第八章:12
遅れてすみません。第八章12話、更新です。
2階にはカーテンに仕切られた席が、いくつもあった。大人が3人座れば一杯になるであろう、木製の卓が並んでいる。
ソファのひとつに座り、他の多くがそうするように雪久もふんぞり返って煙を吐き出した。 紫煙が、霞みとなって室内に充満する。スモークガラス越しに、ステージを見下ろすことができる。もっとも、ここからステージをまともに見るものはいない。ああいうのは暇つぶしに見るものであって、ショーのためにここに来ているのではない――少なくとも、ここに上がる者にとっては、そういうものだ。
それが証拠に、区切られたカーテンの向こうから下品な囁きとあえぐような声が聞こえる。カーテンに影が映る。3人分。
(お盛んだねぇ)
つけたばかりの煙草を、灰皿に押し付けた。これでもう20本目。正面に座るべき人物は、未だ現れない。直立不動で控えている黒服2人に、話しかけた。
「クソでもしてんのか、お前んとこの頭は」
2人――白人と黒人が1人ずつ。軍隊式に背筋を伸ばして「休め」の姿勢を崩さない。雪久の言葉など、耳に入っていないようだ。気にせず、続ける。
「別にいいさ、出すものは出さねえと調子も悪くなるだろうし。ついでにあっちの方も済ませてよ」
顎で、カーテンの方をしゃくる。絡みあう二人分の影、布地に黒く浮かび上がる。馬鹿にしたようにせせら笑い、ステージに目を落とした。降り注ぐ照明の筋が、ステージを刺す。心臓を揺るがすビートは、ここには届かない。
「楽しいなあ、この見世物。お前らもああいうのやるのか?」
皮肉たっぷりに、黒服の1人に話しかけた。青みがかった黒髪を短く刈り揃えた白人男だ。サングラスは変わらず空を睨んでいる。張り合いのねえ奴、といって舌打ちした。
「待たせやがって、クソッ」
眼下には、人の群れ。暗がりにいると、蛆がわいているようにも見える。
ステージから一番離れた卓に、ユジンが座っているのが見えた。退屈そうに頬杖をついて、ショーを眺めている。男が数人近づいてきて、なにやら話しかけているが聞く耳持たない。
「雪久」
呼ばれた方向に振り返ると、彰がいた。
「やっぱり連絡つかないよ、燕。どうしたのかな」
「ほうっとけ、逃げた奴なんか。ところでアイツ、なにやってんの?」
雪久は呆けているユジンを指差していった。
「あんなところで、ぼけっとしやがって。やる気あるのか、アイツは」
声に、苛立ちが滲んでいる。
「ないと思うよ、多分」
彰は懐からマルボロライトを取り出し、火をつけた。狭いVIPルームに、もう1つ煙の筋が昇る。雪久の後ろに立ち、ガラスに背をつけた。
「ユジン(あいつ)は、お前がやるといったから従っているだけだよ。本心から望んでここにいるわけじゃあない」
「なぜ」
「そりゃあ……お前が舞ばっかり特別扱いするからだろう。『BLUE PANTHER』とは違って、今回は舞のためだけにお前が動いたから」
「だからなぜ、そうなる?」
雪久が訊く。彰は聞き分けのない生徒でも相手している教師であるかのように息を吐いた。
「……報われないな、あいつも」
そうもらした時。
1人の男が、VIPルームに姿を現した。
大柄の白人だった。身長は彰より頭ひとつ、高い。良く鍛えられた上腕と胸筋を紺色のスーツで包んでいる。指に光る、金色のリング。装飾品はそれのみ。わりと質素な身なりだ。
無精髭の、いかつい顔つき。一重瞼に埋まった瞳は、髪の色と同じ濁ったグレーだ。
ソファに座りこむなり、胡散臭そうな目で雪久達を睥睨した。ことさらに凄んだり、睨みつけることは無い。それなのに、妙にその目は威圧感がある。
「なんだい、頭は出て来ねえのかよ」
「ボスは忙しいんだ。お前たちに、いちいち構ってられるか」
足を組むと、英国製の上物の革靴が雪久の目の前に突き出される。よく磨かれたそれは少ない光に反射し、つやめいていた。
咳払いひとつ。こういう扱いはもう慣れっこだ。名前を知らないものなど歯牙にもかけぬ。そして裏の社会で生きるものにとって、それは宿命だった。
(まあいいさ、そのうちいやでも名前を覚えさせる)
煙草を押し付けて目障りな靴を焦がしてやりたいとも思ったが、やめた。
「あんたは、雑兵どものまとめ役だったな」
彰が口を開くと、男はまあな、と大して興味もなさそうにいった。
「誰だ? 彰」
雪久は後ろを振り返り、日本語で訊いた。
「『黄龍』の、幹部の1人だろうが。ヒューイ・ブラッド、龍の右腕だ。私服連中を取りまとめている」
覚えとけ、と彰がいう。雪久は鼻を鳴らした。
「ふん、自分が出ないで部下を寄越すたあ。臆したか、あのクソババア」
「絶対、それ違う」
ヒューイは黙って、2人のやり取りを見ている。瞬きもせずに。雪久は再び、向き直っていった。
「あんたは下っ端連中の頭か。実際に兵隊動かすのも、あんたか?」
「ボスが直接指揮を執るときもある。だがそれは特殊なケース、殆どはこの俺の権限」
そういうとヒューイは、ゆったりとした動きで煙草を取り出した。箱から引き抜き、口にくわえ……それきり。火は点けない。
「ああそう、つまりは私服どもが勝手するのを抑える役か。引き綱が甘かったな、ヒューイ」
「……なんのことだ」
「こういうことだ」
雪久はおもむろにポケットから――黄色いバンダナをとりだした。
「この犬にして、この飼い主ありってか?」
バンダナはところどころ、血に染まっている。血液が染み込んだ部分は布地が茶色く変色していた。それを、ヒューイが良く見えるようにテーブルに放り投げた。
「これは?」
「とぼけるのはよそうぜ、ヒューイ。あんたのとこじゃ、犬は放し飼いが信条なのか?」
ヒューイ、煙草に火をつけようとして、結局止めた。忌々しそうに、舌打ちをする。
「お前のとこの兵隊が、《南辺》で勝手してんだよ」
「それが、うちの組員だと?」
「てめえらが黄色いモンつけてんだろうが」
煙草を噛み、ヒューイはライターの火をつけたり消したりを繰り返している。吸うのか吸わないのかはっきりしやがれってんだ。
「そんな汚ない布は知らんな」
ヒューイがいうのに、雪久は切れた。ばん、とテーブルに手をついて身を乗り出し
「戦争ん時でこの色を身につける奴ぁ、お前らだけだろう。そいつを巻いていた奴が、俺の女に手を出しやがったんだよ。勝手に人の縄張りで弾きやがって、その落とし前はどうつけてくれるんだ?」
顔を近づけた。
ヒューイの脇を固める黒服2人が、雪久を取り押さえようと動いた。白人が肩をとり、黒人が首を……しかし、ヒューイはそれを止めさせる。
そんな必要は無い、とでもいうのだろうか。
「そんなことで、巣穴から這い出したというのか。ご苦労なこった」
せせら笑うヒューイは余裕の色を見せる。この男は、雪久のことを“なんとも”思っていないのだ。信じられない、こいつは『OROCHI』の長が来たというようには理解していない。ただの、煩い黄色人のガキが座っているとしか思っていないようだ。
なめるな――そういおうとした。彰が肩を叩いた。
「あまり、事を急くな」と、日本語でいう。
「焦ることは、ない。まだ時間はある」
「時間ねえぞ、リーシェン」
と、黄がせかした。自分の頭よりも大きな工具箱を肩に担ぎあげ、左手には一抱えもあるボストンバッグを持っている。浅黄色の作業服が、黒ずんだ。
「あまり急かさないです黄。足限界、肩が痛い。手伝って欲しい」
「バッカ、こういうのは下っ端がやるんもんだろうがよ。俺様は、命令する方。後輩は先輩の言うことをだな……」
「黄、ワタシと変わらないです。入ったの」
聞こえないように、リーシェンはぼそりと呟いた。
クラブの裏手は路地だった。アスファルトは、スモッグで汚れた空と同じ色をしていた。壁際を鼠が走る。黒ずんだ水溜りからは、生ゴミが腐った匂いが充満している。ものすごい臭気に、顔をしかめる。手が開いていないので、鼻を塞ぐことも出来ない。
「なんで、こんなとこに来る? おかしい」
「しらねえよ、彰がいったんだから」
一方の黄は手ぶらである。荷物は全部リーシェンに押し付けている。
「でも、そんなこと自分でやるです普通。汚れ仕事は、絶対押し付ける。好かない」
「阿呆、俺らが頑張らなきゃチームも回らないだろう。こういう、小さなことの積み重ねでもって俺らが勝利に導くんだって」
「そんな、一昔前の根性論いらない。いいように利用されてるでしょう、黄?」
「なんだよお前、さっきから文句が多い……」
「ごちゃごちゃうるさいぞ、二人とも」
先頭を歩く長身の少年がいった。潰れた帽子から、茶色の髪がはみ出している。
「だってよお、ヨシ。こいつ最年少のくせに口ごたえしやがんだぜ?」
「まず、荷物を持ってやれよ黄。扱いがひどければ不満も出るさ」
そういってヨシと呼ばれた少年は、肩から下げたデイバックをずり上げた。
「足並みは、そろえようぜ」
「へいへい」
不承不承うなずいた。リーシェンが肩に担いでいる工具箱を、ひったくるように取る。
「持てばいいだろう、持てば」
「なんですか、その言い方」
両肩の圧迫から開放されたリーシェンは、かったるそうに首を鳴らした。
「うるせえ、大体お前は鍛え方が足りねえんだよ」
「ワタシ、戦うの専門じゃない」
「そんなんだから、この間もやられちまったんだろう」
「あれは、黄のバックアップのが悪かったからです!」
「あん? なんだとこの……」
しまいには口論を始めた黄とリーシェンを、ヨシは諌めた。呆れたように。
「いい加減にしないか、二人とも。今は、そんなことしている場合じゃないだろう」
Xanaduの裏口を指差し、ヨシがいった。
「今夜中にこいつを仕掛けなければなんないんだから」
都合により、しばらく執筆を休みます。次回は一週間後の日曜日になってしまいます。ご了承ください。