《現実世界》④ ”生徒会長”
遅くなってすみません。最近執筆速度がすっかり落ちてしまいました。
「話が違うじゃん、姉さん」
出御高校の三階に位置する生徒会室。そこに文句を伴って遠藤空悟が入り込んだ。
「……何の話よ」
姉の綾華が振り返らずに対応する。その手は書類とノートパソコンの傍を忙しなく動いていた。
「あの騒ぎを起こした先輩の事だよ。そんなに悪い人じゃなかったんだけど」
「あんたもそういう風に見えたのね」
隣の椅子に座る弟を横目に、綾華は作業を続けていた。黙々とキーボードを叩き、ディスプレイに文字を紡ぐ。湊に関する話題は一旦途切れた。
「…………それってトーナメントの?」
覗いた画面に関係しているであろう話題を空悟が振る。
「そうよ。パンフレット」
近日に開かれる大会の案内書が作成されていた。複数の四角い枠が描かれた対戦表が丁度映し出されている。欄の中には数名の名前が既に記されていた。
「……アバター名とは言え、変な名前が多いな」
「作ってる私の方が恥ずかしくなるわ」
テーブルに放置していた私物のペットボトルを手に、姉の仕事を見守っている弟。カタカタとパソコンを文字で埋めていく生徒会書記。平均的な下校時間を過ぎた今、二人の存在が生徒会室に明かりを灯していた。
「色んな名前が有るな。《虚無月閃》……中二。こっちは……メ、menteur? 何て読むんだ? ――うわ、《クリームパン》って。高校生になってさすがに酷すぎだろ。ネタか?」
「一番最後の奴が、例の彼のアバターよ」
「うえっ!?」
驚きのあまり、危うくお茶を拭き出しかけた。空悟は口の周りを拭い、先の発言をした姉の横顔を凝視する。
「……マジで? よりによってあの人が出んの?」
「そうよ。私も意外に思ったわ。高森君ならともかく、鈴夜湊が……ねぇ」
「確かに見た目がインドアだからなあ」
腕を組みながら、先程対峙した二年生の姿を想起する。
生気が薄い顔に、細めの肉体。髪型には殆ど癖が無く、かけている眼鏡はありふれた代物であった。瞳に光が灯るのも時折。変化が乏しい表情が、鈴夜湊の人格をそのままに代弁していた。
感情が虚無に等しく、根暗と言っても過言ではない。
「強いの、あの人?」
「さあ? そこまでは聞いてないわ」
綾華は詳細まで得ていなかった。ただひたすらに眼の前へ集中している。
「会長もさ、あれに出場するんだっけ? 戦ったりするのかな?」
何気ない疑問が書記の手を惑わせた。振り上げた指をゆっくりと止め、弟の戯言に意識を向け始める。
「ぶつかるとしたら……二回戦ね」
「へえ、結構早いじゃん」
「例の彼が一回戦を勝ち抜くのが前提よ? 会長ならともかく、彼は有り得ないでしょ」
彼等はE・Dにおける鈴夜湊の素顔を知らない。また、現在は茜の知恵を元にしたアバター名で通されている。この姉弟が今から《クリム》に対面しても、すぐに気づくのは困難だった。
「会長は強いの? アバター育ててるようには見えないけど」
「現実世界《こっち》の運動神経の良さは夢《向こう》にも反映されるわ。それに中学生の頃は色々とやってたらしいわよ。きっと強いわ」
「武具使用者? それとも妖精?」
「確か…………武具だった気がする。槍を好んで使っているっていう話を、ちらっと耳にした事があるわ」
仕事に勤しんでいた両手は完全に休んでいる。会長の話題が出た途端に意識は切り替わっていた。
「というか、詳しい話は本人に訊いたら? そこにいるわよ」
「え?」
キーボードから離れた人差し指が、部屋の奥を示す。そこにはベージュ色のソファが設置されていた。更にその上には膨らんだ毛布が広がっている。
「あれ? 会長っ!?」
横たわっていた人物に空悟が気づく。生徒会室に戻ってから指摘されるまでずっと見逃していたという事実に、驚きの大声が捻る。
「うーん……」
ソファの上で毛布を被っていた人物が小さく唸る。
「そろそろ起きて下さい、東雲会長」
綾華が背中を椅子沿いに逸らして、眠っていた生徒の覚醒を促した。
「…………今、何時?」
「七時は過ぎてます」
寝ぼけた眼の男子生徒がソファから上半身を起こす。瞳を軽く指で擦った。首を振って室内を見回し、眼に入った人物に声を掛ける。
「空悟君……おかえり」
名前を呼ばれた庶務が「あ、はい」と応じる。
出御高校三十六代目生徒会会長、東雲和真。
眠りから覚めたばかりだったが、彼の顔には隠しきれない程の凛々しさが備えられていた。肩幅や身長は適度な規格で、肉付きは平凡と比べて少し優れている。非凡な体格ではないが、高校生として最適な健康体であった。
「そんな所で仮眠取ってたんですか、会長? あんまり眠れないんじゃ……」
「そう……だね……! 腰とか肩とか痛いよ、やっぱ」
両腕を頭上に回して背伸びをする生徒会長。上半身の各関節からポキパキと軽い音が鳴っていた。
「揺り籠の中が一番だ」
E・Dの寝台型ハード《揺り籠》には安眠を催促する機能が複数搭載されている。寝心地は単なるソファとは比べ物にならない。
「当たり前じゃないですか。そこで寝てたら逆に具合が悪くなりますって」
呆れ気味に呟く空悟に、綾華が同意する。
「もっと言ってやってよ、空悟。会長ったら、私の忠告も聞かずに寝ちゃったんだから」
「そう言う割には、毛布をかけてくれたよね?」
微笑と共に遠藤綾華は自分の行いを指摘される。言葉に詰まりながら、彼女は顔を赤く染めた。そこに更なる感謝が降り注がれる。
「ありがとう、綾華。君のおかげで少しは気分よく眠れたよ」
「べ、別に礼を言われる様なことじゃありません! それより、そろそろ仕事を再開してくれませんかっ?」
「照れまくってる……」
弟の小さな一言に、頬を紅色にした姉は鋭い眼光を返した。「何でもない」と空悟が逆鱗から手を遠ざける。そんな密話に会長は気付きもしなかった。
「んー、まだ眠いなぁ」
ソファから両足を降ろして、東雲和真が綾華の傍に寄った。開いていた画面をさり気なく覗き込む。
「そっちは後少しで完成? 当日までには間に合いそうかな?」
「え、ええ。あと一日もあれば完成します」
「さすが、仕事が早いね。完成したら俺に回して。チェックするから」
「分かりました」
会長の指示に書記は頷く。明確な目標を与えられてから、キーボードを叩く音が格段に早くなった。
「会場の方はどうなってる? 慧斗から何か聞いてない?」
「副会長なら俺がここを出る前に自宅に帰りましたよ。夢で実際に設営に取り掛かるって言ってました。俺もあっちでの授業が終わった後で手伝う予定です」
空悟が明後日の方向に親指を差しながら答えた。
「そっか。京一君の方も順調みたいだし…………うん、この調子なら間に合うかな!」
東雲和真の顔面にこびりついていた眠気の色は、完全に拭い取られる。彼は綾華の傍から静かに離れ、生徒会室の上座に位置する席に移ろうとした。
ガタン。
机上にあったファイルが床へと落下する。背表紙が硬い音を鳴らした。
「会長!?」
突然の出来事に遠藤綾華が激しく動揺する。直前まで生徒会長の様子は活力に満ちていたのだ。故に、その身体がバランスを崩して倒れかけた瞬間には、驚きのあまり両目を大きく開いた。
結果として腕にひっかかったファイルが落ちただけだった。しかし、遠藤姉弟は揃って彼の身を案じた。
「やっぱり疲れが溜まってるんじゃないですか?」
「後は私達がやりますよ。会長はもう帰って早目に休んでください。仕事なら《向こう》でもできますから」
彼等の心配を掌で押し留める東雲和真。
「大丈夫。ちょっと立ちくらみがしただけだから。大したことはないよ」
「でも……最近、そういうことが多くありませんか? 体調がよろしくないんじゃ……」
「綾華は心配性だなぁ」
乾いた笑みを彼はこぼした。
表情は全く崩れず、尚且つ声の張りは保たれていた。背筋もいつもの通り、真っ直ぐに伸ばしていた。整えられた態度を維持して、東雲和真は告げた。
「本当に何でもないって。ただちょっと……夢見が悪いだけだから」
――体育祭およびトーナメント開催まで、後わずか。
次から第二章に入ります。




