第十章:2
情報が洩れている、と鉄鬼がいうのにレイチェルは、キーボードに打ち込む手を休めて
「これで5回目、か……」
ため息混じりに呟いた。
予想以上に困難を伴うこととなった。《南辺》に攻め込む、あるいは元々潜伏していた所が次々と強襲される。カーネル・ウォンがテロリスト紛いの攻撃を仕掛けても裏をかかれるようでは。
「密告した者がいるのでしょう」
「そう、考えた方が良いだろうな」
とレイチェルは、ノート型の端末を閉じた。鉄鬼は、少し声の調子を落とした。
「更に彼らは、どこで手に入れたのか銃を。おそらく、我々から鹵獲したものでしょうが、あるいは……」
そこから先は、言わずとも分かった。レイチェルは額に手をやって、うなだれ気味に
「……ったく、北の方が煩くなってきたというのに。どこまで手を焼かせるつもりだ、あの小僧共。雪久、梁……目を掛けた分、倍返しとはな」
煙管に火をつけ、煙を含んで刻み煙草の香りを味わう。気分がすぐれない、気を落ち着けたいときはこいつが一番だ――2、3度吹かして灰を落とした。
「とにかく、誰が情報をリークしたのかをつき止める必要がある。扈蝶に、内情を探らせよう。それと、《南辺》には私が打って出る」
そういうのに、鉄鬼が驚いたように
「しかし、あなたが出ることは」
「どの道、結着をつけることだ。あいつを泳がせたのは、私の責任。終らせる、義務がある」
それは鉄鬼に向けたことばというよりも、自分自身に言い聞かせるものでもあった。2年前に温情をかけたツケ、それを今、清算する。
「獅子身中の虫を燻り出す必要があるが、そればかりに気を取られてもいられない。士気が下がらないうちに叩く必要がある」
「なれば」
と鉄鬼が身を乗り出すようにしていった。
「こちらのことは、自分が対処しましょう」
「ああ」
レイチェルが短くこぼして、次に囁くようにいった。
「私はこれから出る、あとは頼んだぞ」
「どちらへ?」
鉄鬼がいうのに、レイチェルは真鍮の煙管を、煙管盆に打ちつけて灰を落とした。
「シルクロードのムスリム商人と会合だ。まだ武器が要るだろう」
気になる事がある、と鉄鬼は扈蝶に告げた。
「根は、深いな」
そういうのに、扈蝶は
「どういうことです?」
「末端の人間では絶対に知り得ないことだ、構成員や戦略、全て見透かされている」
鉄鬼はそういって唸った。
ビル内の、防音壁に囲まれた部屋に2人はいた。アルミの机を挟んで、鉄鬼と扈蝶が差向かい合って座っている。鉄鬼が腕を組んで難しそうな顔をしているのに対し、扈蝶は膝に手をやり、上目使いで鉄鬼を見上げる。なんとなく、叱られているような図式である。
「コーネル・ウォンの、あのねちっこい手の内まで洩れているとなると」
「いえ、ねちっこいって……」
まさか同意するわけにもいかず、曖昧な返事をする。
「具体的に、ここを襲撃するとか標的を誰に定める、という命は幹部から発せられる。それが、ことごとく洩れているということは……あるいは」
「そこから、洩れている、ということですか」
扈蝶がいうと、鉄鬼は再び唸った。
「厄介なことになりそうだ」
トラックが来た、とリーシェンが告げるのに、彰は煙草を投げ捨てた。
時刻は22時、《南辺》第2ブロックの倉庫街。
潮風が香る、海を臨む、成海の一角。東アジアの、交易の要であったこの街には、戦前の遺物が今も残る。倉庫は大小様々、今尚使われているものもあれば、放置されているもの。その中の一つに、彰達はいた。
ロシア国軍の払い下げ軍用トラックが、倉庫の中に停車する。と、赤いジャケットの少年たちが、手に手に武器を取ってトラックを取り囲んだ。
運転席側に、苗刀を引っさげた韓が近づいた。ドアを叩き、運転手に告げる。積荷を下ろせ、と。背後には鉄パイプを持ったタイ人のシンサックが立ち、脇を固めている。やがてモスグリーンの防弾繊維がまくれて、荷台から黒人が2人、降りていた。手伝え、というのに彰は黄を一瞥する。黄は頷いて、新入りの2人を連れ立って荷台に上がった。
3人がかりで、一抱えある木箱を運び出す。
随分、重そうにしていた。慎重に、地面に下ろした。彰はバールで、木箱に打たれた釘を一本一本、抜いてゆく。
蓋を開けた。
おおっというどよめきに迎えられた。中にはウレタンのクッションが敷き詰められていて、その中に埋もれるようにしてそれはあった。白木の箱と対比させるような色合いの、黒金の銃身。米軍のM4カービンだ。
「すげえ」
と黄が口笛を鳴らした。もうひとつ、ふたまわり程も大きい木箱が下ろされる。バールでこじ開けると、菱形の砲弾を備えたRPGが鎮座していた。中東のゲリラがよく使う奴だ。
「他には?」
「突撃銃が、20ほど。弾薬は、足りなくなればまた応じる」
運転手がいった。20代前半の白人だった。肌寒いというのに、タンクトップを着ていて、肩から手首にかけて刺青が施されていた。刺々しい、茨の絵柄。
「随分と、羽振りがいいじゃないか。それだけ、俺達に期待しているってことか? 君らの大将は」
「過去の事は水に流す。それよりも、裏切るようなマネしたら……」
「よくいう、飼い主の手に噛みついて昇り詰めよう、なんて奴が」
彰がいうに、男の目に嫌悪が走るのを見た。しかし、それだけだった。あとは挑発に乗るわけでもなく、淡々と応じた。
「こいつを」
白人男がリストを差し出すのに、彰はずり下がった眼鏡を直しながら紙面に目を落とした。注文どおり、その気になれば一個小隊を編成できそうな銃火器の数々が並べられている。
「さすが『黄龍』、これだけの武器弾薬を仕入れるとは」
「こいつはあるだけだ。シルクロードの権益に干渉できるほどでは……」
いってから、男はしまった、というような表情になって
「今のはナシだ」
「そうかい?」
彰はリストを確認した。積荷は全て下ろされていた。
「知りたがりは若死にする、ここじゃそういうことだ」
警告か、お決まりの文句だなと思い
「ここにサインを」
彰がリストを差し出した。男がペンを走らせる。アードルフ・ビュルスと記した。ドイツ系だ。
「決行は」
そう訊くと、アードルフはリストを押し付けるように寄越した。
「追って報せる」
黒人男たちが荷台に乗り込むのを認めると、アードルフは運転席に乗り込んだ。トラックが出るに、彰は黙って見送った。
「おい、彰! 俺このロケット砲な、ロケット砲!」
黄がはしゃいぎながらRPGを担いでいた。うれしくてたまらないらしい。
「ちゃんとマニュアル読んでおけよ」
いって、彰は懐からコルトガバメントを取り出した。銃弾の詰まった弾倉に換えて、これであるべき姿に戻る。銃は弾があってこそだ、そうでないと役に立たない。
しかし、役に立つ、ということはすなわち果てない闘争の中に身を置くということだ。この弾が装填された以上、もう後戻りはできない。
零時を回ろうとしていた。
省吾は《南辺》の廃ビルに入り、地下へと通じる階段を下っていた。この先は、『OROCHI』が居を構えている。階段を下り、踊り場にある隠し扉を開き、さらに入り組んだ通路を抜けて、螺旋階段を下る。そこで初めて、成海市地下の補給経路へと赴くことができる。
地下は、迷路のようになっている。
その複雑で奇怪なつくりは、人体の血管ほどにこんがらがっている。兵士が迷い込んで、餓死した状態で発見されたこともあった、なんて雪久が言っていた。おそらく、知らない人間が入りこんだなら抜け出すことは困難だろう。補給路というよりかは迷宮と呼ぶが相応しい。寂れた通路を、一人歩いた。
(静かだ)
と思う。真綿で包んだような静寂が横たわっていた。地上からは完全に隔絶された、打ち棄てられた世界。歩くと、靴音がコンクリートに響いた。
水滴が、首筋を穿った。
氷のような空気が、衣服の隙間から入り込んでくる。凍りついて、尚且つ澱んだ空気が肺を満たし、肚を冷やした。
薄気味悪い所だ、この閉塞感。こんな所にいたら、気が変になりそうだ。早く帰りたいところだが、そうもいかず
(さっさと終らせよう)
そう思って、アジトへと急いだ。
彼らがアジトとしている補給基地に着くと、見張り役が立っていた。見ない顔だ。
「雪久はいるか」
そう訊くのへ、見張りの少年は胡散臭そうな目で見た。髪を、金色に染めている。どうも、ここの連中は派手な髪が多い、などと思っていると
「どうやってここに入った」
「そりゃまあ、以前入ったことがあるからな」
「以前だあ?」
少年は腰の柳葉刀を抜き放った。
「どういうことだよ、てめえ」
「や、どういうことといわれても……」
そういうと、少年がじりと歩を詰めてくる。重心が前にかかりすぎている。おそらく、刀の扱い方も知らぬ素人だろう。まともに振って、斬れるかどうか……
「失せろ」
そういうや否や、いきなり斬りかかった。
太刀筋がぶれている。考えなしに攻撃するのも素人だ――慌てず、下がりながら斬撃を躱す。次に柳葉刀を振りかぶった瞬間、歩を詰めて少年の右手首を取った。少年が狼狽するに、骨を捻って逆関節を取った。少年の肘が、完全に伸びきった。
「痛っ!」
骨が軋んだ。少年が柳葉刀を落とした。やりすぎたか、と思って少年を解放してやる。刀を拾って、
「案内しなよ」
「だ、誰がっ」
少年が腕を抑えて呻くに、省吾は柳葉刀を肩に担いで
「あー……誤解のないようにいっとくが、俺は別にお前らをどうこうしようってわけじゃないからな。ただ、本当に話があるってだけで」
「信じられっか、そんなの。大体、なんであんた雪久を知っているんだ!」
「や、それは」
どう説明しようかと考えていると
「真田さん?」
少年の背後から声がした。孫龍福が驚いたように、次には笑みをつくって
「お久しぶりです、どうしたんですか一体?」
「孫大人、こいつは……」
金髪の少年がいった。“大人”て、明らかに年下のこいつに“大人”なんてつけているのかよ……なんて思っていると、孫が
「うちの客分であり、僕の命の恩人だよ。イ・ヨウ」
どこか誇らしげにいうのだった。
「とんだご無礼を」
と孫が言うのに、省吾は頭を振って
「俺に礼を尽くすことなどないさ、特に侵入者には。しかし見ない顔だが、新入りか」
省吾が訊くに、孫龍福は肩を竦めて
「『BLUE PANTHER』以来、人員を増やしたんです。今、ざっと50人ほどいます」
前は30人弱、といったところだった。ひと月にそれだけ増えていたとは。
「『黄龍』だけでなく、『STHINGER』とも構えるわけですから。向こうは幹部を殺されて、頭にきているでしょうし」
「入るたびに、雪久がいちいちテストするのか?」
「あの人が直々に試すなんてことはありませんよ。後にも先にも、直接試したのはあなただけです」
「それは光栄だ、と思った方がいいのかね」
あんなのはごめんだが、とひとりごちて
「見張りに据えるなら、もうちょい腕の立つ奴の方がいいんじゃないか?」
「どうでしょう」
そういって孫龍福が笑う。
「あなたに敵う人間が、果たしてどれほどいるか」
星の数ほどいるだろうよ、と内心思う。レイチェル・リーや金といった手練れがこの街には息づいている。
更に人ならざるもの、機械の体を持つ連中も――ハンドラーが提示した一つの可能性、それが真実であるならば
(ひとたまりもない)
武芸武術が、機械に対してどれほど有効なのか。『鉄腕』のビリー・R・レイン、片腕だけでもあれほど手こずったのだ。2人、いや3人がかりで。
機械の兵が――師の胴を、易々と貫くような化け物。そんな奴らがもし、この街に流れているとしたら――
「真田さん?」
孫がいうのに、我に帰る。考え込んで、目的の部屋の前に来たのも分からなかった。
今は、よそう。
思考を切り替える。奴らのことは後回し、今は――
ドアを開ける。