《現実世界》⑧ ”来客”
生徒会長と別れてからの話です。
昇降口の隅に設置された傘立てには、数多くの傘が突き刺さっていた。茜もその中に自分の物を加える。
「本当に何だったんだろうね、会長?」
「…………さぁ」
簡素な返事をして湊は上靴に履き替えた。外履きを自分の靴箱に仕舞い、床への段差に足を運ぶ。
背後に続く茜も同様の動きを取った。けれども、壁に突き当たった所で、湊と背中合わせになるよう身体を向けた。教室に近い階段の反対側を見ている。
「あ、私、貼ってたやつはがさないといけないから」
「…………手伝うよ」
「ホント? ありがとう」
トーナメントの後始末に湊は付き合った。部長の後を追って職員室の掲示板へとたどり着く。多くのプリントが張られていた。その数に比例して、廊下を通る生徒もそれらに目を配っていく。
「よいしょっと」
背を伸ばして茜がトーナメントの宣伝をうたった貼り紙を取る。そして後ろで控えていた副部長に無言で差し出す。事前の通達はなかったが、用紙は無事に受け取られた。
「あーもう、高森先輩ったら、高い所に貼り過ぎー」
「…………」
不満を垂れ流す茜を余所に、湊は手にした紙面に目を通す。下の左隅には判子が二つ押してあった。教師と生徒会の認証を貰った証である。
「よし、じゃあ次行こうか」
湊はまたもや黙ったまま首肯した。
その後も回収が行われた。枚数は計六枚となった。全てに押印が施されていた。重ねたプリントは最終的に茜が保持する。「後で生徒会に渡すよー」と言っては自分のクラスへと向かっていった。湊も同行する。ただし、教室に着くまで彼女から多少の距離を開けた。
それからは普通の学校生活が広げられた。
朝のホームルームを終え、午前の授業を受け、昼食を取る。午後も変わらずに授業に時間を費やしていった。
「…………」
休み時間の合間、湊は借りていた本を読んで大体は過ごしている。だが、今日に限っては読書には集中出来ずにいた。窓の方を眺めて長い沈黙に浸る。
「…………」
そんな同級生の様子に、離れた場所から茜も視線を送っていた。
やがて一貫コースのカリキュラムも終わる。放課後を告げるチャイムが鳴り響いた。生徒達は次々と席から腰を上げて、帰宅や部活動へと向かった。
茜と湊。彼等も部室に赴く。
鍵は部長である茜が持っていた。生徒手帳に電子キーとしての役割が与えられているのだ。彼女はそれを鞄から取り出し、ドアノブの上にある電子錠にかざす。ピッ、と音が鳴る。
ロックが外れた扉を開き、茜と湊は中に入った。
「何かジメジメしてる」
窓の外では雲が唸り声を上げていた。色も登校時よりかなり色濃くなっている。雨が降り始めるのは時間の問題だった。
「おーっす」
悪化した天候に目を奪われている二人の背後に、大柄の男子生徒が姿を現す。挨拶を気軽に投げた。素早く茜が応じる。
「あ、高森先輩」
「何だ、そんな所で立ち止まって」
湊達の一つ上の学年である高森燈哉は、揃って棒立ちになっている彼等を俯瞰する。そして二つの顔が何処を向いているか気付いた。
「あー、もう降りそうだな」
部長と副部長の間を通り抜け、壁際の席と机へ歩み寄る。
「雨とかダルイな。昨日の今日でやる気とかでねえし……」
腰を落ち着かせながら彼はそう呟いた。
「そーですね。大仕事が終わっちゃいましたしね。……何症候群って言うんだっけ、こういうの?」
燈哉の消沈に同意した茜が隣の湊に尋ねる。
「……燃え尽き?」
「あ、それだ」
首を何度か縦に振ってから、茜も隣接している複数の机に近付く。鞄は降ろした。だが、座りはしなかった。電気ポッドがある場所へ足を延ばす。
「お茶淹れますけど、飲みたいのありますー? 湊君も」
「何でもいいぜー」
「…………」
「湊君は? 早く言わないと、紅茶になっちゃうよー」
口にしている趣旨とは裏腹に、茜は既に三つの紙コップに紅茶のティーパックを投入していた。ポッド内の湯が沸騰するのを待ちつつ、片足をパタパタと羽ばたかせている。
そんな彼女の傍へ湊は詰め寄った。
「ん? どうしたの?」
茜は足元のリズムを維持したまま、静かに首を傾げる。
「…………生徒会に行かなくていいの?」
「あ」
音が止む。代わりに、目の前で電気ポッドがピーッと沸騰の合図を鳴らした。
「忘れてた。行かなきゃ」
頭から抜け落ちていた用事を彼女は思い出した。慌ててその場から離れようとするが、沸いた湯に意識を取られ、首だけを左右に往復させている。
「いや、まあ……お茶飲んでからで」
「そっか」
湊の指摘が茜の混乱を治した。学校が定めた分別コースの下校時間まで余裕がある。生徒会の人間が残っている可能性は高かった。
「危ない、危ない。忘れちゃうところだったよ……、えへへ」
横に並べた紙コップに熱湯が注がれていく。茜の目と鼻の先に湯気が漂った。水面には赤色がじんわりと滲んでいる。
――コン、コン。
「はい?」
部室にノック音が響いた。淹れ終えたティーバッグを捨てている茜が反応する。燈哉や湊の意識も扉に集中した。
横開きの戸がゆっくりと動く。ガラガラとレールが擦れた音を発する。
「あの……」
半分までスライドした所で、扉の縁を小さな頭が超えた。
四番目に現れたのもドリー部の一員だった。最下級生に当たる芳野結那。彼女が訪問の合図を鳴らしたのだ。
「あれ? 結那ちゃん? どうしたの、わざわざノックするなんて」
「えと、実は」
言葉を詰まらせながらも、結那は説明を試みた。だが、その背後から姿を更に覗かせた人物が役割を奪う。
「――失礼します」
眼鏡をかけた三つ編みの髪をした女子生徒が、芯の通った声音と共に入室した。生徒会の書記に属する遠藤綾華である。背筋を垂直に伸ばしており、その眼差しは鋭い輪郭を保ち続けている。
「見つけました」
室内を見回し、彼女は紙コップを手にしている茜を見つけた。
「三原茜さん」
名前を呼ばれた本人は鼻先を湯煙と芳香に煽られている。口を薄らと開けて、唖然とした表情を浮かべていた。
その隙にも遠藤綾華が直進して近づいて来る。カツカツ、と足音を鳴らして茜の正面に立った。顔を合わせ、眼鏡越しに焦点を突き付ける。眼光は鋭利な輝きを放ち、向けた相手に唾を飲み込ませる。
「な、何でしょうか……?」
茜は頬を強張らせ、上半身を軽く逸らした。視線も横に振れようとしていたが、遠藤綾華の唇から離れる事が出来ずにいた。
「――この度は、生徒会主催のトーナメント運営に協力していただき、まことにありがとうございました。生徒会を代表して、私から皆さんにお礼を申し上げます」
三つ編みを揺らし、彼女は深く頭を下げた。
「え……?」
「皆さんのおかげでトーナメントは無事に終了しました。私達だけじゃ……おそらく人手不足で不手際がいずれ発生していたでしょう。そうならなかったのは貴方達が居たからです」
面を上げた後でも、綾華の両目は茜を深く見据えていた。対峙する部長はその分だけ同様に陥っていく。
「あ、いえ、そんな……。そこまでのことは、別に」
次第に顔の緊張が解けていった。真っ向から口にされた感謝に茜が笑みを滲ませていく。
「とにかく、お茶でも飲んでいきますか?」
「……お言葉に甘えます」
曇りが広がる放課後。
訪れた客人は以前と同じ席へと案内された。茜と綾華が向き合って座っている点は変わっていない。だが、今回は彼女達以外の部員が他の場所にたむろしていた。加えて、その二人の前には市販の菓子を乗せた皿が用意されている。依頼に関する対談時とは異なる空気が流れていた。
「いちいち真面目すぎるんだって。こっちが怖くなるぐらいだ」
電気ポッドと睨み合いをする高森燈哉が、背中越しに遠藤綾華の人格を指摘する。
「うるさいわね。弟と同じこと言わないでよ」
綾華は彼に対しては砕けた口調を使った。次いで、茜が淹れたお茶の一つをゆっくりと飲んでいく。本来ならばそれは燈哉の手に渡る物だった。来客を優先した結果、燈哉が新たにお茶を入れる羽目になっている。
「……まあ、三原さんには感謝しているのは本心ですから。お礼を出せないのが心苦しいくらいです」
「あの、私二年生なんで、敬語はいりませんよ?」
「そういう訳にはいきません。これは生徒会としての……いえ、私個人としての体裁を保つためです。お構いなく」
「そうですか……」
歯切れの悪い納得に、茜は香りが漂う紅茶を一口だけ含ませる。それから目の前の更に広げられたクッキーへと手を伸ばした。
サクサク、と甘い味わいと軽やかな触感を堪能する。
「…………」
その一連の動作を遠藤綾華が黙って眺めていた。茜が飲み込むと同時に、貯め込んだ唾を喉奥に押し込める。微細な反応だった。だが、目の前に座る茜には気付かれた。
「あ、どうぞ。遠慮せずに食べていいんですよ?」
「け、けけけ結構です」
誘いに対して首を横に振った。
「間食すると……太りやすい体質なので」
「えー、そうですか? そんな心配はいらないと思うんですけど。遠藤先輩って結構スレンダーですよ」
「私は生粋のインドア人間です。運動なんて全くしないので、食べ物に気を使う事で体型を保ってるんです」
「一つぐらいなら平気ですよ、ほら!」
肉付きを気にしている彼女に、茜は懇意を持って接する。数段から成るクッキーの山を押して勧めていた。両手で拒絶されても、その掌の前へ味わいに関する言葉を並べる。最終的に壁を崩し、一枚だけ食べさせる事に成功した。
「三原って誰とでも仲良くなるよな。コミュ力が高いと言うか……。お前もそう思うだろ? な?」
高森燈哉が彼女達から少し離れた場所に座っている湊に尋ねる。強調する素振りが湊の渋面を誘導させた。紙コップの縁からティーバッグの摘まむ部分を垂らしたまま、彼は淹れたばかりのお茶をすすった。
「三原先輩は、凄く優しいですから」
小さなクッキーを両手で持った結那が呟く。その発言は頬張った焼き菓子に寄ってすぐに塞がれた。サクサクサク、と細かな咀嚼が繰り返される。
「…………」
湊は何も答えなかった。別皿によそわれた焼き菓子の山に黙々と手を伸ばす。一枚を掴み取り、口に運んだ。
「遠藤って悪い奴じゃないけど、性格がキツイ一面もあんだよ。同じクラスだった俺でも打ち解けるには数日かかったぜ。女子同士ってのもデカイんだろうけど……それでもアレは凄えよ」
燈哉が結那の横から腕を伸ばした。
皿からクッキーを二枚重ねて持ち上げる。その唇には茶色い粒が纏わりついていた。口内に食べ物を含んだまま、彼は誰に指摘されるまでもなく舌でそれらを拭い取る。
「…………そう言えば」
三人が談話に浸っている頃、茜は綾華に向かってとある疑問を投げかけようとしていた。
「あの、その」
「はい、何ですか? トーナメントで気になる事でもありましたか?」
「そういう訳じゃないんですけど……」と茜は不明瞭な言葉遣いをした。対面の三年生が首を小さく捻っている。
「生徒会長…………についてちょっと」
「っ」
視線を結那と燈哉に預けたまま、湊が聞き耳を立てる。
「会長、ですか? 彼がどうかしましたか? まさか……彼の好みが知りたいとかじゃ、ありませんよね? ね?」
綾華の語調が段々と重くなっていった。眼鏡に隠れた両目も鋭利さを増していく。寸前までの雰囲気を裏返し、低くなった声色で茜を竦ませる。
「い、いいいいいえ! 別に私は――って」
茜は口から吐こうとしていた否定を首で代弁した。茶髪が勢いよく左右に舞う。目の前から迸る怪訝の空気を払い除けるのに必死だった。
「それは、今は関係なくて」
「今は?」
「あー、もう、聞いて下さい! 実は今朝、私達、生徒会長に会ったんです! その時! ちょっと様子がおかしかったんですよ!」
声を盛大に響かせて流れを変えた。茜が告げた事実を受けて、狭まっていた綾華の瞳が微かに開く。
「途中までは普通に話してたのに、いきなり顔色を悪くして……。遠藤先輩って生徒会室からここに来た
んですよね? だったら、会長がどんな感じだったか見ているかな……と」
事情を聴き終え、綾華が顎に手を添える。その声質は落ち着きに満ちており、
「そうですね……。さっき見た時には、確かに気分が悪そうでした。そこまで酷いってわけじゃなかったけど」
彼女の呟きに茜は身体を縮めた。恐る恐る、上目遣いで表情を窺う。
「何か失礼なこと、しちゃいましたかね?」
「状況がどうだったか知らないからなんとも…………いえ」
綾華は咄嗟に顔を上げた。
「私、達? 貴女以外に誰か居たの? もしかして」
視線が横へと曲がっていく。他の部員達が揃っている部室の一角で止まった。
「そこの、鈴夜湊もその場に居なかった?」
ポトリ。名前を呼ばれた彼は指先からクッキーを落とした。
「はい」
徐に答えながら、湊が綾華の方に視界も向ける。
「ならば……少しは会長の胸中も分かる気がします」
「え? どういうことですか?」
副部長と生徒会役員の顔をそれぞれ茜が凝視する。湊は唇を強く引き締めていた。一方の綾華は眉を微かに吊り上げていた。
目線は合っているが、ぶつかるだけで決して重ならない。瞳には映らない壁がその間に立っていた。
「……貴方、かつて暴行未遂の事件を起こして、停学になりましたよね?」
彼女は湊に冴え冴えと突き付けた。
誰の手にも握られていない、数か月前の遺恨を。
予定を伸ばして、次で第二章を終わらせます。早めに投稿したいと思います。




