《現実世界》⑦ ”自殺”
第七章、開始しました。この章で最後となる予定です。
《現実世界》
月曜日の朝。出御高校へと通じる道路は例外なく生徒で混んでいた。誰もが歩く速度を一定にしており、整然とした群れが波の如く進んでいる。
整った行進の中、定型を崩して駆け行く生徒の姿が有った。額に汗を流しながら、制服を着こんだ茶髪の少女が人の障害を掻き分けてゆく。ぶつかってしまう事が前提らしく、謝罪を口早に呟き続けていた。脇目を振る余裕もなさそうだ。
「あ」
素早く面を上げた彼女の急ぎ足が緩まった。続けて、とある生徒の肩へ手を伸ばす。
がしっ。掴むと同時に彼女は言った。
「おはよう、湊君」
茶髪の少女、三原茜が高らかに挨拶をする。呼び声の先では一人の少年が歩いており、彼も同様の服装を身に着けていた。そんな彼の首が徐に回る。眼鏡越しの双眸が少女と向き合った。
虚ろ気な眼光を持った少年、鈴夜湊。彼は対峙する少女の顔を確認し、驚いた様に瞼を上げた。
「………………」
少年が小さく口を開け、もぞもぞと唇を動かす。だが、正しい発音が少女へと届く事はなかった。吹き出ていた空気が無駄に沈黙を目立たせていく。
彼は無言のまま正面に視線を戻した。その背中が茜から段々離れてゆく。密封されたせいで返事は聞き逃された。立ち尽くす茜は数秒間彼の姿を見つめていた。
複数の生徒が次第に彼女の視界に割り込む。湊はあと少しで制服の山に埋もれてしまいそうだった。
「ま、待ってよ!」
茜は急いで湊との距離を詰めた。「何で無視するのっ」と啖呵しながら、彼の隣へ並ぶ。
「えっと」
言いよどんだ湊が彼女の横顔を見返す。軽度な朱色によって彼の頬は染まっていた。一見すれば照れていると言ってもいい。もしくは恥じらいの紅潮とも受け取れた。
「三、原さん?」
ハラの音感だけが妙に浮き上がっていた。ようやく耳にした応答が疑問形である理由を茜は問わない。代わりに、彼へ些細な注意を付け加えた。
「何か発音が変。それはやめて」
隣の湊が面持ちを暗くした。光から背いた表情に影が浮き出る。
「ごめん……三原さん」
「今度は良し」
訂正された名字に茜が頷く。正確に口ずさまれた姓が彼女の足取りを軽い物とした。増えた歩幅が湊の調子に重なり、二人は向き合いながら学校へと歩いていく。
「えっとね、湊君。昨日の事なんだけどね」
「うん」
「私は、その、君に謝らなきゃいけないっていうか……。あのね、とにかく君と話をしたかったの」
「うん」
「今更、こんなこと言っても怒られるだけかもしれないけど。……やっぱり、私が間違っていたんだね。一晩中考えて、そう思ったんだ。…………ねえ、湊君」
茜は瞼を落として湊の横顔を隠した。鞄の持ち手に彼女は人知れず窮屈な悲鳴を上げさせる。食い込んだ爪が鈍痛を与えた。
「…………」
湊の声は幾ら待っても返ってこなかった。単純な頷きさえも絶えている。茜の言葉は無下に扱われてしまった。
そうだよね、と呟いた茜が瞳孔を元の形状にまで広げる。連続して、叫んだ。
「――って、何で早足になるの!?」
彼等の寄り添いは長くは続かなかった。
湊が茜の前方へ行こうと歩を加速させたのだ。彼の話を求めている為、茜の歩調も自然と早くなってゆく。駆け足気味に湊を追い抜き、隣に来るのを待つ。だが、彼は全体の配分自体を増大させて過ぎ去ってしまった。負けじと茜は更なる筋力を費やし始める。
競歩の如く、茜と湊は前後を競い合った。
遅刻を心配する時間は当分先である。前を許さない男女の競争は必然的に周囲の目を引いていった。あちこちで噂話の狼煙が上がる。それこそ、周囲の喧騒が耳に入らない位に熱中する二人の関係についてだ。
彼等は自分達に関する話を知らない。今も、これからも、直接囁かれる機会がなくなるのである。
――湊と茜の行く末に待ち受けていたのは、もっと大きな話題だった。
出御高校の校門を抜けると、敷地が広がっていた。空は多少の雲を含みつつも晴々とした天候である。日が照らす校舎には多くの生徒が集っていた。新たな二人組はそうした集団に加わった。茶髪の少女と眼鏡をかけた少年。歩みを緩めない彼等は直接に室内へと突入する。
「僕は、横に並んで道を塞ぐのが嫌いなんだ」
それが出御高校の昇降口に着いた湊の第一声だった。結果的に校門は湊によって先制された。通学中にまともな会話は交わされていない。彼は話し合いに数多の上靴がひしめくここを選んでいた。履き替える為に広めの規模を持って設計されている。二人が並んだ程度では通行の邪魔にもならなかった。
「だから……、私の前を、歩こうと、したの…………?」
肩で息をしつつ、茜は二年目となる上靴に足を通す。いつも通りに慣れた履き心地だった。ぺたり、と堅い床の感触が靴底を打っている。
疲労していた茜は気だるげに歩を進めた。彼女は一貫型のコースであり、E・Dでは部活動に参加していない。過度な虚弱とまで言わないが、その体力は一般人並だった。湊との競争で体力を浪費してしまい、話を耳にする気力も尽きかけている。
「三原さん」
「ん、何……?」
靴箱の奥に伸びる廊下から湊が話しかける。対する茜は疲れ切った態度で顔を向けた。平然と佇んでいた彼の表情は何処か険しかった。
「僕から離れていた方がいい」
茜は反発的に湊の言葉を跳ね除けようとした。だが、彼の声色が冷たい鋼鉄を連想させる程の重い性質を帯びているのだ。クリムの扱う大剣が音声に乗り移ったのかと思えてしまう。体温調節とは用途を違えた汗が茜の額に浮かんでいった。
「急にどうしたの? また気分が悪くなった? ……てか、どこを見て……」
彼の顔は通路の先を眺めるばかりだった。湊の見ている方向には学校からの連絡を伝える掲示板が有る。全生徒が告知に触れやすい様に、上階へと通じる階段までの中腹にかかっていた。茜や湊も毎日確認している。
「あれ? 人だかりが」
今日に限り、幅広な掲示板の前では多くの人が詰まっていた。身長の高低から学年は様々。制服の胸元に着けられたネクタイとリボンの違いから、男女の割合も平等だと分かった。普段は通り過ぎる際に横目を当てるぐらいだ。次々と好奇心を吸って拡大する生徒達の塊はとても不自然であった。
引力が茜の両足にも及ぶ。引き寄せられた彼女は小刻みに軌道を揺らしながら、例の掲示板へ近づいていった。
切り取られた新聞紙の記事が一枚だけ貼られている。拡大してコピーされた文字は人の垣根も物ともさせない。彼女は黒い文字で書かれた文章を間違いなく目の当たりにした。
「…………何、これっ……」
記事の内容を理解した茜が顔を強張らせた。
『○○中学男子生徒、自殺未遂
△月□日、樹乃中学校の屋上から二年生であるY君(十四歳)が飛び降り自殺を図った。奇跡的にも死亡は免れたが、頭部を激しく打ち付けて出血多量。現在は病院にて意識不明の重体である。
調査の結果、Y君は周囲の生徒からいじめを受けていた事実が判明した。遺書らしきメモもY君の部屋から発見されている。遺書には自殺を思わせる言葉が書かれてあった。他にも両親への謝罪や友人への遺言なども残されていた。
学校によるとY君の父親には特殊な事情があった模様。その関係でいじめの対象になったと推察されている。第三者による調査委員会が生徒に聞き取りを行ったところ、「階段から突き落とされていた」「一人で掃除をさせられていた」「同級生に話しかけても無視をされていた」といった内容が明らかになった。
学校側の教師はいじめと自殺の関連性を否定。遺書にもいじめが原因だと言及する文はなかった。調査委員会は今後も調査を実行する予定である。』
――記事はまだ続いていたが、茜は首を背けて掲示板から目を離した。苦しくなった胸を手で押さえて宥めようとする。易々と静まらない鼓動。脈打つ全身から汗が滲み出る様だった。
彼女は掲載された中学校の名を覚えていた。記事が載っていたのであろう新聞の年月は約三年前だ。当時の湊や茜も十四歳。記事には同い年の少年に起こった事故だと明言されている。その時期、いじめに関するアンケートを何度も繰り返した記憶があった。生徒会の一員だった友人を手助けした思い出も蘇える。
「何なのよ、これはっ」
いじめについての記事である事は一目で理解出来る。だが、誰が、何の目的で、この掲示板に貼ったのかが不明だった。
事態を飲み込めて来た茜の鼓膜に生徒の喧騒が響いてゆく。
「樹乃中の人って出御にも居るよね……」
「うちのクラスにも樹乃中出身の奴がいたよ。意外と近い学校だよな。その割に……少ない気がするけど」
「俺、知ってるわ。……でもさ、この自殺した生徒の父親って結構ヤバイらしいぜ。今は刑務所に入ってんだって」
「マジ? 初めて聞いたんだけど」
様々な情報が人の波を泳いでいく。真偽が定かではない話も多かったが、茜は必死に記事の詳細を把握しようとした。
「樹乃中で飛び降り自殺があったのは本当みたいだけど……どうしてそんな記事がここに」
真正面から疑問にぶち当たった彼女は頭を抱えた。解決の負担を分けて貰おうと、背後の優等生からも意見を欲する。
「みな」
向きを反転させた茜が口を開く。しかし、彼女が最後まで疑問を言い切る事はなかった。
「まだ、死んでいない。だから自殺って言わないでくれ」
血色を悪くした顔の湊がすかさず断言していた。
「は…………っ?」
思わぬ素早さに茜は小さく呆け、言葉を失くす。考えが早いという段階ではない。更に彼は記事に書かれていない事後を喋っていた。その言動が彼女にとって莫大な衝撃となり、途方もない真実を浮き彫りにさせる。
鈴夜湊は、以前から樹乃中学校の事件を知っていたのだ。
「…………湊君」
躊躇いを覗かせつつ、茜は震える唇で尋ねた。
「君……どこの中学、出身だっけ?」
彼は素っ気なく答える。
「樹乃中。そこに書いてある学校だよ」
湊の人差し指が茜の後ろを示した。周辺の生徒は突然の記事に騒いでおり、彼の行為を気に留めてもいない。しかし、告げられた言葉を独り占めにする茜は驚愕に見舞われた。
これまでの出来事と関与していた。鈴夜湊が持つ裏の顔を知っていた。誰が加害者で誰が被害者なのか気づいていた。
あの記事を貼った生徒が誰か、茜は思い当たる。
「まさか捺祇沙耶子の仕業っ? E・Dでの仕返しをここで――!!」
「ちょっと。声が大きいよ」
一昨日の晩。悪夢の事件はクリムの手によって解決された。悪夢の正体であった芳野結那ことシャロが全ての詳細を語っている。学校で起こった虐め。その復讐に至って彼女が悪夢として暴れていた事を。
シャロの無実はクリムの手紙と犯罪証明書によって立証されている。彼女が傷つけたのはあくまで犯罪プレイヤーだ。一般のプレイヤーである捺祇沙耶子を手にかけていない故に、彼女は強制的な退場を免れていた。
「何を悠長にしているの! これは絶対にあの子の仕業でしょ! それしか考えられないもん! E・Dじゃ仕返しできないから、ここでやろうとしているんだよ!? 悔しくないの、君は!」
彼女は湊によって貶められた捺祇沙耶子の心情を失念していた。周到にいじめを隠蔽し続けた後輩が素直に引く筈もなかったのだ。
焦った茜は記事を剥がそうと進み出る。
その熱くなった身体は冷たい声によって止められた。
「……だって、狙ってこうなったから」
茜が湊の一言に飛び掛かった。彼は故意にこうした状況を招いたと言ったのだ。
「狙ったって、どういう意味? あれは捺祇沙耶子がやったんでしょっ!」
「それは合っている。だけど、僕はわざと捺祇沙耶子に時間と本名を与えたんだ。こうして仕返しをされるのは当然だろ?」
当人の彼が不思議そうに首を傾けていた。湊は記事の騒ぎが発生するとまで予想していたらしい。E・Dでの決着は土曜日の夜についた。週初めの月曜日は日曜日まるごと挟んでいる。その期間で鈴夜湊の過去を調べ上げたのだろう。
「どうして、そんな事を」
「理由はないよ」
「嘘!」
雷鳴の如く響いた絶叫が生徒達の声に紛れてゆく。掲示板に群がっていた彼等は奇怪な記事に興味を傾けていた。茜と湊の会話を盗み聞く余裕もなさそうだった。
「ああ、もう!」
憤慨した茜が湊の手首を掴んだ。
「え」
捕まった湊が驚いた表情で茜を見返した。彼女は間髪入れず廊下の先へと歩き出す。手首を引かれる彼も必然的に付いて行った。
上靴を滑らせながらもたつく湊。彼は小声を漏らし、茜に行き先を質問した。
「ど、どこに?」
茜の進行方向は、二年生の教室へと通じる階段とは逆であった。職員室からも遠ざかる進路である。目的から外れていく廊下は湊に違和感を覚えさせた。だが、彼は懐かしさも感じていた。
ずかずかと歩む彼女の答えと、湊の推察が一致する。
「捺祇沙耶子の教室!」
怒りに戦慄いた彼女の示唆が、廊下を五月蠅く震わせた。
まだ続きます。現実世界のまま騒動が進み、ある結末へと向かわせる感じです。次回も一週間後ぐらいに投稿したいと思います。




