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監獄街  作者: 俊衛門
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第九章:8

 当面の問題は『STINGER』だ、と彰は第2ブロックの、林立する鉄筋のジャングルの合間を歩きながら思った。

 あの“Xanadu”の攻防から1週間、この《南辺》でも徐々にではあるが『STINGER』の連中が動き出していた。《南辺》に巣食うギャング達の間では、神出鬼没のゲリラ部隊として認知されつつある。

 おそらく、かなり土地勘のある人間で占められている、あのチームは――“Xanadu”でも見せた、あのフットワークの軽さが『STINGER』の特色なのだろう。音も無く忍び寄り、知らぬ間に包囲してクロスボウの一斉射撃。機を見て、素早く撤収するという戦法、《南辺》、《西辺》に渡って下調べを重ねたに違いない。その蓄積があって、初めてクロスボウという古臭い武器も生かせるというものだ。火器を持てないアジア系にとって、飛び道具といえば手裏剣や投げナイフの類、弓矢と相場は決まっているが、銃と弓の混合ハイブリットたるクロスボウは簡単な器具と資材があれば簡単に作れる。彰も一度、チームに導入しようかと思ったが矢を番える手間が掛かるので、断念したのだ。だが

(ゲリラに徹すれば、矢を番えるタイムラグも短縮できる、か……)

 あるいは、そのタイムラグを埋める仕掛けでも施しているのだろうか。“Xanadu”では、敵の射手アーチャーを見る限り矢を装填するのに手間取ってはいなかった。

 クロスボウ――単発ではあるが、破壊力は銃に勝るとも劣らない。彼奴きゃつらの身の軽さを加味すれば、比較的音の少ないクロスボウは強力な武器だ。こうして歩いているだけでも、いつ狙い撃ちにされるか分からないという状況だ。『OROCHI』が根城にしている地下通路にまでは、流石に及ばないらしいが……それもいつまでもつか。

 例えば、こういう場所。蟻塚めいた集合住宅には身を隠す場所に事足りない。《南辺》はまさに、奴らにとっては理想的とも言える条件を満たしている。

 今も、感じられる。背中に、頭に、つきつけられた、圧力プレッシャーを。四方八方、取り囲まれている。奴らに。

 クロスボウの、先端から発せられる鋭角の殺気、その方角に首を捻った。

「いつまで隠れているつもりだ?」

 いった瞬間、建物の影から紺色のパーカーが顔を覗かせた。

 背後に一人、右手の建物の2階部分とその筋向いの多層建造物の、さらに屋上部分にも同じように、『STINGER』の射手アーチャーが伏せていた。それぞれ、クロスボウの先端は彰の方を、寸分違わず狙いをつけている。

 見たところ、4人。いや、さらに2人、いる。密林に紛れて獲物を狙う狩人のように、じっと息を押し殺して身を潜めているのが分かる。殺気が、滲み出ていた。全員、引き金に指をかけていつでも撃てるという無言の意思表示をしていた。

「下手に動くな」

 背後の一人がそういった。低く、広東語で発するのに彰は諸手を上げて

「この状況で撃たない、ってことはこちらからのメッセージは受け取ってくれた、ということかな」

 彰がいうと、パーカー越しに男が渋面を作った。どうやら、その通りであるらしい。

「3日前からずっとだ。新聞から雑誌、その辺にばら撒いたビラにいたるまでに載せた写真。玲南っていったっけ、あの女がこちらの手の中にある、ってことを。あいつがうちにいる限りそっちとしても手は出せないということか」

 彰はそういって目を眇めて

「やっぱり燕は、あんたらのところに……」

「前方の建物に入れ」

 男は彰の言葉を遮り、くぐもった声で命じた。早くしろ、と言わんばかりにクロスボウの先端を押し出した。

「まあ、慌てなさんな」

 などといいながら、彼らの手の中にある、クロスボウを観察する。

 一般的な、ライフルタイプのクロスボウだった。普通と違うのは、銃身の下にリヴォルバーのシリンダー部分のような筒が備わっていた。そこに矢が6本、据えつけられている。おそらく、リヴォルバー拳銃のように連続して撃てるようになっているのだろう。装填する時間をあれで短縮しているのか、と思った。

「早くしろ」

 そうせっつくのに、彰は了解、とばかりに手を振った。《南辺》ではさほど珍しくも無い、共同住宅の一つに足を踏み入れる。

 建物の中は、鬱蒼としていた。水銀の色をしたコンクリートの床を踏み、爬虫類の皮膚、あるいはケロイドの肌を思わせる壁面に阻まれた違法建築の塊。鉄筋の表面を、六価クロムの溶けた水が滴る。煮野菜の、湿っぽい腐臭が漂って、細かく区分けされた小部屋セル――細胞セルにかけているのか、そう呼ばれる――の中から、猛禽じみた視線を送る住人達。

 どこに行けばいい? と首を傾けて問うと、男は無言で小部屋セルの1つを顎で示した。入れ、ということか。一瞬、躊躇われたが従うことにする。

 軋む扉を開けた。

 埃が舞い上がって、目の前がフィルター掛かった。軽くせきこんで、足を踏み入れる。厚く積もった塵芥が靴音を吸収する、外の喧騒すらも消え入る、闇の中に身を投じる。

 やがて目が慣れると、部屋の中央に卓が備え付けられていた。他にはなにも無い。

「取れ」

 男が命じて、彰は卓の上を見る。旧式の携帯端末が置かれていた。

「それを通して、連絡する。人質の交換、条件をこちらで提示する」

「ほう」

 と彰がいって、

「大きく出たね、そっちの条件を飲めと」

「嫌なら、あの男を」

「わかっているよ」

 彰が携帯端末を取った。戦前の、日本製のボディだった。

「それで、いつ」

 といったとき、男はすでに消えていた。窓の外から狙っていた、鋭角の殺気も消えている。撤収するときも早いな、と呆れたようにひとりごつ。

「肝が冷えたぜ、彰」

 と、天井から声がした。

韓留賢ハンリィゥシェン

 彰が名を呼ぶと、天板を突き破って飛び降りてくる影があった。黒髪に赤いメッシュが入った、苗刀を逆手に携えた少年が切れ長の目を細めていった。

「あんな、後ろから狙われたままこんな密室に入って。どうにかなるかと思った」

「どうにかならんように、お前に護衛を頼んだのだろう」

「そういわれてもよ、飛び道具にはなあ……」

 そういって韓留賢は刀を鞘に納めた。

「省吾は、銃相手にも退かないよ?」

「悪かったね、頼りない護衛で」

 ムッとしたように韓がいって、彰はくすりと笑った。

「とりあえず、その携帯」

「うん」

 彰は端末の表面をなぞった。黒いプラスティック製のボディは、ところどころひび割れていた。グリーンの液晶、大分古い型だ。

 ポケットに滑りこませた。


「こいつがそれだ」

 と彰が端末を差し出すと、雪久が指でつまみ上げた。

「向こうから提示するだと? えっらそうに」

 薄く目を開けて渋面をつくる。ベッドから半身を起こして吐き捨てた。寝起きはいつも、機嫌が悪いのだ。韓が入り口脇に立って緊張の色を浮かべているのに、早めに本題に切り出すことにする。

「思うにあの男、うちの戦力を鑑みてものを言っている」

「何だそれ」

「考えてもみなよ、『STHINGER』に比べて『OROCHI』は戦力にバラつきがある。お前やユジン、燕の3人のうち誰かが抜けると立ち行かない。そのうちの一人の命、握っているんだ奴ら。その上で……」

 条件を飲むより他ないだろう、と彰が付け加える。雪久は面倒臭そうに大欠伸をひとつ。

「自業自得、じゃんかよあの野郎。よりによって作戦前に、敵に捕まって情報を喋りやがったんだ」

 雪久からあらかた聞いてはいた。金があの夜、燕から情報を引き出したということを仄めかしたことを。それで、玲南がこちらの手中にあるということを新聞やビラなどを通じて伝えた。

 そうして、遭遇したのが今日。

 2日、歩いた。玲南がこちらにいることがわかれば、なんらかの反応を返してくると踏んで、《南辺》を徘徊した。向こうから接触してくるのを待った。身軽な韓に、密かに後をつけさせて護衛させて、これでもちゃんと考えているんだぜ? 身の危険を感じたがな――そうして、受け取った携帯電話がここにある、のだが。

「で、いつ連絡してくるんだよクソ鮮人」

「やめなって、その物言い。ユジンもいるんだし、うちには」

「知るか」

 今はいねえだろう。そういったとき、雪久の手の中で携帯電話が着信を報せる振動をくれた。液晶には11桁の見知らぬ番号が記されている。奴か、と雪久が呟いた。彰は頷いて

「慎重にな、雪久」

 そう、釘を刺した。

「感情的にならないように」

「へいへい」

 煩そうにいうと、雪久は通話ボタンを押した。

『よお』

 と間延びした金の声が、受話口から洩れてくる。雪久が眉根を寄せて、嫌悪を露にした。舌打ちして、一言

「クソ野郎。回りくどいことしやがって、てめえは」

『直接渡すわけにもいかねえよ、お前に貫かれた足が疼いて引きこもってんだ』

「おーそうかい、そのまま朽ちろ。街の環境美化に一役買え。ゴミが一匹減りゃ、空気もその分綺麗にならぁな」

 挑発してどうするんだよ、と彰が小さくいったが雪久は無視して続ける。

『お前のとこの幹部、預かっているのに大きく出たな』

「それはこっちも同じことだ、こんな手段で接触したのも」

 そうだったな、という声が洩れた。金の声は、落ち着いていた。懇願するでも、激情を抑え込むでもない。声質は飽くまでリラックス、平静クールに、冷淡クールに、だ。不気味なほどに。

 かすかに、違和感を生じる。こちらに人質がいると分かっていれば、いくら平静を装っても言葉のどこかに――焦燥感が滲むものだ、少なからず。それとも、そうと悟られない術でも身につけているというのだろうか。

「それで」

 と雪久がいって

「いつだ」

『そいつは、お前さんに決めさせてやるよ』

 金がいう、と雪久は意外そうな顔をした。

「条件は全部、そっちが提示するってんじゃねえのか」

『ああ、そのつもりだったがな。お前さんにも機会をくれてやろう、って俺の仏心だ』

 雪久は、送話口を押さえて顔を上げて

「やっぱムカつく」

「同感だが、とりあえず押さえてくれよ、な?」

 青筋を立てている雪久を、彰はやんわりと諌めた。今にも携帯を床に叩きつけて暴れだしそうな、憤怒の表情を浮かべている。後ろで、危険を察知した韓が扉に手をかけて逃げる体勢をつくっていて……薄情者め。

『場所は、俺の方で決めさせてもらう』

「はあん、そう」

 雪久はまた、顔を上げて問うた。

「どう見る?」

「あまり、グズグズできないな」

 彰は小さく、唸って

「ゲリラにとって有利な場所、潜伏できる土地を指定しようってことだろう。時間を与えさせてはならない、妙な工作でもされたらやばい。だが今日明日というわけにもいかないし……」

 時間を与えれば、それだけ『STINGER』が隠れやすくなる。こちらとしても、何の対策も講じずに出向くわけにはいかない。こっちの準備、奴らの準備……こちらに都合が良く、かつ相手に不都合に働く最適な、時間。となると

「5日が、限度か」

「いや、3日でいこう。3日後だ」

 雪久がいった。

「いけるか?」

「この“眼”があれば」

「けど」

 といいかけたとき、すでに雪久はその旨を伝えていた。金は沈黙していたが、やがて

『いいだろう、ならば場所を伝える。引き渡し場所は――』


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