《現実世界》③ ”アンケート”
遅くなって申し訳ありませんでした! やはり現実世界に戻ると筆が遅くなってしまいます。
《現実世界》
新しく借りた本を手に、部室に続く階段へ足を。出御高等学校、一貫コースの放課後にて鈴夜湊は階を上がっていた。
「…………」
到着した部室の前で、不意に足を止める。
「またか」
扉の向こうから話し声が聞こえていた。男子生徒の声音が混じっている。比較的に落ち着いた口調だった。高森燈哉の物ではない。
数秒の躊躇いを経てから、湊が引手に指をかけた。
「あ、湊君だ」
三原茜がその到着に気付く。
「…………」
湊は黙ったまま室内を見渡した。集まっていたのは四人だった。まずは部員である三原茜と芳野結那。加えて、顧問の澤野碧も共に座っている。
そして湊の覚えに無い男子生徒が彼女達の対面に位置していた。上靴が結那と同じ色合いである。一年生を意味していた。
「…………っ!」
部室に足を踏み入れた副部長の顔を見て、その男子生徒は表情を強張らせた。
「……?」
湊が眉を寄せる。
「こ、こんにちは」
「……こんにちは」
そつなく挨拶を返す。それに対して、一年生は目を泳がせていた。
「生徒会の人。例の話について、話し合ってたの」
茜が椅子をずらして着席を勧める。鞄を余所に置いてから、湊は腰を落ち着けて共に耳を傾けた。
「えと、庶務の……遠藤、空悟……です」
改めて名乗られたが、そこにも動揺は滲んでいた。
「昨日の遠藤綾華さんの弟なんだって」
「そう」
淡々とした相槌に、同席していた顧問が感想を漏らす。
「相変わらずね、鈴夜君は……」
この部を担当している澤野碧。彼女は保健室の養護教諭も兼ねていた。基本としては本業に専念しており、部室に顔を出すのは稀である。足を運ぶ時は何らかの用事を必ず持って来ていた。最近に限っては、生徒会主催の行事という大きなイベントが控えている。姿を見せたのはその件が関わっていた。
「でも、少しは積極的になったと思いますよ」
「そうなの?」
「はい。今回のトーナメントだって、湊君が自分から……」
――ごほん。
部内におけるやり取りの隙間を縫って、遠藤空悟が小さく咳払いをした。話し合っていた二人の視線が発生源を向く。
「話を整理したいんですけど……よろしいですか?」
「あ、ごめんなさい」
話を広げようとしていた部長が謝る。
それから、遠藤空悟は湊が来るまでに決まっていた内容を口にしていった。事前に聴いていた通り、難しい仕事は含まれていない。手伝いの範疇を全く出ていなかった。澤野碧も黙って頷いている。
彼女が口を出したのは少し経過してからだった。宣伝・事務・当日の運営、全ての中心が生徒会となっている。たった数時間の大会ながらも人出は幾らか必須となる。その傾向を見かねて質問を投げた。
「ちょっといい? 手伝うのってそれだけでいいの? 話を聞いてると、もう少しうちの仕事を増やした方が」
「あ、はい。そこら辺は大丈夫です。他にも有志の方が手伝ってくれることになっているので」
ドリー部以外にも協力者は居ると答えた。そこに茜が食い付く。
「へえ。ちょっと意外……。こういのって、委員会でもないとあんまり人が集まらないって思ってた」
「ええ。初めの頃はそうだったんですけど、東雲会長のおかげで色々と人が集まってきたんですよ。あの人、顔がとても広いですから」
「へ、へえ…………」
微笑のまま、茜の表情が微かに硬直した。すぐに緊張はほぐれる。遠藤空悟の話に再び注意を寄せた。
「東雲会長はホント凄い人ですよ。文武両道、見た目どころか性格までイケメンだし」
雑用の役割を持つ一年生は瞳を伏せながら語る。淀みなく、生徒会を仕切るリーダーを褒めていた。
「そうねえ……。私も彼の話とか良く耳にするわね。校内で狙っている女の子、結構多いんじゃないかしら。すっごい人気ありそう」
澤野碧が彼の評価に同意する。その上で、茜の硬直を再発させる話題を振った。頬杖を突いて、自然体で切り出している。部長の近況を知っている筈はなく、悪気など全く秘めていなかった。
遠藤空悟は「そうですね」と軽く対応した。苦笑いだった。
「――ああ、そうだ。もう一つお願いしたいことがあったんだ」
「はい?」
茜が首を捻る。
「当日なんですが、受付が二人ほど欲しいんです。どなたかやってもらえませんか?」
そう告げて、遠藤空悟は茜と結那に視線を送った。現在、目の前に生徒は三人いるのだが、湊だけ含まれていなかった。
「どうかな、芳野さん。やってくれないかな?」
両膝に手を添えて固まっていた少女に、生徒会の庶務が話しかける。
「え、あ……。あの、知ってると思うけど、私は……」
「そこまで難しくないよ。人と話す機会もそんなに多くない筈だし」
一年生同士の意思疎通に茜が割り込んだ。
「……あれ? 二人ってもしかして知り合いだったりする?」
「はい。以前、同じクラスだったんです」
芳野結那はかつてのいじめ事件をきっかけにして、分別コースから一貫コースに移行している。彼女にとって遠藤空悟は変更する前のクラスメイトだった。
「……そうか」
話を聞いた湊は無意識に小さく呟いていた。
先程から遠藤空悟に避けられている理由を悟ったのだ。例のいじめ事件は湊の停学騒動にまで繋がっている。結那が居た教室で暴行未遂が起きた事がきっかけだ。主犯である少女を殴りかかろうとした。その瞬間に、彼も同じ教室に居たとしてもおかしくはない。
「…………」
腕を組んで沈黙する。
「やる、結那ちゃん? 私も一緒に手伝うよ!」
部長が後輩の顔を見つめる。茜が加われば二人という人数が達成される。
真っ赤になった頬を伏せて、結那は唇を無音のまま震わせた。ごにょごにょ、と何かを口にする。誰も聞き取れなかった。
「どうする?」
茜の一声がまた飛んだ。直後。結那が面を素早く上げる。
「や、やります……!」
全員に聞こえる程の声量で断言した。頬は未だに赤く染まっていた。しかし、その眼はぶれずに正面を向いていた。
「そっか。ありがとう」
元同級生だった少年が微笑む。感謝の言葉で結那を讃えていた。
「…………断られたらどうしようかと思ってたよ。俺は、君に……酷いことをしちゃったからさ」
「ち、違うよ……! 遠藤君が、あの時、言ってくれなきゃ…………今も」
「あんなの、手遅れも同然だよ。もっと早く俺が言いだしていれば、あんな騒ぎだって起きずに済んだのに……!」
その時、遠藤空悟が不意に目線を持ち上げた。横にずらした先で虚ろな瞳と交差する。騒ぎを起こした張本人である二年生から、無言で凝視されていたのだ。
「あ、いえ! 今のは、その……!」
椅子ごと引き摺り、湊から遠のこうとする。
「あー。そっか。……君、すっかり怖がられちゃったね」
一連の反応を前に茜が呟く。遠藤空悟が湊に畏怖を抱いているのは、もはや誰の目にも明らかになっていた。
「大丈夫。湊君はほとんど喋らないだけだから。怒ったりとかしてないよ」
ぽんぽん、と隣に座る茜はその肩を叩いた。
「…………」
否定が無い沈黙が彼女の言葉を肯定する。
「ほら! そんな風に口を開かないから、色々と誤解されるんだよ?」
「別に問題ない」
「ちょっとは気にしようよ。見ているこっちが心配になっちゃう」
部長の発言に対して湊は小さく溜息を吐いた。眼鏡の姿勢を指で改めて整える。レンズの奥にある双眸が遠藤空悟に焦点を当てた。
「…………騒ぎを起こしたのは事実だ。変に気は使わなくていい」
「は、はい」
失言を流した一年生が首を縦に振った。
「………………」
それから、湊の口は完全に閉ざされた。対峙する庶務も無言に引きずられる。二人を見守っていた女性達も空気に飲み込まれていた。静かな教室にただ時が流れる。各々が無音を切り裂く機会を見守っているのだ。
「もうちょっと言葉が欲しいけど、まあ、君としては良く出来た方だね」
凍り付いた雰囲気は、柔らかで明るい声音によって溶かされた。茜が先程と同様に湊を叩きながら褒めていた。受ける側の副部長は薄らと顔を赤くしている。
「部長と言うより……まるでお母さんね、三原さんは」
様子を見ていた顧問が彼女をそう評価した。
「えー。私ってそんな風に見えますか?」
「悪い意味じゃないわ。良い意味で言ってるのよ。面倒見がいいというか、世話好きというか」
微笑を浮かべながら、澤野碧は芳野結那と鈴夜湊の両方を見比べた。
「三原さんがお母さんなら、芳野さんと鈴夜君は子供かしら」
結那は縮こまり、湊は表情を歪な物にした。
「ちょっと……! そんなに嫌なの? 湊君」
「断固拒否する」
「酷いっ」
これまでで一番の意思表示に、茜は双肩を深く落とした。
「…………何だか、話に聞いていたのとは違いますね。鈴夜さんって」
雑談に見入っていた生徒会役員が印象を率直に溢した。苦笑が顔に混じっており、湊に対する恐怖が若干和らいでいた。
「あんまりいい噂は聞かなかったんですけど、思っていたより怖い人じゃないんですね」
「そ、そ、そうだよ……! 先輩は、悪い人なんかじゃ、ないよ……!」
結那が机の上に身を乗り出し、元同級生の言葉に同調する。口調には勢いが乗っていた。必死なあまり額に汗を一滴だけかいていた。
「芳野さんの言う通りだね。怖いからって、悪い人とは限らないな」
遠藤空悟は呼吸を整え、外れがちだった視線を湊に定める。落ち着いた動作で椅子から立ち上がり、並んでいる面々を見下ろした。
「どうしたの?」と茜が口を開きかけた、矢先。
「鈴夜先輩。ありがとうございます」
彼は深く頭を下げた。
先に居る湊が目を点にする。横に並んだ他の者達も呆然としていた。
突然の事に誰もが驚いている。恐怖が解けた直後、仰々しく感謝を述べたのだ。いきなりの言動に追い付くのは困難だった。
「貴方があの時、捺祇沙耶子を止めてくれたおかげで、芳野結那さんは救われました」
「別に……君に礼を言われる事じゃ」
「それでも、言わせて下さい! 俺は結那さんの近くに居て……本当はいじめに薄らと気付いていた。だけど言い出せなかった。周りの、空気に呑まれて……」
腰の横に添えた拳を、彼は一層強く握った。
「貴方が悪い人じゃないと分かった今、俺は頭を下げるべきだと思いました。捺祇に殴りかかろうとしたのだって、本当は――!」
熱を帯びて来た一年生に湊は顔を軽くしかめる。
「――ねえ、そこまでにしようよ」
彼の言葉を遮ったのは茜だった。遠藤空悟は俯かせていた瞳を彼女に向ける。発せられる声は普段よりも幾分落ち着いていた。
「そういうのは、あんまり言わないで欲しいな。……湊君への誤解が解けるのはうれしいけど、多分、それ以上は駄目なんだと思う」
子供を諭す、もしくはあやす様に、三原茜は踏み込む事を戒めた。笑顔は全く途絶えてはいない。だが、その表情には僅かな悲哀が漂っていた。
「……す、すいません……」
一年生の空悟は素直に謝罪を告げ、再び席に着いた。二年生の部長を前に肩身狭める。謝意に費やしていた興奮も次第に収まっていく。
「君、妙に律儀な性格してるわね」
ぬるま湯に浸かった場で、澤野碧の感想が空悟に注がれた。
「はぁ。そのせいで、空気が読めてないって、姉によく言われます」
「そうね。気配りは大事だけど……その性格も大事にしていいのよ。芳野さんを助けようとしたって気持ちに、偽りはないんでしょ?」
「……はい……!」
養護教諭による支援を受け、庶務は正面を向き直す。そこまでの様子を見守っていた結那が安堵の息を吐いた。
一方、二年生同士の男女も視線を交差せていた。湊による凝視を茜が感じ取り、すぐさま問い訊ねたのだ。
「あれ? もしかして、今の言っちゃ駄目だった!?」
「いや、構わないよ」
相も変わらず淡々と、そして短く意見を口にする。けれども、湊は鉄面皮に等しい顔を少しだけ緩めていた。
「俺がやったのは、分かっていたいじめの報告と……アンケートの配布と回収ぐらいですかね。それだけしか出来なかったことが自分で情けなかったんです。だから、せめてきっかけを作ってくれた鈴夜先輩に礼を言いたくなって」
遠藤空悟は心情を垂れ流し、先刻の言動に及んだ理由を言った。茜は「別に怒ってないよー」と苦笑いで応じる。澤野碧も二人の間に生まれた薄い壁の解消に努めた。結那は小刻みに首を上下させていた。
三人と相手の生徒会役員がそれぞれ空気を取り戻そうとする。そんな中、湊は全く別な事に興味を取られていた。
「アンケート?」
とある発言に湊が食い付く。
「あ、はい。『いじめ調査アンケート』のことです。生徒会を経由して全クラスに配布したんですが……」
神妙な面持ちを浮かべ、湊は自分の口に手を当てた。只ならぬ様子に隣の部長が気づく。
「どうしたの?」
「…………色々と引っかかる点が」
「例えば?」
掌を外し、問われた懸念を形にする。
「そんなアンケート、僕は全く知らない」
「だって君、その頃停学中だったじゃない。その間に用紙が出されて、すぐに回収されたんだよ」
重要な用紙に全く覚えがない、という不安は瞬く間に解消された。「何言ってるの?」と茜の冷めた両目が暗い顔を貫く。
「…………ごめん。考えてみれば、当たり前の事だった」
「い、いえ! あのアンケートはその場で提出するやつだったんですよ。だから鈴夜先輩が知らなくてもおかしくはないですよ!?」
慌てて生徒会の庶務が失言の援助を行う。
アンケートは生徒会の方針で早急に回収された、という話だった。彼の説明を耳にして、湊も芽生えた不可解の一つに納得がいく。
下校時間がやがて迫る。生徒会とドリー部による話し合いの二回目は、浅はかな疑問の解決を持って静かに幕を閉じた。トーナメント当日の役割が決定された。そして、暴行未遂騒動で生じた悪評も、一人分だけ綻んだのだった。
茜が空悟の発言を戒めた理由:悪人ではないと誤解が解けるのはOK→ただし、善行だと言われるのは湊が望んでいない→悪いことをした、と本人が自覚している。代償も払った。でも、欲しいのは賞賛じゃない。
みたいな感じです。
あと、アンケートはめっちゃ伏線です。前フリ、と言うのが正しいかもしれません。




