第八章:22
金色の髪。白人かと思ったが、そうではない。顔立ちは東洋人だ。紺色のパーカーを羽織っている。
仲間か。あの男、省吾は金といっていたっけ。そいつと同じ色の上着からそう思った。だが、上着の下は素裸に近かった。腰のラインが際どいローライズ。上半身はさらしのようなもので胸を覆っているだけ。へそがまる見えだ。
「ちょっとは期待できるかね、あたしの標を防ぐとはね」
そして右手にもっているのは、銀色の物体。ナイフかと思ったが、どうやら違う。
錘だ。円筒状の分胴で、先端が尖っている。それを、投げつけられたのだろうか。この女は“標”といっていた。“標”とは手裏剣のことを指す。飛標、もしくは匕首を遠間から打つ戦闘法のようである。
つまりは、飛び道具。
「あんた、ダオの奴がいっていた朝鮮女だな。あのジジイ、入れ込んでるみたいだったけど」
女はちらりとユジンの格好を見て、嘲笑するように鼻で笑った。
「こんな小娘とはね。ガキの癖に、男の気を引くことには人一倍野心的ときたもんだ」
その物言いが、気に入らない。敵のいうことにいちいち惑わされてもしょうがないとは分かっているが、少しばかり癪に触る。
「……これは私の趣味じゃないわよ。あんただって、同じような格好じゃない」
「あたしぐらいのイイ女になると、これぐらいが丁度いいんだ。ガキが背伸びしてると、痛々しいだけだぜ」
女がそういって笑うのに、ユジンはぶすっと頬を膨らませた。目の前の女は二十歳そこそこだろうか。年齢はユジンと変わらないであろうに、いうだけあってプロポーションは抜群だった。むき出しの肩から二の腕にかけて、余分な肉がついていない。くっきりと浮き出た鎖骨、突き出た胸が存在感を主張する。男を魅了する腰つき、引き締まったヒップライン――わが身を振り返ると、無理して露出の高い服を着た自分が情け無く思える。例え自分の意思ではなくとも。
「なんか、あなたとはお友達になれそうもないわね」
「んん、そうかい?」
そんなやり取りをしながらも、互いに観察を怠らない。軽口を叩きながらも、女は構えをつくっていた。標を持った手を後ろに引く。
あそこから打剣するつもりか。
バトンを正中線に構えたまま、おおよその距離を測る。目測だが、間合いは約5メートルほどか。あのぐらいの標なら、悠々届くだろう。
この場はやはり――
「彰」
とユジンがいった。
「ここは私が……」
「ああ、頼む」
彰はうなずいた。ここは一旦引いて、雪久を守るべき。意思の疎通が、一言でなされた。
女が、歩を進める。はり詰める空気、唾を飲んだ。
彰が、閃光弾を投げた。
マグネシウムリボンが白光を放ち、次にはオレンジ色の火球が弾かれた。
眩い光。女が一瞬だけ、動いを止めた。
それが、狙い目。
飛び込み、バトンを順手に構える。身を低く、足を前に。間合いに飛び込む。
後退するのではない。懐にいかにはやく飛び込むかが、対飛び道具の心得。
女の右手が光った。標を投げたのだ。首をひねると、ユジンのこめかみを掠めた。
外した――。踏み込み、右手のバトンを、水平に打つ。女が下がった。もう一度、左のバトンで突く。
女の右手が、動いた。糸を手繰り寄せるような仕草。女は、笑っている。
背筋が、冷たくなった。
右肩に痛み。
苦痛に顔を歪める。自身の血が、頬にかかった。正体不明の攻撃に、足を止める。女が下がった。
すると、女が放ったばかりの標が手の中に戻ってきた。
目を凝らすと、放った標の尻に細い縄がついている。投げた標を、その縄で操っているのだ。
投げた標を、縄で手繰る。そうすることで、標を回収しつつ連続攻撃を可能としているのか。
「見たのは初めて、って面だな。縄標を」
ユジンは、傷つけた肩を抑えた。後ろから、突かれたようだ。
「縄つきの標、ってわけね。それ、昔の映画で観たわ。確かタイトルは……」
「『少林寺』。あたしは観たことないけど」
いって、縄標を振り回す。空気が唸り声を上げている。
「こいつは、扱いが難しくてね。こんな風に」
女は標を投げつけた。銀の鋭角が皮膚を擦る。びょう、と耳を劈く風。
ユジンがサイドステップで避ける。女は縄を繰ると、標は手元に戻る。縄を体に巻きつけ、今度は左側から標が飛び出してきた。予測もしないところからの攻撃、避け切れずに皮膚を傷つける。
女は標を手元に戻した。
「どこに飛んで行くかわからねえからな。下手に手を出さない方がいいぜ?」
縄を左手に絡ませ、2、3度回して下から投げる。標の先端が、コンクリートを抉り、ユジンの足を狙う。
その場で飛んでやりすごす。女が縄を操作、標が地面から持ち上がる。まるで蛇が鎌首をもたげるように。
右手を、打ち下ろす。天頂から、鋭利な鏃がまっすぐに降ってきた。
ユジンは思い切り下がると、標はさらに変化した。女は標を手元に戻すと、右肘に縄を絡ませつつ投げる。標は螺旋を描きながら飛ぶ。
背後には壁が。飛んでくる先端を、真っ向から見据えた。
二本のバトンの柄尻を、合わせる。ねじ込み式のアタッチメントでバトンをつなぐと、一本の棍になった。
右手を滑らせ、横に払い、標を弾いた。
火花舞う。衝撃が骨に響いた。標は天井に当たり、再び女の手に戻る。女が、感心したように短く口笛を吹いた。
「やぁるじゃん、あんた。バトン合体させるなんて、ハイテクだねぇ」
「ま、ね」
余裕を見せる女とは違い、ユジンは息が切れていた。この密閉された空間、少ない酸素を必死で吸い込む。
棍を、左半身に構えた。血が、口の中に入ってくる。左手で縄標を回す女の姿が、ぼんやりと見える。そのまま凝視していると、闇に溶けてしまいそうだ。
出血の、せい――?
ユジンは頬を流れる血を、舌で舐める。塩辛い鉄分が、舌下に溜まる。
唐突に、標が放たれた。銀の軌跡が雷のよう。
棍の端を持ち、手首を返す。縦に回転、弾き飛ばした。弾かれた標が、女の右手に吸い込まれる。
踏み込み、間合いを詰める。女は縄を短く持ち、さらに投げた。体の前で棍を回転させ、盾とする。
あと2歩。
女は縄を、己の体に巻き付ける。今度は、足の間から標が飛んできた。
「な……」
目の前に、切っ先がつきつけられる。反射的に、打ち払う。標はコンクリートの壁に当たり、バウンドした。女は標を戻し、縄を己の足に絡みつかせた。
右足で、蹴り。足に絡まった縄が解け、標が物凄い勢いで飛んでくる。頬の皮膚を、わずかに切る。
出血、痛覚。金属が唸る声。耳を掠めた標が、大きく円の軌道を描いて女の手に、舞い戻る。
戻してはいけない。戻す前に、叩かなければ。
右足を踏み入れ、勢いをつけて跳躍。棍を長くもち、着地とともに女の肩に打ちすえる。
鈍い感触。骨が軋む音。歪んだ、女の顔が目に飛び込んでくる。よろめきながら、女は何事か叫んだ。
「やっ!」
間髪いれず、水平に払い打つ。右手を狙った。女が下がり、棍は空を打つ。
空振った勢いのまま、棍を回転。体側、頭上に回し、遠心力が加わった先端をもう一度打ちつけた。斜めの軌道で、今度は頭を狙う。
脳天を砕く、必殺の打撃。女はそれを、縄標の縄の部分で受け止めた。縄の部分が、大きくたわむ。
縄が、軋む。棍に力をこめる。
女が前蹴りを放った。つま先が下腹にめり込む。上体を折って後退すると、天頂から標が振り下ろされた。
下がることは不可能。そう判断したときには、体が勝手に動いていた。
上体を折り曲げ、力をためると真横に飛んだのだ。
女は狼狽していた。標は地面に突き刺さる。
――好機。
下水の中に落ちそうになったが、ぎりぎりのところで踏みとどまる。女はすぐさま、縄を繰ってユジンに標を投げつけるがその動きは予測済みだった。
下からすくい上げるように、標を払う。天井に、標が跳ね返った。先端が、天を突く。右足を踏み込み、手を滑らせてもう一方の先端でもって突きこんだ。
確かな手ごたえ。女が腹を抑え、よろめくのが見えた。追撃の一手、水平に払う。だが、それより先に女は後ろに下がった。ユジンの、棍の間合いから逃れる。 またすぐに打ってくると思いきや、女は攻撃してこない。今しがた突かれたところを、左手で抑えている。
もしかしたら、肋骨を折ったかもしれない。そう思ったが、なんら同情の念はわかない。雪久を狙ったこの女には、丁度良い報いだ。
「ホントにやるじゃん、あんた」
脂汗をびっしり浮かべる女の表情には、先ほどの余裕はない。無理して笑っている感じがする。だが、それをいうならこちらの方も。
限界に、近いかもしれない。
出血が、いよいよ酷くなってきた。小さな傷でも、それが重なると血はどんどん失われる。朦朧とする意識、膝の力が抜けそうになるのを意思の力だけでこらえる。
「早く逃げて、彰、雪久……」
消え入りそうな声で呟いた。
「こっちは、長くはもたない……かも」




