《現実世界》④ ”感謝”
現実世界、青春編です。E・Dの主人公である鈴夜湊は真正の「ぼっち」です。友達はいません。作りません。必要がありません。
《現実世界》
出御高校は、一定の時刻を過ぎると極端に人口密度が少なくなる。その理由は二つの学習形式にあった。現実とE・Dの両方で授業を受ける分割コースと、現実のみで通学する一貫コース。前者は現実での時間を確保され、後者は授業によって長時間を拘束される。分割コースの大抵は部活動に勤しんでいた。それも、E・Dへの通学を考慮して適切な時間帯に切り上げられた。
――日が暮れかかった夕方。
廊下に夕焼けの明かりが差し込む時節に、一貫コースの授業終了と分割コースの部活動終了が重なっていた。帰宅の為に賑わう昇降口を除けば、校舎に残っている生徒は極限に減る。
そんな人影の無い廊下を女子生徒と二人きりで歩いていたのが、鈴夜湊だった。
「誰もいないねー」
湊の隣に寄り添う三原茜は、周囲を見回しながら呟いた。彼女と同じ名前の光がその横顔を照らしていく。照らされた頬は、まるで火照った様だった。
「………………」
茜の発言に、湊は小さく首を頷かせた。
「結那ちゃん。まだ保健室にいるかな? もう帰っちゃったかも。まったく……数学の豊島先生のせいだよ。授業を長引かせた上に、宿題まで出すなんて」
「………………うん」
相次いで首肯する湊。
「湊君はあの問題分かった? ……私は、全然分かんないや。後で教えてくれない?」
「……………………ん」
視線を正面から外す事なく、湊は口の中で肯定した。
保健室を目指す二人の間に沈黙が流れる。静かな空気を上靴の底が叩いていった。斜陽の風景に無機質な音響が足される。廊下の床板に二つの影が少しずつ伸びた。窓の奥に浮かんでいる夕日が地平線の果てへと潜ろうとしているのだ。
無言の状態がしばらく続くと、茜の横から後ろへと湊が移動した。会話は完全に途切れようとしている。
「――――もっと喋ろうよ、湊君っ!」
ついに茜は爆発した。泣き黒子の付いた眼を見開き、後方へと下がっていた寡黙な少年に迫り寄った。
「どうして私の後ろに隠れるの!? それじゃお話出来ないでしょっ? 今は誰もいないじゃない。別に横になったって邪魔にはならないよ? それとも、そんなに私と喋るのが嫌なの!? そんなに私の隣が嫌なのっ!?」
「い、いや……」
学校では美人と呼ばれる茜に近付かれ、湊は冷や汗を流し始める。だが、「離れてくれ」と訴える度胸を持ち合わせていなかった。また、彼女は部活動の部長でもある。副部長の湊からしたら上の立場となる。茜に文句を言う理由や心情さえも、湊は備えていなかった。
「別に……大した意味は……ないです」
「敬語も駄目!」
「…………ぅ」
湊が顔の向きを茜から逸らした。苦笑の如く口元を歪めては、明後日の方角に焦点を傾けている。異性との対面に慣れていない。そもそも、人との対話に乗り気ではない。表情の乏しい湊は過多な閉口へと陥ってしまった。
叱られている様に、意気を消沈させている湊。
「…………はぁ」
細めていた瞳を緩め、小さな吐息を茜はこぼした。問い詰めていたのだが、すぐに一歩分の距離を退歩する。
「君は、本当に変わらないね。これじゃ、まるで子供を怒っているお母さんだよ、私」
亜麻色の髪を薄暗い廊下になびかせ、茜が正面に向き直った。光を受けて、茜の髪は柔らかに輝いていた。
「………………三原……さん?」
恐る恐る、湊が彼女の名字を呼んだ。外していた目線を必死に茜へと繋ぎとめている。力を抜けば、すぐにでも窓へと流れてしまいそうだった。
「少しでも君が明るくなったらいいなーって、思ってたんだけど。……ごめん。私じゃ無理かも」
腰の後ろで手を組み、茜は呟いた。出御高校の制服に赤い陽光が当たっている。蛍光灯の自動センサは未だに機能していなかった。節電主義によって定められた光量にはまだ至っていないのだ。
燃える様な風景に彼女は飲み込まれようとしている。その寸前で、茜は喋りながら足を踏み出した。陰影と夕焼けの均衡は壊れる。薄い紅色の道を、湊より先に進んでいった。
「ねえ、湊君。……それで、いいの?」
遅れて副部長も歩き始める。茜の質問と湊の追随は全くの同時だった。
「え?」
湊は首を傾げた。かけている眼鏡の電子組織が一瞬だけ浮き彫りになる。
強い光が二人の頭上に散った。ようやく蛍光灯が発光したのだ。天井から注ぐ輝きによって茜の顔付きは照らされた。湊の斜め前方に居る彼女は、眉を曇らせていた。
「…………それじゃ、いつまで経っても友達出来ないよ? 余計なお世話かもしれないけど」
「……、………………っ」
唇を開けては、閉じる。湊は空気を求めて息を吸い、言葉だけを飲み込んでしまっていた。
「別に私が迷惑している訳じゃないけど、君が心配なんだよ。あの事件から停学の二週間があって、より一人ぼっちになっちゃったじゃない」
同級生である彼女の指摘に、湊は自然と息を潜めた。
「休み時間は勉強か、読書しかしていないし……」
「……」
それは元からだった。けれども、あえて口には出さない。お人好しが過ぎる女子生徒にくっ付いて、湊は黙って耳を傾ける。
「何より、教室中で君を見る目が……怖いの。湊君は悪くないのに、湊君を恐がっている目つきを皆がしているんだもん。それが、何だか…………気味が悪くて、怖いんだよ」
矛盾に抵触しているが、聞いていた湊は首を下に降ろした。
「……、…………て、ありがと……」
ぼそりと呟かれた声に茜が反応した。茶髪が再び宙を踊る。首を回した茜は唇を閉ざしたままの湊を凝視しては、尋ねた。
「何て言ったの?」
耐え切れなくなった瞳を端に寄せながら、頬を染めた湊が繰り返す。
「……心配してくれて、ありがと……」
微かな音量だったが、確かに感謝の意を表明していた。淡い桃色の顔が白い光に晒されていた。異性に対する照れなのか。感情を言葉にする気恥ずかしさからなのか。窓からの夕焼けによる錯覚ではない事だけは茜も理解した。
根暗な男子生徒の態度に、彼女は数秒間だけ呆然とする。保健室へと近づいていた足も止まっている。その視野には、顔色を変えていた湊の姿が写し撮られていた。
――そして、短く笑う。
「何だ。きちんと言えるじゃない。その調子だよ、湊君」
笑顔が屈託なく咲いた。魅力の溢れる微笑みは湊を迎えていた。男女構わずに人を引き寄せる、茜の人格。陰気な雰囲気と質が違うその眩しさは、両目を細めさせる。
「……ん」
湊はもう一度頷く。
軽い足取りで彼女が進行方向を正した。会話も先程と同じ様に途切れている。しかし、茜は何処か満足そうに鼻歌を刻んでいた。
紅潮した頬を、湊は指先で触れる。高い熱を帯びていた。異性と話しただけで赤面する体質に小さく苛立った。平静を取り取り繕おうと、息を深く吸う。
「どうしたの? 行こうよ」
茜が追ってこない足音に首を傾げていた。呼吸を整える暇も置き去りにして、湊は彼女の方へと歩を進める。歩幅を広げ、斜め後ろの定位置に落ち着く。距離を縮めると、二人は当初の勢いを取り戻していった。
湊は色々と高スペックです。しかし、コミュニケーション能力は少し経験不足です。そこら辺を浮き彫りにしていきたいと思います。来週も更新する予定です。




