《現実世界》⑫ ”見舞い”
かなり遅くなって申し訳ありません。
《現実世界》
出御高等学校より車で五分程の距離に建つ白藤総合病院。多くの市民を抱えるその巨大な建物を、一人の少女が訪れていた。
「失礼しまーす」
扉を軽く叩いてから、少女はとある個室の扉を開ける。
室内は白一色で満たされていた。質素な棚やテレビ、補助用の小さなテーブルと汚れの無いカーテンだけが生活臭を放っている。
「……どちら様、ですか?」
中央に置かれていたベッドの上で、入院中の患者が少女の方を向いた。訝し気に首を傾げている。
「ええ……。覚えてないの……?」
忘れられているという事実に、三原茜はがっくりと肩を落とした。一度だけ間近で顔を合わせた筈だった。だが、記憶されていない。意気揚々と訪問した茜にとってそれは想定外であった。
少女の反応を前にして、病室の主が改めて彼女との面識を思い返す。
「確か、あの時の……」
飛び降り自殺を図った患者、室月日々貴は完全に記憶を手繰り寄せた。後者から落ちた時に落下地点へとマットを敷いた三人が居た。三原茜はその内の一人だった。客観的に言えば、命の恩人でもある。
日々貴が何らかの言葉を告げようとする。その空気を察した茜に掌を突き出され、事前に制された。
「私はお見舞いに来ただけ。堅苦しいのは、なしにしようよ」
「…………」
お見舞い用の品を抱えながら、茜がベッドの傍にあった椅子へと腰を落ち着けた。来たのは彼女一人だけだった。他に誰も来客は居ない。その事実を目の前にして、日々貴の口から小さな吐息がこぼれた。
「湊君とかも誘ったんだけどねえ……」
苦笑交じりで茜が答えた。
「い、いや。私は別に」
日々貴はすかさず首を横に振った。特定の誰かなど待っていない、と否定する。だが、接点が殆どない茜を相手にしてその態度はぎこちなくなっていた。
「…………。私は、君達なら仲良くなれると思ったんだけど」
茜が膝元に置いた品物へと目を傾ける。ラッピングされた華やかな箱と共に、数冊の雑誌が横たわっていた。箱の方には地元で有名な菓子店のロゴが載っている。中身は誰にでも推測出来た。
一方で、雑誌の存在には日々貴の怪訝な視線が送られる。
「あ、これ? これは湊君が持たせてくれた雑誌なんだけど」
日々貴の様子に気付いた茜が雑誌を掲げた。三ヶ月程前の刊行日と英語表記の名前が表紙には書かれていた。
「はい」と茜が雑誌を手渡す。右手で受け取った日々貴は、約五秒をかけてその表紙を睨んだ。
第一声が発せられる。
「何だ、これは」
「え? 室月君も分からないの?」
日々貴の反応に、持ち込んだ本人の茜すら戸惑いを浮かべた。
雑誌は新品ではなかった。音楽業界に通じている様子も見当たらない。かと言って、入院の退屈を紛らわせる娯楽の要素も皆無。つまり、室月日々貴の興味や趣味が全く考慮されていない見舞い品だった。
「……アイツの仕返しか?」
鈴夜湊の嗜好に日々貴は頬を歪めた。
「何を考えているんだ…………」
嬉しくもなく、痛くも痒くもない。表紙を捲り、最初の数ページを目に通す。やはり、日々貴の食指は微塵も動かなかった。
そのまま雑誌を軽く読み通していく。持って来た本人がすぐ傍にいるので、無下に止められなかったのだ。日々貴は最後のページに辿り着くまでは読んでいる振る舞いを貫こうとした。
「…………っ!」
反射的に、日々貴はとあるページで指を止めた。載っているのは小さな記事だ。特集を組まれている訳でも無い。だが、黄色の蛍光ペンで目立つ様に大きな丸が付けられていた。初めにその特徴が気になり、そして内容に唖然とした。
『欧米、リアルタイムのフィードバック制御を利用した筋電義手によるトレーニングを一般公開。バイオリン演奏などの複雑な動きも可能に』
筋電義手、というのを日々貴は聞いた事があった。かつて主治医から話をされたのだ。脳から身体の各部へと発せられる電気信号を読み取り、思い通りに動く義手。それを用いれば、日常生活に支障がない程に手を動かせると言われていた。
だが、日々貴が求めていたのは日常ではなく目標を叶える為の腕だった。故に当時はあまり頭に残そうとは思わなかった。
「何で……」
様々な意味合いの疑問が口から零れる。
主治医が話していた内容とは少しだけ違っていた。雑誌には欧米、及び国外での開発について述べられている。裏を返せば、国内では義肢関係の研究がここまで達していないという事だ。
「くそ」
日々貴は雑誌の記事を見ながら、頭を抱える。
「今更、こんなの……」
その先の言葉を飲み込んで日々貴が黙り込んだ。右手で握り締めた雑誌のページには皺が寄っていた。
「今だから、じゃないかな」
穏やかな声音で三原茜は呟く。
「私は湊君じゃないから、どんな考えを持ってその雑誌を選んだかは分かんないんだよね。でも……きっと、知っておいて欲しかったんだよ。そういう話があるってことを」
少女が微笑を携える。その顔には小さく逡巡が混じっていたが、茜はそのまま日々貴へと語り続けた。
「湊君って、他人にあんまり興味が無さそうなんだよね。……だけど、そんな湊君がわざわざそれを渡した。これって、凄い珍しいことなの」
日々貴はゆっくりと面を上げた。
「……湊君なりの後押しなんじゃないかな」
茜が頬を赤らめる。煩いを振り切って、声を張る。
「私も頑張れって思ってるもん。それに、あの子だって」
茶髪を揺らして微笑む彼女と向き合い、日々貴は唇を噛みしめた。目線を降ろし、義手である右手を眺める。反対側の手で親指から一本ずつ曲げていった。その動きを静かに眺めながら、最後に強く握り締める形に抑え付けた。
「こんな手で、まだ頑張れって言うのか……」
この利き腕が動かせなければ、バイオリンを演奏する為の弓が持てない。また、引けたとしても以前の様な繊細な音色を奏でるのは難しかった。まだ日常生活の域にあるリハビリも完璧ではないのだ。更なる訓練に辿り着く事さえ、時間を酷く必要とした。
「でも、約束……したからな」
窓の方へと顔を回し、日々貴は唇を微かに動かした。
直後、室内の明るさが大きく変わった。カーテンの隙間から陽光がこぼれている。差し込んだ光は真っ直ぐに伸びて、茜と日々貴の顔をそれぞれ照らした。病室の壁際にまで二つの影が育っていく。
日々貴は眩しさに当てられて瞳を細める。だが、その明かりを決して遮らずに、ずっと受け続けた。
「君も来れば良かったのに」
日々貴が泊まる病室から立ち去り、数分後。白藤総合病院の敷地外にて茜は足を止め、口を開いた。
「……ここには、あまり居たくない」
「子供じゃないんだから」
駐車場を囲む塀に沿って屹立していた鈴夜湊の返事に、茜が呆れ返る。
自殺未遂の騒動から日数を経て、茜達は室月日々貴の元を訪れる計画を立てていた。部員の他二人もその意見には賛同した。しかし、芳野結那は日程の都合が付かず、鈴夜湊は決して病院内には足を踏み入れないという混雑とした状況が待っていた。
故に、訪問したのは発案者である茜一人となったのである。
「……で?」
病院の外で待機していた湊が、茜に向けて静かに問う。
「あ、うん。室月君は元気そうだったよ。それに君が持って来た雑誌もちゃんと渡した」
「そうか」
首を小さく縦に振る。湊の反応はそれで終わった。
「………………ねえ、もっと訊かないの? あの雑誌を読んで、どんな顔をしていたのか、とか」
「別に」
茜の追及に対し、湊は顔を背けた。変化の少ない表情が囲いの影に紛れていく。
「ホントに? それぐらいは、気になると思うんだけどなぁ」
表現の乏しい同級生の隣に茜が寄り添った。顔を極力近づけ、真横から湊に視線をぶつける。穏やかとは種類を別にした含み笑いが唇に浮かんでいた。
「…………」
そんな彼女を間近に意識して、湊は頬の色と形を変える。細やかな紅潮と引き攣りが出来上がっていた。
「君と室月君って。、何となくだけど似てるんだよね。……だからさ、きっと君達なら友達になれるんじゃ」
「――いや」
湊が素早く首を横に振った。
「彼と僕では、そういう関係は成り立たない」
そう断言し、湊は足を踏み出す。茜を置いて、病院の近くから去ろうとしていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。どうしてそんな事が」
離れていく背中を茜は急いで追った。斜め後ろから近づていく。地毛の茶髪を揺らし、必死に同級生の視野へと入り込んだ。
短い静寂が流れてから、湊の口は再び開く。
「君の心遣いには感謝している。でも、僕には必要が無い」
その言葉に茜はすかさず反論する。
「違うよ。友達っていうのは、そんな必要とかじゃなくて」
「成り立つか否か。……そう考えている時点で、既に友達の関係からは程遠いんだ」
それぞれの主張が平行線を辿る。湊は友達という存在の意義を模索した。茜は友達という存在を疑わなかった。そこで二人の解釈は完結しきっていた。
「君がさっき言った『似てる』部分も、多分こんな所だと思うよ」
「そ、それは……」
言い淀み、泣き黒子の付いた両目を茜は伏せる。
「友人でも、ましてやライバルでもない。単なる知人がいい所だ。それ以上は必要だと感じないんだ」
「………………」
湊の隣を歩きながら、茜が沈黙する。反論は出なかった。俯いたまま、しばらくの間は足だけを動かしていく。
「彼も、きっと僕を必要としてない。……一人でも、もう大丈夫なんだ」
茜の顔が湊の方を向く。落ちていた視線が元に戻っていた。陰鬱な表情を貫く少年だけを捉えている。
抑揚のない口調で、茜は尋ねた。
「そこまで言えるのに、友達、じゃないの?」
鈴夜湊が振り返る事も無く答える。
「ああ」
はっきりと湊は言い切った。一切の逡巡も纏わずに、日々貴との近くもない関係を断定している。頑なにその考えは固持されていた。帰路を行く歩調までもが、思考を反映したかの様に真っ直ぐと続いた。
「……そう」
茜はそれ以上先には進まなかった。ただ自分よりも歩幅が大きい湊の横に寄り添おうとする。
「それも……君らしいのかもね」
己とは異なる主張を持った少年を眺め、茜は小さく呟いた。
ほんの僅かな微笑が滲んだ。交わりそうにない考えを突き付けられたが、茜はそれを拒絶しようとはしなかった。無理に押し付ける事は無い。ゆったりと、少しずつ、傍で共有する道を共に歩いていこうとした。
――一人でも大丈夫。確信が籠ったこの言葉に、茜は虚勢や己惚れ以外の誇らしい感情を感じ取ったのだった。
久しぶりの現実世界編、最近の多忙という事態が重なり、大幅に遅れてしまいました。もうすぐ終わりなので、それまでは頑張って書こうと思います。次回の更新は一週間後を予定しています。




