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監獄街  作者: 俊衛門
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第九章:16

 キース・ロドネスが《南辺》へと車を走らせていたのは、レイチェル・リーの宣言から12時間後の事だった。

 『OROCHI』の討伐――正直いって、貧乏くじだと思った。『STHINGER』との小競り合いですでに兵の何人かを失っているのに、さらにあの『千里眼クレヤヴォヤンス』のギャング風情と構えなければいけない、どこに隠れているのかも分からぬようなあの赤い猿と。勝手知ったる《西辺》と違い、《南辺》などといまだ未開の地に等しいスラムに赴くなどと、憂鬱以外の何ものでもなかった。

 防弾ガラスの装甲車両にあるだけの火器を詰め込んで、西と南をつなぐ『夜行路』を下る。ネオンライトがひとつずつ消えていって、代わりに味気ない無機物の牙城が増える様を流し見て、ベレッタ拳銃を磨きにかかる。とにかく、早く帰りたい。その一心だった。ガキ共の躾けのために、仰々しい武装を引っさげてこんな砂埃の《南辺》なぞに留まる気はない。早い所、『OROCHI』やら『STHINGER』やらを片付けてしまいたいというのが本音だった。

 それでも、現状を見る限りそうもいっていられない。事実がそう告げていた。厳然たる現実リアルが在る限り、己の願望が叶うことなどない。そういうものだ、この街は。  

 ギャングスタ共が祖国から、一旗上げるために成海に入り、『皇帝エンペラー』という夢を見るために血を流し、しかし殆どが夢破れて消えてゆく。成海市の構造は完璧な階層社会ヒエラルキーであって、下から上に這い上がることなどまず、ない。『マフィア』を筆頭に、ピラミッド型に敷かれたパワーバランス。抗っても結局は、もっと強大な力の前にひれ伏す。それは組織内でも同じ事であって、軍事の一旦を担う立場であるキースも、レイチェル・リーの命には逆らうことなどできはしない。レイチェルが黒、といえば白でも黒になるのだ。つまり、キース本人がどうであろうと『OROCHI』を潰さない限りは帰還は許されないわけであって……

 ――面倒なことだ。

 後部座席に身を預けながら、運転席側に聞こえないように呟いた。

軍曹サージェント

 助手席から黒服が振り返っていった。軍曹サージェントというのはキースのことだ。戦時中、軍属だった彼は部下にそう呼ばせていた。レイチェルからは馬鹿にされたが。

「奴らの居場所など、分からないのでは」

「心配か、リカード・ウェルダン」

 助手席に座る男にいうと、ウェルダンは渋い顔をしていった。

「この間は偶々、退けることが出来たものの。奴ら、どこから現れてどこに消えるのか皆目見当がつかない」

「『STHINGER』もな。大方、テロリストはそういうところで数の不都合を埋めるものだ。不意討ち、夜討ち。それをさせないために、お前を呼んだのだから」

 ミラー越しに、リカード・ウェルダンの唇の端が吊り上がるのを見る。愉悦で崩れかかった表情を、しかしすぐに真顔に戻してウェルダンは

「燃料が足りるか、心配ですわな」

 物価高だし、とキースがひとりごち、やがて錆びれた鉄の骨格が車外に広がるのを確認。これより、《南辺》へと踏み入れる。

 自然と、背筋が震えた。敵地に至るときに走る戦慄、緊張感と恐怖心と、神経の昂ぶりが織り成す高揚感。戦場の空気、ともいえる。街のギャングスタどもはこの空気を糧に生きているようなものだ。硝煙の香りで目覚めて、生き死にかかったゲームで興奮する。アンフェタミンの氷塊を打ち込むよりも、最高にハイでクールな遊びなんだと。目の前にいる、リカード・ウェルダンもその類の人間だ。そういう人間頭はイカレた奴、とキースは常々思っている。人間は本来、殺したり殺されたりを忌避する動物だ。戦いが好きな奴なんて……

軍曹サージェント、後続からバイクが」

 運転手が告げるのへ、振り返ると、キースたちの乗る装甲車両群にぴったりとくっついてBMWの90年代モデルに跨る人影を認めた。 

 闇に紛れていたが、そいつは小柄な体格をしていた。子供、のようだった。

 運転手がどうするのかを訊いてくる。ウェルダンは、排除したがっていた。景気づけに一発――目で、そんな風に訴えてくる。しかしここは敵地、目立ったことはなるべく避けたい。

 散開しろ。そう告げたときだった。

 そいつがいきなり、車群に突っ込んできた。手にしていた得物を車の、フロントガラスに叩きつけた。ガラスが真っ白にひび割れた。

 敵襲か――クソッ垂れ。

「囲め」

 キースが命じると運転手がアクセルを踏み、その前方でBMWが停車した。後続の車は下手人を取り囲み、逃げ道を塞いだ。一斉に黒服たちが降りる。キースもベレッタを抜いて車から飛び出した。

 そして見た。その顔を。

 透明な髪をしていた。ガラス繊維めいて銀色の髪色が、風に舞う。ライトがつくる影が、整った顔を浮かび上がらせていた。

 あいつは――

「『千里眼クレヤヴォヤンス』だな」

 かさついた唇を舐めていうと、そいつは肯定する代わりに自分の顔を撫でた。左眼の『千里眼』が、禍々しい赤い光を放つ。

 和馬雪久が、そこにいた。

 装甲車両から降り立った兵力は30余人。八方から銃口を突きつけられているのにも動じず、見下すような視線をくれる。乾いた眼で見渡して、煌々と照る真紅クリムゾンの一つ眼が映える。左手には、柳葉刀。ぎらついた刃が、車のライトを反射して、いた。頭上に翳すのに、研ぎ澄まされた表面にはキースの顔が写っている。

「ハッ、本人から現れるとはご苦労なことだ」

 ウェルダンは興奮を抑えきれない声をしていた。そういうウェルダンの手には、直径30cmはありそうな大筒が抱えられていた。背中に背負った溶槽タンクからチューブで繋がれていて、引き金にかけた指を引きたくてうずうずしているようだった。キースはベレッタを構えて、さっと手を上げた。

 途端。和馬雪久を取り囲んだ黒い垣根に緑色の炎が灯った。全部で30門、銃火が一人に向けて浴びせられた。

 雪久が一瞥した、かと思うと柳葉刀を天に向けた。バイクに跨ったまま、手首を返し、空間を2、3回切った。雪久の周りで火花が散って、足元にひしゃげた弾が転がった。銃弾を弾いている、と気づく。『千里眼クレヤヴォヤンス』の性能は聞かされているとはいえ、こうして目の前につきつけられることはショックだった。人間の出来る事ではない、ほとんど化け物じゃないか、と。

「背後に回れ!」

 とキースが怒鳴り、黒服たちが雪久の死角、背中側に回って9ミリ弾の束をばら撒いた。イスラエル製のSMGが反動リコイルショックで跳ね上がり、金色きんのカートリッジがライトに反射してキラキラと光っていた。

 和馬雪久がバイクを走らせた。勢いをそのままに、黒服たちに斬りかかる。

 首が、刎ね上がった。

 硝煙の中に血煙が上がり、刃を返して黒服を斬り伏せる。片手でバイクを駆り、まるで騎馬を操るが如く。後輪を振って方向を変え、再び特攻。銃弾を弾いていた刀は、柔い肉を切り裂いた。

 斬っては走り、また斬り捨てて、ハンドルを繰る。あの男は心得ている。『千里眼クレヤヴォヤンス』の弱点は死角から打ち込まれること。そのために、常に動いて狙いを定めさせず、ターゲットを視界の中に捉えるようにしている。死角を潰している。

 ウェルダンが大筒を抱えて飛び出した。バイクの前に躍り出て、筒を差し出す。引き金を引いた。

 先端から火炎が噴き出た。リガード・ウェルダンの武器は火炎放射器。地下に潜ったゲリラを炙り出すために使おうとしたこいつを、今使うことになろうとは――

 丸焼けだぜウェルダン……!

 嬉々として炎を巻き散らして、ウェルダンは恍惚としていた。

 火炎が牙を剥くのに、雪久はバイクを駆って逃れた。ウェルダンはトリガー引きっぱなしでで放出する。外れた火炎が味方の黒服たちを焼くのも構わず、雪久を燃やさんと放射器を振り回した。

 紅蓮の炎、渦を巻く。

 バイクの上に立ち、雪久が柳葉刀を振りかぶった。力を溜めて、投擲。

 回転。

 剣尖が溶槽タンクごと、ウェルダンの身体を貫いた。げ、と潰れたような声を出した。倒れ込む瞬間、雪久が黒服の誰かが落とした銃を拾い上げた。溶槽タンクから燃料が漏れ出てるのに、2発撃った。着弾と共に、火球が弾けた。焔が包み込む中で一瞬、ウェルダンがもがくのを見た。それもまた、勢い良く燃え上がる火炎の中に消えた。

 赤い光点が間近に迫る。キースが銃を差し向けるよりも早く、雪久の脚が薙ぎ払う。銃を弾かれて、代わりに銃を突きつけられた。

 額に冷たい鉄を押し付けられる。『千里眼クレヤヴォヤンス』が湛える真紅が、瞼に突き刺さった。

 キースが口を開くと同時に、雪久が発砲した。そのまま二度と響かなかった。

  


 鉛玉が頭蓋を割るのを確認し、雪久は銃を投げ捨てた。脳漿の中に浸る靴を、地面にこすり付ける。

 黒服たちは例外なく斬られていた。真ん中に、火の手。肉の焦げる臭いがした。

「雪久、終った?」

 と声がする。彰が建物の影から顔を出した。

「タレコミは、正しかったね」

「だからって、すぐに信用するわけにゃいかんだろう」

 雪久は倒れたBMWを引き起こして、跨った。

「首尾は?」

「第2ブロックに侵入した龍の先遣隊を潰したって、韓が」

 彰が携帯端末を指し示していう。

「それで、乗るのかい雪久」

 電話を切った雪久に彰が訊き、雪久は端末を投げて

「一番、得な方につくさ。どちらか有利な方にな」

「でも、それってレイチェルを……」

 彰がいった言葉は、どこかで上がった爆音にかき消された。熱せられた排煙が吹きつけるに、自然、身震いがした。

 もうすぐ、いよいよ――いや、すぐに。


 黒煙が、昇る。成海は未だ、混沌の中。


 第九章:完


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