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監獄街  作者: 俊衛門
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序章:1

R-15、残酷描写あり。また差別的表現を含みます。

《東シナ海 北緯31度付近》


 濃紺の海原に、陽光がナイフのように突き刺さる。


 紺碧に彩られた海、波はそれほど高くない。潮風は暖かな空気を運び、時々吹く突風が白い飛沫を立てた。青緑の平野には島影も何もなく、ただその上を、朽ちかけた外観の船が航行していた。

 粗末な船である。一見すると漁船かと見まごうほどの造り。船体のあちこちが火に炙られたかのように黒ずみ、錆びたデッキが年季を語っている。濃緑のスチール板で四角く囲った、箱のような本体に、かすれた文字で『UN』のプリントが成されている。

 真田省吾さなだしょうごは船べりから海を臨んだ。船が波にあおられるたび、ぐらり傾き、同時に体が浮き上がった。それに伴い、内臓が反転したかのような心地を得る。内容物と体液の全てが逆流して、喉元にこみ上げた。船べりから海に向けて嘔吐するが、苦い胃液とわずかな水分が口から滴り落ちるのみだった。

 ――もう3日間、なにも食ってないから――

 わずかな水と糧食は、とうに底をついていた。運搬するためだけにあるこの船に、余計な食糧は無いらしい。誰もが飢えと乾きを、身を丸めてうずくまり、耐えていた。

「くそ、船主!」 

 唾を吐いて悪態をつく。絞り込まれたようになった喉から空気がわずかに漏れただけの、弱弱しい声だった。

「水ぐらい飲ませてくれたっていいだろうに。やつら、好きなだけ肉食って酒飲んでるのかもしれんがこちとら飲まず食わずなんだよ。商売道具を殺してもいいことねえだろうが」

「騒ぐな、クソガキ。すきっ腹に響く」

 少年の傍らのボロ布を纏った老人が、ささやくような声で怒鳴る。麻の衣服から、かすかな臭気がする。老人の、紙粘土めいて乾燥した唇がぼそぼそと動いた。

「そんだけ怒鳴れるんじゃまだまだ元気だ。少なくとも、そこに転がっている連中よりはな」 

「転がってる、ってそれ死んでんじゃねえか。生者と死者を一緒にすんな」

 汚物にまみれたそれを蹴飛ばした。ごとん、という音を立てて転がる死体。その体はやせ細り、肋骨が浮き出ている。皮膚はまるで樹皮のように乾ききっていた。

 老人は鼻を鳴らす。欠けた歯が口元から見えた。

「言うとるが、お前さんだっていずれこうなるんじゃ。早いか遅いかの違いだ。戦場では、生に執着したものからまず死んでゆく。わしが兵士だった頃……」

「うるせえ、ジジイ。貴様らがその戦争に負けたせいでこんな目に遭ってんだろうが」

 言うなり少年はえずいた。船が上下し、本日8回目の吐き気に襲われる。

 世界を二分する大国間睨み合いから始まり、東アジアを飲み込んだ戦いは、わずか一月で大国を滅ぼす荷まで至った。あらゆる近代兵器が投入され、激化した戦い――この急造船もまた、そのときに作られたものだ。急なことで間に合わなかった、お前らにはそれで十分だろう、と白人兵士が英語で言っていた。難民風情にあてがう物など何も無い、という口ぶりで。

 船は難民達を輸送する、難民船であった。戦乱で国を失った難民への救済措置――国連の委託を受けた戦勝国が、主に難民の輸送と行政区画の管理をしている。難民はすべからく、国連が設けた特区へ移行すべき――人道的措置、という名目ではある。だが、これなら焼け野原にいたほうがよっぽどマシだったと思わせるには十分だった。難民船というよりは奴隷船と呼ぶのが相応しい。狭い船内に押し込められて、日差しを遮るものは何もない。じりじりと直射日光に、細胞ごと水分を奪い取られる気がしていた。せめて、風に当たって涼をとらんと省吾は身を乗り出す。長いこと手入れをしない、ざんばらの黒髪が潮風に揺れた。

(これじゃ、いつまで持ち堪えられるか……)

 腹を押さえた。じっと耐えていても、楽になる気がしない。このまま、足元にいる奴と同じ運命になるのか、冗談じゃない、と省吾は目を閉じた。このままなら、確実に助からない――。

 ふと、難民の一人が叫んだ。

「陸地がみえたぞ!」

 その声に、皆が反応する。省吾も彼が指差す方向を見た。

 男の指の方向に、陸地があった。構造物郡が立ち並ぶ彼方の岸、その中にひときわ目立つ塔が建っている。数キロ先に待ち受けるそれは、国連が設けた行政特区の一都市と知れた。灰色のビルが所狭しと立ち並び、そのビルの群れからひときわ目立つ、黒い塔。

 難民達は、恐れ慄くように呟いた。

「成海市……」

 東シナ行政特区最大の都市である、その名を呼ぶ。



  

《成海市南辺第4ブロック》



 成海市南の廃ビル、その屋上から一人の少年が港を見下ろしていた。70倍にも拡大できる双眼鏡を手に、船から出てくる難民を見据える。

「日本人、か」

 かつての極東民を、その名で呼ぶものは少ない。列島出身の難民は、総じて「倭人」と称される。だが彼自身、その呼び名を好いていないため、旧称を用いることにしている。

 少年は双眼鏡を下ろした。

 黒い瞳。その目はにごり、底が見えない深い色をしている。銀色の髪は耳元まで切りそろえており、口元を歪めて不適な笑みを浮かべていた。

「どう見る? ユジン」

「どう、って言われても」

 ユジンと呼ばれた少女が、困惑したような笑顔を向けた。

「私の出身地の人がいないのは残念な気はするけどね」

「半島難民は船では来ねえだろうよ。そうじゃなくてこの街には影響がないか、って聞いてんだよ」

「そんなの分からないわ。この街に来て日が浅いんだから」

 長い髪をかきあげながらユジンは答える。わかってるくせに、と形のいい唇を尖らせた

「あの中にテロリストが紛れている可能性もあるけど、でも銃火器の所持は法令で禁止されているから大して影響はないと思うわよ?」    

「甘いな、ユジン。法律はすべからく破られるためにあるんだ。現にこの街の白人どもは皆持っている。総督府も見てみぬふりだ。裏で取引されているに決まってら」

 どこか冷めた口調。諦めと、(あざけ)りの色が見える。それが誰に向けられているものなのかユジンは知っていた。

 二人がいるビルは戦前建てられたものだ。戦時中、業火に焼かれたもののしぶとく生き残り、行政特区設立後も取り壊されることなく残された。成海の街には新しく建てられたものと共に、このように廃墟と化したものが存在し、新旧様々な建築物が林立している。

「ま、とりあえず今のところは何もなさそうだ。さっさと今日の仕事にかかろうか」

 少年は足元の上着をとり、袖を通した。

 赤い、長めのジャケット。それがマントの様に風にはためく。少年の体にはやや大きいようだ。

 ユジンも同じ、揃いのジャケットを着込む。二人が羽織ったその背中には、それぞれアルファベットで『OROCHI』と書いてあった。


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