第十章:5
最初に持ち掛けたのは、ヒューイの方だったという。
“Xanadu”後、ヒューイ自身が《南辺》に出向き、雪久に接触を図ってきたという。
雪久の敵はレイチェル、そしてヒューイにとってもレイチェルは、
「気に食わない存在」
だそうだ。互いの敵が一致しているってことは、実は結構幸運なことなんだぜ? 『千里眼』。この街じゃ、敵だらけ。共闘することなんざ滅多にない。敵の敵は味方、でも成海は敵の敵も敵なんだから」
などといったらしいが、ともかく手を組もうということだったとのこと。雪久はそれに際して、条件を提示した。それが
「武器弾薬寄越せってか、まるで強請り集りの類だな」
省吾がいうと
「や、まあ……私たちはそうやって生きてきたんだけどね」
と、ユジンが苦笑した。
黄昏時だった。《南辺》から離れた、荒れた《放棄地区》に省吾たちはいた。周りは廃墟か戦車の残骸しかない、普通、街のものは足を踏み入れないところだ。すなわち、だれにも邪魔されない。あてがわれた銃を手に、ユジンは狙撃の練習をしていた。
狙撃技術を教えてくれと乞われたものの、省吾自身が狙撃を習っていたわけではないのでなんともいえない。ただ、先生から弓術を教えられていた。弦を張り、弓を引き、息を止める。“会”に入った瞬間、一切の音が聞こえなくなる。
放つ瞬間、自分の全てを消し去って、無意識に矢を射るのだ。
しかし、その感覚をユジンはどうも掴めないらしい。わずか10メートル先の的も、外していた。
弾がもったいないとも思った。狙撃なんて、一朝一夕で習得出来るものじゃない。確かに、レイチェル・リーに接近戦を挑むよりも遠くから狙い撃ちした方が有利だろうが。
(何を考えているのか。あの男は掴みどころがない)
掴みどころがないといえば、あいつ――金と、彼の軍隊『STHINGER』。最近は鳴りを潜めている。話によれば、この《放棄地区》で向こうの幹部を雪久が始末した、らしい。それならば直ぐにでも報復してもおかしくない、はずなのに。
「漁夫の利を、狙っているんでしょう」
銃を弄りながら、ユジンがいった。
「うちと、『黄龍』の共倒れを期待しているんだわ。あるいは、弱体化したところを狙うか。どのみち、正攻法じゃ勝てないから今は様子見でしょ。いやらしいやり方」
「ま、な。でも」
「そう」
タン、と軽快な銃声がして、10メートル先の缶を穿った。大分、慣れたようだ。
「それが、この街。成海市、よ」
スコープを調整しつつ、ユジンがいう。
「姑息でも、卑怯でも、目的を果たす。そのための手段は選ばない。策略、姦計、嵌った方が悪い」
「そりゃあ」
そうだろうがな、などというと、左の胸ポケットに入れた携帯端末が震えた。ハンドラーから、定時連絡だ。だが、今出るのはまずい。
「訊かないんだね」
突如、ユジンが口を開いた。
「何が」
「さっきの。あのコと何があったのか、とかさ」
「詮索するな、っていったのはお前だろう」
「そうなんだけど……」
陽が、落ちてきた。辺りが闇に、染まりつつあった。群青に塗られた空、暗夜が降りる。
「安心しろ、会話の内容までは聞いてねえさ。だから……」
「そういう所、変わらないね」
銃を構えながら、ユジンがいった。
「自分からは、決して踏みこまない。自分と、他の人間と境界を造って、対岸から見ているだけ。あなたは『OROCHI』じゃないけど、等しく死線を潜った同士だというのに」
「雪久と同じことをいう」
省吾はそういって
「俺はそういう風に生きていたから。誰かと関わることも、そんなになかったし。関われば、それだけリスクも負う」
「でもそれって、自分が傷つくのが嫌なんじゃない?」
ユジンがいうのに、全身に電流が走った。はっとして顔を上げ、ユジンを見やる。ユジンはまだ、銃を弄っていた。その横顔が、夕闇に映えた。精緻なガラス細工めいた肌に、翳りが差すのを、目の当たりにした。
「無関心決め込んで、絶対に相手の領域に踏み込まないで。そうすれば決して自分は傷つかないし、楽だもの」
「お前達に、何がわかるんだよ。俺がお前のことを知らないように、お前達だって俺の事を知らない」
「でも、知るために歩み寄ろうとしている」
声が、上ずっていた。俯いて、唇を噛んで――虚ろな視線を漂わせていた。か細い肩が微かに震えていて、その姿があまりに小さく、儚く。
それを目にして、省吾は言葉を飲み込んだ。ユジンが続ける。
「歩み寄ったり、それで反発したり……傷ついたり、傷つけたり。結局、うまくいかない。これじゃいけない、はずなのに」
「……さっきのことを、いってるのか?」
ユジンは黙って頷いた。
「ちょっと、ね。言い過ぎちゃって。これから仲間になるのに、ダメね本当。距離を縮めようとしても、反発してしまう」
「距離、か」
距離――人との距離。敵だった男の妹と、元々メンバーとしていたものとの距離。それは、省吾が思うよりも遠く、埋めがたいのかもしれない。それを縮めようとして、失敗して。そういうことなのだろうか。
「そりが合わないなら、無理に縮めることはないだろう」
「ん、でも人と関わる以上、歩み寄らなければいけないこともある。『OROCHI』という、一つの組織に身を置く以上はね。それに雪久が望むなら」
まただった。一言、たった一言が胸を抉った。要するに、雪久が望むから、舞と距離を縮めようとしている。雪久の寵愛を受けている舞を、邪険には出来ないから。
だがそれは、雪久に嫌われまいという消極的なものでしかない。そんなもので、距離など縮まるのだろうか。逆に、距離を遠くすることになる。
「……もう遅い、日が落ちると物騒だ」
そして、その事実はまた、省吾とユジンの距離をも遠くしている。もし、踏み込みたいと願っても、決して歩み寄ることができない。ユジンはきっと、そのことに気づいていない。
だから踏み込まないのだ。無駄だと、分かっているから。
「帰ろうか」
帰る――ユジンは仲間の元へ、省吾は錆びついた共同住宅の一室へ。きっと、そういう溝、なんだ。この距離は。絶対に埋らない、間なんだと。
レイチェル・リーが失脚したという一報を受け、彰は本部へと走った。
「レイチェルがやられたって?」
雪久が占有している部屋に飛び込んで、開口一番叫んだ。雪久は悠然とマットレスから身を起こして
「あの馬鹿も、やるもんだな」
「いってる場合か。今、《西辺》は大騒ぎだよ」
「慌てんな、こういうことは」
飛び起き、ジャケットに袖を通した。
「攻め込むぞ」
その目は輝いている。また、新しい玩具を手に入れたか――彰は息を吐いて
「しかし、レイチェル一人にそれほどの兵力が必要かね。『黄龍』の殆どが、ヒューイについたっていうじゃないか」
「確かに、ただの女狩るだけならばそれほどの軍は必要ない。だがあいつには人望がある。ただ奪うだけだった先のギャングスタどもとは違い、産業基盤を整えて生活を与えたあの女には、な。あいつが生きている限り、ヒューイにとって脅威は消えないだろう」
気づけば雪久は、レイチェルのことを「あいつ」と呼んでいた。親しみを込めて呼んでいたというのに。完全に、敵と認識している。
それと同時に、レイチェルを認めているかのような言質は、違和感があった。
「加えてあの女。あいつを討ち取るならば、そう。並の軍勢じゃ太刀打ち出来ねえさ。あの女が台湾で何と呼ばれていたか、知っているか?」
「いや、そこまでは……」
台湾にいたころの話など聞いた事もない。彰が首を捻ると、雪久は
「奴は一騎当千、かつて台湾のヤクザを一人で蹴散らしたってよ……付いた忌み名が『飛天夜叉』、宵闇を飛び回る、化け物ってな」
立ち上がり、雪久は部屋を後にした。彰も後に続く。廊下に出て、広間に向かった。
「こちらの態勢は?」
歩きながら、雪久が訊いてくる
「整った。今夜、ヒューイの第一陣と合流する」
「潜伏場所は」
「《西辺》の第1ブロックだ。ただ、向こうの住民がレイチェルを匿っているみたいでさ、すぐには攻められない。あそこは他と違って、まだ廃墟が多いからさ。潜伏には困らない」
「そうか」
やがて広間に辿り着く。既に、全員終結していた。見渡す限りの赤、超剛性のジャケットに身を包んだ少年たちが、銃を手に控えていた。
「皆待ってるぜ、お前の言葉」
黄が無理やりに分捕ったRPGを担ぎながらいった。雪久は促されるまま、少年たちの前に進み、そして
「さて、諸君。困ったことになった」
いきなり、そんなことをいう。何が? という疑問符が全員の表情に浮かんだところで
「これから決戦に向かうため、諸君を鼓舞せんがために大演説をぶちまけたろうと思ったが……完全に忘れちまった」
そこかよ、と脱力した空気が襲った。彰も。こういっては難だが、非常にどうでもいい。
「だが、考えてみれば言葉なんかどうでもいい。俺らが今までやってきたこと、それを信じるのみだ。この戦いで、また一歩天辺に近づく。この街のな。そのために、俺らは全力を尽くす。だろう?」
雪久がざっと全体の顔を見回して、いった。
「これより西へ下る、全員気ぃ引き締めていけ!」
雪久が檄を飛ばし、それに呼応するように銃を突き上げた。うおおお……と場内が揺れんばかりの、鬨の声を上げて。
ただし、彰が見る限り、それは全員ではなかった。1人2人、浮かない顔の人間が。それがどう影響するか、吉と出るか凶と出るか――命運は、神のみぞ知る。
銃のスライドを引いた。