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監獄街  作者: 俊衛門
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第九章:13

 扈蝶、と少女が名乗ると、スモークのきつい車に乗せられた。

「すぐそこまで、ご案内します」

 扈蝶は助手席でいった。

「また、《西辺》まで?」

「いえ、本当にすぐですよ」

「すぐとは」

 そういって省吾は後部座席で、扈蝶の後頭部を眺めていた。まとめられた髪からは、やはり白梅香が漂う。うなじから首筋にかけての、精緻なラインを観察する。細い肩、しかし剣を扱うべき筋肉は発達していた。あのサーベルは、はったりではないということか。

 目を閉じて、車が向かう方向を推測する。右に曲がったり左に曲がったり、あるいは同じ所を回ったりと……わざと撹乱しているのだろうか、これでは方向などつかめそうもない。

 やがて停車する。次に車体が浮き上がる感覚を得た。そして下降。機械とチェーンがかみ合う、音がする。巨大なリフトがあって、車ごと地下へと潜行しているのだろうと推測する。体が沈む感覚、本部ビル同様の設備が在る所らしい。

 金がかかってるな、と皮肉混じりに呟くと同時に、リフトが停止した。ドアが開かれて、車から降りると遅れて助手席のドアが開かれた。カモシカめいたしやなかな脚が伸びて、太股の白さが目に飛び込んでくる。つい、目を逸らした。

「こっちです」

 扈蝶が先頭に立って、黒服たちを従える。歩いても、腰のサーベルが揺れない。剣士の歩法だ、と思った。

 奥の扉を、開ける。

 

 シンプルな部屋だった。調度品の類はほとんどなく、アルミのラックがある程度。灰色の壁と天井に囲まれた空間、その中央にある皮のソファに座らされた。ガラスの卓を挟んで、扈蝶も同じように座る。その周りを、黒服たちが取り囲んだ。

「先日の一件以来、『STHINGER』のゲリラ活動が《西辺》にも及んできましてね……」

 といって、扈蝶がティーカップを差し出した。紅茶だ。

「レイチェル大人が、是非にと。あなたに来ていただければ、望みの報酬、装備は全て取り揃えると」

「ふん」

 といって、カップに口をつけた。飲むふり、だが。

「まあ、確かに。あんたらのトコは、余力ありそうだよな」

「でしょう? だからきっと満足していただけると思いますよ?」

 扈蝶はやけに嬉しそうにいった。興奮したように、更に続ける。

「『黄龍』は実力主義です。白人も東洋人も関係なく、力のある人がのし上がれるんです。真田さんでしたら、きっと幹部クラスに……」

 扈蝶の話を、上の空で聞いていた。

 確かに、『黄龍』に入るメリットは大きい。成海で『マフィア』に次ぐ勢力、そこに身を寄せれば身の安全は保証される。装備も提供するといっている。レイチェル・リーが、どういう人間であるかも探りやすくなるだろう。何より――あの写真。

(もし、機械の流出に『黄龍』が関わっているとしたら……)

その証拠を押さえるために、俺はここにいる。ハンドラーが、『黄龍』に潜れといっているのだから、それに従えば良い。 

 なのに何を迷っている、真田省吾――紅色の水面に、己の顔が映し出される。自分自身に、問いかける。奴に、奴らに近づく好機だろう。躊躇うことなど、ない――

 それとも、遠慮しているのか。あいつらに。彰や、ユジンに。

 それはない。もう、借りなどない。あいつらとははっきり、関係を断ち切った。ここで俺がどういう決定を下そうと、あいつらには関係ないだろう。自分は『OROCHI』ではないし、これからもそうなるつもりはない。

 そう、理解している。自分はあいつらとは違うと。

 それなのに、さっきからどうしても、あいつらの顔がちらつく。

「あのー、真田さん?」

 扈蝶が覗きこんできた。曖昧な返事をする。そうだ、こう考えろ。これは仕事ビズなんだと。エージェントの仕事というのは、ハンドラーに従うことにあるだろう? だから俺のやろうとしていることは、そう殺し屋が報酬に見合ったターゲットを始末して、運び屋がヤクを届けるのと同じ事だ。後ろめたいことなど、何も無い。無い、はずだ。

「ひょっとして、真田さん。ここまで来て、気が変わったなんてことないでしょうね」

 詰問するような口調に、省吾は慌てて首を振った。

「や、別にそういうことじゃあ……」

「んー……まあ、入る気を無くしたからどうこうしよう、ってことは無いですよ。ただ」

「ただ?」

 省吾は顔を上げて、扈蝶の顔を見た。扈蝶はやや薄赤い顔をして

「いえ、何でもないです」

 そういって笑う扈蝶を訝しく思いつつ

「それで」

 と、ソファの背もたれに身を預けていった。

「俺は、どうすればいい」

 すると、扈蝶は。

「そう、ですね。まずは、こちらの書類に目を通してください」

 その様子があまりに子供じみて映った。そうしてみると、年相応に見える。しかし、『黄龍』に入ったら自分はこいつの後輩になるのかと思うと、少し不安にもなるが。

それにしても、書類ときたか。まるでどこぞの企業みたいだな――扈蝶がペンを差し出した。

「サインを」

 そういうのに、受け取った。

 いいよな、別に――

 これは仕事ビズだ、俺の意思は今関係無い、と言い聞かせた。用紙にペンを走らせる、血の赤で名前を書いた。真田省吾、漢字で記す。アルファベットは好きにはなれない。

 書類を差し出す。扈蝶は両手で受け取ると

「ようこそ、『黄龍』に」

 何が、ようこそ、なものか。ペンを投げ捨てた。結局、エージェントなんてものに自由意志はない。ハンドラーが指定したこと、指定した通りに動くことになっている。体の良い駒、コンピュータ上のプログラムかなにかと同じ。潜り込め、と言われれば潜り込むより他ないわけだ。

 やりきれん、と首を振るに、また脳裏にこびりつく残像を垣間見る。仲間に――かつて、《南辺》の片隅で聞かされたフレーズが何度も繰り返し、響いた。どうして、ここであいつの顔が、声が、蘇る――

その時、微かに振動を感じた。

 卓に置かれたティーカップを見た。清澄な水面に、小さく波が立つ。ツ、ツ、とリズムを刻むように、環状に拡がる波紋。おそらく、通常の人間には感じ取れないわずかな揺れ。足裏から伝わる震えは、しかしそれでも確実に、異変が近づいていることを報せる。

「おい、あんた――」

 省吾がいうよりも早く、黒服の1人が扈蝶に何事か耳打ちした。軽く2,3言交わして、扈蝶が頷いて

「しばし、お待ちください」

 何が、というと扈蝶は少々、顔を強張らせて

「侵入者です」

 胸騒ぎが、した。


 戦時中の施設を使っている、と扈蝶がいった。

「成海、そして大陸全土に渡る地下の連絡路、その一部です。そこを改良して使っているのですが」

「はあん、なるほどねえ……」

 半ば呆れたような気分になっていった。天下の『黄龍』も意外としょぼくれてるな、などと思い

「ここが安全とでも思っていたのかい。甘いな、龍のセキュリティ」

そういうのに、扈蝶が首を傾げて見上げてくる。不思議そうな表情をするのに、省吾は

「ここらの地下鉄、全てが『OROCHI』の縄張りだぜ。襲ってくれといっているようなもんだろう」

「姐様に……」

 と扈蝶がいいかけて、すぐに言い直した。

「レイチェル大人に提言します」

 扈蝶が黒服の1人に目配せすると、黒服が頷いてテーブルに向かう。金髪の若い男だった。一瞬、目があった気がしたが次には男はテーブルの上に目を落としていた。表面のパネルをなぞる、とコンクリートの、砲金灰色ガンメタルな壁が割れた。呆気にとられて見ていると、石造りの壁が開いて液晶モニターが顔を覗かせる。

「こいつは?」

「見ての通り、です」

 いたずらぽく笑って、扈蝶がいう。液晶画面は、12個あった。いずれも半紙2枚分くらいの大きさで、鉄黒いスクリーンを晒している。再び、男がパネルをなぞった。モニターが白く光り、次にはモノクロームの映像を映し出す。

 監視カメラがあるのか、と1人ごち、扈蝶が満足そうに頷いた。

「『OROCHI』がこの《南辺》で天下を取ったといえ、資金力も技術力もない、所詮はチンピラの集まりに過ぎませんわ」

「チンピラとはねえ……」

 当たっているかもな、特に頭が――などと思う。扈蝶は自慢げに胸を張って、

「侵入者は、我々が片付けます。真田さんの手を煩わすことはないです」

 丁度中央のモニターに、ジャケットを羽織った人物が3人、映し出されていた。画面が不鮮明だったが、揃いのジャケットに『OROCHI』とプリントされている。

 少年達が徘徊していると、画面の右手から黒服の男たちが現れた。構えてから発砲するまでに、数秒となかった。オートマチックの銃口から発射炎が吐き出される、無音で。少年達が倒れる。あっけなく、終った。侵入者は滞りなく、処理された。

 少しは心が痛むかと思ったが、何の感慨も沸かなかった。いくらあいつらと共闘したからといって、所詮はこんなものだ、と改めて思う。先刻、あれほど迷っていたのが嘘みたいなほど、もはや省吾の心は『OROCHI』にはない。ごくありふれた光景としか思わない。何だ、別に大したことじゃないな――無感動で眺める省吾に、扈蝶はどこかほっとしたような表情で

「安心しました」

 という。何が、と問うに

「もっと悲しそうにするかと」

「俺が、何故?」

「『BLUE PANTHER』を、倒したのでしょう? 共に」

 そういうものじゃあない、極めてビジネスライクな付き合いだ。あの時はそうするしかなかったというだけのもの。省吾が黙って首を振ると、扈蝶は

「それならば」

 そう、何かを言いかけたとき

 足元に振動を感じた。


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