第八章:20
「まずは、あんたが何者か聞かせてもらおうか」
レイチェルはそういって、金に近づいた。黒服たちは、金に対してはまだ銃を向けたままだった。
「レイチェル・リー、うわさには聞いていたけど。『黄龍』の将か……」
「質問しているのはこっちなのだが?」
といって、拾ったチーフスペシャルを向ける。金は薄く笑いながら、ホールドアップした。
「がっかりだぜ、泣く子も黙る『黄龍』がこんなに甘ちゃんだったとはねえ」
わざとらしく、長々と嘆息する金。レイチェルが眉をひそめた。
「何?」
「『OROCHI』のガキなんざ撃ち殺して一顧だにせず! ……ひとつの街収めようって奴はそういうもんだろう」
「貴様には関係ない」
ハンマーを起こす。
妙だった。金の右足は、先ほど雪久に刺されて動かせそうにない。現に、引きずっている。黒服たちが周りを固め、正面にはレイチェル。
そんな状況であるにも関わらず、金の顔には余裕の色が浮かんでいる。あれは、虚勢を張っているのではない。直感的に、省吾はそう思った。
――あの野郎は、なにか次の一手を仕込んでいるのか?
「あと、貴様はしゃべる権利はない。いま、この場で主導権を握っているのは私だ。私の質問に、答えるんだ」
「ほう……」
金が、自身のひげ面を撫でた。愉快そうに、ますます口の端が上がる。
「もっとも、それすらも出来ないようならお前の体に直接訊くことになるがな」
なにか、次の一手――
「離れたほうが、いいかもしれない……」
省吾が口を開いた。消え入るような、小さな声で。
「え?」
彰が訊き返した。
「何かいやな予感が」
背中が、ぴりぴりとささくれ立つ。皮膚の下で、血がざわつく。いつもそうだ。なにか「やばい」局面になると、すぐにそうなる。
「ここから、離れるんだ……たぶん、あいつは……」
危険が迫っている。それがわかる。気配、本能、もしくは経験か。全身が、警告を発するのだ。
修羅に生きるものの、宿命。
「訊いてみろ、龍の大将!」
突然、金が声を張り上げた。
「生き残るのが、てめえならな。生き残っても、後悔する。この場にノコノコ出てきたことに」
気がつけば、省吾は彰とユジンをかばいながら、地に伏せていた。
長い、獣の咆哮にも似た悲鳴が上がる。顔を上げると、黒服の一人が今まさに崩れ落ちるところだった。
頭に、長さ20cmほどの“杭”が刺さっている。一瞬、晒し者にされたビリー・R・レインの姿が脳裏をよぎる。しかしそれは“杭”ではなかった。
もうひとつ、同じものが飛来した。ショットガンの黒服の、喉に突き刺さる。省吾はそれが飛来した方向を見た。
“Xanadu”の向かいの、レンガの建物の上に――紺色のパーカーを着た人間が10人程伏せている。フードを被り、顔を隠している。その手には銃らしきものがあった。
いや銃ではない。十字のシルエット、ぴんと張られた弦。先端は、刃物のように鋭い。
「弩だ」
金が、号令をかけた。
その瞬間、屋上にいた人間が一斉に矢を放った。
さらにもう一団、“Xanadu”の屋上にも同じく、人。洋弓銃を一斉射撃。黒服たちに、襲いかかった。
断末魔の叫びが、いくつも生み出された。カーボン製の矢の群が、雨となり。弾丸となる。間断なく打ち込まれる矢が、照明に反射してきらきらと光る。肉に突き刺さるたび、血飛沫舞う。
銃声が、一続きに鳴り響く。黒服た血の応戦。混乱の最中、グリーンの発射炎が一面に咲いた。
銃弾と矢、怒号と悲鳴が交錯する。レンガの壁に着弾し、銀の矢がアスファルトに突き立つ。空薬莢が、地面にばら撒かれた。
戦況は不利に見えた。威力の劣る弩とはいえ、真上から攻撃されては身を隠す場所がない。黒服たちが一人、また一人と斃れていく。
「こっちへ!」
彰は“Xanadu”の中に隠れるようにいった。彰は自力で走り、雪久はユジンと省吾が肩を貸す。何でこいつを、とも思わないでもなかったが。
空気が裂ける、音がした。
銃声の不協和音の中、かすかにだが聞こえた。短く鋭い、その音。
振り向けば、一本の矢が、2メートル先を飛来している。
スローモーションを見ているようだった。グラスファイバー製の矢は空中でしなり、螺旋に回転しながら飛んでいる。軸はぶれず、目の前を真一文字に閃いた。
先端は、獲物に突きたてんとする獣の牙。その延長線上に、ユジンの首がある。
ユジンは気づいていない。矢は無情にも柔い肉に沈み、骨を貫き――
(クソっ)
自然、省吾は駆けていた。矢とユジンとの追突を防ぐべく、手を伸ばし、飛び込むように歩を繰り出す。
右掌に、鋭い痛み。ユジンの首に刺さる、2ミリ程手前で省吾が矢を掴んだ。皮膚が裂け、握った拳から血が滴り落ちた。
「あ……」
というなり、ユジンは固まった。ギリギリで止められた矢を見て、次に省吾の顔を。目が合う、と同時に急に脂汗が噴出してきた。
何か、言おうと唇を動かしたが
「行け」
低く唸り、省吾はユジンをせきたてた。足元に、矢が刺さるのにも構わず、繰り広げられる混戦を背にした金を、省吾は追った。弩の矢が、省吾の肩と足を傷つけた。
逆手に持った矢で戦端を開き、ようやく金に追いついた。
「待て、金」
肩を引っつかんで、向き直らせる。
「これは、どういうことだ」
「そういうこと、だよ」
金はわけもなく、そう答えた。自身も深手を負っているにも関わらず、笑っている。
「お前には、この光景をみせておきたかったんでな。別に、『黄龍』の頭のことなんざどうでも良かったんだ……」
「俺を、嵌めるつもりだったのか」
「まさかまさか。ただ、いったはずだ。真実を確かめろ、とな。見てみぃ、この有様」
そういって金が指差す、その先に展開する修羅場。黒服たちが、苦戦している。彰たちが乗ってきたであろうハマーの影で、黄が頭を抱えて伏せていた。
「考えなしに突っ込む『OROCHI』と、図体ばかりでかくなって奇襲に弱い、『黄龍』。この街の頂点に立つ器じゃあない。そうは思わないか?」
「何が言いたい?」
「いずれ、俺たち『STINGER』が成海をとる。誰についていくか、考えた方が良くないか『疵面』?」
猫なで声。悪魔が聖職者を誘惑するような、そんな底意地の悪さが垣間見える。
「俺たちのところに来い、『疵面』。あんな寄せ集めの蛇共なんかと、縁を切って。お前なら、幹部待遇で迎えるぜ」
「そ……」
言葉につまる。口の中に、生唾がたまった。そいつを喉の奥に押し込め、飲み下してからようやく
「そんなことのために、俺を……」
やっと、それだけ口にする。
「それだけ、ってこたないけどな。メインは『黄龍』への挨拶だ」
金は踵を返し、刺された足を引きずるようにして去ろうとする。省吾はその背に、矢をつきたてようと、振りかぶった。
瞬間、耳に空気の塊が叩きつけられる。何が起こったのか、わからなかった。
金の右足、刺された方のつま先が省吾のこめかみぎりぎりの位置にあった。高速の回し蹴りが、わずか2mmほどを残して止められた。
「ま、今日はお前とやりあう気はねえよ」
つま先だけで器用に、ぴしゃぴしゃと省吾の頬を叩く。固まる省吾をたっぷり2秒、眺めてから足を下ろした。
「考えとけよ、この街で生き延びたかったら」
「こ……このっ」
省吾は我に返り、金の肩を掴もうと手を伸ばす。その手をとったものがいた。
小柄な人間、フードを目深に被っている。そいつがいきなり、蹴りをかましてきた。省吾は腕を振りほどき、下がる。
下がりながら、構えた。右半身、腰を落として。
「連、そいつと遊んでやれ。殺さない程度にな」
金がそういうのへ、小さくうなずく。連なる人間、男か女かもわからないがどう見ても成人の体ではない。身長は省吾の胸の辺までしかなく、肩幅も狭い。
「……野郎」
後ろでは、銃撃が続く。正面では、連が構えをとっている。地面に刺さった矢を順手にもち、
「邪魔をするなっ」
突きだした。