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監獄街  作者: 俊衛門
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第九章:11

 舞が戻った時、他の少年達が慌しく走り回っていた。複数の言語が飛び交うその中に、雪久と燕の名が出た。それを聞くと、舞もいてもたってもいられなくなって、丁度通路を駆けてきた孫をつかまえて訊いた。

「一体、何があったのですか?」

「あ、舞さん……いや、これはその」

 孫は気まずそうに、視線を逸らした。何か、知られたくないみたいに。ますます、気がかりになって少し声を張り上げた。

「何ですか? 雪久がどうしたんですか? 燕さんが、何か……」

 “パープル・アイ”の攻防戦で、燕が援軍を足止めしてくれた、ということは知っていた。ただ、あれから話をしたことはない。いつかちゃんとお礼をいわなければ、と思っていたところだった。

「雪久と燕さん、何かあったのですか?」

 だから、放っておけるはずもなかった。命の恩人のこと、到底看過できる問題ではない。知ってしまえば、それは

「……あまり見ない方がいいと思いますが」

 孫はしかし、舞に詰め寄られると弱いらしく

「いまちょっと、揉めているんですよ。雪久がなんでも、公開処刑だって」

 処刑? それは一体どういうことだろうか。舞は走り出した。孫が慌てて後を追うが、構わずに少年たちが向かう方向に行く。

 少年達が向かっている先は、ミーティングルームとして使用している、格納庫跡だった。舞いは人の群を掻き分けて中に入る。その先に、雪久と彰がいた。

 いや、もう1人いた。赤い髪の少年が倒れていて、雪久が頭を踏みつけていた。その髪色から、燕であることは分かった。雪久は燕の髪を掴み、無理やり引き立たせた。その姿を見て、舞は目を見張った。

 一体どれほど殴ったらそうなるのだろうか。燕の顔は紫色に変色して、腫れ上がって目が塞がっていた。

「これで済むと、思ってたりはしねえよな。まさか」

 雪久は左拳を水月に叩きこむ。燕がくの字に体を折り曲げた。今度は顔面に、膝蹴りと拳を続けざまに打ちつけた。悲鳴すら、上がらない。力無く、燕は崩れ落ちた。その倒れこんだ燕をさらに、爪先で何度も腹を蹴る。血の混ざった唾が吐き出された。息をつく暇も与えず、雪久は硬いブーツの底で燕の顔を踏みつけた。

「分かっているだろう、てめえは仲間を売ったんだ。自分が助かりたい一心でよ、そのせいで『黄龍』を追い詰めるための切り札を失っちまったんだ。このオトシマエ、てめえの体で返してもらおうか」

 雪久はサッカーボールキックで燕の顔を蹴り飛ばした。苦悶の表情を浮かべて、折れた歯を吐き出した。

「雪久、もういいだろう」

 彰が、雪久の肩を掴んだ。

「過ぎたことだろう、それに燕だってなにも好きで吐いたわけじゃ」

 雪久はその手を振り払い

「好きで言ったか無理やり吐かされたなんて、関係あるかよ彰。こいつのせいで俺ら死にかけたんだ、わかってるだろうよ」

「いや、そうかもしれないけど。でも」

 仲間だろう、と彰がいうのに雪久は睨みつけて

「仲間だったら、尚更だろう。手足折られても腸引きずり出されても、絶対に情報を洩らさない。そうするものだろう、普通?」

 彰の手を払いのけて、自らはしゃがみこんだ。燕の髪を掴んで顔を上げさせて、囁くような声でいった。

「いらない血は排除する、腐った膿は傷口切って出さなきゃな」

 燕の顔を地面に叩きつけた。髪の中から、耳が抉られた痕を見つけた。あれは、自分を救い出す時のものだ、と認識するより先にまた新たに鈍い傷が、刻まれる。

「後悔の時間を与えてやる、それが終れば懺悔の時間だ。もうすぐ、裁きが訪れるその前に、自分の罪を悔い改めろよ燕。それがお前に残された唯一つの選択だ」 

 温度の無い声だった。ぞっと背筋が凍るほど、恐ろしく残酷に響いた。人の死などなんとも思っていない、といった類のもの。ギャングスタたちがマリファナの葉を噛みながら、血の色めいたナイフで刻み付けるときに発する声だ。嘲笑でもなく、粘着質でもない。おそろしく冷酷クールで、そういう人間はいとも簡単に壊してしまうのだ。かつて自分がそうされたように。

 気づけば舞は、雪久の前に飛び出していた。

「なんだ、舞」

 雪久が問うのに、一瞬言葉に詰まる。反射的に飛び出したものだから、何をするとか何かいうとか、そんなこと考えていなかった。

「なんだ」

 また、雪久が訊いてくる。目の色はどこまでも冷たく、亡者のそれに似ていた。対峙してみて、改めて雪久が“千里眼”として怖れられているかが分かる。機械の目を備えたからではない、射抜かれそうな眼光を前にして足が竦む。

「あ……」

 痙攣するような喉を無理やり動かして、ようやく声を発する。

「もう……やめてください」

 と。雪久は眉をひそめて

「引っ込んでなよ、舞。全面的に関係ないから、お前にゃ」

「だって、燕さんは、あんな」

 あんなにまでして、私を助けてくれた人だから。命の、恩人だから――そう、言おうとした。けれどどうにも、上手く口が回らない。カラカラに乾いてしまった口の中では、ざらついた舌が躍っている。何かいわなければ、雪久を止めなければ、と気ばかり焦ってしまう。己の中の恐怖を抑え込むように息を飲み、

「やめて、下さい。これ以上は」

 遂に言った。彰が、あからさまに驚いて他の少年達は顔を見合わせて何かを言っている。ああなったときの雪久に意見するなんて! もちろん恐れがないわけではない。

「反抗するのか、俺に」

「止めたいだけです」

「止める、ねえ……偉そうに。いつ、俺が許した? 俺に意見することを」

 立ち塞がる舞をどかそうと、肩に手をかけた。しかし舞は、口を結んだままその場を動かなかった。手を広げて、真っ向から雪久を見据え――その後ろに、燕がいる。

 雪久の目が、変わった。獰猛な目つきに、丁度――ビリー・R・レインを葬ったときと同じような表情をつくった。邪魔だ、と短く告げるのへ、しかし舞は動くことはない。

 雪久の掌が、舞の頬を張った。

 浮遊する感覚と共に倒れこみ、焼ける感覚を頬に残す。見上げると、雪久の目に静かな怒りが灯っていた。その目が如実に語る。

 邪魔をするな――

「舞!」

 と彰が駆け寄って、舞を抱き起こした。雪久を睨み、

「何すんだよ、雪久! 正気か」

「邪魔だから」

 素っ気無くいって屈みこみ、燕の髪を掴んで引き上げた。拳を燕に叩きつけようとしたとき

 急に、彰が立ち上がった。

 舞は息を飲んだ。他の少年達がざわめく中、彰だけが冷徹に鉄の先端を向けていた。

 彰の手には、銃が握られていた。沈黙の中に、コルト・ガバメントの撃鉄を起こす音が際立って

「弾、入ってねえんじゃねえの?」

 雪久の後頭部に向けている。動揺した風でもなく、振り返ろうとするが

「動くなよ、雪久。最後の弾倉マガジンだ、当然弾は入っている」

「そいつで、撃とうってのか」

「後ろ向きなら、避けきれまい」

 人差し指が、トリガーを半ばまで引いていた。照準は紛れもなく雪久の頭に向いている。雪久は燕の体を離した。くずおれて、地に伏せる様は糸の切れた人形のようであった。抵抗なく倒れる燕を一瞥して、雪久が首をわずかに傾けた。霜が降りたように白い横顔が残酷な感じに笑みを象っていた。左の機械の眼球が赤く光っているのを、目の当たりにした。

「撃てるのか、お前に」

 嘲笑うようにいう雪久に対して、彰は緊迫した表情を貼り付けていた。銃を持つ手がかすかに震えて、額に浮き出た脂汗が首筋にまで転がり落ちるのを見た。生唾を飲み込むのに喉が鳴るのを聞く。

 それでも、尚。

「いくらお前でも、雪久」

 発する声、彰がいう一言一言は落ち着いていた。低く唸るように、警告を突きつける。引き金を絞り込み、銃口の先に脳髄を据える。

「仲間にこんな仕打ち」

「仲間ねえ、仲間だったら裏切りも許すってか? 彰。お前まで、俺の邪魔を?」

「だってお前……お前は今、何をした? どうして舞を突き飛ばしたりする。お前にとって、その程度なのかよ。こんなのって」

 あともう少し、引けば撃鉄が雷管を叩く――グリップを絞り込んだ彰の手は、汗ばんでいた。恐れを、抱いているかのようだった。友を殺すかもしれないという恐怖。雪久は、もう笑っていなかった。首を捩って、肩口から薄く目を開けて、銃口を眺めていた。ふと、舞の方に視線を落としてくるのにあわてて目を逸らした。

「どうしても、そいつを下ろさないつもりか?」

「ああ」

 短く、そういった。

 どうしてそこまで必死になるのか、舞は分からなかった。見上げた先にある、彰の青ざめた顔を見ていると、どうしてそこまでする必要があるのか。たかだか、自分が突き飛ばされた位で。その答えが弾き出されるより先に、雪久がいった。

「ったく、クソ真面目な奴だ。おかげで興ざめだよ」

 そういうと、燕を爪先で小突いて

「韓留賢」

 と呼び

「こいつを、どっかに捨ててこい」

 韓は小さく頷いて、燕の体を持ち上げた。もう一人、少年が足のほうを持ち、揺らさないように運び出す。燕の腕が垂れ下がって、指先から滲む血が地面に滴り落ちてゆくのを見送る。見送りながら、いった。

「どうするんだよ、あいつ」

 彰が訊くと、雪久は面倒くさそうに伸びをして――いうなれば、完全に興味を失ったようだった。

「追放だよ、追放。もうこっちからは干渉しない、この話はこれで終りだ」

「で、でもそうなると……」

 舞が言いかけるも、雪久が睨みつけてくるのに黙った。彰は手を差し伸べて、舞を引き起こした。彰の手は、汗で濡れていた。無理に作った笑顔で、大丈夫か、と問うてくる。

その顔を、まともに見れずに顔を逸らした。後ろめたい気持ちに襲われた。雪久に銃を向けさせた、直接の原因は自分だったから――

 雪久が2人を見て、鼻を鳴らしていった。

「次の作戦を、伝える」

 雪久がいうと、周囲に緊迫が走った。厳かに、宣言する。

「龍を、叩く」

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