《現実世界》⑩+《E・D内部/クリム=鈴夜 湊:視点》⑨ ”行方”
遅くなって申し訳ありません。
《現実世界/出御高校》
「東雲和真――――さんは、居ますか?」
「は?」
紙パックの野菜ジュースを手に、一人の男子生徒が口を開けて固まった。眼鏡を掛けた瞳の細い少年から、出会い頭に質問された為だ。彼は答えを放置したまま、しばらく相手の姿を見下ろしていく。履いている上靴の色は、二年生特有の色合いだった。
「…………っ」
自分の外見を撫でる無言の視線を受け、下級生である生徒は下唇を噛んだ。その背後で控えている三原茜も、顔に若干の緊張を浮かべた。
生徒会長との接点を思い出した翌日。
正午の休憩時間にて、鈴夜湊は三年生の教室がある階を訪れていた。教室へ続く扉の前で上級生はすぐに捕まえられた。昼食の時間帯であるので、出入りが多くなっていたからだ。
「あー、居ないっぽいなぁ……」
対応している生徒は、教室の方を振り返りながら呟いた。それを聞いた湊の瞳がより険しくなる。
「……どこに行ったか、分かりますか?」
「いや、流石にそこまでは」
低い声音の問いかけに、たじろぐ反応が返って来る。
しかし、湊は構わずに畳み掛けた。
「いつもこの時間にいなくなりますか? それとも、もっと前から不在だったんですか? ……もしかして具合が悪くなったんですか? だったら保健室に寄りましたか? もう帰ったという事はありませんか? 違うというなら、何時ぐらいに戻って来るか、教えてくれませんか?」
「え、ちょ」
怒涛の勢いで下級生がまくし立てる。三年生は紙パックを握り締めながら、一歩だけ後ろへ下がった。
「待って、湊君。……落ち着いて」
同級生の肩に手を置いて、茜が止める。
「そんな暇はない……っ!」
だが、彼女の言葉だけでは抑えきれなかった。湊の声が廊下に響き渡る。扉の周りに居た生徒が一斉に彼等を見た。
「東雲和真はどこだ! 早く彼に会わせてくれっ!!」
前のめりで怒声を震わせた湊を中心にして、近辺へと騒めきが広がっていく。
その階を横切る者は三年生が殆どだった。二年生は湊と茜しかいない。彼等の存在はただでさえ好奇の目を集めた。そして、そこに湊の叫びが加わり、その数は段々と増えていっていた。
「湊君! マズイって……!」
再度、茜が制止しようとする。眉間に皺を刻んでいる彼へ言葉を届ける事は、すぐには叶わなかった。自分達を囲む人垣さえ気にも留めていない。目の前の三年生だけに意識を注いでいた。
「忘れたのっ? 問題を起こしたら、君の立場が……!」
「……っ」
湊の表情が僅かに強張った。
――かつて、一年生の暴行未遂を起こし、鈴夜湊は停学処分を受けている。相手方にも問題があり、処分の日程は一週間に落ち着いた。だが、裏で飛び交う事情に精通している生徒は多くない。三年生も例外ではなかった。
「ねえ、あの子って……」
「あれだろ、前に――」
「何か、どっかで見たことがある顔だな……」
湊本人を差す呟きが生まれていく。好奇心に満ちた瞳は、やがて怪訝の色へと変わっていった。
「下手に騒ぎ立てちゃったら、聞きたいことも聞けないんだって!」
「く……」
茜の警告は的を射ていた。湊達を取り巻く三年生の輪が、ざわざわと波乱を引き起こしている。平穏な話し合いは完全に遠ざけられた。
「ああ、もう……帰りづらくなっちゃった……!」
全方位に人の壁があった。誰もが喧騒の中心に立つ少年に視線を傾けている。退路は見当たらず、戻ろうとしていた茜もすぐに項垂れた。
「――――よぉ! 奇遇だな!」
訝しむ表情が飛び交う中、その声色は響く。
「ちょうど昼だ、一緒にメシ食おうぜ!」
人々の海を掻き分け、背の高い男子生徒が二人に近付いていった。茜は寄って来る顔を見つめ、口を開けながら名字を呼ぶ。
「た、高森先輩……!」
「ほら、行こうぜっ! 俺、すげー腹減ってんだよ!」
同じ部活に属する三年生が満面の笑みで提案する。面持ちを張り詰めた湊の肩に腕を回した。窓や壁に反響する程の声量が撒き散らされていく。
「でも」
湊が鋭くなった瞳で見上げた。
「今は俺の言う通りにしておけ」
高森燈哉の小声に制された。そのまま細い上半身は引っ張られる。首回りを掴まれた状態で、湊は立っていた場所を動かされた。
「ちょっとごめんなー! どいてくれー!」
「あ、待って……!」
三年生の集団を片手で押し退けていく燈哉。引き摺られている湊は、対応をしていた三年生の方を未だに凝視している。その後を茜が遅れて付いていった。
「……何だったんだ、あれ……?」
三人の姿が消えた後、相手をしていた生徒が呟いた。
騒ぎは過ぎ去った。集まっていた野次馬も次第に散っていく。殆どの三年生がその場から離れようとした。
だが、一人だけ、そこに足を根付かせている者が居た。
「……………………会長……?」
口を開いた生徒の瞳は、廊下の先を見据えながら鋭くしていく。それぞれが自由に歩き回る空間で、ただずっと立ち尽くしていた。
*****
椅子に深く腰掛け、高森燈哉は正面の下級生を睨んだ。
「…………んで、東雲ともう一度会いたいと?」
「はい」
湊が縦に首を振った。
出御高校の端に位置するドリー部の部室。彼等はここへ避難していた。燈哉への説明は落ち着くと同時に済ませている。一通りの話が湊から語られ、彼はしばらく沈黙に浸り、再び意志を訊いた。
「別に俺が話つけてもいいんだが……」
「お願いします」
対面に座する湊の回答は、燈哉を呆気に取る程に迅速だった。
「いや、上手く会えるかは分かんねえよ? それに……お前らが三年の教室に居た理由は分かったけど、東雲に会いたい理由までは言ってないよな?」
「…………」
彼に伝えたのは、生徒会長と湊が同じ中学校の出身であった事。加えて、二人の間に面識があった事も知らせている。説明はそれで打ち切られていた。
「……この前のトーナメントが関係してる、とか?」
「えと、私の口からは」
燈哉は斜め前に座っている茜に焦点を当てた。だが、彼女は曖昧に言葉を濁らせた。その表情も曇っている。
「彼とは…………積もる話がありますから」
代わって答えた湊に、燈哉も眉をしかめる。
「だからさぁ、その反応が一番怖ぇんだって」
溜息が吐かれた。彼は机の上に乗せた腕で額を支える。顔を伏せたまま、秘めた不安を打ち明けていく。
「短い付き合いだけど、お前がそんなキャラじゃないのは良く分かってる。……そして、そういう時が色々とマズイ状況だっていうのも知ってる」
「…………」
「一応、俺はこの部じゃ新入りだ。そこまで深くはツッコミはしない。でも」
そこで燈哉は初めて視線を上げた。レンズ越しに虚ろな双眸と交差させ、徐に口を動かす。
「『話したくない』、ぐらいは言ってみたらどうだ?」
「…………」
湊の沈黙は不変だった。ただし、片方の眉だけ小さく歪んでいた。捻じ曲がったその視線は相手に苦笑を浮かばせる。
「茜も大変だな。…………ま、やれることはやってみるさ」
そう言い残し、燈哉は席から立ち上がる。
「あーあ、腹減ったなー」
携帯端末の画面を覗き込みながら、彼は部室から出ていった。後には茜と湊の二人が残される。
「み、湊君」
茜の呼びかけに応じる事は無かった。上級生が潜り抜けた扉の方を見つめ、険しい表情ばかりを浮かべていた。数秒の静寂。それを打ち破ったのが、湊の膝上で拳が強く握られる音だった。
《E・D内部/鈴夜 湊=クリム:視点》
――分からない。
彼が俺に何を伝えたかったのか、全く分からない。
「話したくない…………なんて言って、何の意味がある」
俺はマイルームの中で一人呟いた。目に入って来る白い壁は、質素さを主張するだけで質問には答えてくれない。それ以外に意識を向けられる物も無かった。改めて家具の少なさが身に染みる。最も空間を圧迫するのは、今腰かけているベッドぐらいだ。
三年生の教室を訪れた日の、放課後。
時間が経っても特に呼び出される事はなかった。授業が終わり、部室へ再び集まった時に彼女は安堵していた。そこまで切羽詰まった状況に思われたらしい。俺にとっては、ただ人を尋ねたつもりだったのだが。
他の二人もしばらくしたら集まった。芳野結那がこそこそと部室の扉を開け、頼みの三年生は多少の遅刻をしてから姿を現した。
『…………東雲本人には会えたんだが』
高森燈哉は濁った言葉遣いで俺達に打ち明けた。
『忙しい、の一点張りだ。ありゃあ、会うのは難しいかもな』
彼の話を噛み砕き、俺はまず東雲和真が抱いている警戒心を汲み取った。生徒会長は俺に関わる人間を避けているのではないだろうか。部員であったら誰も約束に取りつけないかもしれない。
…………いや。
彼女だったら、どうだろう?
『……何、湊君?』
『……別に』
安易に頼ってはいけない。彼女の事情を利用するのはなるべく避けたかった。今回に関しては、自分の力だけで解決すべきだ。そう思って俺は彼女から目を背けた。
だけども、状況は悪化する一方である。
「――くそ」
今日一日を振り返り、気づけば文句が口から飛び出ていた。
はっきり言って、生徒会長である東雲和真と会うのは至難の業だった。休憩時間にはいつも生徒会室へ行っており、顔を合わせる事すら叶わない。知り合いであろう高森燈哉を介しても話は通らない。これ以上の強硬策も、かえって俺の立場を悪くしてしまう。
俺自身がデメリットを背負うのは気にならない。だが、危険人物という箔が付いてしまえば、余計に彼へ近づくのが困難となってしまうだろう。行動をなるべく抑えるのが、きっと正解だ。
「…………人脈があったら、何とかなったか……?」
今頃になって頭を抱えさせられる。
友好関係がもう少し豊富であれば、選べる手段は幾つか残っただろう。それでも、生徒会長に会えたかどうかは怪しい。結局は行き詰まった可能性が高かった。
「どのみち、俺に出来る事はないか」
俺が、鈴夜湊個人が警戒されているのだ。直接の対面はまず不可能だろう。それに聞き出したい話の内容も、公言には向いていない。彼の友人達を当たるのも意味がない。
「何か隠しているのは確かだ……っ。会うことができれば、無理やりにでも問い質してやるのに……!」
頭の芯が熱を帯びていた。二、三秒後には自分の発言が危険な代物だったと悟る。
「くそ……!」
再び、短い言葉が口からこぼれた。誰に対して吐いたのか、自分でも分からなかった。逃げ隠れしている東雲和真か、それとも追い込めないでいる鈴夜湊――俺に対してなのか。
――そんな風に、やさぐれかけた時だった。
視界の端で小さな光が点灯した。俺はすぐさま指を振ってシステムウインドウを開く。空中に浮いた画面にある名前が映る。目を通した俺は、無意識にその単語を読み上げていた。
「マーディから……?」
元相棒から電話がかかってきていた。
騎士団を抜けた後でも、あいつとは何度か連絡を取り合っている。騎士団の様子などを教えてくれるのだが、基本的には他愛もない雑談が殆どだった。俺は事前の相談もなく抜けた身であり、何度か関わりを断とうとした。だが、前回の《消滅》能力を持った悪夢退治に関わった件もある。中々に繋がりは断てなかった。
……嫌な予感がする。
電話に出るのが少し躊躇われた。普段通りの内容であってくれ。そう願いながら、俺はウインドウを通話モードに切り替えた。
『出んの遅いぞ、こら!』
早々に大きな声が響いた。
『また面倒くさいとか考えてたのか!? しまいには泣いちまうぞ、俺!』
それがいい年した男の言葉か。
本気でやりそうだから怖い。まあ、そこまで真剣な話じゃなさそう――。
『…………まあ、本当に泣きたいぐらいの状況なんだがな』
返事をしようとした瞬間。
画面の向こう側で雰囲気が一変した。空きかけていた唇が止まる。先程の予感が的中してしまったらしい。
「何があった?」
予想はついているのだが、あえて口には出さなかった。
『…………また出た』
主語の無い発言を飲み込み、胸の奥に留める。最悪だ。現実で厄介事が起こっているというのに、こちらでも問題が発生した。
「犠牲者は……?」
『今のところは騎士二人がやられてる。どっちもアイラの部下だ』
マーディと同様に「またか」と胸中で呟く。前回にも似た犠牲があった。やられたアバターまで一致していたら、流石に不運だったとしか言いようがない。
『そのやられた奴が言ってたんだ。今回の悪夢には、《断罪裂剣》が適任だって』
「今回も何も、全部俺が相手をしてきたはずだが……?」
語調が鋭くなったのを自覚した。けれども、現実での課題も相まって、苛付きは簡単には消えなかった。
――これまでに騎士団が正式に確認した、二人の悪夢。
その両方を俺は倒してきた。悪夢は共通して特殊な力を持っており、類いによっては初見の攻略が難しい時もある。二人目の《消滅》能力が主な例だろう。
『俺も一応は反対したんだよ。だがなぁ、多勢に無勢だ。結局、お前の力を借りる方針になっちまった。……マジですまん』
「………………」
騎士団を抜けた負い目があった分、以前の要請は気兼ねなく受けられた。しかし、今は俺に余裕がない。夢の世界にまで負担を持ち込むのはなるべく止めたかった。
「……すまないが、今度は」
こいつには悪いが、断ろう。
その判断には抵抗を感じなかった。マーディへ意志を伝えるまで、自分の決意はしっかりと固まっていた。
「こと――」
『槍の武具使用者だってのは判明してんだ。しかも能力も大体は割れている。……元相棒の俺から考えても、お前が適役に思えんだ』
え?
直前までの心境は、あっさりと揺らいだ。
「おい、何だと?」
『うわ、怒んなって。報酬とかはきちんと出すから! フォローも全力で』
「そんなのはどうでもいい! 三人目の悪夢が、何の武具を使っていたって!?」
有り得ない。そう言い聞かせながら、俺の脳裏は着々と連想を続けていた。
『あ? 何のって……槍、ランスだよ。黒い靄に覆われてて、固有名までは分かんなかったらしいが』
ぞくり、と全身の神経に電撃が走る。
「…………その槍は、あまり長くなかった……か?」
つい最近の出来事が、瞼の裏で何度も繰り返される。大勢の場で繰り広げられた戦い。第二回戦における俺の相手が持っていた武具は、確か――。
『おー、凄えな。正解だよ』
気楽な声が俺の想像を裏付けする。向こうとしては単なる偶然に聞こえただろう。客観的に考えた上でも、確証には程遠い。
『なぁ、どうして今のが分かって』
「やる」
『は?』
冷静な思考が渦巻く一方、俺の中にある感情は激しく燃え盛っていた。奇妙で、小さな共通点。それに固執してしまう位に、妄執が滾っていた。
「やってやる。三人目の悪夢も――俺が倒す」
……掴んだぞ、手がかりを。
絶対に逃しはしない。全力で追い詰めて、捕まえてやる。
新しい外見との別れが近付いていた。そして、本来の姿が戻って来る。《断罪裂剣》の異名が、この時に限ってやけに心地良かった。
クリムの考えはほぼ暴論ですが、前話の通り正解になっています。次回はユリア視点のスタートを予定しています。




