第二章:2
対峙する両者を、少年達が取り囲むような形になった。壁を背に、各々座ったり寄りかかったりしている。
浅黄色の作業着を脱ぎ捨て、右半身の姿勢をとる省吾。対するチョウは、左半身。省吾の前方3メートルの所に立っていた。
(ボクシング、か)
チョウの体つきを観測する。手足が長い。身長は190cm前後、といったところだろう。す らりとした、節くれだった筋肉。彼がアウトボクサーであることが分かる。
(あそこから届くのか)
一、二歩以上遠い。その場でステップを踏み、いつでも跳べる態勢を作っている。
「倭人の兄さんよお、あんたそんなやわな体でオレと闘ろうってのか」
「俺が、やわだと?」
「こう見えても、オレはベア・ナックル(素手のボクシング)のチャンピオンだ。相手をするのは皆屈強な男ばかり。あんたみたいなもやしは見たことない」
どこのチャンピオンだよ、と省吾は思ったが口には出さない。
「それはどうも。あんたこそ、気をつけな」
「何?」
「人を見かけで判断するな、ってことさ。もやしって言った、その相手にのされたら恥かくだろ?」
調子に乗るな、とチョウは低くうなった。
しばしの沈黙。均衡を破ったのはチョウだった。
後ろの、右足が地面を蹴った。その瞬間
一足飛びで省吾の目の前まで飛び込み、左ジャブを叩き込んだ。高速の拳は、うなりをあげて省吾の頬をかすめる。摩擦熱で、肌が焼けた。あわてて後ろに下がる。
逃げる省吾を、チョウはさらに追い詰めた。右フックが省吾の顔面に伸びる。なんとか左手で防御するも、その衝撃が骨に響いた。
チョウは顔面ばかり狙っていた。体の上に意識を集中させる、これはチョウの作戦だった。
スッと、身を沈めた。その瞬間、右拳を省吾の水月に叩き込んだ。
「ぐはっ……」
たまらず身をよじる。胃の内容物が口からこぼれた。
「なあ、ユジン」
闘う二人を眺めながら、雪久はユジンに話しかけた。
「なんかさっきから押されているけど、あいつ。本当に強いのか?」
「まあ、確かに強そうには見えなかったけど。でも銃持った白人を倒したのは本当よ。なんでも、祖国で武術を習ったって」
「ふーん」
頬杖をつきながら、雪久は目を細める。
「そんなに変わったとこはないけどな……」
雪久もユジンも、闘い方は全部自己流だ。彼自身、闘いなど自分のやり方でやるべきであり人に教わるものではない、型どおりに教わったら型どおりにしか闘えない、と思っている。こう来たらこう受ける、という講釈を延々受けて、いざ実戦となるとまるで役に立たないことが多い。実際にそういう人間を、雪久は何人も見てきた。
こりゃ今回もはずれかね……などとごちた、その矢先
わっとギャラリーがわいた。
チョウの、長い左が省吾の顔面に伸びる。その拳が、顔面を貫く……はずだった。
チョウの左は、むなしく空を裂いた。拳を引いた、その先に省吾の姿はない。周囲に目を走らせる。あの一瞬で、一体どこに移動したというのか。
「こっちだ」
声のするほうに振り返った。
省吾は、チョウの背後にいた。チョウが左を打つと同時に、その拳をかいくぐり、彼の体の側面を通って背後に回ったのだ。
「このや……」
あわてて省吾に右を浴びせようとしたが、時既に遅し。
省吾の右掌打が、チョウの顎に入った。いきなりの攻撃に面食らう。
続いて、チョウが差し出した右手を取った。そのまま肘を固め、後ろに押し倒すように投げる。するとチョウは、背中を地面に叩きつけられる形になった。
衝撃が、チョウの脳髄を直撃した。目の前が真っ白になったかと思うと、次の瞬間には意識が彼方へと追いやられた。
「へえ、やるじゃん」
雪久が、感嘆の声を漏らす。
「チョウがやられるとはね。どうやら武術習っていたってのは嘘じゃないってか」
「ああ」
ボクサーを相手にするのは、初めてであったが。
「なら、今度は俺と闘るか」
「はあ?」
「チョウ1人倒せば入団させてやる、なんて言ってねえぞ。最終的に判断するのは俺だからな。俺とやってもらう」
「いや、入団するなんて一言も」
「ちょっと待ってよ!」
2人の会話を、ユジンが遮った。
「もう十分じゃないの。これで省吾の力は証明されたでしょ? 雪久がそんな、わざわざ出なくっても」
「ユジン、邪魔すんなよ。難民風情に、俺がやられるわけがないだろ」
難民風情、という単語に省吾は引っかかった。
「随分とでかい口叩いてくれるな、白髪野郎。貴様に難民の何が分かるってんだよ」
「ふん、泥くせえ難民の気持ち分かるようになったら、人間やめるぜ」
はじめよう、と雪久は立ち上がった。赤い、チームのユニフォームを肩にかけて省吾の前に躍り出た。
「いいだろう、やってやるよ。そのすまし顔を潰してやる!」
「やってみなぁ……俺は強いぜ?」
ゴキゴキと指を鳴らして、笑う雪久を省吾は見た。
濁った目が、輝いていた。
「何を考えてるのよ、もう」
予想外の展開に、ユジンは憮然とした。雪久とつるむようになり、少しは彼の性格を理解していたので分かっていたつもりではあった。彼は強い者を見ると勝負したがるのである。自分より強い存在が許せない……子供みたいな理屈だ。ユジンにいわせればそれは自ら命を捨てる行為にしか見えない。
「まあ、いいんじゃないか」
隣にいたのは。
「彰」
メガネをかけた少年が、いた。細面で、切れ長の目つきがどことなく中性的な印象を受ける。
「あいつの性分なんだよ。気に入った相手には憎まれ口を叩き、面白そうなヤツは一片叩きのめさなければ気がすまない。ようは天邪鬼なんだって」
「だからって、あの2人が闘りあったらただじゃすまないよ」
「まあ見てなって」
メガネを上げ、笑いながら相対する二人を眺めた。
「面白くなりそうだ」