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《現実世界》⑧ ”音楽室”

遅くなって申し訳ありません。現実世界の話から始まります。

《現実世界》


 これは過去の出来事。


 高森燈哉が妹の為にドリー部へ依頼をする前日。彼は部室のある教室へと下見にやってきていた。扉から中を窺うが、誰もいない。燈哉は小さく息を吐き、壁の方へと位置をずらしていった。


「はあ……。居ねえな。活動時間が短すぎだろ、ここ」


 掲示板に貼られていたポスターから不在は明らかだった。足を運んだ行為は無駄になると分かっていた。しかし、燈哉は部室の前へと足を運んだ。

「畜生、明日しかないか。……早くちあの下に帰ってやろう」

 踵を返し、燈哉が階段を目指す。

「ん?」

 ふと、彼の視野に人影が飛び込んだ。廊下の奥で一人の男子生徒が立ち尽くしている。燈哉とは対照的に小柄な少年だった。上靴の色は二年生の物だ。その顔付きは中性的で、男性ながらも女性の側へと偏っていた。

「何だ、あいつ?」

 燈哉が眉を細め、佇んでいる少年を凝視する。

 一貫型なら未だに授業を受けており、分割型なら部活動に勤しんでいる時間帯だ。燈哉の様に要件がある者でもない限り、少年がそこに居るのは不自然だった。


「…………」


 線の細い少年はとある部屋を見上げていた。他の教室とは一線を画した広さの扉を前にして、ひたすらに仰いでいる。離れた距離に居る燈哉に気付いた様子もなかった。

「あそこは……確か」

 うろ覚えな記憶を口にするより早く、閉ざされた扉の奥から音が響き出した。床や窓、天井が一斉に震えていく。多種多様な楽器による音色が、燈哉と少年の留まる空気に広がっていった。

 少年の先にあったのは、音楽室。現在は吹奏楽部が活動している場所だ。

「…………っ」

 音響の雪崩を浴び、少年が整った瞳が鋭く尖らせる。弱々しい歯ぎしりを瞬かせ、少素早く背中を翻した。


「!」


 そこで燈哉の存在を初めて悟る。女性の如き細い全身を硬直させ、左腕を咄嗟に反応させていた。燈哉が苦笑いを浮かべた事で右腕も浮かび上がる。警戒心を剥き出しにして、頬を引き攣らせた。


「く……」


 顔中を羞恥の赤で染め上げ、二年生の男子が眼を逸らす。逃げる様に、真横に続く階段へと急ごうとした。

「あ、おい」

 燈哉は引き止めた。

 だが、制止は甲斐なく振り切られた。立っていた場所から少年は駆け出した。


 直後に足がもつれ、転倒する少年。


 身体を打ち付ける音は背景に流れる音で掻き消された。右の半身から落ちていた。頭といった急所は打っていない。未だに両足が絡まっている。少年がそれから立ち上がろうとする様子はなかった。


「……大丈夫か? 急に走ったら危ないぞって、言おうとしたんだが……」

 少年の傍に駆け寄り、燈哉が手を差し伸べる。

「ほら、立てるか?」

「………………」

 無言が返ってきた。近づいてきた燈哉には目も呉れず、少年は呆然と地面に向かい合っている。最初は微動だにしなかった。時間が経つにつれ、異変ははっきりと現れた。痩せた両肩が少しずつ震えていったのである。

 少年の状態に感づいた燈哉が訝しんだ。明らかに動揺しており、病気を疑える程に顔色を暗くしている。


「おい、本当に大丈夫かっ?」

 不安が喉奥の堰を切り、燈哉は少年の身体へと触れる。


「――触るなっ!」


 起こそうとした手に衝撃が走った。少年の左手が強く弾いていた。ばしん、と乾いた音が演奏の波と重なる。

 少年の叫びは燈哉には良く聴こえなかった。ただ、その形相に漂う必至には悪寒を覚えてしまう。話しかけていた唇を閉ざし、伸ばしていた手も止めてしまう。

「………………」

 沈黙を保ったまま、少年が誰の手も借りずに立ち上がった。

 そして、傍にあった階段を下っていく。音楽室から漏れ出す交響の渦から遠ざかる。後ろ姿が段差で見えなくなる。

 やがて少年の気配は完全に途絶えた。


「あー、まずったかな?」


 演奏が全身を細かく揺らす中、燈哉はゆっくりと天井を仰いで呟いた。

「あいつの…………右腕」

 一瞬だけ指先が触れてしまった。固い感触が伝わった。人肌の物ではない。ほんの僅かな時間だったが、燈哉はそれが何かを知った。

 ――義手。


「はぁ」


 溜息が出た。少年が降りていった方角を凝視し、燈哉は少年の心境を代弁する。


「そりゃ、知られたくないよな……」

 燈哉はある事故を思い返した。

 今年の春直前に起きた交通事故。一人の少年を巻き込み、手動運転の是非を問う事となった出来事だ。妹がそのニュースを良く見ていたので、燈哉の記憶には強く残っている。更に出御高校の生徒が巻き込まれていたのだ。奇妙な偶然を覚えながら、かなりの印象深さを与えられていた。

 室月、日々貴。

 あの少年の名前さえも燈哉はすぐに思い返していた。




 演奏が途切れ、辺りを占領していた響きが消えた。

 中性的な顔立ちを上に向けたまま、室月日々貴は再び音楽室の前に立っていた。鞄も持たず、入る素振りも見せず、ただ直立している。


「………………くそ」


 E・Dにて騎士団が二度目の襲撃を受けた、次の日。

 一貫型の残り少ない放課後。音楽室の前では未だに練習が続いていた。中断された演奏の合間に教師の声が聞こえる。生徒とのやり取りがあった。続けて演奏が再開される。中段のきっかけとなった失敗は無事に修正されていた。


 ……かつん。


 日々貴のすぐ傍で足音が鳴った。人影も足元へと伸びて来る。気付かない内に誰かが立っていた。

「………………」

 眼鏡をかけた少年がそこには居た。平均より小柄な背に、特徴の薄い平凡な顔付き。瞳には暗い影が落ちており、沈黙が自然と吊り合っていた。

 音楽室と階を同じにするドリー部。

 その副部長である鈴夜湊は、室月日々貴の横を淡々と通り過ぎようとした。

 二人の接点は元から皆無だった。中性的な容姿だけが最低でも共通している。だが、日々貴が持っているのは女性の如き繊細さで、湊は男性の如き豪胆さが削ぎ落されている。印象だけが似ており、姿形はともかく性格や嗜好も合致している点は無い。会話が無いままお互いに通り過ぎるのは当然だった。

 日々貴も音楽室の前から立ち去ろうとした。頬は微かに強張っており、苛立ちが顔に出ていた。


「…………」

 湊が黙々と通り過ぎる。

「…………」

 日々貴も不動のまま立ち尽くす。

 何事もなく二人は交差する。湊が日々貴の横を歩き、後は離れ合うだけだった。


 ――しかし、見つけてしまう。唐突に。

「っ……!?」

 重い双眸がその顔を追う。


 首も動かし、湊が日々貴の表情に着目していた。伏せがちな両眼を開き、変化に乏しい顔つきをも引き攣らせる。歩く速さも落ちていた。浮かせていた前足もゆっくりと廊下に着いた。意識が完全に室月日々貴へと向いている。

 見つめられた本人も、それを肌で悟った。


「………………何だ……」


 日々貴が抑揚のない声で尋ねかける。外面は一切の冷静さを保っている。些細な仕草も残していない。湊への呼びかけ自体も酷く淡白だった。目立たない同学年の生徒に対し、好奇心を抱いた様子もなかった。

 それでも口は開いた。接点も殆どない湊へ、訊かずにはいられない。


「…………いや……」

 湊は首を横に振った。何でもない、と言いたげに自分の行動を否定した。


「――――ぁ」

 そこで限界が訪れた。


 日々貴は小さな悲鳴を漏らし、動き出す。

 細い左腕が瞬く間に閃いた。近くで立ち止っていた少年の首元を、一気に掴んだ。力を入れ、そのまま壁際へと押し込む。二人の体重は五分五分に軽かったが、勢いに身を任せた日々貴が勝っていた。湊の背中が廊下の壁に激突する。どん、と衝撃と音が日々貴にも伝わった。

 中性的な顔立ちに激情が揺らめく。


「何だって訊いてるんだよっ!?」


 右腕を宙にぶら下げながら、日々貴は大声で叫んだ。

「お、お前にそんな目で私を見る資格なんてない!」


 変貌が遅れてやって来た。激昂を暴露した様相で湊へと迫る。裏声が混じった絶叫を廊下へと反響させていく。


「私は必死にやってきたんだ! 成果だって現実で出してきたっ! 下らない夢を見ているだけのお前らと比較するな! 反吐が出るっ!」


 爆発のきっかけは湊からの凝視に過ぎなかった。だが、高森燈哉からも似た言動を受けている。ここに至るまでの経緯が全て積み重なったのだ。問題だったのは時期と相手。鈴夜湊に見つめられた、という事実が日々貴の平衡を崩してしまった。

 無傷の左腕が更に押し付けられる。湊の喉に圧迫感が生じて、呼吸は可能でも発言が困難になっていった。日々貴と湊の体格はほぼ同一。長い入院生活を強いられていた日々貴の方が寧ろ筋力は衰えていた。湊が押し返すのは容易だった。


「知っているぞ、お前……!」

「…………っ」


 ひ弱な詰問に湊は黙っていた。ただ日々貴の顔だけを見つめ、反論も反撃もしない。その間にも壁へと圧をかけられていた。


「お前、暴力事件を起こした奴だろ。一年の女子を殴ろうとした……弱い物しか相手に出来ない糞野郎だろう…………っ!?」


 かつての事件を口に出し、日々貴が片腕への力を増やす。ぎぎ、と湊の後頭部付近で軋む音が鳴った。ひゅー、とか細い息が締め付ける本人へとかかる。

 苦しめている筈の日々貴は目の焦点が虚ろだった。眉間に深い皺を刻み、甲高い声色を募らせる。硬い拳が右腕の先に作られていた。肌色に似せた表面が薄らと光沢を輝かせる。


「お前も、どうせ私を馬鹿にしているんだろ……? 腕を失くした私を嘲笑っているんだろ……? 五体満足じゃなくなった私を見下しているんだろ……?」


 問い詰める日々貴。

 その身体は何かを怯える様に震えていた。首を軽く締めている湊を前に、彼の方が慄いているのだ。


「………………」


 湊は未だに無言を貫いていた。義手が作り出す拳も視野に映っている。だが、暗色の瞳に日々貴を捉える事は止めなかった。対峙する少年の目を見続けた。

 相反する瞳孔が交差する。

 薄暗い眼球は日々貴の情動を揺さぶった。彼の呼吸が荒くなる。握った右拳も肩の辺りまで高くなる。半身が大きく開き、義手が風を切った。


「――黙るな! 同情するな! 何とか言ってみせろぉぉぉおおおお!!」


 日々貴の拳が湊へと飛ぶ。

 殴られる。その結果が予想されていても、湊は表情を冷淡に抑えきっていた。大振りに近づく拳には瞬間的に反応している。片目も僅かに動いた。

 小さな塊の影が湊の顔に浮かぶ。


「……」


 それでも湊は黙ったままだった。短い沈黙を織り込んだ。殴打による衝撃は、目と鼻の先にあった。


「おい!」


 焦りを含んだ怒号と共に、日々貴の拳が途中で止まる。


「何してんだ、お前ら!?」

 日々貴の右腕は太い手に掴まれていた。背後で大きな男子生徒が立っている。彼が凶行をすんでの所で防いだのだ。


「部活に顔を出してみようと来てみたら……一体、何なんだよぉ!?」

 高森燈哉が低い大声で喚く。いつもは明るい顔色には困惑の影を上塗りしていた。

 湊と日々貴の二人を見下ろし、まずはお互いを離れさせる。合間に両腕を割り込ませ、距離を無理矢理に押し広げる。体躯が厳つい燈哉が彼等を分かれさせるのは容易かった。

 強い力で遠ざけられ、日々貴が小さく舌打ちをした。


「……ちっ」


 右拳を緩め、日々貴は拘束の手をつないだまま腰元へと降ろす。燈哉もそれに続いて指を解いてやった。輪が取れた。湊と燈哉を睥睨し、一歩ずつ後退する。


「おい、お前さぁ……。こういうのはよぉ……」


 燈哉が日々貴の広げた空間に足を踏み入れる。

 だが、言葉を言い切る前に背中を向けられた。二人にはもう眼中が無いといった体だ。炎上させていた怒りも勢いを落ち着かせている。荒くて細い呼吸が廊下に降りかかるだけだった。

 やがて、数秒も経たない内に日々貴が歩き出した。


「あ、待てっ!」


 三年生の制止も振り切って、彼は階段の向こう側へと消えた。支離滅裂な発言を湊に浴びせ続けた末に、勝手にいなくなってしまった。足音が徐々に下降していく。音楽室に通じる廊下には、湊と燈哉だけが残された。

 扉の向こうにある演奏は保たれていた。心地いい音色が廊下を流れる。


「………………」


 殴ろうとした日々貴に対しても、救ってもらった燈哉に対しても、鈴夜湊は無言を返している。視線さえも音楽室へと向けている。


「なあ、大丈夫か? ……お前、流石にあれは反撃しようとしていいんだぞ? あっちじゃ強いんだろ? じゃあ……現実でも」

 燈哉の問いに素っ気ない回答が応じた。


「いえ……」


 遅れて、湊の頭が小さく下げられた。礼を告げる体勢で声が紡ぎ出される。


「……ありがとうございます…………」

「あ、いや」


 第三者は俯いた面を上げさせようと言葉を選んだ。お前は悪くない。そう投げかけ、湊と対話をしようとする。返事は無音だった。湊は何も言わなかった。燈哉に言われた通りに顔を上げ、又もや音楽室の扉を眺める。時折、日々貴が下った階段にも視線を送った。

 そんな彼の態度を目の当たりにし、燈哉も活発だった開口の活動を今に限って少なくしてしまった。決して交わらない視線を根暗な後輩に降ろし、奥歯を短く打ち鳴らした。


色々とフラグが立ってきました。次回も早い内に更新したいと思います。先に《能力》の方を更新すると思いますので、あしからず。

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