイチェルが後ろに飛んだ。そして端棍を持って、三節棍を大きく3回、振り回した。

 一瞬、巨大なプロペラか何かと、錯覚した。

 金属音が響いて、レイチェルの足元にばらばらと落ちるものがあった。散弾だ。全て、弾き返したのだ。あのタイミングで! 

 雪久、次弾を撃とうと構える。それよりも早く、レイチェルが飛び込んだ。引き金を引くよりも早く、レイチェルが横薙ぎに払う。端棍が銃身を穿ち、弾かれた。

 さらにレイチェル、中棍に手を沿えた。脳天に向けて振り下ろされる。雪久は首を傾けてやり過ごし、後ろに飛んだ。レイチェルは直ぐに構え直し、間を詰めた。 

 連結された棍を折り畳み、ためをつくって先端を放った。棍が伸長し、喉を突く。雪久はそれを銃身で防ぐ。そのまま、後ろに下がった。

「来いよ、『飛天夜叉』」

 雪久がいうに、レイチェルは三節棍を再び両手に持った。

 これが三節棍か――と雪久は唸った。実際に対峙するのは初めてだった。端棍と中棍、さらに持ち方を変える事で近距離から遠距離まで全ての間合いに対応する。鎖で連なった棍はあらゆる角度からの攻撃を可能とし、予測を超えた動きをする。『千里眼クレヤヴォヤンス』でも捉えきれない。真っ直ぐに飛ぶ銃弾の方が、どんなに楽か。

 だが、それでこそ

「やり甲斐があるわな」

 言った瞬間、またレイチェルが仕掛けた。身を屈め、間合いの内側に踏み込んだ。

 銃を撃つ。

 散弾が弾幕を張り、濃いガンスモークが視界を塞いだ。刹那、三節棍が襲う。

頭を下げ、すんでの所で直撃を避けた。脳天すれすれといったところを棍が横切り、風鳴りの音すら聞こえた。

 一歩、踏み出す。間合いが詰まった。拳の間合いだ。

 雪久は踏み込んでレイチェルに右突きを放った。

 レイチェルはその拳を受け流した。二撃目、ショットガンの銃床ストックを突き出す。 いつの間にかレイチェルは、端棍を両手に持っていた。両手に棒を持って応じる様は、棍術というよりは半棒術といった風である。2本の棒を交互に繰り出し、雪久の攻撃を全て受け流し、打ち落とした。まるで柳の葉を相手にしているように、手応えがない。

――面倒くせぇっ

 雪久、蹴りを放つ。廻し蹴り。レイチェルの右の側面を狙う。だがその動きは読まれていた。

 レイチェルは端棍で受け、手首を返して軸足を払った。棍が絡み、雪久は転倒した。

 そこへ追撃。天頂から、鉄の衝動、降ってくる。地面を転がってそれを避けた。肩に当たり、痺れた。もう一度、叩きつけられる前に飛び起き、構えた。

 発砲。

 散弾がレイチェルの胸を撃った――そう思った。だが、銃口の先にレイチェルの姿はない。霞みかなにかのように、掻き消えたように感じた。

「遅い」

 声がした。天を仰ぐ。遥か上空、レイチェルの姿があった。レイチェルは空に跳んで難を逃れていたのだ。

 逆光にレイチェルの影が映える。それにしてもなんという跳躍力か。地と足先は、2メートルには達している。これこそレイチェルが、『飛天夜叉』などと呼ばれ、恐れられた所以である。

 頭上から、鉄が降ってきた。

 最大長に伸びた三節棍が、ショットガンの銃口を払った。黒く撓う棍が空間を薙ぎ、遠心力で加速された先端が銃身を叩いた。

 衝撃が痺れとなって伝播する。銃本体が折れ曲がった。

 着地と共に、レイチェルは中棍を基点に回転させた。2つの鉄棒が暴れ、横に縦に、斜めに走った。息つく暇もない連撃。雪久は、もはや使い物にならなくなった銃を盾にし、後退しつつ捌いた。

 一見、出鱈目に振り廻しているようで狙いはかなり正確だった。棍は確実に急所に伸び、それが予想もしない角度から飛んでくる。多節棍の特徴は連結鎖による、変幻自在な攻撃。防ぐばかりでは、事態は変わらず、いずれ限界がくる。

 ならば――

「止めちまえばっ」

 機を見て、雪久は飛び込んだ。鼻先が地面につくほどの、超低空のタックル。背中と肩を強打した気がしたが、そんなことには構っていられない。

 鋼鉄の嵐を抜け、レイチェルの腰にしがみついた。

「なっ……」 

 レイチェルが声を上げた。攻撃を躱されて驚いたのか、それともいきなり抱きつかれて羞恥の念が湧いたか。もし後者なら、可愛いとこあるじゃねえか……間髪入れずにレイチェルの足に手をかけ、引き倒そうとした。

 しかし

「それで?」

 レイチェルの足は全く動かない。どんなに押しても、腰の位置を低く保ったまま、一歩も退かないのだ。巨漢というわけではない、骨格は華奢な、むしろ意外なほどに細い。抱き締めれば折れそうな、柳のような腰つきをしているにも関わらず、手応えはまるで違う。岩か巨木のような、異常に重い体。

 これは――

 レイチェルはそのまま、体をねじった。雪久は力の方向を逸らされて、前のめりにつんのめった。押していた壁が急になくなった感覚だ。レイチェルは追い討ちをかけるように雪久の尻を蹴飛ばした。

 地面にうつぶせに、転ばされる。砂を食んだ。

「その程度で崩れるほど、やわなつくりにはなっていない」

 レイチェルはそういって、手招きした。雪久は起き上がりながら、2年前のことを思い出していた。

 あの頃、梁と違い武の心得がなかった雪久に武の手ほどきをしようとしたのが、レイチェルだった。レイチェルは技の修練を行うことなく、太極拳の鍛錬法である站椿功――立禅とも呼ばれる。太極拳独特の粘りのある足腰を作るため、長時間腰を落とした状態で立ち続けるという鍛錬法。筋力ではなく、身体の中心を練り上げる、内家拳の基礎を成す修行だ。

「太極拳などの内家拳は、内功の鍛錬による武術」

 とはレイチェルの言だが、そのことを雪久は理解することができなかった。来る日も来る日も同じ姿勢をとり続けるという修行にうんざりしていた。当時はそのことに意味など見出せなかったから。

 だがこの腰の粘り強さ。

 あの時もそうだった――『BLUE PANTHER』のロシア男のタックルを、受けたときも。あれはあの男が力量不足だったわけではない、知らずに自分の身体の基礎が出来上がっていたということではないか? 毎日、站椿を練っているうちに自分の体が――レイチェルには遠く及ばないとしても――自然と練り上げられていた。だから、あの男も崩せなかった。

 図らずも、自分はレイチェルの正しさを証明していた。雪久自身の体で。

「なにを呆けている」

 雪久の動きが止まった、その隙を見計らってレイチェルが端棍を横薙ぎに払った。顔を殴打し、雪久が崩れ落ちる。膝をつくも、折れ曲がった銃身でレイチェルを打った。棍で受け止め、レイチェルは下がった。

 しんどい戦いだ、と雪久は唇を舐めた。ひしゃげたショットガンを捨て、拳銃を抜いた。

 彰の方を見やると、首を振っている。まだだ、もう少しだけ時間をかせげと、暗に伝えてきた。

「簡単にいうなよな」

 ぼやいて、銃を差し向ける。レイチェルが、間をつめてきた。

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