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《現実世界》② ”手伝い”

遅くなってすみません。現実世界での話です。

《現実世界》


「ねえ、湊君は出るの? 体育祭」


 トーナメントの存在を知った《夢》から二日が経った頃。

 三原茜は鈴夜湊にそう問いかけていた。前方の席に座りながら、その正面が後方へと逸れている。視線の先には黙々と読書に没頭する少年が居た。


「…………出るも何も」


 湊は目線を降ろしたまま、小さく口を開けた。


「クラスで参加なのは分かってるよー。私が言いたいのは、E・Dでの体育祭!」

「……トーナメントのこと?」

「そう!」


 茜が大きく頷いた。身を乗り出し、指を突き立てる。

 既に現実と夢の両方にてトーナメントの開催は掲示されていた。参加条件は出御高校の生徒であり、E・Dでのアバターを持っている事。しかも、上位に入った暁の商品まで明かされていた。

 与えられるのは学食専用の商品券だった。優勝者に二千円分。準優勝者には千円分。ベスト4には五百円の券を割り当てると告知されている。


「出ないの? 湊君なら優勝を狙えるでしょ? これは汚名を返上するチャンスだよ!」

 今日。

 この静かな男子生徒へ自発的に声をかけるのは、目の前の茜か出御高校の教師だけだった。誰もが彼を避けていた。虚ろな瞳と寡黙な態度。加えて、数か月前の停学騒動が湊の周辺に壁を作っていた。

 それを飲み込んだ上で、湊は文庫本に栞を挟んで閉じた。


「三原さんこそ……知ってる筈だよ。僕が、自分からそんなのには出ないって」

 垂直に立てた両手で本を挟みながら、重い声色をこぼす。

「えー」

 不満を含んだ響きが聞こえる。茜は頬を膨らませ、湊を睨んでいた。

「それに、トーナメントで活躍しても何も変わらないよ。全員がアバターを使っての匿名参加なんだから」

「あ、そっか……」


 基本的にリアルを隠すのがVRMMOにおける暗黙の了解だった。トーナメントで多少の所在は判明するだろう。だが、個人情報の流出は禁忌となる。仮想世界での揉め事が現実世界にまで浸食する恐れがあるからだ。学校側でもE・Dを取り入れた時点で、生徒達に厳しくそう言及していた。

 更に、湊には並々ならぬ事情が存在する。


「後……断罪裂剣だってばれたくない。でも、大剣を使った戦闘スタイルは急には変えられない」

「武器が同じってだけで気付くかな?」

「太刀筋で気付く」

「…………その発言から廃人の一端を感じるんだけど」


 額に軽く手を当てて茜が呻いた。武器にこだわる姿勢を彼女は理解出来なかった。


「でも! この機会に湊君も頑張ろうとは思わないの? これなら湊君でも頑張れる行事だよ!」


 鼻息を荒くする少女を余所に、湊は机の上に淡々と鞄を置いた。文庫本を中に仕舞う。顔を下げたまま、冷めた言葉を返す。


「別に……。そもそも、先生や生徒会は学校行事として認めてないんじゃないかな」


 昨夜、依頼者はトーナメントに体育祭の名前が付いただけだと語っていた。学校主催だとは決まっていないのだ。茜の熱気は空回りしている。そこを指摘した。一緒に鞄のファスナーも横に滑らせていた。開いていた口が閉じる。

 静穏な視界の上端にて揺らぐ、制服の影。


「――ふぇっ!?」


 茜から動揺が溢れた。


「……?」


 真横に走っていた湊の腕が止まる。顔を持ち上げ、対面の少女を確かめた。

 頬が赤く染まっていた。普段は華やかさに満ちた表情は紅潮に成り代わる。すかさず両手で覆った。指の隙間か差していた朱色がまだ分かる。

 湊は彼女の反応に双眸を細めた。


「どうしたの?」

「な、何でもないよっ!? そ、そうだ! 早く部室に行こうよ、湊君! 結那ちゃんとか寂しがってるかも!?」


 素早く立ち上がって茜は提案する。額には小さな汗を一粒滲ませていた。


「いや……」


 湊も追って腰を浮かせる。だが、否定の意を口にした。赤みが抜けきっていない表情が更に強張る。


「先に図書室に行く。……本の貸し出し、延長したいから」

「あ、そそそ、そっか……! 図書室かー!」


 あははは、と乾いた笑みを発する。

 茶髪とスカートをなびかせ、茜は湊に背中を見せた。双肩は僅かに浮き上がり、横顔から覗ける口元は力んでいる。


「じゃ、じゃあ……私は先に行ってるね!」


 勢い込んで告げる茜に、湊はただ頷く事しか出来なかった。


「う、うん」


 ぱたぱたと足音を立てて茜が遠ざかっていく。やがてその後ろ姿は廊下へ飛び出た。廊下との隔たりに回り込んだので、姿が湊の視界から消えた。

 数秒、沈黙が流れる。


「…………行くか」


 鞄を手に引っ掛けて、湊は席から離れた。

 出御高校の図書室は一階の端にあった。品揃えの中には古い書物まで含まれている。単に処分がされていないだけだが、教室二つ・三つ分を超える広さは利用者にかなり好まれていた。また、学生の興味も引く様に幾つかのライトノベルや文庫の漫画本も置いている。通う者は日々絶える事はなかった。

 ――がらっ、とその扉が開かれる。

 静かな空間に足を踏み入れた湊も、ここには良く足を運んでいた。


「延長、お願いします」


 抑揚のない口調を吐きながら、カウンターの上に借りていた本を乗せる。バーコードが張られた面を表にした。


「はいはい。生徒手帳を出してくだ……って」


 今日の担当であろう女子生徒が本を受け取りつつ、顔を上げた。そして目を丸くする。言葉が途中で途切れていた。


「鈴夜君……?」


 脈絡も無く呼ばれた名字に、湊は顔をしかめた。


「………………」


 唇は重い。カウンターの向こう側に座る彼女を見つめ、湊は黙って立ち尽くしていた。


「………………」


 見下ろす瞳は微動だにせず、図書委員であろう少女を凝視している。時間が経つに連れ、音にならない圧力が湊の周辺に放たれていった。

 座っていた女子生徒が掌を挙げる。


「あー、大丈夫。私の事は分からなくて当然だから。こっちが鈴夜君を勝手に知っているだけよ」


 直後、一抹の硬直に襲われていた全身が緩んだ。湊が小さく鼻息を漏らす。図書委員の少女に向けていた視線も柔らかくなった。

 ブレザーのポケットから薄型のケースが取り出される。カードが挟んであった。湊の顔写真や生年月日等の個人情報、また短いバーコードも刻まれていた。


「私、文乃って言うんだけど。茜から話とか聞いてない?」


 湊から生徒手帳代わりのカードを受け取り、文乃は手元のリーダー機器に通す。小さな電子音が鳴った。横にあるパソコンの画面に、文庫本のタイトルや日付が並ぶ。


「……多分、あるかも」


 問いに対して細々とした答えが返った。


「何か曖昧ね。まあ、いいか」


 モニターに目を通しながら、文乃はキーボードを叩く。数秒で終わった。最後に裏表紙の中側に長方形の判子を押した。返却すべき日付がくっきりと浮かび上がる。


「きちんと返してね」


 文乃に強く本を押し付けられる。手渡された湊は深く頷いた。持っていた鞄に再び収めようとする。


「やっぱり何も話してないんだ、茜……」

「え?」


 視界の外から届いた発言に湊が反応した。鞄の中から目線を跳ね上げる。正面に居る文乃を改めて目視した。カウンターまでの距離も一歩詰める。上半身を乗り出して、掌を幅広な平面に勢い良く突き立てた。


「三原さんがどうしたって?」

「ちょ、急に態度が変わってない?」


 素早い対応に文乃は僅かながら呆れていた。


「別に、そういうつもりじゃ……。それよりも、さっきの話は」


 湊の詰問に文乃は顔を逸らした。


「言っていいかなぁ? 当の本人が教えてないなら…………いや、でも」


 ぶつぶつと独り言がこぼれていった。逡巡が顔に出る文乃。その口が湊に向き直るまでに数分はかかった。


「仕方ない。大事なとこだけ教えとくわ」


 文乃が改めて湊と顔を合わせる。かしこまった表情を浮かべていた。湊も釣られて緊張を取り戻す。

 いつの間にか鞄が床に落ちていた。傾いて、湊の反対側に倒れる。持ち主はそれに気付いていた。だが、後回しにした。文乃の言動に全神経を集中させていたからだ。胸奥には悪寒に近い感触を覚えていた。先程における文乃の名前を口に出来なかった時よりも、情動の色は黒ずんでいる。

 恐る恐る、茜の友人が唇を動かした。


「……あの子ね、つい最近に告白されたらしいの」




「遅かったね、湊君!」


 部室に辿り着き、初めに声を掛けてきたのは三原茜だった。


「……うん」


 湊は黙々と奥に踏み入った。顔や声色はいつも通り平坦だった。茜は特に気にする様子も無く受け入れる。


「今、ちょうど新しい依頼人が来てたんだよ」


 茜の言葉に視線を誘導された。教室の奥には対談に用いる複数の机が置かれている。部長である少女はそこに座っていた。隣には三年の燈哉も居る。依頼に訪れたという人物は、彼女達の対面で身構えていた。

 首筋にまで一本の三つ編みを垂らす、縁なしの眼鏡をかけた女子生徒だ。真一文字に唇を結び、前方の部員から焦点を外そうとしない。無声を保ちつつ、机上にあった湯気を揺らす紙コップを顔に近付けていくだけだ。

 ずず、と結那が淹れたであろうお茶をすする。コップをゆっくりと戻してから、彼女は改めて口を開いた。


「……貴方が、鈴夜湊ですか」


 第一声が来たばかりの副部長を射抜いた。向けられる眼光は酷く尖っていた。不意に食らった本人は顔に冷や汗を垂らす。


「ようやく来たな、副部長。……じゃ、遠藤。依頼の内容を話してくれないか?」


 高森燈哉が彼女に提案した。遠藤と呼ばれた生徒はそちらに集中する。


「そうね。改めて自己紹介もしておきましょうか。……私は生徒会の書記、三年の遠藤綾華です。今回は貴方達に依頼があって来ました」

「――っ」


 生徒会。その単語に湊の眉が素早く微動する。


「その依頼って…………もしかして」


 茜の呟きに、遠藤綾華が頷きを返した。


「既にご存知でしょうが、まもなくE・Dでトーナメントが行われます。その進行は私達、生徒会が中心となって進める予定です。……しかし、色々と人手が足りていないんです。このままでは当日に支障が出てくるでしょう」


 トーナメントは学校主催の行事ではないが、学校運営に関係がある生徒会が深く携わっていた。中身としては単なるゲームに近い。そこに高校の代表が混じる事で立派な対面が出来上がっていたのだ。

 学校の掲示板に貼られたポスターにも、生徒会の名義は使われていた。故に茜は彼女の近況に思い当たったのだ。


「そこで、貴方達、ド……ドリー部の手を借りようと思ったのです。お願いします。どうかトーナメントの進行を私達と一緒に手伝ってくれませんか?」


 喉を詰まらせて、綾華は願いを投げた。

「私個人の依頼なので、報酬を出すのは難しいです。それに、強制なんてこともありません。生徒会といってもそこまでの権限はないですから」


 少しだけ頬を脱力させ、書記の少女は苦笑した。

 遠藤綾華の依頼は単純な話だった。トーナメントの進行を務める生徒会に助力してもらいたい。組織自体は関係なく、一生徒としての望みだと断言もされている。これを受けるか否かは部長の采配に依存される。

 部員達の目が全て茜に集まる。茶髪の少女は「うーん」と唸っていた。


「…………難しい仕事とか、ありますか?」


 おずおずと尋ねる。

 綾華は素早く首を横に振った。うなじに沿った三つ編みも同時に揺れていく。


「いえ。単純な作業だけです。手順とかはきちんと説明しますし、責任は全て我々生徒会が背負います」

「そうですか。……だったら、依頼は喜んで受けますよ。いいよね、皆?」


 部長が周囲に顔を向ける。否定する者は現れず、結那に限っては小さな首肯を繰り返していた。


「俺もいいと思うぜ」


 高森燈哉が茜の隣で賛同する。


「だけど、進行って言っても何をすりゃいいんだ? 何の仕事に人手が足りてないんだよ」

「色々あるのよ、高森君」

 書記である少女は重い息を短く吐いた。

「まずトーナメントの参加者自体が既定人数にまで届くかさえ不安なの。だから、最初はトーナメントの告知を手伝ってもらいたいわ」


 綾華の話し相手が燈哉から茜に移った。

 序盤から開催中止の危険が迫っていた。生徒会は最低で三十二名のユーザーを募っているらしい。しかし、現時点で参加希望者は少ないと彼女は語った。時折、声色の落ち込みが挟まれていた。


「大変そうだな。東雲のサポートは疲れるだろ」

 燈哉が苦笑を滲ませる。

「本当よ! 会長ったら、後先考えずに何でも引き受けるんだもの。サポートする私達の苦労もちょっとは考えて欲しいわ!」

「去年から全く変わんねえな」

「今回だって参加者が足りないから『俺もトーナメントに参加する』だって! 頑張って欲しいのはそこじゃないのにぃ……!」


 精悍としていた顔付きが変化していった。綾華は会長への不満を露わにする。だが、文脈に不快に繋がる単語は一つも出てこなかった。周りに気遣いをして欲しい。ただそれだけを口にしていた。

 砕けた態度に、燈哉はあっけらかんと笑う。彼女や会長の話題に踏み込んだ意見を述べていく。一般生徒よりも関係が深い事を想像させた。

 結那は壁際で椅子に座っている。茜の発言などに合わせて表情を動かしていたが、基本的に大人しく過ごしていた。空気に混じっていると見なしても過言ではない。本人がそうなる様に徹していた。

 そして、部長である茜は唇を重くしていた。顔を小さく伏せて、その頬を淡く染めている。


「………………」


 生徒会長の存在が出てくる度に、茜の背中は丸くなった。その様子を湊が始終に渡って眺めていた。近くに立っていたのだ。視線を逸らす事も叶わず、眼鏡の先で少女の顔に影が何度も落ちる。

 燈哉と綾華の話は続いていた。唯一の先輩は気苦労への同情と依頼に関する内容を交互に引き出している。


「……じゃあ、トーナメントの告知と進行が、私達の主な作業ですか……?」


 会話の区切りを狙って部長が尋ねる。普段の軽快さはない。低空を飛ぶ部長の意欲に気付いているのは、無言を貫いている湊だけだった。


「ええ、そうなるわね。依頼を受けてくれた事は本当に感謝しています。高森君に紹介されて半信半疑だったけど、来てみて良かったわ」

「おい。そいつはどういう意味だよぉ!?」


 高森燈哉が破顔して軽々に叫ぶ。「ごめんなさい」と生徒会の書記は微笑を返した。知り合い同士であろう二人の合間に明るい雰囲気が満ちる。

隣接していた筈の茜は、それらに入り込めずにいた。両手を膝の上に乗せて双肩を張っている。


「………………すいません」


 小さくて低い声音が空気を割った。


「ん、どうした? 湊?」


 視界の外にあった湊に燈哉が気づく。挙げられていた手がその目を引き付けたのだ。茜や結那、書記の綾華も一緒に焦点を合わせる。


「手伝いですが…………僕は『トーナメントの参加』でもいいですか?」


 発せられた提案が数秒の静寂を招いた。



「「「「え?」」」」



 意図せずして、四人の声が正確に重なった。


一週間以内に次話を更新できるように頑張ります!

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