《E・D内部/リュネ=室月 日々貴:視点》④ ”ひびき”
一週間以内と言いながら遅くなる日が続いてすいません。第五章の最終話です。
《E・D内部/リュネ=室月 日々貴:視点》
彼女の面影に、何となく見覚えはあった。警告された時には分からなかったが、確かに私はこの少女の事を知っていた。
事故が起きた日の演奏会。最前列で耳を立てている少女が居た。随分と熱心だとは思っていた。見られている私も、彼女の為にとより素晴らしい演奏を心がけた。
どうして、忘れていたのだろうか。
あの事故が起きる直前の出来事であり、もう三ヶ月近くは経っている。頭から抜け落ちる可能性は充分に考えられた。だが、事実を指摘されて鮮明に思い返す。自分がバイオリンを弾いて、観客が聞き入る。それらのやり取りに、私の心は大きく震えていた筈なのに。
――私は、今まで何をしていたんだ?
自分に問いかける。そして、答えが一つも出てこなかった。悪夢を見ていた。ただそれだけだった。
「召喚」
小さな呟きに寒気を覚える。
悪夢だった私を倒したアバターの手には、いつの間にか黒い大剣が握られていた。彼は無言でその武器を振り回す。黒光りする剣先が車椅子の少女に狙いを定めた。
「自分で能力を制御しきれていない。だから、元に戻せないんだな?」
まるで確認しているかの様だった。
断罪裂剣のクリム。物騒な異名にそぐわない態度が、彼の背中に現れていた。剣呑な雰囲気が彼を中心に渦巻いているのだ。
嫌な予感がする。胸が、酷く窮屈に感じる。
間髪入れず、私の想像は的中した。悪意も抑揚も無い言葉によって、彼は意図を告げたのだ。
「……悪夢は、一度は強制的に退場させなければいけない」
斬るつもりだ。
私の時と同じ様に、彼女を退場させようとしている。武器をそのまま突き出せば急所である首が両断される。損傷率は即座に百を超えるだろう。トレスという名のアバターはすぐに退場させられてしまう。
待て、と私は思わず口を開きかけた。しかし、私より早く声を上げた者が居た。
「お、おい! 待てよ! 待ってくれよっ!」
大剣の刃を直に掴み、その男はクリムを止めた。
「……も、もういい! 俺の依頼はここまでだ! トレスにはもう何もするな!」
厳つい身体つきのアバターが訴える。掌が大剣に僅かながら食い込んでいる。損傷率が視野に表示されている筈だが、その男は構わずに続けた。
「俺の妹をこれ以上傷付けないでくれ! なあ、頼むよ!」
少女の兄である彼は断罪裂剣の前に立ちはだかる。
「…………」
対して、大剣を持ったクリムは無言で彼の顔を見上げた。彼等の体格差は比べても明らかであり、少女の兄の方が頭一つ分は高い。けれども、この場における優位は圧倒的に逆転していた。低い側のアバターがあらゆる権限を備えている。それを悟ってか、少女の兄は慎重な態度を維持していく。
「お前の言い分は理解しているさ。トレスも騎士団を襲うのに手を貸した。だから、トレスも悪いって事だろ? でもさ、仕方ないんだよ。……トレスは、生まれつき身体が弱かったんだ。それこそ、満足に歩けないほどに」
妹を背後に、刃を片手に抱えながら、彼は顔を俯かせた。
「…………そんな奴が、ある日突然、凄え力に目覚めたらどうする? 自分の好きな事に思いっきり使うだろうが!? それこそ、自分の後悔を晴らそうとしたっておかしくねえ。四レスは人なら当然の過ちをやっただけなんだ。……お前は、それを分かってくれるよな?」
救いを求める様に、少女の兄はクリムを見つめた。
黒い大剣は未だに宙を動いてすらいない。断罪裂剣の筋力が優れているのか、少女の兄から加えられる力に任せているのか。どちらにせよ、クリムが更に腕を動かせば拮抗は崩れるのだろう。彼と直に対峙して負けた私には、その結果が分かってしまった。
「……っ」
断罪裂剣が小声を発する。何を言ったのかは聞き取れなかった。
「なあ、断罪裂剣のクリム。俺、前からお前の事は尊敬してたんだぜ? 犯罪プレイヤーを余すことなくぶっ倒す、最強のアバター。……でもさ、お前はもうちょっと人の心を考えた方が良いぜ。誰がどんな事に喜びを感じて、そして悲しむのか」
決して間違ってはいない言葉だった。恐らくだが、少女の兄もクリムの本体を知っているのだろう。その人格を踏まえて、彼は主張しているのだ。
しかし、断罪裂剣と呼ばれているアバターは剣を降ろさなかった。
「そうじゃ、ないっ」
それどころか、感情を剥き出しにして楯突いた。
「どれだけ親しかろうが、本人の考えは他人になんか代弁出来ない。自分の夢を見られるのが、自分しかいないように」
兄妹であっても例外は無い。そう言い含んだ低い声色が、目の前に立った大柄なアバターを威圧し返した。
「俺が尋ねているのは、あなたじゃない。その後ろにいるトレスという一人のアバターなんだ。彼女の罪は、彼女にしか背負えない」
幾人もの人を斬ったからこそ、断罪裂剣の言葉には重みがあったのだろう。
「分かったなら、そこをどけ」
相当な重量を誇る大剣が僅かに動いた。短い距離だったが、少女の兄の掌にしっかりと食い込んでいった。騎士団を抜けた断罪裂剣にとってこれは立派な傷害行為だ。向こうがSOSコールを使えば、彼は犯罪プレイヤーとして見做されてしまうだろう。
私は咄嗟に周囲を見回した。断罪裂剣の付き添いである二人の少女は、この状況を止めないのだろうか。
金髪のアバターは肩を吊り上げ、その場で固まっている。反対側に居る猫妖精のアバターは委縮した表情でおろおろとしていた。
駄目だ。彼女達には止められない。かと言って、傍観者に近い私自身も、断罪裂剣と少女の兄を止められる気はしなかった。
「お、俺は……!」
少女の兄が指を動かす。システムウインドウを呼び出そうとしている。
「トレスの兄だ! 俺がトレスを守るんだ!」
喉奥からの叫びが響き渡った。人差し指のすぐ前で、半透明のウインドウが浮かび上がる。
「それが、嫌だったの!!」
しかし、少女の兄が助けを呼ぶ事は無かった。背後で控えていた妹に、背中を強く叩かれたからだ。
「――え?」
兄はゆっくりと妹の方を振り返った。突き付けられた大剣からも目を逸らして、少女の顔を確かめる。
「私は、ずっとそうやって……誰かに助けられなきゃいけないの?」
車椅子の上で彼女は涙を浮かべていた。
「もう嫌なの、こんな生き方。好きな事も、やらなきゃいけない事も、全部他人任せ! そんなの、私の――ちあの人生じゃない!」
悲痛な声が募っていく。私は彼女について殆ど知らなかった。でも、彼女の心中が少なからず分かってしまう。
望んでいるのだ、兄に守られずに、罰せられる事を。
「……な、何言ってんだよっ? 俺はただ、お前を……」
「誰も頼んでない! 私の決意までお兄ちゃんが取らないでよ!」
ずっと守られてきたのだろうか。目の前に居る兄によって。きっとそれは、とても居心地が良かったのだろう。
「私が一人じゃ満足に生きられないのは分かってる! でも、私は! 私という一人でありたいの! 一人にさえ成れないのは、絶対に嫌!!」
そんなぬるま湯の世界で彼女は苦痛を覚えたのだ。表情から読み取れる。足掻いて、もがいて、何度でも立ち上がる。そうした逆境を踏み越えて、自分の存在を獲得したかったのだろう。
最早、少女の兄が取った言動は過保護となっていた。少女は個人で道を選び、個人で進んでいく覚悟をしていたのだ。
「…………でも」
項垂れた彼女は、膝上にあった拳を強く握りしめる。
「どうせ、最後には……叶わないんだよね。無いものは無いもんね」
次に前を見たその顔は涙で濡れていた。
「ねえ、そうなんだよね」
他の誰でもない、私に向けて彼女は口を開いた。
「っ!」
息が途切れる程の衝撃を覚える。あの少女は悲嘆に飲まれていた。私が悪夢として暴れる姿を目の当たりにして、同じ様に絶望してしまったのだ。
私のせいだ、と初めて自覚する。
仕方がなかった、と妥協もする。あんな事故に遭って正気を保つ事なんて不可能だった。悪夢になっても当然と言えるだろう。それを誰かに責められる筋合いはない。
……それだけで、いいのか?
逃げ場所を目指した途端に、足元が揺らぐ。気分が悪くなった。自分の感覚が、自身の思考を受け入れない。まともな呼吸はままならず、私はその場に立ち尽くした。
「だから、ね。お兄ちゃん。……そこをどいて」
少女の兄は足を引き摺りながら、断罪裂剣の大剣から身を離していく。その足元はどことなくふらついていた。顔色からも生気が抜け落ちている。痛々しくて、とてもじゃないが直視できなかった。
「……いいのか」
断罪裂剣は少女に問う。
「はい」
何の躊躇いも無く、少女は首を縦に振る。片手を動かし、ウインドウを操作した。きっと断罪裂剣との戦闘を許可したのだろう。これで彼による攻撃は犯罪行為とはみなされなくなった。
「本当に、いいんだな?」
度重なる質問に少女は顔を上げた。両目で騎士を真っ直ぐに見据え、覚悟を示す。首筋を伸ばして、刃を待っていた。
その態度を晒され、周囲に居た少女達も顔をしかめる。だが、私だけは別の思いに取り残されていた。
今のは、違う。
「………………」
一拍の沈黙を挟み、断罪裂剣が大剣を真横にゆっくりと振りかぶる。腕を反対側に大きく引き付けて、首を落とす為の力を溜める。時間をかけて、狙いを定めていった。まるで何かを待つ様に。
私はここで確信した。
……さっきの言葉は私に言ったんだ……!
あいつが危険を顧みずに私を助けた理由が分かった。少女の告白に付き合わせる為じゃない。この退場を私に見せつける為だったんだ。
私の影を追い、私と同じ様に傷を負った少女。そんな彼女を知ってから、自殺をまた図れるかどうか。
可能性はゼロに近かった。これじゃ駄目だと叫んでいる自分が居る。失ったままじゃいけないと私は彼女に伝えなきゃいけない。だが、何も口に出せない。言葉が全く浮かんで来なかった。
――――私は、本当は何を失ったんだ?
もっと大きな喪失感を悟る。バイオリニストとしての夢ではなく、根本的な何かの消滅を知ってしまった。
両手からこぼれたそれらが完全に取り戻せるとは思っていない。けれども、私は改めて強く望んで求めた。
短い筈なのに遠く感じられる距離を走り、私は左腕を伸ばす。
「待ってくれ……!」
断罪裂剣の背後から少女に声をかける。あんなに恐怖を覚えたアバターに睨まれたが、立ち止まるつもりはなかった。
「……頑張れなんて、気軽な事は言わない。……だけど!」
言わなきゃいけない。
彼女を思っての行動でもあるが、自分の渇望も芯にはあった。声に熱が籠る。悲しみも喜びも無いのに、何故か視界が歪んだ気がした。
「いつかきっと! 君に……最高の演奏を聞かせてみせる! 今までの中で最高のバイオリンを弾く! だから!」
次は何を吐き出す。
自分に投げかけ、考える前に唇が動いた。
「楽しみにしてくれ!」
頑張ってもどうにもならない現実を私は知っている。悲劇は突然に訪れ、酷い世界を突き付けてくる。そこから現の裏側にまで苦痛は滲み、悪夢を描く。目を開けても閉じても、失った物は元に戻らない。
辛い苦難を抱えて、何度も挫ける事はある筈だ。
それでも、私は夢を見よう。
「…………ぁ…………」
車椅子の少女は声にならない呻きを漏らし、私だけを見つめ返す。
そして彼女は。
「……はいっ」
――あの日、最前列で見せてくれた微笑を浮かべてくれた。外見が異なり、涙で濡れていたけれど、私は確かにあの子の笑顔をそこに重ねた。
やがて返事の残響が消える。
もうこれ以上の時間をかけてはいけない。私も、彼女も心が鈍ってしまう。夢から覚める頃間だ、と彼女は分かっているのだ。私が邪魔をしては意味がない。胸に痛みを覚えながら、断罪裂剣の肩に乗せていた手をそっとどけた。
止められていた大剣が、始動する。
黒い刃は宙に軌跡を描き、目の前で座っていたアバターを一瞬で両断した。ごっ、と容赦の無い音が鳴った。強い風が真横になびいた。急所を攻撃されたので、小柄な肉体はすぐにデータの光へと還る。眩く輝いた粒子がきらきらと舞いながら、仮想の空へと昇っていった。
――きっと、私は。
心の奥底で、少女に言葉を送る。この先は室月日々貴として伝えたいと思う。
「ヒーン…………ッ!」
少女の魔獣だったペガサスが甲高く鳴いた。主が居なくなり、嘆いているのだろう。馬に似た声は高く響き、光が散りゆく景色にいつまでも音を添える。
私はその光景をいつまでも目に焼き付けた。光と色に包まれた世界を仰ぎ、私は覚悟を胸に秘めた。
――やって、みせるさ。
粒子が完全に消えたのを見届けてから、私はゆっくりと瞳を閉じた。左の拳が無意識の内に心臓の辺りへと添えられている。
視界が暗闇に包まれ、今日の夢は静かに終わりを告げた。
ここまで書いていてなんですが、自分でも彼等の言動にあまり納得していません。考え過ぎる傾向にあるので、気のせいかもしれません。自分の人生経験が足りないせいです。しかし、失った夢をもがいて彷徨う人達の物語が書きたかったんです。――次からエピローグ代わりの第六章に入ります。




