《E・D内部/クリム=鈴夜 湊:視点》② ”悪夢”
私のもう一つの作品であるAIRLINEでは遅くなると言う話でしたが、何とか早く仕上げることが出来ました。一か月ぶりに投稿します。
《E・D内部/クリム=鈴夜 湊:視点》
――うるさい。
俺は内心でユリアに悪態を吐いた。人型アバターとしての常識を逸した攻撃に不意は疲れたものの、相棒の黒い大剣は怯むことなく刃を受け止めている。
謎のアバターは戦闘に関しては素人だ。向かってきた細い剣に速度はあったが、威力は全く乗っていない。
「……ちっ」
聴覚が背面から接近する刃の存在を知らせた。現実では掴みにくい自分までの距離と位置が脳裏でくっきりと再現される。
これは俺独自の技術。名付けて音響探知だ。
E・Dは率直に言えば夢が拡張された世界でしかない。夢とは一般に自分の経験した事実に影響されやすいのだ。即ち記憶に左右される点が多い、
その性質はE・Dでも採用されている。音響探知はこれを応用した技だ。
「ふっ」
俺は大剣に偏った力を込め、我が身を斬ろうとしていた細い剣を受け流した。
ガキン!
背後で刃同士が衝突したようだ。音響探知によって二本の剣が位置する場所を正確に把握できる。これは俺の目論見通りでもある。
この独自技術はE・Dの感覚再現の高品質に乗っ取ったものだ。発生している現象を夢として再生する為に、それらの詳細情報は既に脳内へと送られている。座標や距離といった細かい内容も全てだ。いわば、起こる現象は瞬間的に発生時より早く完全な情報を入手できる。
音響探知はこうした正確さと先読みした情報によって成り立つ技術である。
「ああアアァ」
「ん……」
一見して現象を先に読み取る音響探知は無敵かもしれない。だが、弱点はきっかりと存在している。
今、俺の聴覚が相手の使っている直剣を両方とも聞き失った。感知できる間合いから退避したのだろう。こうしたように察知できる範囲から逃げられれば先読みする事もできない。また、あくまで聴覚に頼った技術でもある。音が出なければ分かる筈もない。視覚主体に移すと情報の時間差がほぼ無いので、あまり役には立たない。
「あれは……」
前後左右する黒い剣によって砂煙が引き裂かれてゆく。晴れていった視界の隅でアバターが退場する際に発生する光が目に入った。
「さっきの犯罪プレイヤーか」
ユリアが悲鳴を上げたのはこの昇ってゆく光を見たからだろう。俺と勘違いしての呼びかけだったのだろうか。まあ、俺が退場したら彼女に標的が移るかもしれないからな。
ふと、先刻の奇妙なことを思い出した。
「痛い……って叫んでいたな」
謎のアバターに刺されたプレイヤーが呻く姿は脳裏で訴えかけてきた。相手が素人だとはいえ、俺にも理解できない未知の技術を使っている危険がある。油断は禁物だ。
しかし、通常はE・Dでは痛覚を制限している。ああまで騒ぐ程の痛覚が発生するなど、システム上絶対にありえないはずだ。
「いや……待てよ。……システム…………⁉ まさか」
光明の如く脳内へと差し込む記憶。俺はあのアバターの正体を知っているかもしれない。正確にはアバターの身に起こっている現象でもあった。
閃いた可能性は捨てきれず、危険性だけが内面で増幅してゆく。
「――次で、斬り伏せてやる」
すっかり消え去った砂煙の奥底に敵はいた。
双眸で黒い人型の影を捉える。脚部中心に力を込め、突撃する用意を付けた。相手も正に総攻撃を放とうと二本の剣を巧みに動かしていた。
外見を覆う黒い霧の向こうにはどんな顔が隠れているのだろうか。そんな些細な疑問を即座に捨て、無機質な鋼鉄の大剣に感覚を通す。両手で握った柄と相棒が繋がったような錯覚が伝わった。
「アァァアアああアアアアアアア!」
敵が吠えた。
「行くぞ」
俺も答えた。
――一瞬だけ大剣の重量に身を任せる。体勢が前へと崩れた。
そこで地面を強く蹴り込む。
前のめりと化した姿勢は疑似的な陸上のクラウチングスタートとなる。
疾走に特化した、これまた俺独自の走り方だ。
「アアア!」
加速する俺に対し、敵は右から一本の剣を斬りつけてきた。前から後ろへと流れる風景の中、迫りくる黒剣は全容をあやふやにしている。俺の大剣と似てほぼ真っ黒な武具だ。黒い外枠と中身の暗黒が混じり合っているのだ。
俺は剣道で言う中段に構えていた大剣を右へと軽く寄せた。
そして、両手首を右回りへと小さく捻る。
キィィィン。
軽く触れただけで敵の細い直剣は火花を出して弾かれた。
「しっ!」
円運動の要領で剣を流したのだ。突撃している俺にとって相手の剣は根元近くで接近していた。勢いを維持したまま流せば、それだけで大きく剣の軌道は逸れてしまう。
次の攻撃は左から迫ってきた。
相手との距離はもう五歩の間しかない。
大剣は右方寄りに位置していた。受け流しの反動を殺して、左方まで持ってくるのは少し難しい。何より、相手も知恵が回るようで左においては剣の先端で突いてきたのだ。
一歩の合間を詰め、大剣を振る。
これは攻撃ではない。重すぎる、といった大剣の性質を利用した回避術だ。
「っく」
相棒の重さに引きずられ、二歩目の踏み込みが更に深くなった。頭上では自分を貫かんとしていた剣が通り過ぎる。ちっ、と自分の髪の毛が斬られた感触があった。ぎりぎりだという実感が思わず声に出てしまう。
これで、詰みだ。主武装である二つの細剣は使い切った。
三歩。
――四歩。
――――五歩!
「はああああ!」
腕力に物をいわせて大剣を上部へと持ち上げた。
こんな構えで剣を振り切れば、その後大きな隙が生まれる。だが、問題はない。この斬撃で相手を一発退場に追い込めばいいのだ。
幾人ものプレイヤーを葬ってきた刃が風を切り裂く。
この大剣を振り下ろせば決着がつく。俺は全身の力を解き放った。
――今まで耳にしなかった、か細い声が響く。
「……いたい……よぉ…………」
俺の大剣は無意識の内に宙で止まっていた。
「な」
「いたい……いたい…………。だれか、たすけて……」
その声はとても弱々しかった。主は明確に目の前の黒い影で覆われたアバターである。声音と衰弱した口調から少女のものだと自然に悟った。
「何を、今更……」
犯罪プレイヤーなれど他人に害をなしていた存在だ。命乞いをして救われようなどと虫が良すぎる。
――表面の思考はそう推定しつつ、切羽詰まった上での悲嘆に満ちた発言だと心の奥底で感じた。
知っているのだ。俺は経験したのだ。
同じようにして言葉を残した者を……。
『さよなら、だ』
雷に打たれたような衝撃と麻痺が全身を駆け抜けた。大剣を持つ両腕が石になったように全く動かない。
止まるな! 剣を振れ!
全身へと命令を発する。それも蓋をしていた最悪の記憶と混じり合って体中に回ることを拒否していた。どれだけ念じても焦りだけが積もってゆく。
ブスッ。
「あ」
やられた。
「アアアアぁぁ」
最初に弾いた黒の直剣が俺の脇腹を貫いていた。俺が戸惑っている間に剣を引き戻したのだろう。
突如、剣がめり込んだ箇所から激痛が生じた。
「ぐっ⁉」
目の前で出現した赤い円グラフが数字を表示する。損傷率の掲示だ。久しぶりに見たが、今は激痛になじられて眺める猶予もない。
「この‼」
痛みで腕の固定は外された。大剣を黒い細剣めがけて振り下ろす。
謎の敵が使っていた剣はあっけなく破壊された。案外脆い感触だった。損傷率は悠々と百を突破しただろう。
「……な、何で消えないんだ、コレ」
通常壊れたオブジェクトはすぐさま光となって消えるはずだ。その常識を無視して、俺が折った黒い直剣は地面に散らばった破片を含めて残っている。体を貫く剣先も持続して俺に痛みを与えていた。
「ちっ……!」
舌打ちと共に黒い剣を体から引き抜いた。
「ァァ……アあア」
追撃が無いと思っていたら、敵は背を向けて逃走していた。俺に一撃を加えたとはいえ、自分の武器があっけなく壊れたことに怖気ついたのだろうか。
黒い影を纏った背中が段々遠くなる。
俺は痛みの残る負傷部位を手で押さえつつ、ずっとその後を目で追っていた。
「みな……クリム君!」
メイド服を着込んだ少女が謎のアバターの姿を遮った。
「ちょ、大丈夫⁉」
右斜め上の隅に避けた損傷率の数字を確認する。四パーセントだ。それほど大きな数字ではない。むしろ、あの近距離を考慮すると低すぎる攻撃力だ。
「少し……きつい」
「そんなに⁉ ちょっと待ってて! 今、回復術をかけるからっ」
数字的には全く問題はなかった。ただ、自分の脇腹にある激痛がどうしても耐え兼ねがたい。彼女が回復術を使えるなら幸いだ。甘んじてその恩を受けよう。
「小治癒」
かざされたユリアの両手から淡い緑色の光が発せられる。
彼女の様な魔法使用者は通常七つまでの魔法を駆使することが出来る。その発動も個人で自由に決められる。外見を見る限り、戦闘用の魔法はあまり覚えていないのだろう。
――それにしても、嘘だろ……?
「あれ? 終わった……?」
回復を示す緑の発光が急に途切れた。不思議そうにユリアは自分の両掌を見つめている。彼女は俺がかなりのダメージを受けていると予想していたのかもしれない。
「……損傷率はもうゼロになった。……感謝する」
「え? でも、私の小治癒……まだLv1だよ?」
「いいんだよ」
そう口にしつつ、俺の手は右脇腹から一時も離れられなかった。
損傷率をゼロにしても痛みは消える事はない。少しずつ慣れてきたものの、この世界で痛みに関する恐怖は全くなかったのだ。突然襲った刺激は我慢に無理がある。
「ね、ねえ」
ユリアがおずおずと疑問を口にした。
「あれは……何だったの…………?」
示しているのはただ一つ。
あの黒い影で覆われたアバターのことだ。
「……おそらく……」
正体を軽々しく露わにするのを躊躇った。現段階ではまだ確定はしていないのだ。だが、俺の予想意外にありえないと確信していた。
E・Dのシステムを完全に超越した存在。
傍らに投げ出した細い直剣にそっと触れる。持ち主がいなくなったことで全体が光に変化しつつあった。まだ時間はありそうだ。研究用に騎士団本部へ持ち帰ろう……。
返答を先延ばしにしつつ、俺は彼女に告げる決心をした。
「悪夢だ」
今回は敵となる存在が露わになってきました。次回からもっと盛り上げていこうと思います。