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《現実世界》⑧ ”憤慨”

捺祇沙耶子と対峙する湊と茜。いじめ事件に対し、湊が取った選択とは……。

 教室に入るなり、一人の少女が声を荒げて出迎えた。

「やっぱりいじめって最低だよねーっ!」

 扉を開けた茜が踏み込もうとしていた足を止める。彼女に率先されていた湊も自動的に続いた。たむろした二人の先輩によって空気は断たれ、一年生達が連鎖する様に沈黙していく。

「何をぬけぬけと」

 怒気に満ちた声が教室を貫いた。矢先は真っ直ぐに飛翔し、教室の中心で座っている少女へと刺さる。雰囲気を分断した一打は的とされる少女を振り返させた。

 にやついた顔が、茜と湊を見つめる。

「あっれー? 先輩じゃないですかぁ」

 捺祇沙耶子は華やかな声で扉の先輩へ呼びかけた。その響きは嘲笑を孕んでおり、その瞳には侮蔑の色が染まっていた。尊敬を籠めない姿勢。彼女が仕返しを企んでいるのは明らかだった。

「捺祇、沙耶子……!」

 きっ、と茜が彼女を()め付ける。

「呼びましたぁ?」

 先輩の発言をどう受け取ったのか。一年である捺祇は二人の傍へと歩んでいった。近づく面貌は悦楽に浸っており、教室の中で最も明度を放つ。乗り込んだ茜が圧倒される程の笑みが存在していた。

「はいはーいっ。先輩の捺祇沙耶子ちゃんですよぉ!」

「……貴女に、そんな事を言われる筋合いはない」

 言い返す茜。だが、そんな抵抗も彼女の餌食にされるだけだった。

「酷ぉい。いじめをやっつける仲間として、仲良く出来ると思ったのにー」

 接近していた彼女は踵を返し、茜から距離を取った。数歩の軽い足取りを挟み、一年生が並んだ側面の方へと回る。捺祇の視線は弧を描き、複数の机をなぞっていった。

 小さな世界を縦横する睥睨。その振る舞いを目で追随した茜が、他の一年生に気を取られる。

「……結那、ちゃん……」

 背を丸めた少女が懺悔を為すかの様に座っていた。昨晩まで悪夢として暴れていたアバター、シャロの本体。そして、現実でいじめの被害を本当に受けている芳野結那が席に着いていたのだ。

「先輩」

 弱々しい声で彼女は面を上げる。落ち込んだ結那の頬筋が感情の衰退を教えていた。

「少し良くなった」

 茜の後ろで待機していた湊が感想を述べた。不干渉となった周囲に溶け込んでいた言葉は、若干の時間をかけて茜へ届く。

 短く息を吸い、彼女が即刻に同意を示した。

「そう、かも」

 反論しようとしていた茜に湊が首を振る。実の所、結那は捺祇沙耶子の眼中に入っていなかったのだ。主犯の注意は素通りされ、茜達が立つ扉へと戻っていた。

「先輩……達も、あの記事見ましたよねぇ? 私も見たんですよぉ。近頃、うちのクラスでもいじめが問題になってましてね。そんな時にあの記事ですよっ。もうグッドタイミング! それで、私達もこのクラスからいじめを失くそうって話し合っていたんです」

「どの口が言ってるのよ」

 現在と過去の態度が一致していない彼女は自分を指さした。

「この口ですよぉ。今日はどうしたんですか、先輩? 何をカリカリしてるんですぅ?」

 標的は変更されていた。捺祇が攻撃しているのは茜と湊だ。

 表面だけを取り繕った敵意が二人に降り注ぐ。親しみの言動で装飾された復讐が更に続いた。

「いじめって怖いですよねぇ。相手を自殺まで追い込んじゃうんですから」

 捺祇は湊の目を見て呟いていた。さり気ない独り言を装いつつ、彼の弱点を的確に甚振っている。

 先輩である彼が言ったのは「そうだね」のみだった。けれども、傍らに居た茜は徐々に空気が冷えていくのを感じ取った。湊の豹変が始まろうとしていた。

「あれぇ? 元気ないですね、そっちの先輩は。駄目ですよ、そんなテンションじゃあ。…………友達出来ませんよ――って、元々いなそうですね! あははははっ」

 あははは、と雰囲気の導火線が焼き付く。

 ――嘲った笑い声が瞬時にして教室を満たした。彼を罵倒する声は四辺で次々と巻き起こっていく。捺祇の瞳が避難している生徒を誘い、卑屈な笑声を招いたのだ。

「や、やめなさいよ!」

 腹を抱える捺祇を怒ったものの、茜の制止が箱庭に響くのは遅かった。強制された(わら)いではない。主犯だけを詰っても嘲りのドミノ倒しが終わる筈もなかったのだ。

「君が反応してどうするのさ」

 冷笑の中心に立つ湊が茜を戒めた。そうすると、収納できなかった矛先が湊本人へと振るわれた。

「湊君こそ! 馬鹿にされてるんだよっ! 悔しくないのっ!?」

「だって、友達がいないのは間違ってないから」

 すんなりと受け入れる湊。

 潔いとまで呼べる彼の心意気に茜は困惑を覚えた。湊が飄々としているならば、彼女は立腹する意味がない。罵倒の邪気に当てられたのか。そう思考すると同時に茜は足を引きずって後退した。

 入れ替わる様に、湊が教室の中へと進む。

「間違ってないだけ……だけど」

 噴き出した笑いを捺祇が尽きかけさせた。寄って来る湊を目の当たりにし、破顔を修復する。

「ごめんなさい、先輩。……でも、私は心配してるんですよ? 先輩ってあれですよね。高校デビューしようとして、やり過ぎちゃった人。私思ったんですけど、そんな風にしているのがいけないんですよぉ。……もっと初心に」

「中学の頃を思い返せと? 僕の出身は、その樹乃中学校だけどね」

 湊は茶番に幕を降ろし、教壇に昇っていた捺祇に肉薄した。

「え、ええ! そうなんですかぁっ」

 たじろいだ瞬間を茜は見落とさなかった。捺祇が己の配分を崩された為に調子を崩している。同じ立場に揃う彼に追い詰められつつあったのだ。

「もしかしてぇ……、あの飛び降りたY君と知り合いだったんですか? それがトラウマになっちゃったりして」

「…………」

 ぼそり、と湊が口を動かした。茜はそれを耳にする事が出来なかった。同じ檀上に立つ捺祇も同じだったらしい。笑顔を作り慣れた目元を開鎖させ、湊を凝視していた。

 まもなくして、反省の色が見当たらない軽蔑が湊の正面に浮かぶ。

「何言ってるんですか、先輩? 全然聞こえませんよぉ。もう少しはっきり喋ってくれませんかぁ! 皆も、そう思うよねー?」

 最前に佇む先輩の告白に一年生は黙殺されていた。だが、明快に話しかける捺祇の高揚が重い間を払う。頷いたのは数人の女生徒。そこから敬意の鎖は壊れてゆく。

「ま、さ、か。そんな風にY君のいじめを見逃しちゃったんですかぁ?」

 その言葉を受け、初めて無表情に近かった湊の顔が歪んだ。

「……っ」

 苦悶の素顔を表し、湊は喉を詰まらせた様に声を失った。彼の異変が茜にも影響を及ぼす。感情に正気が戻った彼女は二人の間に割って入ろうとした。

「そうだ」

 茜は間に合わなかった。止める間もなく語られた彼の一言が教室を冷え込ませてゆく。

 捺祇が大げさな振る舞いで湊から遠ざかった。

「うわ~。最低っ! この人、見殺し野郎だぁ~!」

 眼前の後輩に湊は指された。彼女が付けた酷評に周囲の嫌悪が乗じてくる。細身な湊はすぐさま他者が投げかける目線の的となった。不確かな隠れ事も肩身の影で囁かれていた。

「み、な、と、君……っ」

 顔を紅色に変えた茜は必死に堪えた。怒りが限界まで膨れ上がる。湊が言い返すそぶりを見せれば、すぐに加勢しようと考えている。

 これが偶然の暴露ならば彼女もまだ許す事は出来た。だが、捺祇沙耶子は故意に湊の過去を弄んでいた。いじめの主犯であった自分は棚に上げ、不遇な事件をこれ見よがしに穿り返しているのだ。

 冷静を装った湊が抑止力となっており、芳野結那も辛そうに教室に居合わせる。下手な反撃は控えるべきだと茜は知った。それでも悔しい気持ちは変わらない。

「せんぱい……」

 静かに傍観するだけだった結那も同じ意思を抱いた。無力さが彼女の胸中を駆け巡った。

 それぞれに顔を俯かせる二人の少女。彼女等の消沈は捺祇の養分となり、更なる笑いを増長させる。

 だが、湊だけは違っていた。

「お前は間違っているよ」

 大衆の熱気と反した冷気を彼は放つ。眼鏡の奥で捺祇を睨んだ双眸が煌々と鋭く冴え渡っていた。根暗と揶揄される感情が研ぎ澄まされ、外形を広げ、三日月の様だった得意顔へと接近した。

 捺祇が顔を凍らせた。停止した笑みを留めようと無理に唇が引き攣り、非対称に曲がっている。

「な、何が、ですか? 見殺しにしたんでしょ? ……さっきそう認めたじゃないっ」

 かなぐり捨てた敵意が牙を露わにした。装飾されていた敬語が剥がされ、湊は再び彼女と対峙する事となった。夢の世界で繰り広げられた争いが現実にまで飛び火された。今度は面々が異なっている。

 クリムは鈴夜湊で、リューゼは捺祇沙耶子。それ以外は何も変わらなかった。人格の表裏さえも同一。二つの世界に取り残した己はなく、捺祇も湊も全ての根を現実に持ち込んでいた。故に、湊はクリムの言い様を用いて告げた。

「ああ、認めたさ。……だけど、俺への見下し方が間違っているって言ってるんだ」

 騎士の精神が鈴夜湊の肉体を通じ、凛とした態度で言い切る。

「人殺しなんだよ、俺は」

 小さく空気を震わせた言葉が生徒達に浸透し、色めきを根こそぎ消し去った。

 茜と結那が一斉に顔を持ち上げる。対象は鈴夜湊であり、E・Dに在住するクリムと言う名の騎士でもあった。然程変化していない筈の声音は数秒前より低く、そして重く響いていた。

「見殺しじゃ駄目だ。……いじめなんて何時の時代になってもなくならない。自殺してしまう可能性だって考えられた。それなのに、俺はあいつのいじめを止めなかったんだ。自覚はなかったが、こう思っていたのかもしれない」

 瞳の色を変貌させた湊が捺祇との距離を縮めた。彼が一歩を進める度、教室中の音響が沈んでいく。誰もが自分の目を疑った。一年生ながら人望の溢れた捺祇を、ぼっちと見なされる彼が圧倒していたのだ。

 立ち竦んだ捺祇は両足を震わせる。現状だけを切り取れば、湊に課されていた評価は彼女にこそ似合う物だった。

 重厚な威圧を備えた眼孔が捺祇の目と鼻の先まで近づいた。真正面へと聳えた先輩に対し、彼女は饒舌だった舌を乾かしてしまった。代わりに、短い間を置いた湊がゆっくりと思いを吐き出してゆく。

「俺は、あいつに死んでしまえ(、、、、、、)と、願ってたのかもしれない。……だって、そうじゃなきゃおかしいだろ。死ぬ可能性を知ってて、いじめを見過ごしてたんだぞ。気づいて、自殺さえも止めなかったんだぞ。……なあ、これって見殺しなんかじゃなくて、立派な殺人だろ? 助けられた筈なのに、助けなかったんだ。…………なあ、分かるだろ?」

 湊の腕が捺祇の首へと伸びる。

「ひっ……!」

 詰問された彼女は上半身を仰け反らせた。しかし、微動する両足のせいでその場から離れられはしない。空間を跨いだ女性よりの細い五指により、捺祇は襟元を強く掴まれた。

 湊は制服に皺が出来る程に力を入れる。リボン等を結ぶ為に堅かった生地は一瞬で撓み、身に着けられていたリボンの結び目が緩くなった。

「答えろよ」

 肘を曲げ、捺祇の漂白した顔を引き寄せる。指に絡み付いた布の感触に反して、彼女は強張った顔だった。誰が見ても怯えているのだと理解出来た。壊れた針が織りなす湊の連呼はそこへと投じられる。

「答えてみせろよ。答えられるんだろ? ……答えろよ、答えろ、答えろ、答えろ、答えろ、答えろ……っ、答えろよぉぉぉおおおおお!」

 怒りだけには収まらない情動が彼の双眼を大きく開かせる。

 空いている湊の手が拳を握った。間髪入れず、茜の裏返った声が飛び交う。

「駄――」

「黙るなっ! 俺は答えろって言ってるんだっ! 友達が多いお前なら分かるんだろっ? 自殺まで何もしなかった奴を理屈付けでけなせるんだろっ!? 俺が、……俺が!」

 烈火の如き勢いが増す。

 鈴夜湊の深奥に眠る闇が、三原茜の聴覚に轟いた。



たった一人(、、、、、)の親友を殺した(、、、、、、、)んだって、答えてみせろおぉぉぉぉぉ!!」



「――――っ!」

 茜は無意識に持ち上げた手を宙に止める。湊を宥める為に開けていた口が閉じなくなる。時に置き去りにされたかの様に、一切の動きを諦めてしまう。

 代わりに、一粒の涙が彼女の頬を流れた。

 三つの黒子を濡らし、かつてない熱で皮膚をなぞり、ぽたりとフローリングの床へ落下していった。茜は耳の奥で反響している声を何度も聞く。湊が打ち明けた事実は余りにも暗く、彼女の涙に拍車をかけようとした。

 視界が再び滲んだ瞬間。

「答えろ、捺祇沙耶子っ!!」

 湊の拳が空高く掲げられた。目先の一年生を殴りかかろうと、湊が後方に引き寄せる。

 それを防ごうとする者は教室には居なかった。全員が湊の圧力に影響を受け、押し込まれている。捺祇とは正反対の抑止力が働いていたのだ。彼の拳を妨げる為には百戦錬磨の騎士と対峙しなければならない。無知の一年生達に足りていないのはそうした気概だった。

 限界まで引き絞った拳が撃たれようとする。軌道の先に固定された捺祇の顔が恐怖で捻じ曲がった。恐怖の詰まり声が教室の四隅まで走らされる。

 ――湊の腕が、前へと駆け出す。

「何をしているっ!」

 野太い響きが集団の制止を砕いた。湊の細い腕が闖入者によって掴まれる。

 湊を止めたのは一人の教師だった。更に教室の扉には二、三人の同僚が集合している。ここまでの騒ぎを聞きつけた教師が様子を見に来ていたのだ。そして、湊が一年生の女子に殴りかかろうとする場面に遭遇した。

「答えろっ、答えろっ!」

 背後から抑えられたにも関わらず、彼は捺祇に拳を届けようと懸命に暴れていた。

「やめろっ! ……おい、手伝ってくれ!」

 男性教諭の応援を受け、控えていた彼等が次々と湊の暴動を止めに入った。隙間を発見しては抜け出していた腕も完全に沈黙する。だが、湊は教師達の命令も無視して叫び続けていった。

「答えろおおおぉぉぉぉぉ!」

 真正面から強烈な威勢を食らった捺祇が足をふらつかせ、自由になった身体で腰から座り込んだ。

「…………ぁ……っ」

 余裕綽々としていた彼女の面影は既になく、湊に怯えきった脆弱な少女の姿だけがあった。湊の抑制から外れた教師が捺祇へと寄り添っていく。大丈夫か、と問われながらも捺祇は必死に左右の二の腕を掴んで自分を包み込むだけだ。上半身が震えており、とても質疑応答が可能な様子ではなかった。

 下級生へと暴力を振るおうとした、という名目で湊が職員室へ連行されようとする。ゆっくりと立たされる頃には彼の熱気は冷え込んでいた。その顔色には紛う事無き鈴夜湊のみに特有の影がある。

 彼は口を閉ざしつつも、教師の言葉には素直に従った。脱力しきった両足で教室の扉を目指す。その変貌ぶりは連行する役割の教師に不信感を抱かせていた。だが、そんな怪しまれる彼の姿も廊下の奥へと消え去ってしまう。

 後に残ったのは一連の騒ぎを観衆していた生徒だけだった。茜や結那も呆然としながら教室に居続けた。教師が事情の聴衆を呼びかけるが、大半の生徒に伝わる気配もない。あらゆる出来事が暴露されるには長い時間が必要となった。

 ――二年生よる暴力未遂事件。これは過去を突かれた先輩が後輩へと殴りかかったという概要で出御高校の生徒達へと知れ渡った。その裏側で、一年生の間で秘匿されていたいじめが発端であったという事実も認識された。被害者にして発端でもある捺祇沙耶子にも責任はある。

 幾つかの議論を踏まえた結果、鈴夜湊に下されたのは二週間の停学だった。

前書きで少し煽ってみました。遅くなって大変申し訳ありません。次回はもっと早目に投稿したいと思っています。

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