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エクステンデッド・ドリーム 《-Ⅲ- Loading Nightmare》  作者: 華野宮緋来
《EN編》第三章「悪夢《ナイトメア》」
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現実世界③ ”腕”

現実世界の続きです。新キャラが登場しています。

 保健室の扉が開いた途端、湊の鼻へ薬品の匂いが漂ってきた。


「失礼……しまーす」


 微量の声量で室内への訪問に断りを入れた。

 湊が早々と設置されたベッドの方を確認する。二台あるベッドの内、一台は幾つかの蒲団やタオルが折り重なったせいで人が潜れる余裕はなかった。

 残ったベッドは逆に主が不在だ。


「あら、どうしたの?」


 保健室駐在の養護教員である女性が湊を出迎える。清潔な白衣を羽織っており、少年の顔を正面から凝視していた。


「ちょっとお腹が痛くて。ベッドで休むことは、できませんか?」

 空いているベッドへと首を曲げ、湊は医者特有の体調を窺う仕草から逃げた。


「いいわよ。……けど、その前にここに記述をお願いね」


 見た目とは裏腹に散らかった机上を彼女が捜索し始めた。手前に積んであった小さなプリントの山から、一枚の用紙が抜き出される。続けて養護教員は湊へと手渡した。

 それは生徒が保健室を利用したという事実を告げる報告書であった。


「分かりました」


 遅れて付属したペンを握り、彼が氏名のらんへと記入を始める。

 ――鈴夜、と名字まで書ききったところで、新たな訪問客は登場した。


「先生ー、いますかー?」


 数枚のポスターが貼られた扉が真横に移動する。

 入ってきたのは二人組の女生徒だった。先陣を進む女生徒は如何にも健康そうな顔色だったが、後ろに付いてきている少女は片腕を痛そうに抑えていた。

保健室の床を打ち鳴らす上靴は緑色。湊の後輩に当たる一年生達である。


「今日は繁盛するわね。……怪我をしたの、芳野よしのさん?」

「…………」


 養護教員が即座に少女の名を口にする。名字を呼ばれた少女は音もなく頷いていた。


結那ゆいなちゃん、さっき廊下で転んじゃったんです。それからずっとぶつけた方の腕を痛がってて……」


 事情を述べる少女が先客である湊へと焦点を当てた。教員専用の机を借りている彼もまた利用客の増加に手を止めている。


「……それで、怪我を見てもらった上で、しばらくここで結那ちゃんを休ませて欲しいんです」


 湊が身を縮めるより早く、その女生徒は関心の瞳を先輩から大きく外した。

 以上で後輩達との接点は途切れたはずだった。けれども、彼は気まずそうに顔を小さく歪めていた。


「う~ん。ちょっと困ったわね。今、ベッドが一つしか空いてないのよ」


 その言葉を受け、先頭の女生徒が改めて湊の存在を確認し返した。

 彼も腕を押さえる少女と同じベッド利用者である。どちらかしか苦痛を癒す休憩は望めず、残った者が痛い目を見るのは必須だった。


「芳野さんには悪いけど……早く来ていた」


 彼、と養護教員が言い切る直前に、湊は冷たい視線に身をなじられた。

 負傷者をここまで誘導した少女が軽蔑の眼差しを放っていたのだ。机近くの椅子に座っている彼からしか見上げられない角度である。養護教員の素振りには後輩を叱る様子はなかった。

 創意工夫を凝らしたであろう多少癖がついた髪。高級な商品の多用が連想されるつやのある肌。そして、湊とは比べ物にならない室内に良く通る声音。全てが収束し、湊という人物の存在を削り取ろうとしていた。


「…………」


 更には彼女の真後ろで、俯き気味の少女の顔が飛び込んできた。

 かり、と湊が使っていたペンが円を描く。


「先生。……書きました」


 騒ぐことなく、湊が教員の正面へと用紙を提出した。


「ええ……って、あれっ?」


 用紙に大きく記された早退の二文字。

 これらが黒い枠線で楕円状に囲まれていた。


「じゃあ、失礼します」


 椅子から立ち上がった湊は真っ先に出口へと向かう。そんな彼の口元には多少の力みが現れていた。進み方も何処となくゆっくりとしている。


「ちょっと。横になっていかなくていいの? 具合が良くなったようには全然見えないけど」


 すり足もどきでタイル張りの床を滑りつつ、湊が小声を出した。


「……はい……」


 二人組の女生徒と湊がすれ違う。彼女達は早速順番が回ったベッドにありつこうとしていた。良かったね、と引率の役目である少女が笑顔を見せる。

 暗い影を漂わせる少女の唇が動いた。


「?」


 湊の意識が一瞬だけ彼女に集まる。


「…………ありがとう、ございます……」


 横を通過した湊にだけようやく聞こえる響きだった。

暗鬱とした印象が強い少女の顔はすぐさま後ろへと流れる。歩を止めない湊の眼に初めて小さなお下げが飛び込んできた。

 がらっ。

 五分にも満たない滞在を得て、湊は保健室から退出する。


「失礼しました……」


 最低限の礼儀を残し、彼は保健室と銘が打たれた扉に背を向けた。

 授業中である為に、対峙した廊下は人気が全くなかった。天井の電灯まで切られている。端から端まで静寂と薄暗さが満ちていた。


「……さっさと戻れよ」


 湊の不満が廊下に木霊する。

 背後から怪我人を連れてきた一年生が出てくる気配は漂わなかった。寧ろ、彼女と養護教員の話し声しか聴こえてこない。


「――帰るか」


 やがて彼は暗い廊下を進み始めた。移動に伴い、センサー式の蛍光灯に明かりが次々と着いてゆく。

 重い歩み。その爪先より前には湊の面が作った影が浮かび上がっていた。




 箒を持った生徒が埃を掃き、机の脚が教室の床を引きずっていく。

 掃除の時間帯が出御高校に訪れていた。校舎の各所で清掃に勤しむ生徒達の騒めきが上がってゆく。学生生活の中でも特に人々の動きが活発になる瞬間でもあった。


「ふぅ」


 どさっ。巨大な半透明の袋が置かれた。

 人気のない倉庫付近。ここまでごみを捨てに来た女生徒――三原茜も掃除活動に参加する一人であった。

 彼女が運んでいたのは教室に溜まった可燃ごみである。この時間に合わせて担当者が捨てに来るのが規則となっていた。ただし、茜は本来ならばその役割を課されていなかった。


「全く……」


 仕事を終えた茜が腰に手を当てる。重いごみ袋を運搬していたせいで、彼女の身体には疲労が渦巻いていた。


「何で私がやらなきゃいけないのよ」


 誰も存在しない倉庫内で茜が不満をこぼす。

 今週の掃除当番には鈴夜湊が含まれていた。こうしたゴミ捨ても彼の役割となるはずだった。だが、彼はもう校内にはいない。

 早退で帰宅してしまった以上、代理の者を急遽きゅうきょ立てることとなったのだ。


「せめて掃除が終わってから帰れば良かったのに……」


 白羽の矢は茜へと刺さった。正確には彼女自身が進んで代理を立候補したのだ。

 湊と同じ掃除当番である同級生からは中々決まりそうになかった。事情を把握している彼女はそんな停滞に気分を悪くした。最終的には茜が状況を見かねてしまったのである。


「うわ。もう時間ないじゃない」


 出口を潜り抜けた先で茜の心情が焦る。誰がごみを捨てに行くかという議論で時間を食っていたのだ。現実内での学校生活を送る生徒にとっては、次の時間割がすぐそこまで迫っている。

 彼女は急いで走り出した。


「あー、もう! 後で文句言ってやる!」


 ゴミ捨て場と校舎を繋ぐ通路へ足を踏み入れる。茜が駆け抜けようとする廊下には生徒の姿が見当たらなかった。半分は部活か帰宅。残りは彼女と同じく教室で授業の用意をしているはずだ。

 茜の刻む足音だけが淡々と廊下の奥へと響く。


「…………あれっ?」


 曲がり角を通りかかった所で茜が生徒の存在を視認する。小さな背中を丸め、通路脇に設置された水道に向かい合っていた。

 後頭部にて小型のお下げをくくった少女だ。上靴に示された模様は緑色。今年度入学したばかりの一年生であることは間違いなかった。


「ん……」


 少女が顔をしかめ、呻き声を発した。

 彼女は水道の蛇口へと腕を突き出している。袖を肘近くまで捲り、露出した肌に流れる水を当てていた。

 じゃー、と流水音が数秒間続く。


「あ」


 銀色の丸い蛇口から急に水が途切れた。一年生の女生徒はそんな現象を開口したまま眺めていた。

 冷えた腕が払われ、水滴が周囲に飛び散る。彼女が片腕を元の位置に戻すことで水は再び流れ出した。そして、同じように給水がいきなり絶たれてしまう。


「……そっか」


 茜は繰り返される水道の現象について納得する。

 ここの水道は全てセンサー式なのだ。採用されているのは物体を感知して自動的に水を流す仕組みだ。また、水の無駄遣いを防ぐ為に流水の時間も予め決定してある。手洗といった短時間の用途以外には使い辛くなっているはずだ。

 少し前から歩幅と速度を落としていた茜が、行先を少女の傍へと変更した。


「大丈夫?」


 水道に苦戦する一年生の近くで、彼女はそっと囁いた。


「っ!?」


 飛び上りそうな程、大げさに反った背中。すぐに振り向かれた瞳には怪訝な色合いが滲んでいた。


「怪我、したの?」


 掌を上向けにした状態で流す水は全て腕の内側をなぞっていた。そこには青く変色した内出血の痕が広がっている。点々とした出血の痕跡が疎らに集っており、一目でかなりの熱を帯びていることは把握できた。


「……あ、あの……。床に、転んじゃって…………」


 じゃー、じゃー。じゃ…………。

 事情の裏で流れていた水がやはり停止した。時間制限がある以上、茜の前に居る少女は自由に怪我を癒せないのだ。


「ちょっと待ってて」


 そう言い出すなり、茜は自身のポケットへと手を入れた。

 折り畳まれた黄色い布が引き出される。次に茜が左右の端を持って一気に伸ばした。広げた布の中心付近では付着物が発見された。残留物が茶色であると視認した所で、茜は渋面を作る。


「う……。お昼の」


 蛇口の真下に黄色い布が差し出される。普段通りに流れた水が布にどんどん吸われていった。

 チョコが薄らと付着した部分を要所として洗われる。茜の指先はかなりの力が籠っており、黄色の布拭きに突いた汚れは瞬く間に取れていった。

 最後に彼女が雑巾の要領で水を搾り取る。


「はい」


 笑顔の茜がそれを少女へと差し出した。

 困惑と言った面持ちで女生徒は潤った布を手の上に乗せる。小動物の如き大きな双眸が茜を見つめ返した。

 説明が間髪入れず告げられる。


「このハンカチで腕を冷やすと良いよ。……ちょっと汚れてたけど」

「えと、あの」


 小さく開けられた口が音に詰まる。何かに怯えるような語勢に茜は慌てて言葉を付け足した。


「あ、いや! 汚れてたのが嫌だったら別にいいんだよっ? ただ、貴女がちょっと困ってるように見えたから……」


 ぷるぷる! ――少女が首を左右に振った。

 それから小鳥の囀りにも似た小声が茜の耳に届く。


「違い……ます。嫌なんかじゃ、ありません……!」

「本当? 良かった」


 再度浮かんだ茜の微笑みに対し、少女は瞳を伏せた。

 彼女から受け取ったハンカチが負傷部位に当たる。晴れた腕の内側で黄色いハンカチがぎゅっと音を立てた。


「……あ、ありがとうございます……」


 青くなった腕を引き寄せるようにして、少女は細い全身を一層縮こませてしまった。内股になった分、身長もより低くなる。

 そんな様子に茜が首を傾げる瞬間。


 キーンコーン。


「……うわっ! 忘れてた!」


 授業開始を示すチャイムが校舎中に鳴り響いた。茜の顔が驚愕に包まれる。鼓膜を震わせる騒音が彼女の足を疾走へと駆り立たせようとしていた。

 最早少女と会話している暇もない。


「じゃ、私もう行くね!」


 彼女は全速力で走り出した。


「あ、あの……これは……」


 水道前での呼びかけは既に茜へと届いていなかった。一人残されたお下げの少女は腕を抱え込んで立ち尽くす。


「――っ」


 少女が降ろした拳を強く握った。それは怒りをたぎらせる類いのものではなく、何かを耐える仕草のようであった。


遅れてしまいました。申し訳ございません。更に次回も投稿は遅れてしまうかもしれません。ぜひ、次話もよろしくお願いします。

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