第九章:3
ロールスロイスだかキャデラックだか……車種はいまいち分からないが、とりあえず高級車ということは分かる。黒服2人に脇を固められ、完全に拘束された状態で省吾は車に乗せられそうになる。
「おい」
と、別な車に乗り込もうとしたレイチェルにいった。
「何だ」
「貴様、何を考えている」
「何がだ?」
レイチェルは涼しい顔で、長さ20センチはありそうな煙管をくわえた。紫煙をくゆらせて、腕を押さえつけられている省吾を見下ろしている。
「これはどういうことか、って訊いてんだ。俺をどこに連れて行くつもりだよ」
「どこだと思う?」
「どこも同じだと思うがな、殺すなら一思いに殺してもらいたいね。悪趣味な拷問部屋に連れて行かれるくらいなら、鉛玉で果てるほうがミジンコほどにはマシだ」
「……よくわからない例えね」
レイチェルは煙管の灰を、とん、と落として
「あんたには、色々話を聞きたいと思っただけ。何か、私に言いたいことがあるみたいだったしな」
核心を突かれ、ぎくりと肩を振るわせる。顔に出たのか、レイチェルが笑って
「図星か」
といい、
「案ずるな、お前は大人しくしていればいい。妙なまねをしなければな」
左右の黒服が、脇腹に固い筒状のものを圧し付けるのに、省吾は黙った。レイチェルが可笑しそうに鼻を鳴らして、省吾は舌打ちする。この女、愉しんでいやがる。そう、腹の中で思った。
「鉄鬼、お前はそっちに」
レイチェルがそういうと、2メートルはありそうな巨漢の男が恭しく頭を垂れた。鉄鬼、アジア系かと省吾は思った。黒い髪、黒い瞳、えらの張った顎には無精髭が目立つ。ぎょろついた目でひと睨みし、次に顔を近付けて
「おい、お前え」
野太い声で、広東語でいう。息がかかるのに、省吾は顔をしかめた。
「くせえよ、てめえ」
「うるさい。変な気、起こすんじゃねえぞ」
「この状態で変な気もクソも……」
右の黒服が、銃口をさらに押し付ける。そこは傷口だ、馬鹿野郎と省吾は
「どこに連れて行ってくれるのかねえ、あんたの親玉は」
「いいから乗れ」
鉄鬼がそう、促した。強引に首根っこを掴んで、省吾の頭を車内に突っ込む。すさまじい握力で締め付けてきた、それこそ連にやられた傷も忘れるほど。
思わず声を洩らす。
「痛え、馬鹿」
と抗議するが、構わず押しこんで、まるで家屠殺場に送り込むために家畜をトラックにでも積み込むかのように、強引に乗せられた。
「出せ」
と、助手席に乗り込んだ鉄鬼がいう。かくして省吾を乗せた車は、混乱の残る“Xanadu”を後にした。
《西辺》の夜は、煌びやかだった。
南とは違う、あそこは土壁を塗り固めたような建物しかなかった。人の気配といえばその建物の、混沌とした闇の中で蠢く獣めいた連中ぐらいなもの。鉄筋の密林にはない、ネオン広告と売春窟、クラブのある種俗めいた電飾と豪奢な金色の帯が、迷光を放つ。娼婦たちが身にまとい、男たちが発する熱気が、粒子のように漂う。血の臭いとは違う、ここは手垢にまみれた享楽と爛熟した風俗を感受する、欲と拝金を是としている。そう、感じた。
「初めてって面だな」
と鉄鬼がいうのに、窓の外から目を離す。
「こういう街。南にいたときじゃ、お目にかかれんだろう」
「そりゃあ、まあ……」
脇腹にかかる違和感を不快に感じながらも、答えた。
「《南辺》とは、戦前は別の都市だったと聞いたが」
「南なんか、何もねえからな。あそこは、硝煙と血の臭いを嗅いでいれば満足って連中ばかりだろう。お前みたいに、な」
「……どういう意味だよ」
「そういう、意味だ」
鉄鬼は巨大な体を揺すって、懐から煙草を取り出した。セブンスター、この街では珍しい。
「そうやって、すぐに敵意むき出しにするところとか。若さに任せて突っ込むところ、そういう全部が獣みてえだ、あんた」
「貴様は違うってのか、なら」
「お前さんよりは大人なつもりだ」
前方には、レイチェルを乗せた車があった。後部座席にふんぞり返ったレイチェルが、何事か助手席の男に指示しているようだった。長い煙管で、運転席のシートを叩いて、ふと振向いて省吾と目が合った。慌てて目をそらす。
「大人てよお」
省吾が宙に目を踊らせて
「そりゃあ、俺はガキだが」
「《南辺》全部がそうだ、暴れることしか知らないガキ。自活できない、奪うことしか知らない。『OROCHI』とかな」
「ほう」
と省吾は言うと
「西の龍は、それなら違うのかい。蛇とは」
「人を治めるには、暴力ではいけない。あの方は、それを良く分かっている」
あの方、とはレイチェル・リーのことだろうか、と鉄鬼は
「お前の所の大将、あの倭人はあの方にそれを教わっておいて何1つ実践していない。奪うだけ、暴れるだけ。挙句、人の縄張りに侵入して。よくもまあ、あの程度で済んだな蛇の頭も」
馬鹿にしたように言う。お前の所の、というくだりには甚だ疑問であったがそれに関しては省吾も同感であった。雪久、あの男はただ自分のしたいようにして、自分が欲しいと思ったら奪う、気に食わなかったら嬲り殺しにする。そうすることで充足を得て、その後のことなど何も考えていないように見える。『BLUE PANTHER』を下した後、何をするかと思えば残党と他のギャング共との潰し合いを繰り返して、闘争する、その行為こそが自分の自己同一性であると言わんばかりに――
「この街は、《西辺》は」
鉄鬼が切り出した。
「そういった、連鎖――闘争の螺旋、そうしたものを断ち切るためのものだ。難民たちに仕事を与え、自活できるようにしたのは『黄龍』とあの方だ。荒れたこの街に必要なのは、自力で金を生み出すというシステム、戦勝国が産業を移植して労働力に難民を使う体制を払拭し難民たち自らが経済活動を行う。国連ではなく、全て難民主導で行われたことだ」
「あいつ、あの女は難民なのか? 華人?」
「華人なのかどうか分からんが。わしら、本当の名前も知らない。だが、そんな定義などどうでも……」
「最重要だ」
と省吾が言った。日本人であるのか否か、それだけでも知りたかった。あの技、先生が大陸で見につけた拳法体系に良く似ている。太極拳は、長拳のような突き蹴り中心ものと違い、体当たりや化剄、力を受け流し、返す技法が目立つ。一心無涯流の拳法体系は、合気をベースとして作られており、突き蹴りよりも返し技、後の先を取る術理が多い。だが、それにしたってあの動きは。
(似ているな)
頭の中で、先ほどのレイチェルの動きをトレースする。双方、気合が満ちて相対し、攻撃を誘い出す。後の先は「待ち」の戦法ではない、常に気当たりで相手を攻めて、相手に手を出させる。そこを、返す――本能のまま、殴ることしか知らない雪久には有効だったというわけだ。そうした術、手の内、呼吸に至るまでが、省吾が学んだ拳法に似ている、ように思えた。
(あの女が、そうならば……)
偽名を使って、こんな街にいる、可能性は――まあ、無くもないだろうか。省吾自身も、訳ありなのだから。
「《西辺》には、人が生きるためのシステムが作られている。あのクラブも、アジア系の人間が多く働いている。ここらの売春窟も」
窓の外へと目を移す。赤紫に彩られた格子線が、涙に濡れた跡の様にぼやけて浮かび上がり、消え入るときはあっけなく消える。流星めいたネオンライトが走査線のごとくに、連なって尾を引いて、DNA鎖のように絡みあっていた。嬌声、喧騒、囁きすら聞こえてきそうな、白濁した意識の集合体の中を走りぬけて行く。
「着いたぜ」
と鉄鬼が言うのに向き直る。
ひときわ巨大なビルが、省吾を迎えた。