第八章:10
「……んで、今一度問うぞ金」
ランドローバーが、一軒のクラブの前で停まった。降車する金に、詰問するような口調で投げかける。
「なんだい、『疵面』」
「俺は、先生のことについて有力な情報があるっていうから来たんだ。まさか忘れちゃいねえだろうな」
「……あ、ああまあそうだな」
忘れちゃいねえさという金に、不信感を募らせる。
「いやいや、忘れてねえって。本当に」
「こんなところに連れてきて、その台詞を吐くか」
どぎつい色彩に照らされた横顔は、翳りを見せていた。
原色で塗りたくられた看板に、光の文字が躍る。省吾は文字を読んだ。“Xanadu”、随分古めかしい名だ。商業ビルといっても通用する、仰々しい外観。赤やピンクが多い中、青を貴重とした寒色系の電飾を施している。周りのクラブ、カジノ郡の中でひときわ目立つ構えである。白人の若い男女が、光に酔い、群がっていた。
「俺、遊びに来たんじゃないんだが」
「いいんだよ、ここで」
金は構わず店に入って行く。省吾は慌てて後を追った。
「龍の頭が、こんなところに来るのか?」
「まさか、こういうシノギは下の者に任せてあるに決まっている。ただ、今夜はちょっと違うんだ」
店の前には黒服の護衛が立っていた。屈強な黒人が省吾と金を止め、手を差し出す。
「武器を預かる」
黒人男がそういうのに、省吾は顔をしかめた。大した物は持っていないが、身を守るもの全てを差し出すことには抵抗がある。
“敵”は、いつ現れるか分からないのだから――
「出しとけ。でないと、ここには入れない」
金はというと、黒服のボディーチェックを受けていた。金属探知機を体に当て、二人がかりで体の隅々まで調べられて。随分、厳重なチェックである。
「たかがクラブで……」
文句を言いながらも、渋々従った。袖に隠したナイフを数本出し、背中に取り付けた特殊警棒を外す。全ての武器を吐き出した後も、入念なチェックを受ける。
「なんだってこんなに、厳重なんだ」
目ぼしいものはなにもなかったのか、金は早々にゴーサインを受けていた。省吾が出した武器類を興味深そうに眺めながらいった。
「今夜、この店でちょっとした会談があるんだよ」
「会談? だれの」
「『黄龍』と頭と、あとはお前の良く知っている人間もいるだろうよ」
「なにそれ――」
省吾の胸の辺りで、金属探知機が反応した。黒服の顔をしかめて出せとせかす。省吾は舌打ちしながら、首から掛けたネックレスを見せた。銀色の台座に、グリーンの翡翠が収まったシンプルなデザインだ。
「これはただの服飾品だ。かまわねえだろう」
「ダメだ。どんな細かいものでも、危険性が少しでもあるものは排除する」
「いや、このぐらいは……」
「ダメなものはダメだ」
黒服は、頑として譲らない。省吾の苛立ちがピークに達した。
「てめえ、『黄龍』だかなんだか知らねえが……」
声のトーンを低くして、凄むように唸った。目を剥き腰を落として――威嚇する獣の目で睨みつける。サングラス越しの黒服の目が、鋭さを帯びたように見えた。
そこへ、金が割って入った。
「ああ、すまんな。こいつ、こういうところ初めてでさ。緊張しているみてえだ」
金は馴れ馴れしく黒服に話しかける。
「悪いけど、これはこのままにさせてやれんか? こいつのことは俺が保証するからさ。あんたらも、こんなことで手ぇ煩わせたくはねえだろう? な、頼むよ」
「おい、金なにを」
「黙ってろ」
金がぴしゃりと言い放つ。絶対の拒絶を言葉に込め、有無をいわせぬ厳しさ。今までの金の言動からは考えられない強い口調に、省吾はたじろいだ。
「……騒ぎを起こさなければいい」
黒服たちはしばらく話し合っていたが、不承不承といった様子でゴーサインを出した。
「入っていいぞ」
「おお、話がわかるねブラザー。サンキューサンキュー」
アメリカのコメディーみたいに、大げさな身振りをする金に黒服は一言「早く行け」とだけいった。金は半ば強引に省吾の手をひき、店の中に入った。
「馬鹿だな、お前」
金の口調が、責めるものに変わった。
「素直に従っとけばいいものを。下手に抵抗して、全身をぶち抜かれて長江の魚の餌にされていたぞ」
「うるせえ」
眉間に皺を刻み込み、面白くなさそうに顔を背ける。金は肩をすくめてわざと大きな溜息をついた。
「ったくよお。それは何なんだ? そんなに必死になって」
金の問いには、省吾は答えない。店の奥に進むにつれ、心臓を揺さぶるようなビートが聞こえてくる。
やがて省吾が口を開いた。
「……先生から、貰ったものだ」
そういった言葉も、ドアを開けた瞬間には喧騒と音響にかき消されていった。
迎えたのは、大音響。激しいビートが、心臓揺さぶる。体の芯をも奮わせるような、重低音が省吾の耳を貫いた。フロア一杯に氾濫する音の波。音にあわせて明滅する、原色の光が生み出す影の中で、酔客達が中央のステージを注目していた。
頭ひとつ高いステージ上に降り注ぐ、原色の光。店のあらゆる光源が2人の女に向けられている。
革の衣装を纏った女が、中央に歩み出た。手には鞭、ハイヒールを履いている。真ん中で四つんばいになっている、もう1人の女の背中を踏みつけ、鞭を振り上げた。
皮膚に打ちつける。打たれた女が、快楽の雄叫びを上げた。愉悦と苦痛が入り混じった、恍惚とした表情で喘いでいる。
もう一度、今度はより強く。鞭が走るたび、酔客たちが興奮したような嬌声を上げた。
視線が、男たちの視線が遠慮なく2人の女に注がれる。鞭が振り下ろされるたびに、女が痛みに身をよじる様は男たちの欲望を満たす。ハイになった客たちは、足を踏み鳴らし手を叩き、下卑た嬌声で迎える。
「こういうところは初めてか」と問う金の声も、最初は聞こえなかった。激しいビートで聴覚がやられて、普通に会話したのでは分かるはずも無い。
省吾は舞台をちらちらみていたが、結局目を逸らした。生白い四肢が赤く色づき、女は恍惚とした表情で息を洩らす。まともに正視したのではこちらの気が狂ってしまうかもしれない。
「なんだ、赤くなってんぞ?」
金がにやけた面を近づけた。省吾の顔を覗きこむ。
「なってねえ」
「なってんじゃねえか。やっぱはじめてだったんだな」
からかう金に「照明のせいだ」と反論するものの、自分でも分かった。顔が、熱を帯びているかのように燃えている。おそらく、もっと明るい所で見たらはっきりと赤くなっているに違いない。
「ははあ、お前さんもしかしてこういうことに免疫がねえな?」
愉快そうに肩を叩いてくる金を見ると、ぶん殴ってやりたくなる。それをしないのはこの男の握っている情報が惜しいから。怒鳴りたくなる衝動をぐっと、喉の奥に押し込めた。
「その分じゃ、女もしらねえみてえだな」
「……だからなんだよ」
「や、別に。ただこんな街じゃいつおっ死ぬかわからねえ、今のうちに済ましたほうがいいぜ。若人よ」
「うるせえよ、このどスケベオヤジ」
ぴし、と鞭が唸る。マゾヒストの奴隷女が高らかに啼く。より激しく、より強く。エクスタシーが加速する。
こんなところに連れてきて、一体なんだというのだろう。下らない、低俗なSMを見せつけられて、それで言いたい放題言われて。自分でもよく我慢していると思う。
「大体、こんなところは……」
「『疵面』、悪いんだがちょいと俺は消えるぜ」
金がいきなりそんなことをいうものだから、省吾の文句をいいかけた口が、固まった。
「消える、って」
「ちと野暮用でな。しばらく適当にその辺プラプラしていてくれよ」
「って、待て。こんな阿呆の巣窟で1人で何をしろと?」
「大人は独りでも愉しむもんだぜ、坊や」
金はけらけらと笑い「小遣いだ」といって省吾に10ドル紙幣を握らせた。
「まあ直ぐに戻ってくるからよ。しばらく遊んでいろや」
そういうと金は背を向け、人込みの中に消えた。背中にはなにか、アルファベットの文字が刻まれているように見えた。
(STIN……GER……?)
確かにそう読めた。紺色の生地に金色のゴシック文字で書かれた6つの文字。何を意味するのか……
行き交う人影が、金の姿を覆い隠す。同時に背中の文字のことも、省吾の頭の中からきれいに消えていった。
どうせ大したことではないだろう。
そう思うと、もはやどうでもよくなっていた。
ステージ上では、奴隷が新たな玩具(拘束具)を与えられ、縛りつけられていた。
次回更新,6月4日(水)更新予定です。