《現実世界》⑤ ”邂逅、その一”
今夜は用事があるので、予約投稿にしました。話がついに動き出してきます。
そこからの保健室は遠くなかった。数分も経たない内に、保健室と書かれた標識が目に飛び込む。明かりが扉の窓から漏れていた。多少の物音も照明に伴っており、茜と湊に人の存在を気取らせた。
「いるみたいだね、澤野先生。誰かと話しているみたいだけど……結那ちゃんかな?」
保健室担当の養護教諭の声だけが中から響いている。話し相手は特定できる程の音量を出していなかった。茜と湊の後輩、芳野結那も控えめに喋る傾向にある。自動的に、彼女だろうと結論が導き出された。
茜は手を伸ばし、扉を開こうとする。だが、指先が届く前に、保健室への入り口は横へと移動した。
「うわっ」
いきなりの出来事に、茜が身を引いて驚く。
その正面には退室寸前の男子生徒が現れていた。細い、中性的な顔立ちをしている。男子用の制服を着ていなければ、女性と間違える程の美形だった。
「…………。……失礼、します」
彼は茜達を横目で流し、保健室の中へと頭を下げた。そして脇目も振らずにその場から離れようとする。
「…………っ」
茜の後方に佇んでいた湊は横に避けた。彼を通そうと、通路を空けたつもりだった。
「…………」
全く同じ瞬間に、線の細い少年も並行にずれていた。立ち尽くしたまま、お互いに向き合う二人。湊と美形な少年の位置関係は結果的に変わらなかった。
湊が反対側へと足を動かす。だが、少年も真横へと移っていた。今回も二人の息は合致している。始点から終点までの移動距離も等しかった。お互いの正面は塞がれ、どちらも先へ進む事は叶わない。
二人の表情に変化が及んだ。湊の額に冷や汗が浮かぶ。その前方では整った瞼が険しく狭められていた。
「――く」
短く呻き、湊が肩幅より短い間を跨ぐ。靴が廊下の床に擦れた。足音は鳴らず、その隣に一人だけが通れる空間が出来る。
「っ――」
絶句したのは、美麗さを併せ持った少年だった。己の前から離れない湊を前に、驚きを隠せていない。彼もまた、小さな足取りで横に逸れていたのだ。
鏡合わせの如く付き添う人影。その動き、その速度、その思考が根本まで似通っていなければ、到底起こり得ない現象だった。だが、湊と少年は実際に遭遇している。原因を突き止めようと考え出す事さえ、二人とも共に始めていた。会話は、交わさずに。
一秒以下の速度で結論は導き出される。大部分が類似している為か、二人の至った答えさえも共通した。目の前の相手は何者か。どちらかが避けなければいいのだが、それでも退いてしまう各々の性分が教えてくれる。
――――あ、こいつ。ぼっちだ。
と、いう事実に湊と少年の二人は帰着する。奇遇な事に、胸中での呟きさえもほぼ同時であった。
「…………何をやっているのかな、君は」
呆れた様子で茜が湊の袖を掴む。片方を固定したことにより、ぼっち同士の無意味な抗争に終止符は打たれた。少年が進む通路はようやく確保されたのだ。
「……」
目鼻の整った男子生徒は無言で湊達の隣を通り抜けた。両足だけを交互に動かし、遠ざかっていく。廊下には強めの足音が叩かれた。彼の背中は間もなくして廊下の奥へと飲み込まれ、すぐに見えなくなった。
中性的な印象の強い男子生徒。彼が消えていった方角を睨み、湊は眼鏡の高さを指先で調節していた。視力を強めて後ろ姿を追ったのではない。外見から生じていた違和感に焦点を当てていたのだ。
「今の…………例の天才演奏家だよね……。学校に、来てたんだ」
呆然と漏れた茜の言葉に湊が反応する。レンズ越しに彼女へと目線を送った。
「あれ、知らない? 今年の春前から学校に来られなくなった生徒が居るっていう話。その人がどうやら凄い演奏家で……何だっけ? バイオリンだっけ? とにかくそういう才能があって、幼い頃からテレビにも出る程だったんだって」
次の説明を述べようとする茜の顔が、急に影を差し込む。
「……でも、三月辺りに交通事故に会って…………利き腕を切断しちゃったんだって」
茜が小声で告げた。片手を口元に当て、先程の生徒に聞こえる事を配慮してある。
切断という物騒な単語は湊の両耳を突き抜けた。そして、抱いた違和感の正体にも気付かされた。すれ違った少年には、左右の腕が確かに付いていた。どちらかが偽物――義手なのだろう。
歩いていった少年の不自然な点は、動きの固さだった。なるべく自然体に振る舞っていたのだが、湊の目には窮屈そうに映っていた。その原因が、制服の長袖に隠れた機械の腕にあったのだ。
「そう……」
口篭もる様に湊が独白した。次の瞬間には、顔を保健室の扉へと向ける。これ以上の注目は失礼に当たると判断したのだ。
隣で囁いた茜も瞼を落としている。悲嘆と同情が混じった、淀みの深い表情へと沈み込んでいた。他人の不幸を話題に上げる趣味はないらしい。盛大に首を横へと振り、空気を換える。気分を一新した茜は、間髪入れずに保健室の中へと進入した。
「失礼します、澤野先生!」
明るい声色が白色の多い室内に響いた。続けて湊も「失礼します」と口にしながら入っていく。
保健室の中央では澤野碧が白衣を着たまま、椅子に座り込んでいた。
「何だ……。あなた達か」
碧は視線だけを二人に合わせ、低い声音を発する。その様子に茜は首を傾げた。
「先生。何だか調子が悪そうですよ? 大丈夫ですか?」
「…………別に、体調には問題ないわよ」
そう言った傍らで長い溜息を吐いた。ぐったりと上半身を倒して、碧はデスクに身体を横たわらせる。ウェアラブル端末である小型のブレスレットが、垂れた彼女の手首に装着されていた。本人の危篤状態を検知し、医療施設等へ送信するという役割を兼ねた装置。そこに危険を示す赤色の点滅は点いてなかった。
「ちょっと仕事がいき詰っててね。大丈夫、今日の事なら問題ないわよ。予定は…………まあ、ちょうど空いたから」
「は、…………はい」
茜が口を開いてから数秒の間があった。だが、最終的に彼女は喉元までの言葉をごくりと飲み込んだ。
何を言おうとしたのか。湊は薄らと察しが付いた。先程の少年に関係あるのだろう、と考えられた。事故に会い、大きな傷を負ってしまった生徒。そのカウンセラーを彼女が担当するのは存分に有り得た。
その予想を茜は尋ねようとしたのだ。だが、そこからは私人の領域に大きく踏み入ってしまう。遊び半分で首を突っ込んではいけないと判断され、質問は喉奥へと押し返されたのだ。
入口から数歩だけ進んだ場所で、茜が要件について語っている。大半はE・Dでの待ち合わせについてだった。昨日は休憩時間の終了で十分に伝わらなかった。その後の授業後も仕事があったらしく、両方の都合から翌日の放課後となったのだ。
「――え? 結那ちゃん、来てないんですか!?」
ふと、茜が驚愕から大声を発した。
「ええ。私もびっくりしてるわ。……学校には来ているみたいだけど……今日は一度も寄らなかったのよ」
壁際に並んだベッドを見下ろし、碧が柔らかな微笑を浮かべる。
「でも、これは良い傾向ね。一貫コースに移ってから一ヶ月……。ようやく、新しい環境に慣れたってことだもの」
保健室には三台のベッドが置かれており、結那を含めて誰も利用していなかった。養護教諭の碧はそんな光景に瞳を細めている。憂いを帯びた表情だった。特に右端の少し窮屈な寝台を凝視し、微笑と苦笑の狭間で唇を歪めていた。
「何か、寂しそうですね」
茜が彼女の感情を読み取り、聞き出す。
「ちょっと、ね。結那ちゃんが居るのが当たり前だったから、いざとなると保健室が広く感じちゃうのよ」
両肩を竦める碧。人見知りの少女は彼女の深い私情まで知り得ていた。結那との隔たりを失くそうと、自分の事柄について話していったのだ。その努力の末、お互いの好みを熟知する間柄になっている。
そんな相方の存在が急に消えたのだ。哀愁に浸っている養護教諭の気持ちに、湊は珍しく共感出来そうだった。
「………………あれ」
ふと、心の垣根を低くしていた脳裏に疑問がよぎる。湊は単純な謎に目を付け、胸中を言葉にした。
「じゃあ、芳野さんは今どこに…………?」
「あ」
茜が口を開いて固まる。
帰宅という選択肢もあった。だが、それ以外には一ヶ所しか考えられないのだ。結那の性格からして、放課後に選べる行き先は多くは無かった。授業後の教室は他の生徒が居る。保健室は湊達が見ての通り空振りだった。
また、茜達の活動予定が知られているのだ。消去法から、幾つかの検討を選りすぐる。
部活に席を置く二人の目が向かい合った事から、推測の裏付けは深まった。健気な後輩なら、無理にでも活動に参加するのではないか。そうした予想から悲惨な事態が導き出されていった。
「入れ違いに……なっちゃったかな」
部室のある天井の先を見上げ、茜は乾いた笑みを浮かべた。
同時刻。名称が未定な部活動の拠点にて、一人の少女が椅子に座っていた。
「………………来ないよ……」
後頭部で小さなお下げを括った少女が呟いた。明かりも付けず、窓を通る茜色の光を全身に受けている。濃い影が床と机へと伸びていた。
一年生の芳野結那は、初めて孤立した部室で後悔する。保健室から飛び出すのは少し早かった、と。寂しさから嘆いた。
勇気を出した一日。ついでとばかりに寄った部活動にて、置き去りにされる惨めさを思い知らされたのだ。結那の行動は裏目となった。そんな結果が彼女の心境を際限なしに凍結させていく。
誰もいない部室。闇と夕焼けが交錯する一時は、涙を誘うのに充分だった。
「うぅ…………」
膝を抱えてぼっちな少女が呻く。部長の茜が駆け足で登場したのは、それから一分後の事であった。
15、000PV突破しました。来週も更新する予定ですが、色々と課題などがあるので難しいです。冬季休業期間に入ったら、更新頻度が高くなると思います。




