《E・D内部/リュネ=室月 日々貴:視点》①’ ”拒絶反応”
時間をかけてすいませんでした。新キャラ視点の続きです。
月日は流れ、現実では六月に入った。夢の世界ではいつも時期に合わせた装いが流行っている。近頃の傾向はカラフルな傘を差す事だった。天候など自由に調整できる仮想の天候に対してそれらの必要性が有るのだろうか。見栄えを気にする者達の心情にはどうにも共感出来ない。そうした世俗から遠い私は、今日もE・Dでバイオリンの練習にひたすら熱中していた。
――弦に弓を当てて、引く。
ただそれだけの動作が今の私には上手く出来なかった。現実の肉体より白く細い指がもたつく。自分の意識下にありながら、偽りの身体なのだと実感させられる。私が見ている夢は、惨めな演奏しか刻んでくれない。
「…………」
私は曲の途中で動きを止めた。バイオリンを壁に立てかけてから、音を流し続ける四角いプレイヤーの元へと近づく。数歩を跨いだ後、光の粒がアバターの周りに纏わりついた。何事かと振り返ると、光源と化したバイオリンが目に飛び込んだ。持ち主が一定の範囲から遠ざかると、本人のシステムウインドウへ戻るという仕様を忘れていた。現実ではありえない現象だからか何度経験しても慣れないのだ。
プレイヤーの表面に浮かんだウインドウを操作し、停止、収納を選ぶ。目前の立方体が瞬く間に消え去った。今頃は数値の羅列になって私の中に潜んでいるのだろう。脳に保存された二次元上にしかない記憶。そこに先程の実物が存在していたのだと思うと、不思議な感覚になる。
「………………これでは、駄目だ」
人の夢とは、各人の記憶から構成されている。私はかつてそうした解釈を耳にした事があった。E・Dが普及した世の中ではあまり意味のない議論である。だが、その原理は今や私を妨害する大きな壁となっている。
右掌を見下ろし、握って、開く。現実では欠けている一部を動かした事に異変は見つからない。どうせなら影響が出て欲しかった。現実に引き寄せられて肉体が駄目になったというなら、まだ整理がついたのだ。
「――っ」
不意に、人の話し声が後ろから聴こえた。
咄嗟に右手を背後に回して、私は身体を緊張させる。間髪入れずに教室の扉が開いた。
「くそつまんなかったな、あの映画。折角千五百円も払ったのにさあ」
「だよなー。これならゲーセンで遊んでた方がましだったし。ったく、時間を無駄にしちまったな」
入室してきたのは二人組の少年達だった。口調や動作から私と年齢がそう離れていないことが分かる。私からしたら子供の様な下品さが目につくのだが、今時の十代という印象が比喩に値する。周囲から大人びていると言われる私と比べるのは可哀想だ。
「…………あ」
談笑の最中で片方の少年が私の方に目線を向けた。愉快そうに開いていた唇が静かに閉ざされる。その表情が相方の少年にも伝わった。賑やかだった会話が途切れ、静寂が教室中に満たされる。
腫物に触る様に、二人は部屋の端へと退避していく。気遣いとも呼べない惨めな対応が苛付きを覚えさせた。
別に、喋っていればいいじゃないか。
不自然な沈黙が余計に胸をざわつかせた。心の中で鋭く呟きながら、私は彼等に背中を見せる。バイオリンを再び召喚し、練習へと意識を注ぎ込む。
――またやってるよ。
耳を掠める小さな声に、私は腕を一瞬だけ止めた。聴覚を研ぎ澄ませるまでもなく、次の言葉が耳朶を打つ。バイオリンの音色に紛れ、聞こえていないと思っているのだろうか。人の声と楽器の音では質が全く異なる。所属年数ならば先輩に当たる少年達は、私を話題に好き勝手な事を語り合い始めた。
――俺、あいつ苦手だわ。女っぽいけど……男なんだよな? なのに自分の事を私と言ってっし。
――マジ、キモイ。しかもどんだけ練習してんだよ。見ているこっちが気分悪くなんだけど。何なの、あれ? 俺達への当てつけ? うわ、うぜー。
――現実で上手かったかどうか知らねえけどさ、こっちでも頑張れば成功するとか思ってんだろ。俺達を見ていた目付きもさ、完璧に見下してるわ。本当に何様なんだろうな?
「…………っ」
喉奥から胃液が逆流しそうだった。個人を無視した見解に吐き気を催しては唇を噛みしめる。振り返り、休憩中であろう彼等に暴言をぶつけたくなる。
その通りだよ。
お前らは屑だ。この私の足元にも及ばないんだ。何でお前らみたいなのが、この教室に居る? やる気がないなら出ていけ。
と、感情を爆発させたかったが、私には出来なかった。歯ぎしりをしては、きつく押し黙る。ここで諍いを起こすのは得策ではない。辛うじて、我慢した。
その後、先生と残りの生徒がすぐに教室へと集まった。大勢の前では彼等も口数を少なくしている。流石に、バイオリンを手に練習の素振りを取っていた。形だけの練習風景に悲しいながらも胸の燻りが収まる。私は余計な事から意識を取り除き、二人と同じ様に手元で奏でる音色に集中させた。
今日は誰もが目の色を変えている気がする。それも当然だろう。何故なら、近々ある演奏会に出る演奏者が決まる日だからだ。ポスターで随分前から宣伝されており、かなりの規模となるらしい。当然、私も参加を願っていた。練習をしている先程の二人組と競争するだろうが、この私が負ける筈もない。
「よーし。皆、ちょっと聞いてくれ」
先生が顎髭を擦りながら、大声を上げる。
「練習を始めるぞ。今日は、前から言っていた通りに演奏会で弾く奴を決める」
一同を睥睨してから、「練習の成果を見せてくれ」と口にした。現段階における私他の腕前を確認し、最も優れた演奏者を選りすぐるのだ。私は更なる気合を漲らせ、順番を待ちわびた。
私は六番目だった。その直前に、あの少年達の片方が前へと出る。大事な発表の前に映画を見ている様な奴だ。聞くに値しない演奏である。腕の動きも何処か粗雑だ。五感の依存があるとはいえ、上手いとは到底言えなかった。
この程度か。…………ふっ。
胸の内で、笑ってやる。以前に私を嘲笑したのが彼だと見当は付いていた。これはその意趣返しだ。声に出して仕返し出来ればいいのだが、演奏の邪魔は流石にしたくない。
演奏が終わる。粗末な音色がゆっくりと途切れる。中途半端に髪の長い頭が、浅く下げられる。
野太い声色が、厳かに次の番号を読んだ。
「六番。リュネ」
「はい」
頷き、私は席を立ち上がる。手元にバイオリンを呼び出した。質感が皮膚を通じて脳に再現される。脳が感じさせている現象だと理解しながら、私は小さく唾を飲んだ。
五番の少年と入れ替わって、先生の正面に佇む。
幾つかの双眸が私を貫いた。好奇心の目が容赦なく細身のアバターを監視している。
「…………」
一礼を済ませてから、小さく呼吸をした。
あの事故から初めてになる、本格的な演奏の機会だ。心臓の辺りに溜まる圧迫感が、右腕にも広がっている。緊張と不安が半々で揺らいでいた。大丈夫だ、と言い聞かせても気分は全く晴れない。演奏の途中で現実と重なり、腕が無くなってしまうのではないだろうか。嫌な妄想が脳裏に取り付く。
数秒の硬直が、先生の怪訝な目を向けさせた。
「…………大丈夫か?」
心配によって投げられた一声が、今の私にはかつてなく恐ろしかった。
「大丈夫…………ですっ」
腹の奥から息を絞り出し、強制的に拍車をかける。顎当てをしっかりと抑え、G線の傍へと弓を寄せた。
――実を言えば、私は自信の演奏に満足していない。
楽器と一体化した感触を得られずにいた。それが夢の世界である事と関係があり、現実では二度と再現が不可能であると思い知らされている。
――けど、私にはもうE・Dしかないんだ。だからこそ、私はE・Dで弾くしかないんだ。
音色は、既に響き出していた。
旋律が教室を満たす。四つの弦が万遍なく震えた。微かな違和感を押しのけて、意識に染み込ませた音調を実現させていく。演奏が終わるまで、私の腕が消える事はなかった。
自然と頭を降ろしてから、私は無事に発表を済ませたのだと理解した。座っていた椅子へと戻っていく。ついでに先生の顔を横目で確かめた。重たそうに、二つの瞼が伏せられている。次の生徒を呼びながらも、顎を撫でる手も離れようともしない。
好印象を、残せた。
先生の考える仕草が私の重荷を払拭した。ここまでの発表を経て、私の腕が最も良かったのだろう。悩んでいるのは新入りである私の立場を考慮している為だ。並外れた演奏をしたとはいえ、ここでの年長者にも配慮はしなければいけない。先生はその為の口実を探っていると思われた。
やがて全員の発表が過ぎる。耳を澄ませていたが、私に及ぶ程の演奏はなかった。これなら私が選ばれるに違いない。
先生が組んでいた両腕を解き、全長を床上に伸ばした。椅子に座った私達を見下ろし、静かに唇を開閉させていく。
「決まった。…………演奏会に出るのは」
横一列に並んだ生徒に沿って、先生が歩き始めた。段々と、私に近付いて来る。口元が隠せない程に笑みを浮かべようとした。
「お前だ」
先生の掌が選出された演奏者の肩に乗る。
「――は、はいっ!」
威勢よく反応したその声を、私は隣で耳にしていた。
………………は?
隣を凝視する。先生が満面の笑みで立っており、伸びた腕は髪を長めに整えた少年に触れていた。瞬きをしてから、もう一度だけ見つめる。出演する者が、あの陰口を叩いていた少年だと先生が言っている。事実は、何度確かめても変わらなかった。
「……ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」
衝動が暴れ、私は即刻に異議を申し出た。
「何故、彼なのですか!? 納得できません! 理由を…………納得できるだけの理由を、説明してください!」
自分がこんな風に叫ぶとは知らなかった。現実ではあの病室以来だろう。
喉が潰れる様だ。心も、押し潰されそうだ。
「先生!」
もう一度訪ねる。切羽詰まった声が自分の内側でも響いた。当の本人も私を見て、驚いた様に目を見開いている。
「お、おい……。急にどうした?」
「何をとぼけているのですかっ? いくら感覚が個人に左右されるからと言って、彼の腕前で演奏会に出すのはおかしいでしょう!」
私の叱声に周囲が騒めいた。臆することなく弾き出した批判に、隣の少年が特に青筋を立てた。
「んだと……っ」
私より一回り大きいアバターの顔が憤怒の赤に染まる。殴られる可能性が脳裏をよぎった。しかし、私は怯むどころか更に喉を震わせた。
「彼はバイオリンに対する熱意が欠けています! それなのに、どうして彼を選んだのですか!? どうして……」
息が途絶える。利き腕を失くし、夢を失くし、最後に機会も失くすのか。私の中で誰かが警告するが、理性は道を踏み外してしまった。これ以上はいけないという声に抗って、笑死は全身全霊で叫ぶ。
「――どうして、私じゃないのですか!?」
やはり、駄目だったのか。
興奮する人格の隅で、私は密かに呟いた。本性とかけ離れた位置で諦めの境地に達している。こうして我慢の限界が達する事を予想していたのだろうか。それが今日、この瞬間になるとまでは考えていなかったが。
私は現実にだけ目を向けていたのだ。私は、本当の評価だけを求めていたのだ。
「他意はない。こいつが、教室で長くやっているから、チャンスを――」
先生の答えは最後まで聞く価値もなかった。
「馴れ合い何て求めていません!」
首を左右に振り、教室に漂っていた空気を邪険に落とす。
「おい、いい加減にしろよ! 気持ち悪いんだよ、お前はっ! 自分の事を私とか言いやがって。そんなにここが嫌なら、さっさといなくなれよ!」
妥協から選ばれた少年の手が、乱暴に私の肩を掴んだ。途端に、その部分が泥で穢された気分になる。力強く掴まれていたが、圧迫感よりも嫌悪感が背筋を駆け抜けた。
汚い。触るな。この私を、誰だと思っている。
限りなく膨張した感情の風船は、少年の一言によって破裂した。
「夢に文句付けるなら、現実で弾いてればいいだろっ!」
――私についての事情は生徒達には隠されている。それを承知していても、今の私は彼を許容できる程に寛大ではなかった。
「うあああああああああああああああっ」
気付いたら、左腕で殴りかかっていた。
少年が後ろへと倒れる。思ったよりも吹き飛びはしなかった。椅子が音を立てて崩れていく。後ろから数人がかりで抑え込まれ、私は身動きを封じられる。喉はまだ絶叫を吐き出していた。最早、自分の意思では止められない。
ぽっかりと開いた心の穴に私の声が反響していく。いつまで経っても、その空白が満たされる事は無かった。先生の指示で教室に出され、拙く説得されても溜まらなかった。呼び出されたカウンセラーの話も両耳を素通りする。マイルームに戻された頃には声は枯れていたが、まだ穴は埋まっていなかった。そこに何が嵌っていたのかも覚えていない私は、ただ茫然とするだけだ。
どうすれば失くした物を取り返せるのか。何故私だけがこんな目に合わなければならないのか。
どれだけ考えても答えは見つからなかった。
――もしかしたら、それを失くしてしまったのかもしれない。そう思い当たった時、私は再び右腕を抱きかかえた。
「何なんだよ、この夢は」
まるで、悪夢だ。
そう漏らした後に、私の意識は静かに遠ざかった。
短いですが、明日も更新しようと思います。




