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《E・D内/???=室月日々貴:視点》① ”失望”

時間がかかってしまいました。すいません。

《E・D内/???=室月日々貴:視点》


 右腕を、眺める。


 現実と代わり映えのしない細い腕だった。最低限に筋肉だけが骨にしがみ付いている。自分でも女性の様だと思えた。袖の隙間から覗く肌も極限まで白い。質素なマイルームの壁に紛れてしまいそうだ。

「当たり前か。……私は、この身体アバターを育てていないからな」

 現実では切断された利き腕を前に、私は自分のマイルームに居た。初期設定で用意されていたベッドの上に腰を落ち着かせている。寝るつもりはない。気休めの設備だろう。夢の中で更に睡眠をとるなど、私には理解不能だった。

 システムウインドウを呼び出し、自分のステータスを確認する。今は魔法使用者のアバターを利用している。どんな魔法を設置していたか忘れてしまった。

「何だ。一つも入れていないじゃないか……」

 リュネと銘打たれた自分に向かい、愚痴をこぼす。私がE・Dにてこうしたゲーム部分を振り返るのはかなり久しぶりだった。いつもは人工知能から勉強を教えてもらっていた。私は練習の為に学習時間を大分犠牲にしている。その結果として夢における自由時間は奪われていた。

 だが、私自身は特に後悔していない。何故なら、現実世界にてそれ以上の事に熱中していたからだ。

 システムウインドウに顔がぼんやりと映った。女性の様に線が細い。中性的な自分の本体と比べ、作り物めいた端正さが秘められている。これは適当に選んだ顔だ。アバター決定時に尋ねられた外見印象を、美しさの部類で埋め尽くした為である。

 私は自分の顔を気に入っていた。現実に磨きをかけた顔立ちは、どれだけ見ても飽きる事は無い。私は特殊なのだ、と夢でも現実でも意識出来る。あんな事故に会わなければ、私は反映した顔をずっと眺めていただろう。

 ――そう、あの事故さえなければ…………。


「時間だ。行こう」


 どれだけ嘆いても仕方がない。私は気持ちを切り替えようと一人で呟いた。

 ベッドから立ち上がり、ドアの前に並ぶ。片手を上げると、重なる様に半透明の四角い枠が浮かんだ。ここから行先が選択される。

 一番下に追加されていた欄に指で触れた。そして、右腕でそっと押す。

「大丈夫だ。ここでは、動くんだ」

 私は無意識に言葉を漏らしていた。肉体が動いている事が当たり前なのに、どうしても目の前の現象が信じられない。現実では無くした一部。その影響から夢の世界では逃げられると知っている。けれども、目的地まで移動する間、私はどうしても胸の予感を拭い切れなかった。

 ぎい、といつもは気にしない音が耳に残る。不安を宥めている間にも、後方で扉は閉じていった。私が立っているのは中継地点の、虚無の暗闇だ。すぐに地形のデータが上書きされる。数列が光ながら見えたと思うと、景色が一変した。

 E・Dはもう一つの社会と揶揄されている。ファンタジーの体裁を取りつつも、現実での設備はほぼ再現済みなのだ。少し前に漫画喫茶も見かけた。如何にも巨人トロールといった男性が入っていく光景はシュールだった。

「まさか……教室まであるとはね。助かるには助かったけど」

 私がマイルームから転送された先は、E・Dでの音楽学校だった。現実で世話になっていた教室から派生した施設である。実家の近くに高卒資格を取れる音楽学校が無く、私は有名な演奏家が指導する教室で特別に面倒を見てもらっていた。母の知人でもあるその人は、音楽学校から派遣された形で教室を支えている。プロ育成を目的とした音楽学校には入れなかったが、同等、それ以上の訓練を私は受けた。

 ここまでは全て現実の話。

 事故によって利き腕を失くした私は、もう夢に頼るしかなかった。

「…………三階だったな」

 音楽学校であるビルの中へと入る。外見では縦に細長い印象を受けたが、この建物は意外と広かった。数多くの部屋が並んでいる。前に伸びる廊下の中心でぼんやりとした青白い光の柱が天井を貫いていた。床に設置された機械の輪から出ている。各階へと移動させるワープ装置なのだろう。

 円の中心に立ち、光に充てられながら三階を選択する。

 ――ふっ、と私の周りが色を変えた。上昇した感覚はなかったが、既に到着してしまったのだと思われた。バイオリン演奏会の広告が視界の片隅で小さく浮かんでいるのだ。この先に先生が居る。

「失礼します」

 三階の一番端の部屋。そこが先生の担当する教室だった。休憩を取っている時間だと確認してから、私は室内へと踏み入った。

「……来たのか」

 無精髭を蓄えた大柄な男性が私を出迎えた。彼がバイオリンを指導してくれていた先生だ。現実ではもっと小柄で、身なりを綺麗に整えている。その特徴をコンプレックスに思っているらしい。E・Dではせめて逞しくありたいと以前に呟いていた。

 バイオリンの教室には四、五人の生徒が揃っていた。年齢や体格は様々。アバターから年齢を判断するのは無意味なので、私はすぐに彼等から興味を失くした。

「もうこっちに来られる様になったのか? 怪我もだいぶ良くなったって事か」

 入院直後の私はE・Dの使用を禁止されていた。全身を強く打っていたので、脳に損傷がないかと検査を受けている。腕を失くした事による不安定な精神状態もあり、夢の世界を許されたのはつい最近だった。

「はい。お見舞い、ありがとうございました」

「なーに、元気になって良かったよ」

 先生が顎髭を指で擦る。私はそれを見て少し驚いた。現実でも共通した癖であり、考え事を示す合図だった。予想通り、先生の声が控えめに質問をする。

「……ここに来たって事は、やっぱり練習を受けに来たのか?」

 右腕を無意識に抱えながら、私は首肯した。

「ええ」

 俄然、そのつもりだった。

「やるのはいいんだが…………」

 先生が変わらず顎を触り続ける。奥歯に物が挟まった言い方に私は目を細めた。

「何ですか? 何か問題があるのですか?」

「いや、問題と言うか、何と言うか」

「はっきり言って下さい。私は、プロの演奏家になりたいんです。その為に、この世界でも頑張ろうと――」

「………………ぷっ」

 前のめりになって先生に詰問していたら、何処かでくすんだ笑い声が漏れた。

私は口を閉ざして周辺へと視線を向ける。休憩中なのか、教室の壁際に全ての生徒が寄っていた。この中に私を馬鹿にした者が居る。寛いだ顔を眺め回し、私はゆらりと燃え立つ怒りを感じた。


「誰だ。今、私を笑ったのは」


 私の前で無言が揃う。

 存在する筈の犯人を含め、答えを返す者はいなかった。先生の対応もあって胸に苛付きが溜まっていく。負けるものかと私は腹を張って更に問い質した。

「もう一度、訊く。この私を馬鹿にしたのは、誰だ!」

 広い壁に私の細い声音が響いた。アルトからソプラノに属する音が仮想の世界で木霊していった。

「お、おい……。ちょっと落ち着け」

 肩に先生の手が乗る。だが、胸の騒めきは納まらない。私は元々の原因である先生にさえきつく問い詰めた。

「先生。貴方も何なんですか? 私にこっちでバイオリンを続ける事を勧めながら、どうして今になって消極的になっているんですかっ?」

「待ってくれ。別にバイオリンを続けて欲しいのは本当だ。……だが」

 責め立てる私を見下ろし、先生は分厚い唇を一旦閉ざした。鈍い黒目が私の顔を映し出している。自分自身でも醜いと思える顔だ。これを直視したら、落ち着かざるを得ない。

 待望する間は、胸の奥が干からびた様だった。


「ここでは、プロにはなれないんだ」


 ぽつりと落とされた声に、私は耳を疑う。二つの瞳を開閉させ、理解している発言に小首を傾けた。

「バイオリンを続けられるが…………世間に通用する様な演奏家になるのは、とても無理だ」

 反論しようと息を吸う。直接突き付けられた事実に、全身が狂い滾っていた。現実の身体だったら心臓がうるさく脈打っていただろう。病室で揺り籠に納まっている私は現にそうなっているかもしれない。

「夢を見ているのはあくまで眠っている個人だ。……だから、殆どの感覚は個人の記憶から左右され、判断される。音楽といった芸術はその影響をもろに受け、評価なんて無きに等しい。演奏会でも実績より年数を重視する」

「…………っ」

 嘘だ。

 それじゃあ、E・Dでバイオリンをしていない私はどうなるんだ。今までは補講等で時間を費やしてきたのだ。一日の三分の二を現実世界、三分の一を夢で過ごしてきた。このやり方が尤も効率が良い。――そう、思っていたのに。

「才能があるかどうかの話じゃないんだ。仕組みからして、覆せないらしい。……すまん。これは先に言っておくべきだったな。そこまで必死になっているとは、俺も考えていなかったんだ。本当に、すまん」

 先生が私に向かって頭を深く下げた。

だが、私の目には頼りがいのある彼の深謝は入ってこなかった。目の前が真っ白になって、将来が真っ黒に塗り潰されている。頭の中は混然と入り乱れ、自分が正気を保っているのかさえ不明瞭だった。

 あの交通事故をもって私は生きる希望を完全に失った。E・Dという仮想世界も役には立たない。下手に希望を持たせられたのだから、一層と失意の底にはまり込む。こんな事ならばもう無理だと言って欲しかった。利き腕を切断した私では、二度とバイオリンは弾けないのだと断定して欲しかった。

夢を叶えられない夢の世界など、悪夢も同然だ。


「……………………」


 立ち続ける気力も失った私は、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。


設定に関して少し変更点があるかもしれません。それがあったら申し訳ありません。来週にも更新したいと思います。

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