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監獄街  作者: 俊衛門
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第十章:8

 金は腕を組んで、目を瞑っている。何かを考えている。金の中では、状況判断とリスク分析、損得勘定が成されているのだろう。朝鮮人ってのは計算高いものだ、と思いつつ、省吾はちらりと舞の方を見た。

 やはり、落ち着いている。背筋を伸ばして、目は真っ直ぐに金を見据えていた。

 金が、口を開いた。

「もし、そうだとしても。ヒューイを斃すためにお前達と結託するにしてもだ、俺達に何かメリットはあるか?」

 と問う。やはり、そう来るだろう。何の見返りも無く、協力などするわけがない。

「俺達が手を組んだとして、今度は『千里眼クレヤヴォヤンス』が俺達を裏切るかもしれない。あいつとて、『皇帝エンペラー』の座を狙っているのだろう。それに俺達は、幹部一人あいつに殺されている。正直、俺も腹に据えかねているんだ」

 腹に据えかねているなら、さっさと報復なりすれば良いのに。ユジンのいうように、漁夫の利を狙っているのだろう。しかし、口実にはなる。

「その埋め合わせ、償いはいたします」

「どうやって? あんたが俺と寝てくれるんか?」

 金がにやついていうのに、背後の人間が下卑た笑いを上げた。二名ほど、笑っていない人間がいたが。

 顔が熱くなった。心の内で、何かが爆ぜた。どうしようもない、理屈ではない激情が突き上げてきて、矛先が一気に金に向けられた。

(言うに事欠いてっ)

 どうして、そのような思いに駆られたのか分からなかった。ただ、それを抑え込むことが出来ず、気づいたら立ち上がっていた。袖下に隠した手裏剣を抜き、金に打とうと身構えた。

 反射的、刹那的なことだった。

 後ろで、射手アーチャーが一斉にクロスボウを構えた。複数のやじりが、省吾に突きつけられた。

「座りなよ、『疵面スカーフェイス』」

 悠然と構えて、金がいった。

「穴、開くぜ」

 背筋を冷たい汗が伝った。殺気が束になって、省吾の肌を突いてくる。ここで打剣すれば、そのコンマ何秒後かには全身を貫かれる、という未来が脳裏をよぎった。

 間合いでも、数の上でも、省吾は既に負けている。

「真田さん」

 と舞がいった。省吾は手裏剣を仕舞い、座ると後ろの射手アーチャークロスボウを下ろした。

「失礼しました」

 省吾が座るのを受けて、舞が頭を下げた。金の発言に、気分を害したようでもない。

「この体が目当てでしたら、いくらでもお相手しますわ。こんな発育不良でよろしければ」

「おい、ちょっと……」

 いきなり何をいいだすのだ、こいつ。慌てる省吾を尻目に、舞は続けて

「ですが、あなたが欲しいのはそのようなことではありますまい」

「何が?」

「台湾」

 舞が短くいった。すると金の顔つきが、急に強張った。

「あの薬、台湾から仕入れたものじゃないですか?」

 あの薬、とは。省吾には何の事か分からなかったが、金には通じたようだ。薄ら笑いすら浮かべていた表情が、険しいものになっている。

「この《南辺》で流通している麻薬、燕さんに打った薬……最近、台湾から流れている幻覚剤。自白剤にも、使えるそうですね」

「どこでそれを」

 初めて、金に動揺が伺えた。必死に平静を保とうとしているが、目が泳ぎ、額から少しばかり、汗が噴き出ていた。

「『BLUE PANTHER』がここに君臨していたころ、彼らが元締めとなってうまく薬を捌けなかった。それで、ひと月前に彼らが討たれてからまた薬を捌いた。しかし、『OROCHI』が再び薬の流通を制限しようとするのでは、という思惑が働いて、我々に対した……概ね、そんなところでしょう」

 台本でも存在しているかのように、舞はそう並べ立てた。

「このことを、『マフィア』が知れば。おそらく、あなた方も無事ではすまないでしょうね」

 金は黙って聞いていたが、やがて深く息を吐き

「……ちと、口が過ぎるぜお嬢ちゃん」

 低く、いった。

「俺達を脅迫しようってのか、おい」

 金は鋭い眼で、見据えてくる。無気力そうな姿は、もはや微塵も伺えない。徐々に、剣呑とした空気を纏い始めた。それに呼応するように、射手アーチャーたちの間で緊張が高まった。

「どこで知った、そのこと。玲南、お前が洩らしたのか」

 金は振り返ることなくいった。部屋の片隅にいたパーカーの一人が、慌てて首を振った。

「そ、そんなことしないって」

 女の声だった。玲南と呼ばれたその女は、怯えた様子だった。

「彼女は関係ありません。あくまで、私達の独自調査の結果です」

 舞がさらっといってのけた。

(なんて神経だ……)

 省吾でさえ、膨れ上がる殺気に押しつぶされそうなのに、舞はやはり涼しい顔をしている。だが省吾はそこで、膝に置いた手が小刻みに震えているのを確認した。微かではあるが、少女らしい小さな手が、怖れを表していた。その震えを抑え込もうと、ぎゅっとスカートの布地を掴んでいた。

 やはり、恐怖は拭えないようだった。

 もしものときは、省吾が盾になるか、あるいは金を人質にとるか――射手アーチャーたちがクロスボウの引き金に指をかけるのに、そんなことばかり考えていた。

「金大人、私は何もあなたを陥れようとしているのではありません。先ほどから強調しているように、同盟を申し込みに来たのですから。もし、この話を受けてくださるならば、『マフィア』の目の届かない場所で、麻薬の取引が出来るように取り計らいますよ」

「どうやってだ。レイチェル・リーも、『千里眼クレヤヴォヤンス』も、薬でこの街が汚れるのを望んじゃいないだろう」

「でも、成海以外の所で売るならば、レイチェル大人も咎めはしないでしょう。麻薬を売り捌くのに、この街ではなくどこか遠い場所で売る事が出来れば――」

「だから、どうやって」

「レイチェル大人の持つ交易ライン、ヒューイも介在できない、彼女独自のパイプを使えば、薬を捌くことも可能です。『マフィア』の目を欺いて」

 交易ライン、といったか。そういえば、ハンドラーも言っていた。武器の流れが制限されているこの街において、『黄龍』は独自の供給ラインを持っている、と。そこから機械の体が流れているんじゃないかとも。

 それが、舞のいう、レイチェル独自のパイプなのだろうか。ではなぜ、舞がその事を知っているのか。

「なぜ、レイチェルがそんなパイプを持っていると知っている」

 金も同じ疑問を抱いたようだ。舞は微笑んで

「彼女が《西辺》を支配し、治められたのはそうした補給面が整備されていなければ出来ないことです。それに、雪久と違って、私はレイチェル大人とは親しくさせてもらっていました」

 そういえば、レイチェルは雪久を仲間に引き入れようとしていたといった。2年前、というと雪久と彰、宮元梁がつるんでいた頃だ。そうなると、舞もレイチェルと顔見知りだった可能性は高い。というか、そうだったのだろう。

「私からレイチェル大人に頼んで、あなた方の商売がやりやすくなるよう取り計らいましょう」

「ふん、お前さんが? 大して影響力もなさそうな小娘が。そんな事したって、結局あいが、『千里眼クレヤヴォヤンス』が『皇帝エンペラー』を目指すなら、その途上で俺らが邪魔になるだろう。そうなれば、あいつらだって俺らを……」

「彼は、裏切りません」

「どうしてわかる」

 金がいうと、舞は

「もし、彼が裏切るようなことがあれば、あなた方が私を殺してください」

 その時。

 省吾は耳を疑った。金の目が見開かれ、呆気に取られている。射手アーチャーたちがざわめいた。

「人質、になるってのか。お前さんが」

「自分でいうのも難ですが、雪久は私には甘いんです。ですから、あなた方を裏切るようなことがあれば、私の身を拘束すれば良い。そうすれば、雪久も手を出せません」

「ちょ、ちょっと待てよお前。自分で何言ってるかわかってんのか」

 省吾が横から口を出した。交渉とは、相手にとっても自分にとっても益のあるものにすることだ。しかしこれでは、向こうにばかり都合が良すぎるのではないか。しかし舞は

「黙ってください」

 有無を言わせぬ、口調でいった。それだけで省吾は、言葉を呑み込んだ。妙な迫力に圧倒されたというのもある。

「お前、面白いな……」

 金は顎に手を当てて、いった。目が、輝いていた。『OROCHI』の使者としてでなく、宮元舞本人に興味を持った、ようだった。

「どうして、そこまでやれる?」

「信用です」

 舞は毅然としていった。

「信用ね、こんな街で。いっとくが、俺は同胞だからって手心は加えないぜ? 殺すと決めたら必ず殺す。幸い、あんたの血の半分は、クソムカつくチョッパリのものだしな。躊躇無く、殺れるってものだ。それでも、信用と?」

「信用してもらうには、まず私があなた方を信用することと、心得ておりますので」

「それこそ裏切るかもしれねえぜ」

「その時は、あなたの器を計り損ねた私の責任です」

 そして、再び沈黙が流れた。

 今度は随分長い、沈黙だった。金はじっと、天井を睨んでいる。射手アーチャーたちはまだ、ざわめいていた。互いに囁き合い、中には舞を指差して奇異ものでも見るような視線を送っている者もいる。省吾はというと、この突拍子もないことを提案する娘に、ある種の敬意を抱き始めていた。

 命を失うことすら辞さないという、この覚悟。

 そんなもの、この街では無用だ。そういう英雄的ヒロイックな潔さなど、勇気でも何でもない。ただの無謀、というより大馬鹿者のすることだ。そうは思うものの、チームの礎となるという気概、精神、そうしたものに惹かれ始めている、自分がいた。

 誰かを、何かを護れる人に――

 かつての師の言葉が、去来した。先生は確かに武芸者で、最後まで弟子である自分を護ろうと必死に戦っていた。自分の身も顧みず。

 この娘も、戦っている。己の命も差し出して、『OROCHI』のために、雪久のために。この姿こそ、人を活かすという「武」の道そのものだ。

それに引き換え、自分は――

(なんと卑小かっ)

 拳を握り、己を責めた。あの時、雪久が言いたかったことはこういうことなのだろう。俺には覚悟が、足りない。

「……チョッパリは嫌いだが、お前さんは気にいったぜ」

 金はやがて、いった。

「『千里眼クレヤヴォヤンス』に伝えな。あんたはいいパートナーを持った、俺はその意気に応えるとな」

 そう、笑って右手を差し出した。舞はその手を握った。

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