《現実世界》⑥ ”邂逅、その二”
更新が遅れて申し訳ありません。
《MN編》第三章「初の依頼」
二人分の足音が扉の前で止まった。彼等の正面ではピンク色のプレートが垂れさがっている。そこには「ちあのへや」と刻まれており、部屋の主を示していた。
高森燈哉が「悪夢」の名と共に部室を訪れた直後。ドリー部の部員は高森燈哉の実家へと足を運んでいた。被害にあった本人の妹から話を聴く為だ。初の依頼という事もあり、茜、湊、結那の全員が参加している。だが、その妹と面会を許されたのは部長である三原茜だけだった。
理由は「ちあは人見知りだ」という主張からである。大人数では萎縮してしまうので、コミュニケーション能力が高い茜が抜擢された。
「入るぞ、ちあ」
掛け声と同時に横へと開く。静音を保ちながら開いた向こう側には、一台のベッドとそこで上半身を起こしている少女が居た。
「あ、おにーちゃん………………と、誰?」
ちあと呼ばれる少女の双眼が、茜を射抜いた。相手は中学生だと分かっていながら、全身が緊張を帯びる。どうにかして冷静を取り繕い、笑顔を浮かべては高森燈哉の妹へと挨拶を渡した。
「初めまして。三原茜です」
気質が明るい燈哉と似た顔立ちの少女だった。だが、その雰囲気は兄とは正反対の陰湿さを含んでいた。
肉がこそげ落ちた頬。長い黒髪に隠れる細い双眸。骨が浮き上がった手足。
闘病生活の苦労が、一目で表されていた。痩せ細った印象を通り過ぎ、尖りきった表情が茜を睨んでいる。
「………………」
燈哉の妹は唇を閉ざしている。お互いの睨み合いが数秒間は続いた。
「ひょっとして…………おにーちゃんの彼女?」
ようやく口を利いたのだが、それは思いがけない質問だった。茜の隣で燈哉が首を横に振る。激しく否定しては、彼から事情が説明された。
「ちげーって。この人はお前の為に来てくれたんだよ。E・Dで困っている人を助けてくれる部活があってさ。この人はそこの部長なんだ」
「ふーん。変なの」
率直な感想に茜の青筋が微動した。微かに、ぴくりと。笑顔は崩れなかったが、その表装には幾らかの怒りを潜めている。
そんな人情の機微に、燈哉が慌てて気づく。二人の関係を悪化させない様に落差だらけの会話を補った。
「……悪い、三原。ちあにも悪気はないんだ。ただ、ほら、人見知りっつうか」
兄の弁明を余所に妹はそっぽを向いていた。不機嫌に頬を膨らませている。薄いレース生地から透けた夕焼けがその顔を照らした。頬における窪みが一層と鮮明になった。
肉付きの悪い身体でも光は遮る。ベッドに浮かび上がった細い人影は、触れれば折れてしまいそうだった。
「……いえ。知らない人がいきなり部屋に入れば、誰だってこうなりますよ。ごめんね、ちあちゃん。でも、安心して。私は貴女を助けに来たんだよ」
ベッドの傍で茜は屈み、ゆっくりと告げた。
「お兄さんから聞いたんだけどね。E・Dで出会った黒いアバターは、おそらく悪夢って呼ばれているものなの。貴女がその悪夢のせいで受けた傷も、私達なら治せるかもしれない」
「………………っ!」
少女が息を詰める気配。
その動揺を茜や燈哉も感じ取っていた。
「ちあ。あの日、コンサート会場であった事をもう一度話してくれないか? 実際に遭遇した、お前自身の言葉で」
兄に言い聞かせられるが、妹はしばらく沈黙していた。顔を茜から背けたままカーテンの向こうに広がる夕日を眺めている。伸びて乱れきった黒髪の裏側で、少女がどんな顔を浮かべているか誰にも分からなかった。茜や、実の兄でさえも。
ぴくり、と動く頬。
寝間着姿の少女が急に口元へ力を入れた。燈哉が上半身を倒して食いついた。
「言ってくれるか、ちあ……!?」
期待が込められた兄の瞳に、険しい顔つきが返る。振り向いた妹は厳めしい表情で茜達を睨めつけていた。
「………………かえって」
「え?」
燈哉が訊き返す。繰り返された返答は、辛辣な響きを持って部屋中に響いた。
「帰って! 言う事なんて、何もない! 早くこの部屋から出てって!」
甲高い悲鳴が茜の居場所を追い詰めた。悲痛に声を張り上げられ、驚いた茜は即座に腰を伸ばす。小さく後退しては、何かに怯えている少女を見下ろした。
「おい、ちあ! 落ち着けよ……!」
「あの時の事なんて話したくない……! ちあは何も言いたくないの! 帰れ! 今すぐ帰れ!」
「ち、ちあちゃん……?」
「ちあちゃんなんて呼ぶな、部外者! 何も知らない奴が口を挟むな! 分かった様な顔しての同情なんて、もうまっぴらだ!!」
「落ち着け、くそ……っ」
盛大に喚き立てる妹を兄が抑えにかかる。少女は同じ言葉を幾度か吐き出してから、頭まで布団の中へと潜り込んだ。茜との接触を遮った後でさえ背を向ける。長い髪の束が乱雑に散らばっていった。
「…………ちあ……」
完全に隠れてしまった妹に燈哉が唖然とする。実の家族の説得さえ届かない。その事実に彼は打ちひしがれようとした。
だが、布団を掴む為に露わになった指先は震えていた。少女は恐怖で怯えている。思い返すのも嫌う程に、心が傷ついていたのだ。
「高森先輩。……私、今日はもう帰りますね」
妹の手を握る燈哉に向かい、茜は一礼した。踵を返して部屋を出る。扉を潜り抜ける直前に「すまん」と言われた。苦笑とも微笑とも区別がつかない笑みを作り、兄妹の傍から抜けていく。撤退した先の廊下は窓が無いせいで暗かった。
「はぁ」
溜息をこぼしつつ、茜がすぐ横の階段を下る。二階から一階まで降りる短い間。その胸中は重苦しかった。
「あ、湊君。結那ちゃん」
一階の玄関口では二人が茜を待っていた。両方とも顔色が芳しくない。普段から暗い表情なのだが、今に限って痛ましいと呼べる顔だった。お互いの会話も少ない間柄なので、言葉の錯綜による仲違いも異なる。
「えへへ。失敗しちゃった。澤野先生が言った通り、難しいや」
「三原先輩…………」
「…………」
無理にでも頬を緩める部長を前に、湊と結那は視線を伏せた。被害者との談話失敗を理解している様子だった。二階の叫び声がここまで響いていたのだ。
「今日の活動は、もう終わりにしよう。続きは明日だね」
茜は明るい語調を落胆させながら、玄関の方へと歩いていく。
「あ、あの……」
「ん? どうしたの、結那ちゃん」
おずおずと呼びかけた後輩に反応した茜。だが、結那は彼女の顔を見るなり口を噤んでしまった。
「い、いえ……。何でもないです」
寸前になって結那は発言を取り消した。茜が浮かべていた表情はいつもと変わらない様に思えたが、そこはかとない憂いが感じ取られた。心が弱っている。そんな部長にかけるべき言葉を見つけられなかったのだ。
「………………」
それは、湊も同様である。左右の靴を履き終えた彼女を見つめていたが、家を出るまで無言を一貫していた。
玄関が開かれ、三人が高森家から出ていく。がちゃり、と彼等の背後でオートロックがかかった。家に接している道路は白む赤色に寄っており、夕方の景色へとすっかり変貌している。本日は曇り気味だったので黒みが強かった。風も吹いており、生温い寒気を各地に運んでいる。
茜が率先して歩き出した。夕日が落ちていく方向へと進む。湊と結那の二人も遅れて彼女を追っていった。
――それから二十分。
E・Dでの予定を茜が告げるまで三人はずっと沈黙を維持していた。
次回は歳が明けてから更新する予定です。




